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 徳島県の赤石港という場所に二頭のイルカが迷い込んだというニュースをテレビで見た。イルカとはいっても、普通想像するような口の先が伸びているタイプではなく、前半分がまだらに白くて、後ろの方は黒い色をしていた。ハナゴンドウという種類だそうだ。

二頭のイルカは岸壁のすぐ近くを泳いでいて、頭から尻尾まではっきりと姿が映っていた。見るからに弱っていた。

 何かできないだろうかと思っていたが、その時の私は小説の改稿をしていて、翌朝目覚めるとすぐそれに取りかかってしまい、イルカを思い出したのは夕方になってからだった。

 赤石港へ車を走らせるとニュースで見た時は寂しい港だったのに、私が港へ着いた時には人がたくさんいた。橋には隙間なく人が並んでいる。

 人の隙間から何とか海を覗き込むと、橋の下辺りで海に浮かぶ黒い影と、その脇に人が浮かんでいた。ニュースから丸一日近く経っているので、救助が始まっているのだろう

 イルカのすぐ近くに防潮堤があるのが目に入った。そこにはまだ人がいないし、イルカを真上から見ることができそうな場所だった

 私は橋を降りると防潮堤に手をかけて体を上げた。するとイルカのそばにいる人と目が合った。いきなり防潮堤から人が顔を出したので驚いたのかもしれない。彼は目を大きくしていた。私も予想外に近い場所で目が合ったので、ちょっと驚いた。その人はゴム長を着て海に入り、竹ざおで海面を叩いて、イルカを沖へ追いやろうとしていた。海面が胸の位置にあるので浅い海のようだ。

イルカは海面が叩かれるたびに、背びれを浮かしたり沈めたりしながら沖へ進もうとするが、すぐに体を斜めにして戻ってきた。時々、頭の後ろにある穴から潮を吐いているが勢いは弱々しい。もう一頭はどこにいるのかと港や橋の下に目を走らせたが、一頭だけしかいなかった。かなり弱っている。

 私が防潮堤に座って、男の人が竹ざおで海面を叩き、イルカが離れては戻ってくることを繰り返しているのを見ていると、小さな男の子が防潮堤に来て、何度か登ろうとしたが登れなかったので、手を貸して上に引き上げてあげた。

 男の子は防潮堤の上に体を投げ出すと「○○○のおっちゃ~ん!」と大声を出した。どうやら知っている人のようだ。○○○のおっちゃんは「おお」と返事をしたが、男の子はずっと「○○○のおっちゃ~ん」と叫び続けていた。

 今度は女の子が来て、やっぱり防潮堤に登れなかったので、手を貸して引き上げてあげた。こっちの子は防潮堤に座ると静かにイルカを見下ろしていた。

 ○○○のおっちゃんが竹ざおで海面を叩くと、彼の後ろでボラが跳ねた。「○○○のおっちゃ~ん! 後ろで魚が跳ねた~!」と男の子が大きな声を出した。おっちゃんは「跳ねたなぁ~」と返事をした。

 私と男の子と女の子は○○○のおっちゃんがイルカを沖に追い込むのを見下ろしていた。すると子連れの大人達がやって来て、お父さんが防潮堤に登ろうとしたが「これ、高いな・・・・・」と言葉を漏らすと、登るのをやめた。その代わり子どもの腰を両手で持ち上げて、防潮堤の向こう側を見せている。イルカは防潮堤のすぐそばにいるので、その位置からでは見えないのだが、イルカが一度離れて戻ってくる時に、防潮堤からも離れるので、その時に「見えた」と子どもが声を出した。他にも肩車をしているお父さんの姿もある。

 私はこの時になって防潮堤の上には私と男の子と女の子と、プロっぽくカメラを構えたおじさんしかいないことに気付いた。そういえば防潮堤に最初に登ったのは私で、その後隣にいる男の子と女の子がやって来た。何だか悪い大人の見本のような気がしてきて恥かしくなった。

 中学生ぐらいの男の子達が防潮堤に登ってひゃーひゃー騒ぎ始める。子連れのお父さん達は一人も防潮堤に子どもを登らせようとしない。「橋に戻ろう」と言って、手を引く姿もある。

 私は隣にいる二人に「降りよか」と言おうかと考えた。しかし二人は「なんで降りなあかんの?」と問い返してくるだろう。すると私はこう答えなければならない。「周り見てみ。他の人らは登ってないだろ? ほれでな。君らの横にはワイしか大人がおらんだろ? まるでワイが登らせたみたいで~なぁ? 何か悪い気がするけん、降りなあかんのよ」

 なんという情けない言葉だろう。とても30を超えた大人の言うことではない。かといって他に言葉がなかったので、ずっと黙ってイルカを見ていた。さいわい防潮堤の下は浅い海だし、子どもが落ちても何とかなるだろうという心積もりもあったし、子どもが海に落ちそうになれば襟首を掴む準備もした。

 イルカは竹ざおで海面が叩かれると、○○○のおっちゃんから離れ、しばらくすると戻ってくるのを繰り返した。そうしながら徐々に沖へ沖へと向かっていく。

 あるところまでイルカが沖へ行くと、漁師っぽい男の人が防潮堤に登って「ほこまでにしぃ! ほっから先はぐっと深ぁなるけん、あぶないっ!」と大声を出した。○○○のおっちゃんが「はい、ここから先はぐっと深いですね」と返事をした。「あんたもはよ上がってきぃ! 体冷えたらあかんけん!」と漁師っぽい人は言った。その日は五月晴れだったが、海水はまだ冷たいのだろう。何となく○○○のおっちゃんは漁師ではないのだと思った。でもどうしてゴム長なんか持っていたんだろう。

 ここから先は潮の流れがどうとか、連絡したから船が来るだとか、もう一頭はすでに沖へ帰っただとか、漁師っぽい人が言い続けていると、何となくイルカ救出劇は終息の気配を見せ始めた。するとイルカは空気を読んだのか、○○○のおっちゃんから離れて沖へ向かった。

 男の人が近付いてきて、隣にいる女の子に「○○ちゃんがしっこがまんできんていよるけん、はよかえろ」と声をかけた。お父さんなのだろう。女の子は素直にお父さんに腰を持たれながら防潮堤を降りた。男の子は「○○○のおっちゃん上がってくるん?」と言って、ひょいと防潮堤を飛び降りた。私も防潮堤を降りるとすぐに港を離れた。

 その後、イルカと○○○のおっちゃんがどうなったのかは知らない。