愚者空間

牛野小雪のサイトです。 小説の紹介や雑記を置いています。 あと短い話とか。

タグ:執筆

 最近コロナウイルスで世間が騒いでいるけれど、去年の二月はインフルエンザで何日か布団の中で震えていて()、熱に浮かされている時に、ヘミングウェイのように一年寝かしたらどうなるのだろうという考えが頭をよぎって、その時は絶対にするわけがないと思っていたが、本当に一年寝かしてしまった。熱で頭がおかしくなったのかもしれない。

 久しぶりに『山桜』を読むと、当然ながら去年の熱はもうなくて、それが良いことなのか悪いことなのかは分からないが、多少書き直したところはあった。そこは去年からどうしようかと迷っていたところで、一年経ってみれば迷うほどのことはなかったし、書き直した後でもう一度読み直しても、やはりそうするべきだと思えた。問題点(迷うぐらいなので、明確な問題だったというわけでもないが)は去年のうちに掴んでいたのだから、その時にもう一歩踏み込んでいれば同じ結果だったかもしれないし、やはり一年時間をかけなければ書き直せなかったかもしれない。人生の二つのルートを同時に歩むことはできないので分かるはずはないが、ただこれが良い小説なのは間違いない。でもいつ出すのかはまだ分からない。徳島公園の桜はもう咲いてしまったし、そもそも題名に桜とついているが春の桜を見る話ではないし、とか色々考えているが、ストックしておくのが一番良い気がする。いつでも何かしら出せる状態であるのは気持ちに余裕が出て、精神的に良い。

 表紙の方は一季節に二つか三つのアイデアをひらめくので、フォトショップのファイルが13個もある。jpegファイルは70個(バージョン違いがほとんど)だ。これは最高だ! と毎回思っていたが、いつもそれを超えてくれたのはありがたい。小説は表紙込みで一年寝かせた方が良いのかもしれない。


》おわり 2020年2月28日(金)牛野小雪 記


牛野小雪の小説はこちらから→Kindleストア:牛野小雪
このエントリーをはてなブックマークに追加

 私小説に結末を着けようとするなら自殺するしかないというので、未完で終わる夏目先生の『明暗』を読んだわけで、それから『山桜』も書き終わったし、新刊告知の予約投稿も仕込み終えたので、西村賢太の動画を見つつ、一度離れた私小説にまた取りかかると、瑞々しい感覚が腕の中に通っていくような感じがして凄いのを書いているぞという高揚感があったが、3万字(←2週間で書けてしまった!)まで書いたところで一段落が着いたので、ふと読み返したらゾッとした。これはやっぱり書き続けたら死ぬような気がする。私小説なんて書いていたら頭がおかしくなるよ。日本の私小説は暗いなんて言うけれど、この前トーマス・メレというドイツ人が書いた『背後の世界 』だって、おかしい世界に一歩足を踏み入れている感があった。ポーランド人の『高い城』だって、なんか暗い。私小説なんてのは万国共通で頭がおかしくなるらしい。というわけで私の私小説は本当に未完で終えることにした。

 生きていくなら虚構を積み上げていくのがいい。それも徹底的に嘘で塗り固めるのが良いような気がしてきた。じゃあどんなのを書けばいいのかなと考えて、ふと未完が前提で書いてみてはどうかと思いついた。夏目先生は死ぬ前に「いま死んじゃ困る」と言っていたそうだから『明暗』を未完で終わらせるつもりはなかったはずだ。未完で完成。そんな小説が書けたら夏目超えをできるのではないか。と、思いつつも、じゃあそれってどんな小説と聞かれても、まだ全然思い浮かばない。未完で完成というイメージがあるだけ。でも、何か書けそうな気がしている、たぶんね。

