音楽業界の衰退

ぶっちゃけDLだとほとんど利益がないんだ/スガシカオ

 出版業界よりも先に電子化の波に襲われた音楽業界はかなり厳しいようだ。スガシカオさんですらこのレベル。
 ほとんどのアーティストはCDやDLではほとんど利益が出ないのでライブで稼いでいるらしい。昔はライブ主体で儲けていたという(後退したってことだよね)が、これから出てくる人で黒字化できるほど人を集められる人って出てくるんだろうか?
 ライブで儲けるには客単価を上げるか客数を増やすかしないといけないが、知名度のない人は客単価を上げることもできないし集客力もない。それとは逆に知名度のある日とは客単価も上げられるし集客力もある。功罪あるだろうがやっぱり知名度は力だなあと思わされる。
 この前ちらっと見た音楽番組を見た感じでは過去に人気のあった人か現代のアイドルしか出ていなかった。このままの流れだと将来的にはいわゆるアーティストという人種がかなり少なくなり、アイドルだけが残るのではという気がする。見た目は即効的で強力な宣伝効果があるからね。

 どうやったら知名度が上げられるんだろうか(もちろんプラスの方向で)?それが分かれば苦労しないのにな。

昔の偉人がことごとくイケメンな理由

 夏目漱石があばた面で本人もその事を気にしていたそうだが千円札ではつるりとしている。文庫本カバー裏にある肖像画でもそれは同じ。昔のカメラは性能が悪いからそこまで写せなかったのかなと思っていたが、それにはちゃんとした理由があった。
  意外なことに明治時代から写真修正技術があって本人の希望や写真屋が気を利かせた結果、あのイケメン写真が後世に残ったのだ。今でいうフォトショ加工である。そんな技術があるとは知らなかったので、昔の人はさぞ美形揃いと勘違いしていたが種が割れればどうってことない。同じ日本人が100年やそこらでそう変わるはずないのだ。
 そうと知れれば、現代の作家も写真を掲載するときにフォトショ加工を施したらどうだろうか。明治にしていたぐらいだから平成でやってもバチは当たらんだろう。芸能人だってやってる。見た目はそれだけで宣伝効果があるから、新しい読者を獲得するのにちょうど良いかもしれない。出版不況もきっと解消するだろう。 


↓これを見れば納得!
 

脳みそをクールに保ちたい

 雨が上がると部屋が蒸し暑くなってきた。それと同時に頭も蒸しあがってまともに物が考えられなくなる。ヘアバンドにアイスノンを着けてみたが、頭皮だけが冷えて脳みそまで冷えてない気がする。かき氷を食えば頭が冷えるけれど何度も食えないし、クーラーは勿体無い。かといって頭の温度は上げたくない。どうすりゃこの水冷式プロセッサーを冷やせるんでしょう?

 あくびは脳を冷やすためにしているという説がありますが本当のところどうなんでしょう。
 口をポカンと開けて斜め上(30度くらい)を眺めていると意図的にあくびが出せますよ。もし出せたら脳みそまで冷えるか試してください。


ハンバーグとハンバーガーの違い

 今日は子供の頃の三大間違い。その一角を成すハンバーグとハンバーガーの違いについて書く。
 ハンバーガーとはハンバーグをパンに挟んだ料理ではない。あの中身はパテというもので、ハンバーグとの違いは卵や小麦粉などの繋ぎを使っていないということ。それと玉ねぎも入ってない。
 つまりお母さんが昔作ってくれた手作りハンバーガーが実はただのハンバーグサンドだってこと。
 最近ハンバーガーについて書いたのでこの事を知った。


精神的な領域での猫について

 12支には猫がいない。
 昔話ではこんな話だったと思う。
 昔々、神様が動物達を集めて言った。
「干支を決めるから1月1日に神社で集合。先着順で干支にしてあげる」
 このとき猫は寝坊していたので、あとでネズミに神様がどんな話をしたのか訊いた。体の小さいネズミは干支争いに不安を感じていたのでここで一計を案じた。
 ネズミは言った。
「干支を決めるから1月2日に神社へ集合だそうです。先着順で干支に選ばれるそうですよ」
 これを真に受けた猫は1月2日に一番乗りで神社に到着。しかし、待てど暮らせど他の動物は来ない。干支の選考は昨日のうちに済んだことを誰かから聞いた。騙されたことを知った猫はそれ以来ネズミを恨んで常に追いかけ回すんだそうだ。

