愚者空間

牛野小雪のサイトです。 小説の紹介や雑記を置いています。 あと短い話とか。

タグ:藤崎ほつま

このKindle本を読め!王木亡一朗強化週間『ライフゲージ』

心身共にうんたらという言葉がある。困憊でもいいし、爽快でもいい。

 そこに至るまでに心と身体が一緒に困憊したり、爽快になることは少ないように思われる。国道の端から端まで走れば、まず体が困憊して、それに引きづられて心も困憊するだろうし。でもそれが駅伝で、地区優勝を取ったとかであったなら心は爽快になり、体の疲れも吹っ飛ぶ。ということを理解するのにあまり苦労はしない。
 
 心と身体は独立して存在するのではなく、お互いに影響を与えながら生きている。

 心を臓器として考えればもっと分かりやすいかもしれない。肝臓がダメになれば、他の部分もダメになるし、他の部分が頑張ることによって、ダメになっている肝臓が踏ん張って持ち直すということもある。かといってある臓器だけを気にかけていても、他の部分が全然ダメになることだってあるだろうし、全てに気をかけていても、いつの間にかどこかがダメになっていたというのはよくありそうな話だ。

 人生だって同じようなものだ。お金は大事だけどお金ばっかり追っていると落ち着かない人生になるし、かといってお金を気にかけないとみじめな人生になる。人に気をかけていても嫌われることはあるし、気に入られようとしなければ気にかけてくれることはない。魚心あれば水心あり。

 一度だけの人生。心をどこに置こうぞ。・・・・・なんて真面目に考えるには人生は重たすぎるのだ。誰も人生を背負うことはできない。そうできていると思い込んでいる人はいるけど。

 人生はシュミレーションゲームではなくシューティングゲームみたいな物。障害物に気をつけながら目の前に現れた敵を撃ち倒すこと。次に何が出てくるかは分からないし、敵は前から出るとも限らない。上下後ろどこからでもありだ。とにかく倒しまくって敵を倒し、、、まくらなくったって良いんだな、これが。生きてる限り前に進む。考えてみたら残酷だよね。今はもう2017年だけど、2016年もうちょっと待ってくれよって思う時がある。

(2017/01/11 牛野小雪 記)
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 とうとう終わらせた。マダラメ帳シリーズをついに終わらせた。最終巻では主人公の赤井五郎が犯人と一緒に死ぬという衝撃のラストだった。


とうとうやってしまったという気持ちがある。やっと荷を降ろせたという気持ちもある。赤井五郎が死ぬことは前々から決まっていたが、本当に殺すまで三巻も必要だった。

 ここ何年かの明生はマダラメ帳だけを書いてきた。この本を書くのが明生の人生だったといってもいい。長年続いたマダラメ帳シリーズは累計で2億5千万冊売れた。最後の一行を書いたと気付いた時はもう何も書けないと思った。今でもその気持ちは変わらない。明生の人生にとってマダラメ帳は大きすぎる存在だった。


 長年付き合った赤井五郎を弔ってやらなければならない。そう考えられるようになったのは脱稿してから三日目の夜だった。明生は行きつけのスナック“香奈”へ行った。平日の夜なので客はまだ少ない。彼が口開けの客だった。


「あら、ハッセちゃん。ずいぶん久しぶりね。今まで何してたの?」


 ママがすぐに声をかけてきた。考えてみれば最終巻を書き始めてからは、この店どころかどこにも行っていない。ずっと家にこもってとりつかれたように執筆をしていた。


「ママ、人を殺してきたよ。いいやつだった」


 ママは一度驚いた顔をしたが、すぐ慰めるように明生の腕に手を添えた。


「この手で殺した。嫌になるぐらいあっけなかったよ。今までの付き合いが幻と思えるぐらい」


「つらいことがあったのね。お酒でも飲むといいわ」


「ワイルドターキー、ロックで二つ。もう飲む事はできないあいつを弔ってやるんだ」


 そう言うとママはカウンターの奥でグラスの準備をしている。

 

 明生はそっとカウンターの横に目を向けた。


(ヤッタ! キマッタ! シャイニングウィザアァァァァド!!)


