愚者空間

牛野小雪のサイトです。 小説の紹介や雑記を置いています。 あと短い話とか。

カテゴリ: 他の作家

PCM
月狂四郎
ルナティック文藝社
2020-04-19


 物語に予言は付き物だ。シェイクスピアの『マクベス』みたいなものもあれば日本昔話の『卒塔婆の血』みたいにナンセンス予言もある。『PCM』もまたナンセンス予言タイプかもしれない。主人公の五郎は亀田三兄弟を思わせるボクシング家庭に生まれて、スパルタ戦士さながらの力こそ全ての世界で育つのだが、ある日父親は息子達にこう言い放つ。

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「お前たちはボクシングで大成できなければ死ぬだけだからな」

 その予言通り五郎が家出=ボクシングからの卒業を目指すと人生が暗転し始め、途中で色々あるが闇の地下闘技場で勝たなければ死という状況に追いつめられる。
 ちなみにこの闘技場、闇だけあってグローブに石膏が仕込んだ選手が出てきて、対戦相手を無慈悲に打ちのめす場面を最初に見せられる。何でもありというわけだ。

 しかし、五郎は負けたら死という状況で、なぜか卑怯な手は使わない。ボクシング上の駆け引きはしても、グローブに石膏は流さないし、ブレイクの後に後ろから奇襲をかけたり、血を相手の顔に吹きかけたり、相手の足を踏んでラッシュをかけることもない。ただ勝ちたいのではなくボクシングで勝ちたいのだ。

 ここでまた父親の影が出てくる。

 実はこの主人公が家出した理由というのが、自分が見つけた異質なボクシングスタイルで兄に勝ったのに父親に叱られたからなのだ。反発しているようでいて、実は死んでも父親の言う通りになっている。こう書くと父親が毒親のようだが、彼の異質なボクシングは素人にはともかく、プロに全然通用しないのである。フリッカージャブを打つたびにピンチに陥っていく。とうとう最後の砂川という男と戦った時には、全然通用しなくて万策尽きてしまう。

 やくざを得意のフリッカージャブで打ちのめして逃げる手もあったのに、戦いを選んでしまうのは体に染みついた父親の予言をなぞってしまったのかもしれない。

 そうだ。父親ではないが父親のようなことをする人間がいる。それは地下闘技場でやくざが用意したセコンドの日下部だ。彼は五郎の父親とは違って、口は出すし、手も出す(ミットを着けた手で)。

 父親の予言通り五郎がボクシングで大成して幸せを掴むのか、失敗して死ぬのかはどうでもよくて、究極のところ五郎が予言を無視できるかに尽きるんじゃないのかな。

 さて、実はもうこれ以上は書くことがない。

 結局『PCM』ってなに? ということだが、

 ・・・・うん、そうだな・・・・

 それはつまり・・・・
人生・・・・だあっ!
キャシアスクレイのグローブ

(未完)

このマンガがオススメなんだ。闇の闘技場が出てくるんだ。



※余談だが題名の『PCM』とはパチンコで負けたの略らしい。それと表紙はえっちだけど、えっちしない。

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 『word.I』はそれほど長い小説ではないが、何日かに分けて小刻みに読んでいて、最初の日に脳内で流れたのがコレ。

"君の運命の人は僕じゃない"

 Oficial髭男dismのPretenderだ。

Pretender
ポニーキャニオン
2019-10-09


 主人公はクラスで流行っているえっちなイタズラから、とある女子を救って(正確には別の女子が救った)、それがきっかけ好きになるわけだけど、その子には好きな子がいるというのを感付いてしまうところでさっき引用した『pretender 』がかかるわけですよ。

 さて、この小説、「実はスゴイ自分」なんていない。という主人公の独白で始まるが、この男モテモテである。意中の子には自分以外に好きな人がいそうだからと落ち込んでいるが、その子以外にはずいぶんコナをかけられているし、時には付き合ったりする。意中の子にしても小説が成立するぐらいドラマがある。おまけに第一志望の高校に受かる秀才。将来は医者を目指している友達は落ちている。この主人公がスゴくないなんてことがあるだろうか。いや、ない。

 それでもこの小説の主人公は悲劇というか苦しい状況に襲われる。運が悪いわけでもない。よくよく考えてみると、どれも避けられるもので、身から出た錆という感じがある。まるで自分から苦しみを求めているようだ。
 その視点でこの小説を読んでいると、もし仮に意中の子が「····わたしもあんたが好きやけ////」という展開になっても、この主人公は台無しにしそうな雰囲気がある。それにこの主人公、好きになるのは誰でも良くて、好きになったら絶対にダメな相手だからこそ好きになった可能性がある。

 つまりこいつは····

ダメな自分を楽しんでいるんだよ!