 また猫には星座もない。
 昔うみへび座とポンプ座の間にねこ座というものがあったらしいが、現在の星座には使われていない。こっちの理由は不明。魔女狩りと関係があるかもしれない。
 ちなみに何故かやまねこ座はある。→やまねこ座/wikipedia 

 村上春樹の『海辺のカフカ』で首を切られているのを最近読んだ。
 
 猫はあんなに可愛らしいのに精神的な領域ではエジプト以外で不遇な扱いを受けているのは不思議だなと思う(エジプトでは猫の顔をした神様がいる)。
 猫の魅力が身近にある現実だからかもしれない。

12支/wikipedia ←12支生肖の項に少しだけ?猫の逸話あり
ねこ座/wikipedia 
バステト(猫の女神)/wikipedia 

パンケーキってホットケーキじゃないの?

今日はスイーツ三大不思議、その一角をなすパンケーキについて書いていく。
 

題名:クロスホットパンケーキ
作詞:カウフィールド ♪=your soul

まずはなぞなぞ始めよう
パンはパンでも食べられない
そんなパンはどんなパン?
答えはそう、フライパン
食えないパンでパンケーキ
食べるパンじゃなかったのさ

パンケーキ
見た目は完全ホットケーキ
ホットケーキは何かって?
若い人は知らないか
実はそれはパンケーキ
海の向こうのアメリカで
パンがホットになったのさ


次のなぞなぞ、今度はムズいぞ
ぶっ飛ぶように売れちまう
これを英語で何て言うか?
場所はアメリカ、ヒントは食い物
答えはびっくり。英語でいくぜ
Selling  like  Hotcake 
そのまま訳すとホットケーキみたいに売れちまう
ここでホットとパンのクロスワード
パンはホットになってるか? 

※2
パンケーキ
見た目は完全ホットケーキ
だけど知ってるか
こ、こ、こ、これもパンケーキ?
あ、あ、あ、あれはお好み焼き?
そ、そ、そ、それじゃこれもそうなのか?
リンゴにベーコン、クルミにレーズン
空にに空豆、バナナにチーズ
何を入れてもそれはO.K
小麦粉、卵、ミルクでホットに焼け


常識を疑え。ロスタイムなんて今はアディショナルタイムだろ
言葉の意味に囚われるな。ドツボにはまるとそれがロスタイムだ

※、※2 繰り返し

人を狂わせる月の魔力!?

神秘的!今年最大の満月スーパームーンが2014年7月12日に見れる!! 

昨日はスーパームーンといって大きなお月さんが出ていたそうです。 上の記事を見てから夜空を見たのですが、あいにくの曇り空で直接見ることができませんでしたが、空を隙間から黄色い光が漏れていたので相当明るかったと思われます。

 西洋には狼男伝説があります。狼男が満月を見ると人間の皮が破けて狼の化け物に変身するとか。
 ローマ神話にはルーナという女神様がいて、月の事もルーナと言うそうです。
そこから派生した言葉のルナティックという言葉は精神異常という意味があります。
昔から月には人をおかしくさせる力があると信じられていました。
ひょっとしたら将来科学が発展して、月から何かが発見されるかもしれません。
昨日は身近におかしくなった人はいませんか?
きっとそれは月のせいですよ。 
その人がおかしいんじゃありません。

満月/wikipedia ←スーパームーンの項あり
狼男/wikipedia  
ルーナ/wikipedia

語りと話し

今日は三大執筆のアドバイス、その一角を成す『話すように書け』について語ろうと思う。

執筆とは何か。物語を書くことである。
物語とは何か。物事を語ることである。
書くときは話すように書きなさいというけど、
先人に反発して語るように書くを提唱したい。
物語は物語りであって決して物話しではない。
語ると話すとではどんな違いがあるか。
話すには事実を伝えるというイメージ。
語るには主観を伝えるというイメージ。