いた。エリーちゃん。表情は読み取れないが、さっきのやりとりは聞いていただろう。もちろん店に入った時から気付いていた。さっきのキザなやりとりは彼女に聞かせるためだった。

 

 エリーちゃんは明生がこの店に初めて来たときからいる女だった。和服の楚々とした挙措でグラスを傾ける姿に明生は一目惚れしたのだ。


 明生がじっと彼女の横顔を見ていると、今さっき気付いたかのようにエリーちゃんは明生の方に顔を向けた。


「やあ、久しぶり」と明生は声をかけた。


「先生、色々大変だったんですね」とエリーちゃんは言った。やはり聞こえていたのだ。早くマダラメ帳シリーズを終わらせたことを話したかったが「はい、これ」とママが悪いタイミングでワイルドターキーのグラスを二つ、明生の前に置いた。


「うまいな」


ワイルドターキーを体に放り込むと、喉から胸に焼けた感覚が広がった。


「さっき言った人とは長い付き合いだったの?」


ママが言った。


「長いなんてもんじゃない。あいつが俺の人生だった」


「それなのに殺しちゃったんだ」


「殺したくなくても殺さなくてはいけない。そういう関係がある。俺だってそうしたくなかったが、あいつがそうさせたんだ」


 本当にそうだ。最初に赤井五郎を殺そうと考えた時は気の迷いだと思った。それでも書き続けているうちに、あいつは死に向かって走っていった。そう書かざるをえなかったのだ。物語が作者の思い通りになるというのは間違いで、物語が作者に書く事を要求することもある。それなら、赤井五郎は俺を使って自分を殺させたのか。あいつは事件の黒幕とともに滝壺の中へ落ちて死んだ。もう喋ることはできない。


 マダラメ帳シリーズではたくさんの脇役が出てきた。その誰もが死んで赤井五郎だけが独り生き残った。もうここいらでいい。人が死ぬところを多く見すぎた。ある場面で赤井五郎が吐いた独白だった。何故あんなことを書いたのか明生にも分からない。書いたときは唐突としか思えなかったが、あとで読み返すとそこにしか書くことができない不思議な言葉だった。物語がもつ不思議な力で書かせたとしか思えない。


 ふと気付くと店内に暗い沈黙が覆い被さっていた。少し芝居がすぎたかもしれない。


「ママ」


 小説の話だとネタを明かそうとした瞬間、店のドアが勢いよく開かれた。がっしりした体型の男達が何人も入ってくる。最初はヤクザがみかじめ料を取りに来たのかと思ったが、男の一人が明生のそばに立ち黒い手帳を見せた。それが警察手帳だと気付くのにしばらく時間が必要だった。


「初瀬明生だな?」

 男が言った。


「俺が何かしたかな?」


「殺人の容疑で話がある。署までご同行願おう」


「いや、俺は誰も殺していない」


 はっとして明生はママとエリーちゃんに目を向けた。ふたりはいつの間にかカウンターの向こうで身を寄せ合い、怯えた目で明生を見ている。


「違う、そうじゃないんだ!」


 明生は立ち上がった。


「貴様、大人しくしろ!」


 明生は後ろ手にひねりあげられ、カウンターに押しつけられた。痛みを感じるより先に固い冷たさが手首に巻きついた。手錠。何故俺が手錠をかけられるのか。殺したとはいっても小説の中だ。少しカッコつけすぎただけで二人は勘違いしている。


「来い、このクズ野郎! 逃げられると思ったか!」


 こうして初瀬明生は屈強な警官達に引っ張られ、パトカーに乗せられた。

 