 ドストエフスキーの『罪と罰』に出てくるマルメラードフと同じ人間。人間失格。最後は酒の飲みすぎで死ぬだろう。もしかしたらドラッグか、ギャンブルかもしれないが、心の底では破滅を望んでいる。一点の曇りもない100%完璧なキラキラの幸せだけが欲しい、それ以外はいらない。そうでないなら0でもいい。そんな奴だ。

なにが「スゴイ自分はいない」だ。ふざけやがって!

本当は自分がスゴイと思っていることの裏返しじゃねえか!

こいつはナルシストの臭いがぷんぷんするぜっ!

 今ここに堕落する快感に浸る耽美小説が誕生した。しかもこの小説、三か、四部作になるらしく、まだまだ堕落の余地を残している。実はスゴイ小説なのでぜひ読んで欲しい。藍田ウメルは今最高に文学している作家の一人だ。

(おわり)

※このブログ記事は牛野小雪の個人的な見解であり、作者の意図とは全く関係ありません。

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 この小説には徹底されたものが二つある。登場人物の匿名性と、くどいほどのコマーシャル的な形容詞だ。

 登場人物は少年や母親、彼女、店長と、代名詞や血縁関係、社会的地位で表される。ミカとかYPという名前も出てくるが偽名である。

 形容詞はコマーシャル的でいかに価値があるか(あるいは無いか)をくどいぐらいに説明している。たとえばこんな具合に

汁漏れを心配する人が商品を入れるレジ袋
多目的トイレ
A5ランクの和牛焼き肉
センサーでライトがつく
100円均一の造花

✳作中では太字ではない

 これが意図的なのはYP の実況描写で明らかだ。

 まったくこの小説は資本主義的である。資本主義における人や物は画一的かつ匿名的で、いかに価値があるかラベル付けされている。牛肉にはハナコとかベーコという名前はなく、どこそこ産だとか、何とか公認だとか、作中でもあるようにA5ランクのラベルが付与されている。肉屋のおやじは誰だか知らないし、コンビニのレジが誰かも知らないし、バスの運転手だって誰かも知らない。そしてみんな交換可能な存在だ。総理大臣ぐらいなら名前を知っているが、それだって一年毎に変わる時もあった。社会にとって、かけがいのないものなど存在しないのだ。

 しかしそこで生きる人にとって自分の肉体だけはかけがえのない例外的な存在だ。作中に出てくる賢い彼女はピンサロである男と性行為すると、『接客』の手順から離れ、ミカではなくなり、「あ」という声を戸惑って出してしまう。

 さて、この小説は『天国崩壊』というだけあって、天使が出てくる。しかし天使は『アイス』という薬物か何かよく分からない物の材料にされているだけだし、天使病なんて病気は死んでしまうというのだから恐ろしい。彼らは本当に天使なのだろうか。どちらにせよ一つだけ言えることは決して天使は良いものではない。というより最後の人間達の反応を見ていれば悪いもののように思える。

 考えてみれば天使とは天国に住んでいる存在で、この世ではついぞ見たことがない。私も見たことがないし、誰かが見たという噂も聞いたことがない。天国も天使もあくまであの世のことであって、この世では存在が許されていないようだ。天使病であの世に行くというのは言い得て妙だ。しかしその天使によると、天国は崩壊してしまって、もう存在しないようだ。天使も次々と死んで最後には一人もいなくなってしまう。

 コマーシャリズムと匿名性によって神も天使も死に絶えた世界だけど、

地獄がまだ残っているぞ!

 地獄の存在は天使によって示唆されている。

 地上に残された人間達が悪魔病にかかっているのか、それとも人間病にかかっているのかのかは分からないが、健康そうに見えないのは確かだ。人間崩壊も近いように思える。人間が壊れたら、次に出てくるのは悪魔だろうか。その悪魔は人間にとって良いもの?