よそ見をしていたら、信号が赤になっている事に気づいた。急ブレーキを踏んで車を止めた。
これが話し。
気付いたら信号が赤になってて、慌ててブレーキを踏んだ。シートベルトが体に食い込んで胃の中が飛び出そうだった。
これが語り。話好きならもうちょっと尾ひれをつけるかもしれない。
話しには事実を伝えるだけで嘘は介入しない。
語りには主観が加わるからある種の誤魔化しが入る。

そんなわけで
刑事ドラマで刑事が容疑者に
「本当の事を話せ」とは言うが「本当の事を語れ」とは言わない。
恋愛ドラマで男の浮気がバレそうなときに
「あの子とはどんな関係か全部話してちょうだい」と言われても「あの子とはどんな関係か語ってちょうだい」とは言われない。
ビジネスドラマで上司から部下へ
口頭で話すということはあっても口頭で語ることはない。

また語りには同音語で騙りがある。騙るとは嘘を言って人を騙すことだ。
つまり執筆とは物語を書くことであって物を騙る事ではないだろうか。
自著で申し訳ないが『ドアノッカー』という物語は純度100%に近い騙りで、事実は全くと言って良いほど含まれていない。冒頭の三人が話す内容も本当の話はバーニャカウダの件だけである(サンプルダウンロードすればその部分まで読めますよ)。
もちろん他の著書も嘘八百で詰まっている。

しかし、よくよく考えると世の中には話している人は少なく、語ることが多いようだ。また聞く方でも話されるより語られる方が聞いていて面白い(嫌いな人が相手だとこれが反転するのも面白い)。ただ語るだとケチがつくので一応は話していることになっている。
「お話を聞かせてください」とは言っても「お語りを聞かせてください」とは言わないでしょう?
つまり、話すように書けとは、結局語るように書けという意味になるとぼくは思いました。
今日の語りはこれでおしまい♪おしまい♪
チャン♪チャン♪

夢と記憶

日記帳をつけていたら、ふと気になって台風の日のページを開けた。
その日は夢を見ていて、台風が来たけど裏のスイカは三つとも無事だったという内容だけれど、そもそも家にはスイカは1つしかないのに何故その時に夢と気付かなかったのだろうと書いてあった。
夢の内容はその日の内に忘れてしまうものなのに、その部分を読むと夢の内容がすっかり思い出されてしまった。
これは夢に限らず現実のことでもそうで、さらに古い日記を読むと、5年以上も前に食べたうどんの事までも鮮明に思い出せる。
ついさっきまでは頭になかった事なのに、きっかけさえあれば鮮明に思い出せるのは全くの不思議で、これが意図的にできたら今頃理研辺りで研究者になっていたんだろうなんてと考える。
それとは逆に、漢字なんかによくあるのは知っているはずなのに思い出せないということがある。現在頭の中に無いことが自分の中に何故か在ると思うのはちょっとおかしい。
記憶というものは在るようで無くて、無いようで在るようだ。
執筆も似たようなところがあって、どんなに書き詰まっても漢字が思い出せない状態と同じで、何かきっかけさえあれば必ず書けるはずだと思いこんでいる節がある。
漢字なら大抵一度は書いたことがあるので、まあそう考えてもおかしくはないが、執筆はまだ書いたことが無いのに、何故か書けるはずだと思い込んでいるので、不思議だ。
話すように、思い出すように、あと何かするように書くと良いのかもしれない。

この世は最低に合わせて回っている

親子が似ているように、大きな社会と小さな社会もきっと似ているはず。
この世の事を一人の人間で把握する事は出来ないが、小さな社会を見ればこの世の事を類推する事ができるはずだ。
そこで小さな社会を現すサバ缶工場を考えてみた。 
例えばサバ缶工場の各工程をごく簡単な例にすると

a.まずサバが無ければサバのぶつ切りができず
b.サバのぶつ切りが無ければサバの水煮ができず
c.サバの水煮が無ければサバ缶ができず
d.サバ缶が無ければ出荷ができない
になると考えた。

