A「あなたはどうしてあんなことをしたのですか?」

B「だってしょうがないじゃないか。みんなやっていることなんだから」

 




さてBさんは一体何をしたのでしょうか。何をしたとも書いていないのに何故か善いことをしたようには思えない。不思議なことにこういう言葉が出てくるのは決まって悪事がバレたときであって、善いことをしたときには出てこないような気がする。

 

どうも悪いことをしたときには自分に悪意があったとは言わずに必ず状況のせいにしているようだ。不祥事を起こした人をTVで見ていても、言葉の上ではあやまっているがその態度は不当に裁かれているというそこはかとない怒りを感じる。どうして俺だけがという不満表明に見えるのは気のせいだろうか。

 

言い訳するななんて言うことは容易いが、私は悪意に囲まれて悪に染まらずにいられる自信はない。何か事が起こると勢いのいい言葉がたくさん飛び交うが、そんな人も同じ状況に立っていれば同じことをするだろうと思っている。周りに影響されずに自分の意志で行動できる超人がそんなにいるとは到底思えない。またそんなにいないからこその超人だろう。もちろん下手にそんなことを言うと「お前は簡単に悪事を染める意志の弱い人間なのか」と言う面倒くさい人が出てくるので、建前では超人風のことを言うだろうけどね。

 

 つまりは上のBさんにしても自分自身の意思で悪いことをしたのではなく、周りの状況に染まって悪事を為し、たまたま運悪くそれが見つかっただけで、自分の意志でやったわけではない。それなのに裁かれている。だから怒っているのだ。

 

ライブドアブログでこんなことも書くのもあれだがライブドア事件。あれはどう考えても闇が深い。ホリエモンはああだこうだ言って怒っていたが、それは彼の周りにTVで報道されている以上の悪事が展開されていて、それを知っているからこその怒りではないだろうか。お前ら、俺だけをさんざんいじっているがもっとヤバイのが他にもあるだろうよ!的な。喩えるならすぐそばで強盗殺人が起こっているのに、スピード違反で捕まったようなもので、そんな状況なら怒らない方がむしろおかしい。沖縄で自殺した(ことになっている)人なんて、すぐに報道されなくなってしまった。スっゲーよな。現実は小説を別ベクトルで超越している。

 

 最近中学生が自殺した事件がニュースになっていた。私自身を振り返ると14歳なんて何かの弾みで簡単に死ぬようなものだと思うのだが、かつて14歳の少年だった人はどうだろうか? 

振り返るとよく死ななかったなって思う事がいくつかある。でもまあこれは若さを持て余した話で、ニュースになったのはいじめの話。何年か前にこの手の事件では珍しくいじめの主犯格が捕まってニュースになったが今回はどうなるのかな。

 絶対に言えるのは、いじめっ子が捕まってもそれほど反省した色は見えないと思うよ。もっとも少年法で姿形は見えないだろうけど。

 むしろどうして自分達だけがという怒りに燃えるのではないだろうか。よしんばいじめを認めたとしても俺達だけじゃないと主張するはずだ。

 でも、いじめられた本人に話を聞くことができれば(死人に口なしだが)、こいつらだけにいじめられたというのでは?

 ならいじめっ子達は嘘をついていたのか?

 私はそうじゃないと考えてみた。人間ってのは嘘をつくものだが、真っ赤な嘘はなかなかつけないものだ。人間にそこまで想像力はない。だから小説を書くのは難しい。

 

しょせん人間が考えたことだ。小説だって探せば似たような小説がきっとあるだろう。最近書いた『ターンワールド』だって誰かが似たような話を書いていたとしても私は驚かない。むしろ見つからない方が驚く。

ついでだから言っておくけど、佐藤さんが言っていた『スティルライフ』を読んだ。話の筋では全然だけど、深いところのプロットでは似ていると思った。それと佐々井という人物が、いつか書こうと思っていた人物像にかなり似ていたのでかなり驚いた。『ターンワールド』を書いている途中で出てきた人物なので佐藤さんの嗅覚は凄い。

 しょせん人間の考えることだ。凄いアイデアだとドヤ顔になっても過去に考えている人は必ずいる。あんまり得意になっちゃいけないね。

 

 さて、話をいじめに戻すとしよう。話を分かりやすくするために架空の教室、アルファベット学級を描いてみた。↓

アルファベット学級のコピー

 

説明するとハートの中は付き合っている。もしくは友達以上恋人未満。黒い矢印は悪意の方向。矢印の先にいる子はいじめられていると思って欲しい。アルファベット間の距離は親密さを現している。実際はもっと矢印が入り乱れていたり、距離が複雑だろうが、これで勘弁して欲しいな、喩えの話なんだから。HIは良心になってもらった。あとNSも。TUは分からん。こういう人がいないと暗い気持ちになるから、ね?

 

 仮にこの中でG君がいじめを苦にして自殺で死んだとしよう(X君が一番ヤバイ気がするけどね、あとK子ちゃんも)。ちなみにG君は右上にいる。その彼に矢印を向けているのはCDEF君だ。おそらく主犯格で捕まるのはCDE君だろう。運が悪ければF君も捕まるかもしれない。

 

 G君はいじめに耐えられないと遺書を書き残していた。学校や世間は大騒ぎ。急遽聞き取り調査が行われる。CDE君以外はもちろんいじめをしていないと言うだろう。F君はG君といじめというよりはケンカをしていた仲だ。たぶんしていないと言うだろうし、思ってもいないだろう。死んだG君にしてもそうは思っていなかったはずで、そうでなかったら超自己中心的なクソ野郎である。

 

 さて、クラスの聞き取り調査では分からなかったが(分かることってあるの?)、G君の日記からCDE君からいじめられていたことが発覚する。再度の聞き取り調査では出てこなかった証拠も次々とあがってきた。

 大人達に詰め寄られたCDE君達は泣きながら俺達は悪くないと言う。彼等の親はそれを信じて彼等を擁護する。本当にそうか?