 一つだけ言えるのは神は死んだし、天使も死んだ。でも世界は変わっていない。人間が大いなる正午を迎えることができるかどうかはカウントダウンに委ねられた。でも個人的な意見を言わせてもらうなら、彼らはあたらしい国へ行くのではなく、待つ人達であるから行く末は暗いように思える。天使の導きもなければ、何かを志向する意志もないので、どこへも行けないだろう。もっと悪ければ地獄行き。その意味では、やっぱり『天国崩壊』という題名は良い命名だと思う。

(おわり)

天国崩壊 (隙間社電書)
伊藤なむあひ
隙間社
2019-12-14


読後に見よう









参考文献
ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)
フリードリヒ・W. ニーチェ
河出書房新社
2015-08-05



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『東京死体ランド』の世界には生者と、死体が存在する。現実の世界も同じだが、この世界の死体は生きている人間と同じように喋ったり、歩いたり、タイヤを売っていたりする。生きている人間と変わらないようだが、死体はやっぱり死体で両者には壁がある。そして死んだ人間は生き返らない。

 この物語の中では生者は珍しい存在のようだ。人だけではなく町も動物も死んでいっている。町田市は死体のリス達によって町田リス園になろうとしていて、新宿では「あんたらまだ生きているのかい」と言われるほどだ。この世界では生者が異物のような感がある。

 東京死体ランドは死体の世界の一アミューズメント施設にすぎない。それを壊しに行ったところで何になるのだろう。東京死体ランドは死体しか入れないのに、彼らはどうやって中に入るのだろう。しかし、僕たちふたりは東京死体ランドに入って、ぶっ壊しにかかり、物語の最後に主人公の僕は愉快な体験をして、将来の幸せに思いを馳せる。

 この物語はハッピーエンドなのだろうか。ハッピーかどうかで言えばハッピーだろう。でもそこはかとない儚さもある。きっとリス園のリーダーなら前歯を剥き出しにして戦いを始めるだろう。リーダーが簡単に捕まってしまうぐらいだから、リス園のリスたちはきっと無力なのだろうけれど、彼らの存在はこの世界の慰めになるだろう。

東京死体ランド (隙間社電書)
伊藤なむあひ
隙間社
2018-09-03





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このKindle本を読め!王木亡一朗強化週間『ライフゲージ』

心身共にうんたらという言葉がある。困憊でもいいし、爽快でもいい。

 そこに至るまでに心と身体が一緒に困憊したり、爽快になることは少ないように思われる。国道の端から端まで走れば、まず体が困憊して、それに引きづられて心も困憊するだろうし。でもそれが駅伝で、地区優勝を取ったとかであったなら心は爽快になり、体の疲れも吹っ飛ぶ。ということを理解するのにあまり苦労はしない。
 
 心と身体は独立して存在するのではなく、お互いに影響を与えながら生きている。

 心を臓器として考えればもっと分かりやすいかもしれない。肝臓がダメになれば、他の部分もダメになるし、他の部分が頑張ることによって、ダメになっている肝臓が踏ん張って持ち直すということもある。かといってある臓器だけを気にかけていても、他の部分が全然ダメになることだってあるだろうし、全てに気をかけていても、いつの間にかどこかがダメになっていたというのはよくありそうな話だ。

 人生だって同じようなものだ。お金は大事だけどお金ばっかり追っていると落ち着かない人生になるし、かといってお金を気にかけないとみじめな人生になる。人に気をかけていても嫌われることはあるし、気に入られようとしなければ気にかけてくれることはない。魚心あれば水心あり。

 一度だけの人生。心をどこに置こうぞ。・・・・・なんて真面目に考えるには人生は重たすぎるのだ。誰も人生を背負うことはできない。そうできていると思い込んでいる人はいるけど。

 人生はシュミレーションゲームではなくシューティングゲームみたいな物。障害物に気をつけながら目の前に現れた敵を撃ち倒すこと。次に何が出てくるかは分からないし、敵は前から出るとも限らない。上下後ろどこからでもありだ。とにかく倒しまくって敵を倒し、、、まくらなくったって良いんだな、これが。生きてる限り前に進む。考えてみたら残酷だよね。今はもう2017年だけど、2016年もうちょっと待ってくれよって思う時がある。

