愚者空間

牛野小雪のサイトです。 小説の紹介や雑記を置いています。 あと短い話とか。

タグ:聖者の行進

 小説を書き終わったから久しぶりに絵を描いている。kindle本の表紙も手直しした。腕は上がっているけれど、ぽっ、とプロの手で作られた物と比べると全然ダメでがっくりくる。まぁ片手間のたった数年で、トータルすれば実質一ヶ月もないような人間が超えられるようなものじゃないんだろうけど。

 脳みそが絵を描くモードになっていて読む本も美術の本が多くなった。するとそこに夏目漱石の名前にぶつかって非常に驚いた。
 夏目漱石って美術も語れるのか。そういえばと『吾輩は猫である』を開くと第一章にアンドレア・デル・サルトとかいう画家のことが書いてある。というか自分で絵も描いている。漢文ができて、英語ができて、詩も、俳句も、美術も、何でもできる。明治の文豪は教養ありすぎ。しかも小説まで書けるときた。一体どうやったら太刀打ちできるんだ・・・・・。

 未完ということで今まで読んでいなかった『明暗 』を読んだ。今の時代なら取り立てて騒ぐほどでもないが、この時代に三人称の他視点で書かれていることに驚いた。何かもう小説については夏目漱石が全てやりつくしてしまったんじゃないかという気がした。現代人にできるのは先生の型に従って時代性がどうの~批評性がどうの~とこねくり回すぐらいしかないのではないか。
先生とぼく5

 こうして私はまた夏目先生マジハンパないってことを改めて思い知らされるのであった。

(おわり)

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 あわよくば山桜を長編にできないかなと思っていたが、この調子だと本当に中編で終わりそうだ。というか短編で終わるかもしれない。

9000字書いてやっと主人公が人と喋った。どんだけ無口なんだよ言いたくなる。プロットからどんどん人が減って、二人いた主人公は一人になった。この小説は主人公でさえ生き残れない。もしかしたら登場人物が一人だけの小説になるかもしれないが、今のところ三人は出る予定があるし一人は台詞を文末にスペースを開けて書き置いてある。これはぜひ使いたいというフレーズだが、もしかしたら使わないかもしれない。そういうことを今週はやってきた。

 執筆を始めてからもプロットを書き直している。シーズン3からはそういう書き方にした。ひらめきが起きたらライブ感で消化せずにきっちりプロットで受け止める。とても手間がかかって、なかなか進まない。とてつもなく無駄に時間を浪費しているんじゃないかという気持ちに襲われる時もあるが、今までと違う物が出てくるのだから、これで良いのだと自分に言い聞かせている。正しいかどうかは分からないが去年までと今年書いている文章を比べれば、断然に今年の方が好きになれるし先が開けたような手応えもある。評価はいまいちでも変えるつもりはない。

 それにしても長い小説が書けなくなった。今まではプロット以上に字数が伸びていたが、今年はプロットより短くなるばかりだ。群像に出したやつは8万字書くつもりだったのに6万字になってしまった。いつも通り字数が伸びて10万字ぐらい書けたのを規定枚数に削るつもりだったのでビックリした。あれだけ書いてこれだけなのかとガッカリもした。20万字ぐらい書いた手応えがあったのだ(というか小説の裏側で本当にそれぐらい書いたと思う。カウントはしていないけど)。去年までとは逆になっている。この感じだと長編を書くには聖者の行進ぐらいのネタが必要だけど、あんなのは狙って書けるものじゃないから長編を書く距離を非常に遠く感じるようになった。

 別に長編を書かなきゃいけないわけじゃないんだけど、やっぱり長編が書きたいし読みたい。蒲生田岬までは長編なんて奇跡が起きなきゃ書けないと思っていたけど、結局は聖者の行進ぐらい大きな物を書けたのだから、このまま書き続けていれば、そのうち書けるようになるかな。でも別に書けなくてもいいかも。山桜は中編になりそうだけど、なんだかんだで今が一番良い小説を書けている。

 

(おわり)

cherry of mountain


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 5日の休養前はもうこれ以上『聖者の行進』を改稿するのは無理だと思っていたのに、三日目からまだできるんじゃないかと思い始めて、少しやってみると……やっぱりできた。どうも休養期間中にもりもり脳が成長しているような気がする。今回の30日はけっこうキツくて一日早く休養期間に入ったのだが、最初の二日は頭の中がひゅんひゅんしていた。この感じはどこかで味わったことがあるな、と思っていたが、筋トレの超回復期間に似ていることに気付いた。そういえばこの前の休養期間三日目に『聖者の行進』の改稿に少しだけ手を付けていた。諸説あるが超回復は48~72時間の間に起こる。脳は筋肉と同じなのかもしれない。