 初めはほんの些細な行き違いで、すぐに釈放されるものだと思っていたが、行き違いはさらに深まっていった。


 ちょうどその日の夜、藤崎ほつまという作家が道頓堀で水死体になって発見された。メイド服姿で心斎橋を歩いていたという目撃証言はたくさん集まったが、いつどうやって道頓堀に落ちたのかは分からなかったので警察も首を傾げていた。自殺にしろ、他殺にしろ、うなずけないものがあったのだ。そこに初瀬明生が人を殺したとあるスナックで証言をした。小説の話だと言っているが藤崎ほつまと初瀬明生は小説を通じて交流があった。しかも長い付き合いだ。証言とも一致している。


 夏が終わった。初瀬明生はまだ留置場の中にいる。殺したのは赤井五郎だと言っているが誰も信じなかった。世界中が次の赤井五郎を待っている大人気シリーズを作家1人のわがままで殺せるはずがない。あってはならないことだ。赤井五郎はまだ生きている。死んだのは藤崎ほつまだけだ。マダラメ帳シリーズが完結する日はまだまだ遠い。


(おわり)


ネタにした小説↓ 






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『ジミー・ザ・アンドロイド/如月恭介』を読む

魂を宿した人工知能ゴッドが暴走。人類に対して戦いを挑み、別の人工知能ジミーがそれを阻止しようとする話。

月狂さんは続編があると書いていた(ペンと拳で闘う男の世迷言/ジミー・ザ・アンドロイド」書評)が、人類の視点で見たジミー&ゴッド(=人工知能)の成長、自立の話として読めば、これで完結だと私は読んだ。如月さんも続編なんか考えていないんじゃないかな。
作中でも人間は親、人工知能達は子供として書かれている。悪の人工知能ゴッドはさしずめ頭だけは一丁前の感情が伴わない思春期のクソガキといったところか。

話の最後で人類からの親離れをしたジミー達は人類の手から離れていく。作中でも書いてあったが、人間を越えた人工知能に人類はついていけないのだろう。
ジミーとゴッドの戦いは恐らく人類には何が起こっているか分からないという戦いになるはずだ。 そもそも同じ能力を持つ人間同士でも子供が精神的に自立したあとは、親は基本的に子供が何をしているかなんて分からない。子供だって親に何をしているかなんて教えない。
親という字が木の上から見ると書くように、人工知能の親である人類は文字通りそれを見ているしかない。

ジミーとゴッド、どちらが勝つにせよ。将来的に人工知能が役立たずになった親(人類)の面倒を見てくれるのか、それとも邪険にうばすて山へ送るのかは人工知能達の問題。親である人類はただ受け入れるしかない。これは人間の親子でも同じような気がする。



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四次元という言葉はたいてい三次元に時間を足した概念のことを言う。でも私は四つ目の次元を意識だと考えてみた。時間を加えれば五次元ってところかな。

 

私の著者ページには甲殻類が嫌いだと書いてある。大人になってからは剥き身を食べられるようになったが、飽くまで“食べられる”ようになっただけであって、“食べたい”わけではない。明日から世界的に禁漁になっても「あっ、そう」と心に波風が起きない気がする。でも、世間的には甲殻類を食べたい人が多いようでけっこうなお値段がしている。昔は一山500円ぐらいで買えると思っていたのに、桁が違うと知って世の中間違っていると思った。

ちなみに世界で一番高い食べ物はチーズケーキで、ワンホール一万円(子供にとって高い物はたいてい一万円だ。100万円にもなると人が何人か死んで、1億円だと戦争が起こる値段)するものだと思い込んでいた。後にその半分より安いと知り、とても衝撃を受けた。たぶん誕生日に出てくるようなケーキでは一番安い。やっぱり世の中間違っていると思った。

 

三次元的には誰が見たってカニはカニだが、ここに意識という四次元要素を加えると、私はかつて甲殻類が食べ物ではない宇宙に存在していて、今は食べられないこともない宇宙に移動したようだ。他の人は甲殻類が食べたい宇宙に存在しているらしい。

とはいえ移動といっても私の体がどこかへワープしたわけではない。ましてや世界の方がどこかへ行ったわけでもない。三次元の世界は変わらずそこにある。変わったのは私の意識だ。