 そんなことを考えて書いたわけではないのですが、今度出る新刊の題名は『生存回路』です。嘘というか虚構だらけの内容なのは、やっぱりこういうことを考えていたからなのかな、と思ってみたりする。というより『生存回路』を書いたから私小説が書けなくなったのかもしれない。少なくとも今はこっちが私の書く方向性だな、と感じる。『生存回路』を一言で表すなら『私の無い小説』だ。一体何を言っているのか自分でも分からないが、私という概念は牛野小雪も含んでいて、牛野小雪抜きで牛野小雪の小説が書けないかと考えている。メタファーで一個小説が書けそうだが、掛け値なしで作者不在の小説を書けないかと本気で考えている。禅問答みたいだけど、いつか誰かがそういうのを書くような気がするし、それが次の時代のスタンダードだろう。それってAIが書くのかな。それは分からないけど100年後か200年後には小説は存在していても、小説の作者は存在していない気がする。現代まで書かれてきたような小説は一部の人の趣味になるのではないか。過去からよくある突飛な未来予想かもしれないけど、今はそういうヴィジョンが見えている。

 『山桜』はヘミングウェイに倣って一年寝かせてみます。それにもう桜も散ってしまったし。
 もし出すとしたら来年の4月1日かな。内容的には秋に咲く桜の話だから9月10月でも良いんだけど。一応桜とついているしね。

(おわり)

追記:作者不在の小説は誰が書くのか。読者が書くのである。というところまでは考えているけど、じゃあどうやって読者が小説を書くのかというのは全然見えてこない。

追記2:作者が存在する小説としてjhon to the world というのをいつか書いておきたい。もう4年前から考えているけれど、これというプロットが決まらない。johnと僕という大黒柱が一本立ったままで、足場を組んでは崩すことを繰り返している。もしかすると牛野小雪では書けないのかもしれない。
自分からの逃走


牛野小雪の小説はこちらから→Kindleストア:牛野小雪
このエントリーをはてなブックマークに追加

 一昨年の暮れから去年の前半はずっと改稿をしていて、毎日の改稿字数を計測していた。それによると一週間休んでから二週間後に改稿字数のピークがくることが分かった。夏に群像に送った小説もやはり14日目にピークがきた。ついでに今書いている小説も15日目が一番書けた。どうも二週間後にピークがくるというのは生理的現象らしく、気合ではどうにもならないようで、その後は必ずペースが落ちる。ピークから二週間後にはほとんど書けなくなるので一週間休む、するとまたじわじわ書けだして二週間後にピークがくる。

 何だか嫌になる。自分とは関係ないところで執筆は進む。14日頃は寝不足で今日はダメだと思っても書けてしまう。28日頃は前日にぐっすり眠れて心も体も万全という状態でも1000字書くのがやっとだったりする。

 私が私と思っている人間は、実は二重人格の従人格かもしれない。主人格は私に現実を任せて、意識の裏側でしこしこ小説を書いているのではないか。前に二重人格の本を読んでから、そんなことを考えている。少なくとも小説は私だけの意思では書いているとは思えない。これはどう考えても書けるだろうという時に書けなかったり、頭が真っ白な時でも書けてしまう時がある。私が二重人格かどうかはともかく、私が認識できないところで別の原理が働いているのは間違いないことで、しかもそちらの方がよっぽど私より強い。

 ホントに嫌になるけど休養から二週間後にピークがくるのは、ほぼ間違いない。なので二週間後に最後の締めを書けるように一週間休むことにした。今までのペースなら14日目に(おわり)と書けるだろう。

 でも本当に14日目にピークがくるのかな、と不安に思っていると、ニュースで錦織圭が全豪オープン前に一週間休むというのを聞いた。全豪オープンは1月の14~27日にある。決勝はほぼ二週間後だ。錦織圭と同じなんだと背中を押された。

 時々私は小説の神様に愛されているんじゃないかと思う時がある。こうやって偶然を装って、それでええんやでと教えてくれているような気がする。それなら毎日一万字ぐらい書けて、小説も飛ぶように売れるようにしてほしいものだが、そこまでは溺愛されていないらしい。まぁでも嫌われてはいないんじゃないかな。

