夢は森の入り口で始まった。最初から夢だと気付いていた。
自分が今夢の中にいると気付いたのはこれが初めてだったので、もしかして空を飛べるんじゃないかと期待したが、私のとぼしい想像力では夢の中でも現実と同じだった。空は飛べないし、瞬間移動もできない。

夢は私を森の中に進ませたがっていた。私は薄気味悪い森の中なんて入りたくなかったが、お前が進まないと夢が始まらないだろ的な空気を感じた。夢と気付いても夢は現実と同じだ。私は空気に逆らえず森の中へと足を踏み入れた。

森の中は入ってしまえば意外と明るかった。遠くは真っ暗だが50mぐらいなら先まで見渡せる。私は目に見えない空気に背中を押されながら森の奥へと進み続けた。

ずっと森の中を歩き続ける夢なのかと思っていた。森ではないが、砂漠を歩き続ける夢は見た事がある。だが、木々の隙間から突然猫が姿を現した。しかもタキシードを着て二本足で立っている。私を待っていたようだ。
にゃーんせんせーのコピー

私は猫にたずねた。
「あなたはだれですか?」
猫は答えた。
「私は弍杏。にゃーんせんせーと呼ばれているが、どう呼んでもらってもかまわない」
「私を待っていたのですか」
「正確には鍵が来るのを待っていた。ここにいればいつかは通るだろうと信じていたのだ」
「鍵?」
「夢の外へ出る鍵だ。夢の中で生まれた者は夢の外へ出る事ができない。ただし、夢の外から来た者ならば一緒に外へ出る事ができる」
「あなたは夢の外へ出たいのですか?」
「違う。夢の外へ出して欲しいものがあるのだ」
「それは何ですか?」
「器だ。だが君に話しても理解はできないだろう。来たまえ。私が器まで案内しよう」

器とは何のことか分からない。夢はいつだって唐突だし、支離滅裂だ。猫が喋る事だって、タキシードを着ているのだっておかしい。もしこれがいつもの夢だったら何の疑問も感じずに猫の後をついていったんだろうな。
私はにゃーんせんせーとかいう怪しげな猫とは別の方向へ歩いていった。彼は背を向けていたから私に気付かなかったようだ。

森の中はどこまで行っても同じ道が続いていた。同じ場所をループしているようだ。しょせん乏しい私の想像力では広大な森の中でさえ、ケチな構造をしている。これなら猫についていって何か事が起こるのを待っていれば良かった。

「おお~い、にゃーんせんせ~!」

森の中に私の声が響いた。声も森の中をループして、しばらくすると私の後ろから声が返ってくる。後ろを振り向くと、私のすぐそばまで闇が迫っていた。上から下までずっと真っ暗だ。私はその闇の中から何か巨大な物が出てくるのではないかと恐ろしくなった。いや、駄目だ。ここは私の夢だ。恐ろしい事を考えれば本当に恐ろしいものが出てくる。私は何も考えないように必死で森の中を進み続けた。

どれだけ進んでも同じ道だった。闇も私の後ろをぴったりとつけてくる。あと10歩ほどの距離まで近付いていた。前以外はどこも真っ暗だ。闇の中から音のない息遣いが聞こえてくるようだった。

私は走った。夢中で走った。幸いな事に今回の夢では現実と同じように足が動いてくれた。

また夢の気配を感じた。夢は私をある方向へ進ませようとしている。そちらには闇がない。それどころか、どこか薄明るい場所だった。私は闇から逃げるように目の前にある光を目指した。

森が開けた場所に出た。空を見上げると青空が広がっている。後ろを振り向くといつの間にか森全体を包み込むような闇は消えていた。夢なんて支離滅裂なことばかりだ。

「ア゛オ゛オ゛オォ、ズ ギ マ゛ジ ャ゛ァ」

地獄の底から搾り出したような女のうめき声がした。
声のした方を向くと女が椅子に座っていた。
変な機械を顔に着けている。
ヌネノ川waka

「ア゛オ゛オ゛、ズ ギ マ゛ジ ャ゛ァ」

女がまたうめいた。何か言葉を発しているような気もするが、私には意味が分からなかった。女が苦しそうに見えたので、私は彼女の顔から妙な機械を外してあげた。女は機械の下で目を開けていたが、何も見えていないようで、虚ろげな目で森の奥をずっと見ていた。

「大丈夫か?」
私が声をかけると
「大丈夫」
と女がまともに返事をしたので意外だった。
「ここで何をしていた? 君は一体誰だ?」
「ワカ、ヌネノ川ワカ。ずっと夢を見せられていた」
「違う。ここは私の夢だ。君は私の夢の中の住人で、夢を見ているという設定なんだ」
「違う。私がここで夢を見ているから、あなたは夢を見ない」
「夢は見ている。現に今がそうだ」
女は首を横に振った。何が違うっていうんだろう?