 C君、D君、E君、それぞれの立場に立って教室を見てみる。するとクラスの半分以上が誰かをいじめていることが分かる。いじめに関わっていないのは9人しかいない。またD君はC君にいじめられてもいる。しかもこれは勝手な予想だが関わっていない9人のうちHINSTUの6人は自分達だけの世界へ入っている。そう考えるとこの教室でいじめに関わっていないのは3人しかいないことになる。

 さて、そんな悪意の風が吹き荒れる世界の中で悪に染まらずにいられるだろうか。私は無理だと思うな。染まらないためには強靭な意思を持った超人になるか、こういう場から立ち去るしかない。

 

 G君の日記がある。CDE君はこれこれこんなことをしたのかと大人達に訊かれる。かなりしぶりながらだがそうだと答える。でも不満そうだ。

 その三人はG君のいじめに関しては重要な役割を果たしているかもしれないが、教室内における矢印の数は18本。彼はその1本を担っているに過ぎない。強風が吹き荒れる中でうちわを扇いだようなものだ。それほど悪いとは思っていないはずだし、思えもしないだろう。もしかすると死んだのはD君だったかもしれないし、世界は教室の中だけではない。もしかするとC君、E君だって死んでいたかもしれない。

 

 企業の件だと企業体質に問題が向けられる事があるが、いじめの問題で教室の体質に問題が向けられた事はないだろう。ネット上ではいじめを無くすことはできないという意見が強い。それはいじめという問題を属人的な問題に捉えているからではないか。色々と考えはあるが、いじめの原因がいじめっ子側にあるにしろ、いじめられっ子にあるにしろ、原因は必ず属人的な物になっていて、状況に原因を求めている意見をあまり見ない。あるのはいじめっ子がクソ野郎か、いじめっ子がクソ野郎かのどちらかだ。(ただ、正体が明確になっている場合は必ずいじめっ子がクソ野郎一色に染まるのは不思議だ。)

 

 『自由からの逃走』という本があるようになかなか自由意志を貫くのは難しいものだ。考えるだけなら簡単だが、その意志に沿って行動するのは難しい。夜更かしをしたり、朝起きるのでさえ苦労しているのがその証拠だ。

いじめっ子にしても純粋な悪意を持った人間は少なくて、九割ほどは状況に沿っていじめているだけだと私は考える。ショッピングセンター(ジャスコのようなもの)に行っても、それほど意志の強そうな人はいないじゃないか。だからこの世に存在するいじめの9割は状況が変わればピタリと止まるんじゃないかな。

 だから、いじめっ子の俺は絶対に悪くないという心情は嘘ではない。悪いのは状況なのだ。行動はともかく、心情的には何も考えずに行動したのだからある意味では純粋無垢の透明である。(でもね、マジもんの悪意を持っている人も自分は純粋だと思っているし、公言もしているような気がするんだ……)

 

 ほとんどの人は善でも悪でもないない。自分で考えて行動していると思い込んでいるが、実際は風向き次第で体の向きを変える愚鈍な牛の群れにすぎない。そこにあるのは思考ではなく反応だけだ。悪意の風が吹けば悪の方へ向き、善意の風が吹けば善の方へ向く。昔々ニーチェ君という人は気違いになるまで思い詰めて、超人という言葉を生み出さなければならなかったほどだ。

 

「それじゃあ他の人が死んだらお前も死ぬの?」

 私はこの問いに死ぬかもしれないと思う。昔からそう思っていたんだけど、みんなが死んでいく中で俺は一人でも生きてやるぜって行動できる人はいるだろうか(口に出す人はいるだろうけどね。私だって相手によってはそう言うさ)。案外この世に生きている人はみんなが生きているから生きているのであって、自殺が流行りだしたらバタバタ死んでいくのかもしれない。

 

 結局はね。これを見ている人よ。君はどうせKDPで何かしらの本を書いている作家で、しかも牛野小雪のツイッターアカウントを相互フォローしているわけだろう?

 だから毎日何枚、あるいは何字書いたかツイートしなさいな。そうすれば「おっ、あの人は今日10枚も書いたのか、あっちの人は1800字、スっゲー!!! こいつは12万字も書いてる!!! ……あっ、この人は7字しか書いていないや」とか言いながら、私も書かなきゃって気持ちになれそうだから。私だって『ターンワールド』を書いている時は週一で報告していたんだぜ、ある程度先が見えてからだけど。

 

 いや、本当の話。過去に物語を作った人がいたから、さらに物語を作ろうと思った人がいたわけで、小説を書いた人がいたから小説を書こうと思った人がいると思うんだ。小説の概念がない人が、ある日突然小説を書こうなんて思うはずないもの。

 

みんなでお互いにその気にさせて、書きまくろう。

それで書き終わったらこう言うんだ。

 




「あなたはどうしてこれを書こうと思ったのですか?」

「だってしょうがないじゃないか。みんな書いてるんだから」(えなりかずき風)

 




 

 

愚鈍な牛野小雪より