 山桜もだいぶ先が見えてきた。超絶好調の日がくれば、その日のうちにでも書き終わりそうだけど、それだとかえって二週間後のピークに締めが来ないので、ほどほどに進むぐらいで良いよと思いながら書いている。だから、ほどほどに進んでいる。

(おわり)

※二重人格の従人格は主人格を認識できないが、主人格は従人格を認識できる。ということは、もし仮に私が二重人格なら、私は主人格を感覚として認識できていないので従人格ということになる。必要なくなれば消えてしまう。吹けば飛ぶような将棋の駒だ。

このエントリーをはてなブックマークに追加

 今年から、まだあと一押しできるというところで小説の執筆を切り上げる書き方に変えた。その一押し分で雑感帳とノートをそれぞれ1ページ、余力があれば2ページ書いている。横着して二行三行使った大きな字でページを埋める時もあるが大体は一行ずつ文字を書いて1ページ埋める。1ページが1000字ぐらいなので一押しで2000字以上書いている。だからといってその一押しを小説に向けても、せいぜい200とか300、場合によっては0だっただろう。小説の1000字と自分だけが読む文章の1000字は全然違うものだ。それでも2000字書けばへろへろになって、もう何も出ませんという状態になる。

 雑感帳とかノートを毎日書くのも最初は余裕だったが執筆を開始して一月も経つと脳みそをふり絞っている感じがある。書いた文章はほとんど使い物にならないから、かなりの時間をどぶに捨てていると思う時がある。でも捨てた分だけ小説の方はぐっと底堅くなっている。

 ノートや雑感帳は9月から書いていて山桜を書き始めたのは11月から。執筆を開始してからノートを書く時間は減ったが累計では圧倒的にノートを書いた時間の方が多い。このペースで書き進んでくれれば最後までノートが多い。何でこんなことしているんだろうって気持ちになる。でも最後の一押しで小説の外側を書き続けている。

(おわり)
note




このエントリーをはてなブックマークに追加

 去年、聖者の行進を出してからもうじき一年になる。それから全作改稿して、群像にも出して、それからプロットを作り始めて2ヶ月が過ぎた。ノートを書き始めてからだと今までで一番長く時間をかけている。難産というよりは輪廻転生を何度も繰り返している感じで、今月生まれたプロットもリセットすることにした。

 一体何をやっているんだろうという気分になるし、実は小説を書くことを拒否しているのではないかということも考えてしまうのだが、これはもう私には書けない小説だと諦めて、別の小説を書こうとしていた時のプロットが合流してくると、こうなるために迷ってきたのだと運命めいた物を感じた。これはイケる! という確信にも襲われたものだ。しかもちょうど時期を同じくしてゲーテの本を読んでいるとこういう文章に遭遇した。

 私の人生と芸術のなかで、自分自身の道と、他人の道とを厳密に吟味してみると、明らかに誤った努力といえるものが当事者にとって目標に辿りつくための決して避けて通れない回り道であることが分かりました。

 うわぁ、まさにこれだよ。ゲーテさん、あんたは分かってる。きっと大作家になれるよ! とドイツの大作家を賞賛した。こういう出会いがあると小説の神様はいるんじゃないかって気がする。でも神様がいるのなら、もっとズバッと知恵を授けてくれたってバチは当たらないんじゃないかとも思う。そうすれば二ヶ月もプロットを書き回さなくても済んだのに。そう考えると実は小説の神様じゃなくて小説の悪魔に魅入られているのかもしれない。何も無いところを予感に突き動かされてぐるぐる回されているのだ。

 でもメフィストフェレスだって城や魔界の手下をくれたのだから、牛野小雪にだって人里離れた静かな別荘と、世俗のことを処理してくれる秘書をくれたって良いはずだ。って、そんな俗なことを考えているから悪魔さえ現れてくれないのだろう。堕落させる価値もない魂だ。となると、やっぱり私についているのは小説の神様でしかありえない。きっと凄いのが書けるぞ。

