愚者空間

牛野小雪のサイトです。 小説の紹介や雑記を置いています。 あと短い話とか。

 熱に浮かされたのか、文学的天啓なのかは分からないが、インフルエンザで40度の熱が出て手足が氷水につかっているみたいに冷えて、布団の中でぶるぶる震えている時に、絶対にこれを小説に書こうと何故か決心した。それで日記とは別に私小説を書いた。勢い余って他の事も書くと存外手応えを感じた。プロットがないので断片ばかりだが、これを書き溜めると、どこかしらに到達するのではないかという確信があった。しかし、ふと布団の中で、もしこれを書き進めていくとすれば明確にエンドマークを打つには、どこかの時点で自殺しなければならないことに気付いた。それも衝動的にではなく計画的でなければならない。胸の中がぞっとして熱は引いたのに体が冷たくなった。
 私小説に結末があってはならない。だから夏目先生の『明暗』を読むことにした(明暗は私小説ではない)。『明暗』とは夏目先生未完の小説である。未完で終わると何かで知っていたから今まで読んでいなかった。でも今は未完の小説が欲しいのである。そんなわけでここ数日は眠る前に5章ずつ『明暗』を読んでいるが、これが未完で終わるというのにムカついている。やっぱり読むのをやめようかと思うのだけれど、まぁ、今のところ読み進んでいる。

 山桜の推敲をしていると書き言葉の方言は難しいと痛切に感じる。作中ではどこの県とは明言していないので架空の方言として、かなり便利に書いているのだが、現実の方言をそのまま書き言葉にするのは難しいよなと、いつも思う。50音のどの語に当てはめるのだろうと分からない言葉もある。同音異義語が多いことからして標準語は書き言葉だろうが、方言は喋り言葉という気がする。ならば口伝だけで、方言で伝わっている物語があるんじゃないか。民謡がそうかもしれないが、もっと長い物語が口伝だけで伝わっていた可能性はある気がする。平家物語ほど長くはなくても、小説で言えば短編ぐらいの物語が。でも、もう語り部がいなくなって回収は不可能だろう。口伝という意味ではやはり散文より詩の方に軍配が上がるようだ。民謡がまだ残っているのが、その証拠だ。平家物語にしても冒頭の句がなければ太平記ぐらい読まれていない可能性があったかもしれない。そして源氏物語の方が読まれているのは短歌があるからかもしれない。
 方言といえば首都圏方言というのがあるらしい。ギャル語もその一種なのだとか。港区と渋谷区では同じ東京でも話し方が違うんだろうか。
 インターネットにも方言がある。今ならなんJ語がそうだ。(笑)から草の変遷には歴史があってちょっと感動した。でもそれとは別に考え方とか感じ方も違う気がする。フェイスブックとツイッターではノリが違う。そしてノリが違うとコミュニケーションが成立しない気がしている。言葉が違っても友達にはなれるがノリが違えば友達にはなれない、むしろ敵、というのを最近考えている。いつかそういうことを大学の偉い先生が研究するようになるだろう。方言ならぬ方考みたいな感じで。
 ノリの派生で服装が違う奴は敵。というのも面白い考え方だと思ったけど、軍服があることからして、ずいぶん古い考え方だという結論に至った。しかし、ひとつの思考実験として全員がユニクロのグレーパーカーを着たとしても、全員が友達にはなれないので、服装で敵味方が分かれるのはちと弱いかもしれない。でもまったくないわけでもないだろう。メンズナックルを読んでいる層とメンズノンノを読んでいる層が長年マブダチなんてのはちょっと考えづらい。分からない奴には鳥獣拳。(参考サイト‐メンズナックルジェネレーター
メンズナックル風 poem
 創作物のヤンキーと現実のヤンキーが違うように、現実のギャルと創作物のギャルも全く違う物のはずだ。そういう意味ではギャル漫画というのはファンタジーに分類される。創作物におけるヤンキーとギャルの共通点はバサラ、つまり既成概念をぶち壊す存在であることだ。ギャルは今でも時々駅前で見るがヤンキーというのは絶滅危惧種だ。でも文化的に保護されたヤンキーがいたとすれば、それはもうヤンキーではない。伝統芸能の担い手だ。人間国宝を授与されるジャンルだ。家元の家に生まれた子は3歳でメンチを切らなければならないだろう。15になるとヤンキーの家を継ぐか、一般人として生きるかの選択を迫られるだろう。なんか嫌だ。ヤンキーっていうのは職業じゃなくて生き様であってほしい。でも伝統芸能としてのヤンキーはそういうものになってしまうんだろうな。弁慶が勧進帳を読み上げるように、ヤンキーが舞台の上でメンチを切るのを見るようになるんだろう。そういえば弁慶ってヤンキーっぽい。というよりあの時代は武士達が一番ヤンキーっぽい。ってことはヤンキーはやっぱり伝統芸能にはなれない。何故ならヤンキーは一度も天下統一を成し遂げていないから。武士は権力を握ることでメインカルチャーに登り詰めたが、ヤンキーはどこまでもサブカルチャーでしかない。千年後の未来には日本史を専門に学んだ人だけ知っている一風変わった風俗として扱われるだろう。
 ヤンキーは廃れること請け合いだがギャルはまだ分からない。現代の日本は千年前と違って武力統一しなくても選挙に勝てば権力を握れる。ギャルが一斉蜂起して選挙に出馬、政権を取れば伝統芸能として残るに違いない。可能性はある。しかしギャルは伝統芸能になりたいとか思っていないであろうからギャルであると思うので、そんな不純な動機で天下統一して欲しくない。っていうか、ここで言っているギャルというのも創作物のギャルなので、そんなことは絶対に起こらないだろう。メイクを落とせば10代の女の子でしかない。なるほどヤンキーが天下を取れなかったわけだ。

 山桜の小分けにしていたファイルを一つのファイルに戻すと全部で81651字あった。この前書いたのは原稿用紙250枚の天井を意識しながら書いたので6万字。今回は天井を気にせず書いたのに8万字。やっぱり長いのは書けない。今の書き方で16万字ぐらいのなんて想像もできない。一昨年までは時間さえかければ何十万字でも書く自信があったけど今は無理。でも5年前も中編二編書いた後に長編を書けたから、次も奇跡のように何らかのブレイクスルーをするかもしれない。で、今書いている物に見切りをつけて本当に新しい方向性へ舵を切る、と。まぁ未来なんてどうなるかわからないし、もしかしたら来年は刑事物を書いている可能性だってあるわけで、今も昔も目の前に見えている小説を書くしかない。

(おわり)
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