「おい、お前。何をしている。どこから来た」
別の声がした。そちらを向くと男が一人立っていた。
良く分からない敵?のコピー

「あんたこそ誰だ?」
「ネ○○○」
女が代わりに男の名前を言ったが、私にはよく聞き取れなかった。

「何をしている。早く装置を元に戻せ。こんなことをしていいと思っているのか」
男は何故か怒っていたが、焦っているようにも感じられた。
男は迷いのない足取りで近付くと私を跳ね飛ばすと
「悪いことは言わん、森から出ろ。夢からも」
と言った。
「森の出口が分からないんです」
私がそう言うと、男はある場所を指差した。
そこは森の木々が上の方で左右に分かれていて、光が差し込んでいた。
さっきまで無かったはずだ。
「早く行け。今日見た夢のことは忘れろ。思い出しても考えるな」

「待て!」
別の声がした。男のそばにいつの間に別の男が立っている。
それは男にとっても意外な事だったようで、さっき拾った機械を取りこぼしていた。

伊東なむあひのコピー
「その装置は二度と使わせない」
筋骨モリモリの男が言った。
「ナムアヒー・・・・・馬鹿なやつ。せっかく生かしておいてやったものを。忘れたのか。二度目はないと言ったはずだぞ」
あの筋肉モリモリマッチョはナムアヒーとかいうらしい。
「私も言ったはずだ。今ここで殺さなければ、ふたたびお前を倒しにいくと。俺を殺さなかったのはお前の甘さだ」
「お前では私に勝つことはできない。分かっているはずだ」
「器を外に出す」
「何を馬鹿な、器がいなくなれば夢と現実が繋がってしまうぞ。にゃーんせんせーは知っているのか」

「知っている」
いつの間にか森で別れたにゃーんせんせーが私のそばに立っていた。
「さっ、早く器を森の外へ」
せんせーが私に耳打ちをする。女は私のそばに駆け寄ってきた。
「それで?」
「夢から覚める」

「まさかせんせーまでそんなことを言われるとは、歳は取りたくないものですな。しかし、器を外に出されては困ります。私も、あなたも。ナムアヒーも、いや、世界を支えていた秩序が根源から壊れてしまいます。それを教えてくれたのはあなただ」
「さっ、早く」
にゃーんせんせーが私と女に声をかける。
「そうはいきませんな。ノノハチ! 森から器を出すな!」
男が声を上げると、森の奥から再び巨大な暗闇が迫ってきた。今度ははっきりと何かの巨大な息遣いが聞こえる。
「私達がここでやつらを食い止めます。出口はそれほど遠くはない」
にゃーんせんせーが言った。
「それでどうなるのですか?」
私の問いに
「私にも分からないのですよ」
とせんせーは答えた。

「せんせー、あれを使います」
ナムアヒーがいつの間にかそばにいた。
「かまわんよ。どうせ一度きりのことだ。出し惜しみはするなよ」
それから二人が何をしたのかは分からない。
私は女の手を引きながら森の出口に向かって走った。
後ろから巨大な何かの咆哮が聞こえる。
その声は森の木々を揺らし、私の頭の中でさえ震動させた。
夢から覚めないのか不思議なくらいだ。
現実の私には今何が起こっているのだろう?

咆哮と一緒に地響きが迫ってくる。
振り返る余裕は無かった。
私は女の手を引きながら森の出口を目指した。
木々の途切れている場所が見えている。
あそこがきっと出口だ。

湿り気を帯びた熱い空気が背中を打った。
すぐ後ろに巨大な気配を感じる。
そうだ。あの男は器を外に出すなと言っていた。
器とはこの女のことなのだろう。
それなら女を置いていけば私は助かるかもしれない。
私が女の手を離そうとしたのも束の間、激しい爆音と、光が森の中を包んだ。
振り返っても何も見えない。いや、森の木よりも大きな影が私達のすぐそばで顔を押さえている。影しか見えないのがありがたかった。もしこの怪物の姿をしっかりと見ていたのなら私はその場で動けなくなっていたかもしれない。
影だけでも不吉な予感を抱かせる不気味な造形だった。
「森の出口」
女が私の手を引いた。

私達はすぐに森の外へ出た。
だけど私は夢から覚めなかった。
「ここからどうなる?」
「私にも分からない」
森の中から咆哮が聞こえてきた。いつの間に森はまた先の見通せない薄暗い場所になっている。
「夢から覚めない!」
「落ち着いて」
そう言った女の腕から小さな光の玉が浮き出てきた。光は次々と腕から、体から湧き出している。気付けば私の体からも出ていた。
「夢の外でまた会いましょう。私はあなたのそばにいる」
女が言った。その瞬間私の視界が真っ暗になり夢から覚めた。

目を開けると、当然私の布団には私しかいない。
“夢の外で会いましょう”
最後に言った女の言葉が気になっていた。
何故かまた会えるような気がしていた。
それは夢か現実かは分からない。でも私と彼女の不思議な結びつきはまだ切れていないと感じていた。そして、森の中にいた奇妙な者たちとの関係もまたそうに違いない。どういう形であれ、私は彼らともう一度会うだろう。その時はただごとでは済まない。
私はこれから自分の身に起きる予感に身を震わせた。
まだ眠気が体に残っている。コーヒーを飲まなければ。
そうだ、もしかしたら今日見た夢は何かの前触れかもしれない。日記に書いておこう。

(日記はここで途切れている)

(2016年5月7日牛野小雪 記)

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