(2018年10月28日 牛野小雪 記)
devil=god2



このエントリーをはてなブックマークに追加

 先週から予感はあって、とうとう今週は今まで積み上げてきたプロットをガラガラポン、つまりリセットした。今までも構想をノートに書く段階でガラガラポンするのは毎度のことだったけど、二度目のガラガラポンは初めてかもしれない。この一ヶ月に書いてきたことが没となったわけだけど不思議と気持ちは清々している。ガラガラポンすることによって骨格は変わっても、その奥にあるスピリット、精神みたいな物は同じだし、むしろ成長したような気がするし、成長したからこそのガラガラポンだったのだろう。

 一度引いたストーリーラインにバッテンを引いて、別のアイデアをノートに書き留めていく。まだまだストーリーと呼べる物にはならないけれど、今度はわりと早くラインを引けるのではと思っている。でももう一度ガラガラポンがあったりして。ドラゴンボールのフリーザ様も3回変身をしたし、牛野小雪だってまだ変身を1回残しているかもしれない。でも53万字書くのだとしたら嫌だなぁ。たぶん中編で収まるだろうけど。収まるといいな。収まるさ、たぶん。

(おわり 2018年10月13日 牛野小雪 記)
このエントリーをはてなブックマークに追加

 最近ブログの更新をしていないが実は6月11日から群像新人賞のリベンジに出すかもしれない小説をずっと書いていた。

 自分の中ではseason3の位置付けになるわけだし、今までと違う書き方をしようとして、書かない日を増やしてみることにした。理由はとても単純で、書かない日の次の日はどうもよく書けるような気がしていたからだ。→本当のピークはたった数日 執筆サイクルについて

6月11日からノートを書き始めて6月25日から執筆を始めた。執筆とは簡単に言えば小説の文章を書くこと。ノートを書くのも執筆の内に入るんだけど、いまいち『執筆』という感じがしない。何かいい言葉はないものだろうか。執筆は7月31日に終わった。35日で6万字。

 以下のグラフは執筆総字数の推移と、毎日の執筆字数のグラフ。
そう字数
字数
 今回は5日書いて2日書かないという体制で書いてみた。下のグラフで定期的に底を着いているのはそのため。
 
 1日書かないというのは以前試したことがあるが今回は2日もした。1日目はこういうものだろうと平気だったが、2日目はもしかしたらもう書けないんじゃないかと不安になって、危うく書いてしまいそうになることがあった。

 グラフを見ると執筆期の1日目は調子の良いことが分かる。1日目はいつも書けないんじゃないかと不安だったが手応えはあった。数字にもそれは出ていて、1日目の平均字数は3122、2日目は2863、3日目は2366、4日目は2514、5日目は2679となっている。1日目は明らかに書けていて、2日目もそこそこ、3日目以降は横並びという感じ。でも平均値なので、日々の字数で見ると書けたり書けなかったりしている。平均字数では3日目が一番悪いが、一日の最低字数を記録しているのは五日目で、二番目に悪いのは4日目だ。執筆期間が長ければ五日目が一番悪くなっていたかもしれない。

 手応えとしては断然に1日目が良かった。最後のところは1日目に書こうという気になるぐらい違いがあった。たぶん書かない日を作った方が執筆は良くなる。

 私が驚いたのは35日の執筆で一度も書けなかった日がないということだ。調子のいい時でも一ヶ月に3日か5日ぐらいは0字の日がある。書かない日はもちろん0字なのだが、書こうとした日に0字がないというのは初めてだ。

 今回の執筆はめちゃくちゃ書けたという日はないのだが、全然書けなかった日はなくて結果的に35日で6万字も書けた。執筆した日だけで見れば25日で6万字で今までないぐらいペースで書けている計算になる。

 前から薄々気付いていたが、やはり書かない日を増やすとたくさん書けるようになる。しかし車のギアを3速までしか使っていない気分がした。推敲していても、よく書けているようには思うが、深くて熱いところに潜ったという感じがない。山あり谷ありの執筆の壁にぶつかるような執筆じゃなかったからそう感じるのだろうか。
 
(おわり 2018年8月6日 牛野小雪 記)

このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