 で、休養明けに『聖者の行進』をがっつりやると一日で10万字も改稿できた。犯罪的な進み方に戦慄したのだが、次の日は全然ダメだった。やっぱりどれだけ調子が良くても一日3~4時間しか執筆とか改稿はできないような気がする。それ以上やると次の日に悪影響が出る。時間を伸ばすより3~4時間のスピードを上げる方向なら伸びる余地がある気がする。
 
 どうして休養明けはいつも信じられないトップスピードが出るんだろうと考えて、睡眠時間が長いからではないかと考えた。休養期間は心なしか寝るのが早いような気がする。なので今日は10時間眠ってやるぞ、と意気込んで布団に入ったのだが、そんなに都合よく眠れるはずもなく、かえって深夜の三時まで起きていた。その日は何もかもがダメダメな日だった。

 どうすれば眠れるのだろうと考えて、もしかすると眠らなくても良いのではないかと発想の転換をしてみた。眠らなくてもいい、布団に入って目をつぶっているだけでいいと決めて、夜早くに布団に入ると、心も体も落ち着いて、これなら眠れるんじゃないかと思っていたら、本当に眠らずに朝の4時になった。新聞配達のカブの音がして、土曜日だから近所の子供が朝早くから外ではしゃぐようになると布団を出た。

 朝ごはんを食べて『聖者の行進』の改稿と『幽霊になった私』の改稿をした。すると、そこそこの速さで改稿できてしまって、ちょっと驚いている。しかも全然眠くない。車も普通に運転できるし、本も読める。絶好調とまではいかないが、まぁそこそこ一日だった。実は人間は眠る必要がなくて、安静にじっとしている時間があれば充分なのかもしれない。でもたまたま元気がある日だったのかもしれないので、もう一日試してみようと思う。

(2018年 4月21日 牛野小雪 記)

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 川端康成はすんごい作家である。

 川端康成といえば『雪国』と『伊豆の踊り子』で語られて、特に前者は”国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった。”は百回ぐらいは聞いたことがある。しかしどちらを読んでも肌に合わなくて、しょせん昔の人だからと省みることはなかった。

 それがつい先日何故か本屋にふらりと入り、何故か川端康成の棚を見て『山の音』という本があるのを見つけた。こんな本もあったのかと何故か手に取り、買って帰った。それでぱっとページを開いた瞬間に、あっ、これは『雪国』とは違うぞ、と分かった。それで何ページか読んで、とんでもない物を読まされてしまったなぁと感心した。

 ここ数ヶ月改稿ばっかりしていると(今もしかして私はとんでもない文章を作っているんじゃないか)と思う瞬間があって、内心天狗になる時もあったけれど、川端康成はもう何十年も前にそんな場所を通り過ぎていた。謙虚にならなければならない。まだまだ精進しなければならない。

 その川端康成の文章を読んで、ふと私の中にあるひらめきが降ってきた。比喩は言い切った方が強くなるのではないか。

 そこで『聖者の行進』で試してみた。

 ユリは太陽のように可愛らしい女の子だった。彼女が笑うと世界が明るくなった。

 ↑これをこう変えた↓

 ユリは太陽だった。彼女が笑うと世界が明るくなった。

 もちろんユリは人間の女の子なので太陽ではない。この文章は間違っている。でも、こっちの方が良い気がする。たぶん間違っていない。比喩は言い切る方が強い表現になる。

 というわけで改稿中の『ヒッチハイク!』でも試してみた。

 胸は大玉スイカを詰めたように膨らんでいて、お尻はかぼちゃみたいだ。僕が驚いたのは彼女の顔だ。アスファルトにスイカを叩きつけて、たるんだギョウザの皮を被せたような顔をしていた。

 ↑これを言い切ってみる↓

 胸は大玉スイカで、お尻はかぼちゃだった。僕が驚いたのは彼女の顔だ。アスファルトにスイカを叩きつけて、たるんだギョウザの皮を被せていた。

 ん? う~ん、いまいちか。っていうかスイカで喩えるの好きだな。聖者の行進でも何かをスイカにたとえたような気がする。でもやっぱり下の方が良いような気がするなぁ。明らかにおかしい文章だけど、上より下が良いような気がするなぁ~(←言い切らない)。

