去年の11月には、山桜のラストはこれでもう決まりだろう、これ以外にはありえないという場面ができていて、頭の中にもノートにもはっきりと言葉が刻まれていた。

 しかし、今年からは新しい小説を書くんだと意気込んでいたので、これが完璧だとは思い込まずに、何とか別の終わり方ができないものかと、ずっと悩んでいた。いくつか案は出せたが結局最初の案以上のものはできなかった。もうこれで良いじゃないか。これ以上のものは人間には書けないよとあきらめて、年が明けた。

 正月にNHKの落語番組に笑点の司会の人が出ていた。『浜芝』でもやらないかなと見ていたが、新作落語ばかりやるのでチャンネルを変えたくなったが、笑点の司会の人が、古典落語の完成度は、それはもう凄い物があって、でも現代に生きる僕達は新作落語を作らなきゃいけないんだ、的なことを言ったので、頭の中にビューンと冷たい風が吹き抜けた。

 そうだよ。新しい小説を書かないといけないんだよ。完璧に安寧しちゃダメなんだよと正月早々に思い直した。

 そんなわけで今年もずっと完璧なラストをどう超えるのかとウンウン悩み続けて、最後のブロックを積むところまで来ると、手が止まった。やっぱりダメだ。どうして最初に思い付いたラストではいけないのだろう。完璧じゃないか。これ以外にない。一時間ほど悩んだ。とりあえず書いてみるということもしなかった。

 完璧ではないものならあった。去年から、もし書くならこれというものはあったが、完璧から一歩踏み出すために無理矢理別の場所へ飛ばしたようなもので絶対にダメなものという確信があった。でも、もし仮にこれを書かなかったら絶対に後悔するという予感もあった。だから、ええい、どうせ俺は何者でもねえんだから成功も失敗もねえや、と華厳の滝から飛び降りる気持ちで書き始めると、腕からキラキラひらめきが降ってきた。空の蓋がパカッと開いて、頭の中に涼しい風が吹いた。今まで思いもしなかった言葉が次々と湧き出てきて、あっという間に最後まで書き終えてしまった。

 完璧とはいえない。新しいかは自信がない。あるいは完璧に新しいのかもしれない。分かっているのは昨日までは思いもよらなかった小説が爆誕したということだけだ。胸がドキドキしている。もしかすると、とんでもない小説が書けてしまったのではないのだろうか。何だか恐くなってきた。

(おわり)