ある小説家の部屋に茶トラの猫が忍び込みました。まだ寒い季節ですが、その日は少し暑かったので窓を少し開けていたのです。

 猫は部屋に入ってくるなり言いました。

「なんや、君。さっきワイが通った時もそこに座っとったで」

 小説家は答えました。

「あれ、そうだったかな。……そういえばそうだ。もう一時間も座っている」

「小説が書けんで困っとるんか?」

「いや、小説は書けた。印刷もした。あとは出すだけだ」

「ほれなら何でそんな暗い顔して座っとるんや」

「うん、本当に出してもいいのか。僕みたいなのが新人賞に出してもいいのかなって心配になったんだ」

「なんや、何か悪い事でもしたんか?」

「ううん、だってほら。作家の略歴には大体どこそこ大卒って書いてあるだろう? どれも聞いた事のある大学だ。僕も一応大学は出ているけれど、口に出したってほとんどの人が知らないようなところ。ひょっとしたら県内でも知らない人がいるかもしれない」

「それやったらアカンのか?」

「それは分からないけれど……」

「君、そんな弱気ではアカンのやで」

「えっ」

「ワイは窓からこっそり君の事を見とったが、毎日原稿に向かって頑張っとったやないか。ほれのにあきらめてしまうんか。君の努力は一体なんだったんや。君は君の言う通り確かに君は世間に名の通る大学を出てないんやろ。猫のワイには分からんことやけど。そやけど、逆に考えて名の通る大学を出とったらええ小説が書けるんやろか。違うやろ」

「うん」

「第一な。読者は君の事なんか興味ないで。仮に君が中卒でも面白いもんを書いとったら読者は面白いと思うし、君が東大卒でもつまらんもんを書いとったら読者はつまらんのや。君はつまらんもんを書いたんやろうか」

「そんなことはないと思う」

「それなら出すしかないやないか。君はそのために書いてきたんや」

「でも僕みたいなつまらない人間が……」

「アホか。評価されるんは君やのうて作品の方や。君は自分でええと思えるもんを書いたんやろ。毎日頑張って書いたんや。それを一体どないする気や。まさかこのままボツにする気なんか?」

「分からない」

「あのなぁ。ワイがこういうんもなんやけど、君は小説を書いてしまった責任があるんや。その責任はとらなアカン」

「責任?」

「ちゃんと日の目を見させてやることや。どんな小説もこの世に生まれてきたからには人目に触れられる事を期待しとるんやで。それを君の手元に握りしめておくんはアカン。もしかすると君の言うように小説家は立派な大学を出とらなアカンのかもしれん。でもな。やってみる前からあきらめるんは小説に対する冒涜や」

「でも……」

「君がつまらんもんを書いたのなら世間様に迷惑がかからんように手元に置いとかなアカンやろ。でも君は君が面白いと思ったもんを書いたんや。もし仮にやで、これが子どもだったらと考えてみ? 人様の役に立つ立派な大人に育った子どもを親が家に閉じ込めておくようなもんや。そう考えたら君がどれだけ罪な事しとるかよう分かるような気がせんか? 大犯罪人や、牢屋にぶち込まれるわ」

「やっぱり出してみるよ」

「そや、それでええんや。君の小説が本になったらワイは読みに来るで」

「ありがとう、猫」

「ええんやで、ほなな」

 プリプリプリ~

 猫は窓から外へ出て行く直前に、とても臭いウンチを落としていきました。

 

(おわり)