先日、根木珠さん、アヲイさんとウェブ上の宣伝がうざいという話をしていた。

根木珠さんは宣伝する側に回ると相手がウザいんと思うんだろうなぁと悩まれていた。
私はアニメだと最初は嫌いだった相手を好きになることがあるので、それを目指したらどうかという事を言った。

その時は軽い冗談だったが、後日ふと思い出して考えることがあった。

小説でもマンガでもいいが、熱心に盛り上げているのはファンとアンチであったりする。盛り上がらないところにはファンしかいない。アンチも昔の誰それは良かったという言い方をして、つまりは以前熱心なファンだったわけだ。
 
キライはスキに変わる可能性がある(もちろんその逆も)。
だから誰かに嫌われたということは相手が自分に興味があるということだ。
そう考えると嫌われることを恐れなくてもいい。やれることは増えるんじゃないだろうかと思った。

小説を書いていて思うのは無関心が一番応えるということ。今は消えてしまったが『ドアノッカー』に最初のAmazonレビューが付いた時は好意的な内容じゃなかったけれど、内心ヨッシャ!という思う気持ちもあった。

でも、でも、それって本当?

その後アヲイさんが、相手に興味を持たせられたら勝ちだけど『金の蟹』は好きになれないなぁ、とこぼしていた。正確には『幸運の蟹』。調べてみると詐欺がどうとかというサイトが現れる。画像検索するとキモいカニの画像が出てきた。

うわぁ、これじゃあな・・・・・と、思ったが、頭の中にはカニが居座っている。キモいなぁという感情と共に。宣伝成功? でも、好きになることはなさそうだなぁ。


この一件でキライとキモいは違うと、ふと気付いた。

それで思い出したのは『電車男』

話の内容は電車で絡まれていた女性(エルメス)を助けたオタク(電車男)が、後日お礼にティーカップを貰って、そこから恋(電車男の片思い)が始まるというお話。

今はキモオタという言葉があるが、一昔前はオタク=キモいという文脈で使われていて、ドラマでは電車男が脱オタ(ようは脱キモい)を目指して奮闘する様が描かれていた。もしあれが脱オタ(脱キモ)じゃない方向で頑張っていたらどうなったんだろうか。私にはエルメスとうまくいく状況が想像できない。マンガに出てくるあやしい薬で精神堕ちでもしない限りありえない。もしオタクのまま電車男がエルメスとどうにかなっていたら激しい違和感があっただろう。


エルメス(この人キモいし、生理的に無理だけど何故か胸がドキドキする。悔しい・・・///)
↑なんてあ・り・え・な・い。頭がおかしいと思う。


それに反して。もし仮にDQN(オラついた性格の悪いやつね)がいたとして

エルメス(この人、キライ・・・・)と思っていたのが

(この人キライだけど何故か胸がドキドキする。どうして・・・・///)

と変わるならありえそうな気がする。相手が脱DQNしなくても。というか最初からドッキュンしていても違和感がない。

とにかく、キライ→スキ はありえるけれど、キモい→スキ はありえない。本当にヴィジョンが見えない。せいぜいキモくないぐらいだろう。

そういえば最近は『キモい』が『
キライ』という文脈で使われているような気もする。

つまりさ、宣伝でも創作でも何でもいいけど、避けるべきなのはキライじゃなくてキモいなんだよ。キライは何かのきっかけでスキに変わることはあるけれど、キモいはせいぜいキモくないにしか変わらない。発展性がない。

そう考えると、嫌われたら儲けもんだよね

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(おわり)

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