いや、でも主観的に私の意識は変わっていない。私は私のままなので変わったのは、やはり世界の方か(四次元的に)。私はある日突然迷い込んできた。かつて暮らしていた宇宙では甲殻類は食べ物ではなかったが、ここでは食べられる物になっている。

 

超有名人、業界で超活躍している人、超頭の良い人、そういう人たちに対しては“住む世界が違う”という。彼等も同じ大気を吸っているのに何故違う世界なのか。それは文字通り違う意識の世界に住んでいるからなんじゃないかな。実際、同じ日本語を喋っているのに何を言っているかさっぱり理解できない人がいる。“宇宙人”とは違う惑星からきた人という意味で使うが、それぐらい違う。本当に宇宙人だ。

 

意識的距離が月ぐらいならちょっと変わった人、火星ぐらいなら頭がおかしい人で済むが、冥王星ぐらい離れたら病院送りではないだろうか。

 

 

王木亡一朗の『ティアドロップ』は主人公の綾人が精神病棟へ放り込まれるところから話が始まる。精神異常者と看護婦、医師、みんな三次元的には同じ建物に存在しているが、四次元的には別の場所に存在している。

 

精神異常とは何か。四次元的宇宙におけるひとりひとりの精神は惑星であり、その惑星の異常である。太陽に突っ込もうとしていたり、デカイ星が近付きすぎて潮汐力により崩壊しようとしているのなら軌道を外に逸らし、太陽系から離れていこうとしているのならどうにかして引き寄せなければならない。

 

三次元的には人間(猫でもいい)がそこら辺を歩いているが、四次元的な宇宙での住人はたったひとりしかいない。こいつらにも意識があるっぽいぞ? と感じることはできるが、それを確かめることは今のところ不可能だ。この世界に存在しているのは常に自分の意識だけ。他人の意識に触れることができたのは『キミコロ』の新城や『サトラレ』の周囲のいた人達ぐらい。つまり想像の世界でしかありえないってこと。

 

太宰治の人間失格を読んでああだこうだと言ったとしても、三次元的にはただの文字列に過ぎない。でも人はそこに何かしら意味を見出す(中身が空っぽという意味でも)。これが本当の『人間失格』だと侃侃諤諤の議論を戦わせたところで、そこに意味なんてあるんだろうか。何故ならそこに見出した意味は四次元的思考で考えればどれも本当のことであり、たとえ作者が何かしらの意味を込めて書いたとしても、読んだ人が別の意味を見出すことはあってもおかしくはない。言葉を使っている時点で、自分の気持ちをそのままに相手に伝えることは不可能なんだし、そもそも伝わったかどうかを確実に知る術もない。言葉でなんでも説明できるという人は、言葉で説明できない気持ちを知らない人である(まぁ、本気でそう思っている人はいないだろうけど。“言葉で分かるように説明しろ”は、たいてい相手を追い詰める時に使う言葉だ)。大体思い通りに言葉が伝わるなんてのが大きな間違いで、笑わせようと思って言ったことが、大激怒させてしまうことだってある。

 

 三次元的宇宙に存在するカニに本来食える食えないの区別はない。そこに意識の四次元目が加わると食える食えないの区別がつく。もっともカニからすれば“お前達、私を食いものにしてそんなに楽しいか。この人でなしどもめ”と怒っているに違いないだろう。

 

カニを食べるのはみんなで止めにしよう。新潟県はベニズワイガニ。

 

三次元的宇宙は私もこれを読んでいる人も共有しているだろう。きっと同じ文字列を読んでいるはずだ。でもこの文字列を読んでどう感じるかはみな別々なのではないかな。三次元的宇宙は重なり合っているが、四次元的には全然別世界なのである。

 

[2015年7月27日 牛野小雪 記]





言及したもの。

 
ティアドロップ(ライトスタッフ!)/王木亡一朗 現在発売中 250円(2015/7/26 の価格)


 

キミのココロについてボクが知っている二、三の事柄/藤崎ほつま 
現在発売中 無料(2015/7/26 の価格







私達USTはティアドロップを応援しています。
みなさんのご協力に感謝します。

teadrop






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