 言い切らないことばかり言うけれど、言い切る比喩はもうちょい進化できそうな気がする。でも今のところはひらめきどまりだ。

(2018年4月3日 牛野小雪 記)




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 ヒッチハイクはほとんど人名が出てこない。副題が~正木忠則君のケース~だが、たぶん彼の名前が出てくるのも片手で数えるぐらいではないだろうか。改稿している時に忠則とかいきなり出てきて、作者でさえ一瞬誰だか分からなかったほどだ。最後に出てくる姉の夏未の方がよっぽど名前が出てくる。
 他の人は旅館の女将さんとか、男とか、インド人とか、ヒッチハイクの小説を書こうとしている牛何とかという小説家とか。彼らに名前はあるのだが正木忠則君は人の名前を忘れてしまうので、そうなっている。理由はない。そういう小説を書いてやろうと技に振った小説だった。

 名前は別にあってもなかっても支障はなかったが、旅館の女将さんと、大阪のおっぱいが大きいひどい顔をした女は『エバーホワイト』を書いた後だったらもうちょっと別のことを書けただろう。でもこの時はどうしても一歩踏み出せなかった。その時、その時で書ける物を書くしかないんだからしかたがない。火星の話だって本当はオペレーターの女の人とのやりとりがメインになるはずがどうしても女性を書くのが恥ずかしくてメールの味気ないやりとりになったようなものだ。
 『聖者の行進』から全作改稿を始めてから4ヶ月が経とうとしている。まだ『ヒッチハイク』を改稿しているということは半年近くかかる計算になる。この間に色々書いた物はあるが誰かに読ませるための小説は一文字も書いていない。これだけ長い間書かなかったのは初めてで、また書けるのかなと不安になるのだが、また別のところでは凄い物が書けるんじゃないかとも思っている。
 『聖者の行進』から一章ずつ、短い章を繋いでいく物は1万字前後のファイルに分けて改稿をしていて、大体5~7回ぐらいやる。場所によっては10回以上する。何度も同じような文章を読むことになるのだけれど不思議と飽きない。むしろやればやるほど読むのが楽しみになる。一番良いのは一文字も変えなかった時だ。脳がしびれるような快感がある。
 先週は『ターンワールド』の最後の章をたった二文字変えるだけで全然違うラストにできることがわかって一文字の威力を知った。過去の物でもずっと改稿しているとそれなりに得るものはある。それはきっと新しく書く小説の固い土台になるのではないかと今は感じている。

(2018年3月31日 牛野小雪 記)




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 プルルルルル、プルルルルル

 ガチャ

 やあ、久しぶり。元気にしてたかい。

 この前君がKDPにwordファイルを上げていて、奇妙な現象に悩まされていると小耳に挟んだんで。ちょっと電話したんだ。実は僕もあれには悩まされていたんだ。もし良かったら聞いてくれ。ほんの5分で済む話だ。

 この前、kindle本のプレビューをしていたらあることに気付いた。どう考えてもおかしい場所で改行していたからすぐに気付いた。まずはこれを見てほしい。

行末フォント3 問題点

気になるポイントは 

いくら家賃が安くてもこんな場所には住みたくない。

の次に空白の行が空いていることだ。

でもwordファイルを開いて確かめると、こんな変な場所で改行はしていない。ということはkindle側の問題だ。それで色々と設定をいじってみると何故か改行が消えた。それが下の画像だ。

問題点 ふぉんt4

ポイントはフォントサイズが3から4に変わっていること。じゃあフォントサイズを4にすれば謎の改行がなくなるのか。いや、そうじゃなかった。また別の、それもさっきは正常だった場所で謎の改行が起こった。

どう考えてもおかしい。

僕は謎の改行が起きるところを何度も見返した。そして、原因は分からないが、行末と文末が合わさるところで謎の改行が起こることを発見した。

詳しいことは下の画像を見てくれ。

聖者 行末フォント3
聖者 行末フォント4

 理解できたかい?

