去年から宗教の話を書こうとしていて色々読んだり調べたりしているのだが、ふと思ったのは宗教の本質は『奇跡』ではないかということ。大統領が就任時に聖書に手を置いて宣誓するアメリカだが、左のほほを叩かれたら鉛玉を打ち込むような国でとてもキリスト教の精神を守っているとは思えない。信じているのは隣人愛ではなくて死者の復活だとか病気を治すことだったりするように見える。仏教でもブッタが火を起こしたり幻覚を見せたりすることもある。徳島でも弘法太子が岩に杖を突き刺すと水が湧いてきたという逸話がある。煩悩を捨てることを前提に念仏を唱えている人なんているんだろうか?

 本質的に人は神ではなく奇跡を信仰しているのだとするとマンガやアニメ、ゲーム、映画、近年は勢いがないが小説が奇跡の代替品ではないだろうか。ワンピースは主人公のルフィが悪魔の実を食べてゴム人間になる話だし(というか太陽の神ニカだし)、マーベルの映画も科学や超能力を持つヒーローの話だ。アメリカで無神論者が増えているのもマーベルが影響しているのではないかと検索してみると90年代初めから無神論者は増えているらしい。アーノルド・シュワルツェネガーの『ターミネーター2』の頃からだと考えると納得。あれはハリウッド映画の金字塔。副題がジャッジメントデイ(審判の日)というあたりも宗教の代替を無意識に表しているのかもしれない。

 マンガやアニメなんて興味ないね。ゲームはやらないし映画だって見ないし小説も読まない、という人もビジネスの成功や運命の人との恋愛を求めていないだろうか。それも奇跡の一種だ。あるいは政治的な革命とかもね。のめり込んでいる本人はともかく、はたから見てそれらを現実的なものとして捉えられる人はいないだろう。そう考えると神は死んでも奇跡を信じていない人は一人もいないのではないか。

 ということを考えていたのだが、ふとこの前ラジオで学生運動の話が出たのを聞いた。山岳ベース(詳しくは検索)から脱けた人にインタビューした時の話をしていて、その人は彼女を革命に加えろと言われたので脱けたらしい。結婚したやつとオタク話できなくなったという話もよく聞くし、単純に彼女がいてソシャゲの周回イベントを全部こなすなんてちょっと考えられない。レイドイベントなんて夜のいい時間だし。そういえばジュード・ロウ主演の『スターリングラード』という映画でもイデオロギーは人の感情を抑えられないという話だった。‥‥‥あ、これってフロイトの性衝動説だ!

 この世に存在するあらゆる文化は愛によって滅びる。あらゆるプロパガンダも愛によって滅びる。こうして世の中から争いと戦争がなくなり平和になる。愛こそ全て。All need is Love.

 とはいえ全ての人に愛が渡りゆくとは考えづらい。これからも文化は続くし争いも戦争も起こる。それでも全ての人が愛を手に入れて、全ての文化が破壊されたとしよう。その中でも人は生きているわけで彼らは何をしているのかと考えてみたら結論は料理だった。料理だけは愛で破壊されない文化だ。最初にして最後の人間に残された営みだ。文化とは料理であり、料理とは文化である。

(おわり)

ロースト料理
ニッキー・モーガン
2020-11-13


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※追記:どうでもいいことだけどクリスマスを祝って葬式で念仏を唱える日本人からすると、アニメマンガゲーム映画小説オタクであり自己啓発でビジネス的成功を目指し運命の人との出会いを待ち望みつつ政治的革命をもくろむ人間を想像するのは簡単だ。それにキリスト教仏教イスラム教を同時に信仰していてもいい。宗教の本質を奇跡と見ていれば何もおかしくはない。

※追記2:人類最初の職業は売春婦と語り部と言われているが私は料理人だと思う。肉に火を通したのが料理の始まりに違いない。