そうすると 
a→b→c→d の各工程で生産量は前工程の生産量と作業員の数で決まる。

各作業員(作業員は業務を横断できない)が1単位時間で生産できる量を1、サバは無限に供給されると仮定すればと

a.作業員10
b.作業員10
c.作業員10
d.作業員10

の場合。100単位時間後にできるサバ缶は970缶。

次に
a.作業員10
b.作業員10
c.作業員10
d.作業員1000000
にすると970缶。

これを
a.作業員10
b.作業員1
c.作業員10
d.作業員1000000
にすれば97缶に激減!
どんなにb以外の人員を増やしてもbに人を増やさない限り生産量は97缶のままである。
作業員数を1にするのはbでなくて も、どこかで1になっていれば100単位時間後にできるサバ缶は97になる。
この事からサバ缶の生産量は生産量が最低の工程に合わされるということが分かる。
上の例は極端な例だが、社会全体もサバ缶工場のように最低な場所に合わせて回っているんじゃないだろうか。
体が最小の栄養素に合わせて代謝するのもこれと同じではないかという雑感でした。

船で例えるストレスの話

自我とは無意識の海を股にかける貿易船で、ストレスとは積み荷のことである。
自我という船が現実という名の港に着いたとき、船着き場では地元の商人達が商品を船に積めようと押しかけている。
船長はその中から持ち帰りたい荷を選んで船に積み込もうとする。
または狡猾な商人に押し切られて、あるいは強引に荷を受けてしまうこともある。
時が来ると船は港から出港する。
この時に船の積載量と積み荷のバランスが合っていれば船は何事もなく港を出る。

しかし、積み荷が多ければ船は不安定になり遠からず沈没する。そもそも出港すらできないかもしれない。
それとは逆に、積み荷が少なければ船長は船が軽すぎると港へ引き返し、船に荷を積めようとする。
前者は神経症的で後者は現実逃避的な状況を現している。

例えるなら、自分の身の丈に合わない夢を追っている状態は、出来るだけ船に荷を積めようとする状況である。
息が詰まりそうな人間関係や、忙しくて目が回りそうな状況は、地元の商人の要望を断りきれずに荷を積んでしまった状況。
これらの状態を抜け出すには荷を減らすか船を改造して積載量を増やすしかない。

現実逃避的な例は自分に自信がない状況だと言える。
船長は船を信用できない、もしくはこれ以上の荷を載せれば沈没すると判断して船に充分な荷を載せないまま港を出てしまう、しかしそのまま国へ帰ると利益が出そうにないことに気付いて港へ引き返す。この行為はストレスという荷を充分な量詰め込むまで繰り返される。

さて、これを読んだあなたは船に荷が充分に積まれているだろうか?それとも積み過ぎや、船倉が空だったりしていないだろうか?

凄い書けるけど凄い終わらない

 7月は文月でものを書くには良い月だとか。そのせいか今月はよく筆が進む。5月の下旬から書き始めて6月の終わりで6万字。しかし今月はもう8万字進んだ。それだけ書いてもまだまだ終わらないので段々嫌になってくる。ここで終わりという目標があるとはいえ、本当に終わるのか書いている本人でも分からない。いつも最後の1000字くらいになるまではゴールを感じられないものだ。なまじ筆が進んでいると、これだけ書いても終わらないのだから、一生完成しないのではないかと不安になってくる。長い小説を書くってマラソンみたいなものだな。これでスカしたら目も当てられない。
 お盆までに完成させられたらなあ。 

色々試してみるもんさ

先週末からまた書けなくなった。本当に一文字も。
同じ文字を書くことでも、小説以外なら書けるので、使っている脳みそが違うんだろう。
書けなくなるってことは便秘みたいなもので、頭の中に物語はあるんだけれど、いくら気張っても全然言葉が出てこないってこと。
こんな時は色々試してみる。食べ物だったり、運動だったり、単純に書くことから離れたり、時には魔術的な物に手を出したこともある。
今だに確実な手は発見してはいないのだが、あがいている方が立ち直りも早い気がする。放っておくとずっと書けないままなのは不思議だ。
あがいたせいか週が明けるとまた書けるようになった。理由は今回も分からない。
いつかこの謎を解明したいと思う。


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