 文末と行末が離れるようにうまく調整すればいいのかと君は思ったかもしれない。僕だって一度はそう考えたさ。でもkindleはフォントサイズによって文末行末が変化する。そんなことをしたって無意味だって、ずいぶん後になって気付かされたのさ。


 おっと、落ち込まなくてもいい。僕が今日電話したのは、解決法を見つけたからなんだ。

 ひとつ聞きたいが、君は改行する時『ENTER』キーを使っていないだろうか? もし君が僕と同じように謎の改行に悩まされているとしたら間違いなくそうだと思う。

 SHIFTキーを押しながらENTERを押すんだ。実はそれでも改行できるんだな。word上だと下の画像みたいに違いがあるはずだ。くにゃっと曲がった奴じゃなくて、すっと横一線の改行マークが出るはずだよ。
無題

さて、SHFT+ENTERで改行したwordファイルをもう一度KDPにアップしてプレビューしてみた。すると

・・・・あれっ、おかしいな。どうやらファイルを失くしたらしい。

でも、もし君がKDPにwordのファイルを上げていて、謎の改行に悩まされているのだとしたら、ぜひSHIFT+ENTERで改行を試してくれ。その悩みはきっとぺしゃんこに潰れるはずだ。

君がwordファイルをKDPに上げていることを小耳に挟んだから、実は僕と同じことに悩んでいるんじゃないかと思って、今日は電話した。

もう一度言うよ。SHIFT+ENTERだ。

それじゃ、

(ガチャ、ツーツー 2017年12月13日 牛野小雪 called)

word worong
誤記:このあと僕はかつお節でだしを取った味噌汁を作ると、スーパーで買っておいた若鶏のから揚げを食べた。寒くなると体が脂肪をつけたがるのか、唾液が出なくなるまで大量に食べた。

聖者の行進 上 (牛野小雪season2)
牛野小雪
2017-11-10
町へ出るトンネルの出口で美男美女の二人が殺された
無軌道に犯行を重ねるまさやんと追いかけるタナカ
しかしそんな事とは別に破滅の車輪は回り始めていた






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 ドアノッカーの改稿が終わると、ブラッドエグゼキューションがちょろっと読まれていたのでそっちを先に改稿することした。2万字強なので数日で終わってくれた。その次は蒲生田岬へ。

 やっぱり今年書いた物だとドアノッカーと比べて全然違うと感じた。改稿の手応えもかなりある。次に書いた蒲生田岬でも上手くなったなとすぐに分かった。という事は過去作の改稿なんかしてないで、新しい小説を書いた方が割が良いんだけど、世に出してしまったからには少しでもマシにしてやらなければという責任感で改稿している。

 まぁ、でも誰に急かされるわけでもなし、世間的には存在していないのと同じで、過去作の改稿といっても実質は新作を書いているような物だ。そう考えると面白い。

 でもさ、何かしら小説で掴んだ物があるたびに改稿していたら、改稿だけで何年もかかっちゃうわけで、どうしようかなと思っている。今のところは半年で済みそうだけど、今の三倍四倍と出していけば、改稿の手間も三倍四倍になる。本当の意味でリリースしていないのかな。それとも電書だからそうなってしまうのだろうか。

 全作改稿は去年からやっていて、でも真論君家の猫の改稿が終わった後に、どうしても聖者の行進を書かなければならないという気持ちになったので中断している。結果的にはこれで正解だった。あのまま全作改稿していれば聖者の行進を書いた後に、また改稿したくなっただろう。

 ああ、そうだ。聖者の行進の後は何も書ける気がしなくて、真論君家の猫を書いた時と同じなので、そこからどうやってターンワールドを思いついたのか知りたくて日記帳を読んでいた。どうやら真論君家の猫を出した二週間後、散歩中に突然ひらめきが降ってきたらしい。何の参考にもならない。

 と、思っていたのだが、聖者の行進を出してちょうど二週間後、散歩中にひらめきが降ってきたので、ちょっと恐くなった。

 どの小説も自分で書いたと思っているけど、実は目に見えない、耳に聞こえない不思議なリズムに操られているような気がする。自由意志なんて本当にあるんだろうか? 実は誰かに書かされているのいるのかもしれない。たとえば神とか。あるいは悪魔とか。

 メフィストフェレスと契約した覚えはないんだけどなぁ。

(おわり 2017/12/09 牛野小雪 記)

追記:ブラッドエグゼキューションでLINEが出てくるのだが、もうダサい感じがする。こういうのは流行を追いかけずにメールぐらいにしておく方がいいのかもしれない。
god devil cat

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