(2017/01/11 牛野小雪 記)
LaLaLaLIFE









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悪人の系譜/月狂四郎

赤ちゃんは言葉を喋ることができない。

「あの、おっぱい吸わせてもらえませんか?」

「お尻拭いてもらえませんかね?」

「そろそろ眠りたいからそっと抱きしめててほしいな」

 などと言葉を出したら非常にびっくりするだろう。

 ある本によれば人間が最初に覚える感情は怒りらしい。

 何かあれば怒る。本当かなと調べてみると赤ちゃんが笑うのは生後数ヶ月たってからで、最初は寝るか泣くからしい。

 

 赤ちゃんにできることは泣くことだけで、これひとつですべての用事を済ませている。中には眠気でも泣くことがあるそうだから大変なものだ(どうやって調べたんだろう?)。

 もしそれが本当なら赤ちゃんからの記憶がある人は「俺は怒りと共に生まれてきた」なんて言うのだろうか。(でも胎児の頃の記憶がある人はいるらしい。そういう人に聞き取り調査したのかな。ほとんどの人は3歳以前の記憶は無くなってしまうそうだ。)

 余裕のある人は笑っている。余裕のない人は怒っている。それがさらに進むとしょげかえっている。

 さて本題に入るとちょっと前に月狂さんの『悪人の系譜』読んだ。

 天龍墓石(とうむ以下トム)は怒っている。いつも怒っている。でも最初はしょげかえっていた。親から有形無形の暴力を受けていた。でも体が成長してくると暴力の方向が反対になった。でも彼の心が癒やされることはないわけだ。

 彼は心の乾きを癒やすように暴力の世界に塗れていく。幸いにも天性の才能があって修羅の世界を気持良く泳ぐことができたが、それでもやっぱり気持ちは収まらない。暴力の方向性が変わっただけで心の傷はずっと疼いている。

 対人関係のトラウマの克服で一番難しいのは、傷を負わせた相手を許すことではなく、過去の自分を許す自分を許せないことだそうだ。「お前、あんなことをされたのにあいつを許すのか」的な。

 トムには妹がいる。彼女も実は心の傷を持っている。彼女は親から虐待を受けていた。彼は彼女を親から救い出し、それから身から出た錆の暴力も救いだした時に何故か母を許すことができる。

 よくよく考えて見るとトムは全然救われていないような気もするんだけど、自他の境界が無いような世界を想像すると彼は自分と同じ境涯の人間を救うことで自分を救っていたのかもしれない。

 かつて何かで苦しんでいた人を見て、それを助けてあげることで自分の中で何かが癒やされることでもあるのだろうか。理屈で考えればいかにもおかしいことだけれどありそうな気はする。

 この世は愛されるよりも愛したいマジでの世界なのかもしれない。

 でもさ、なかなか人って愛せないよね。嫌いになるのは簡単なのに好きになるのは難しい。続けるのはもっと。そういえば赤ちゃんが最初に覚える感情は怒りだっけ? 嫌いってのは怒りを伴っている。怒るのは簡単だ。表に出せるか出せないかの違い。

 ディスるのは簡単で賞賛するのが難しいのと同じで、嫌いから好きへ回転させるのは難しい。自分でさえ持て余す。自分と同じような人間を見つけることができれば何か変えることができるのかな。

 

(おわり)

悪人の系譜


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『私の人生を変えた一冊』/T・S・カウフィールド


 私はさる理由で地元の高校を受けずに、人里離れた山奥の高校を受験しました。そこにはうまく合格して、私は親戚の伯母の家でお世話になりながら、その高校へ通うようになりました。


 距離もそうですし、地形もそうさせるのですが、ここは陸の孤島であり、知り合いが一人もいない場所で私は静かな安住を得られることを期待していました。しかし、世の中はどこへ行っても同じです。違いは規模が大きいか小さいか。人と物の在りようはどこでも変わらず、私の平穏な高校生活はたった一ヶ月で終わりました。


 阿部君という同級生がいます。同じクラスです。というより人数が少ないので私の学年は1クラスしかありませんでした。その阿部君は身長が180cm以上もあり、体格もかなり良く、クラスメイトから巨人と呼ばれていました。野球部にでも入ればいいのにとみんなは言っていましたが、私の高校は人数が少ないので、野球部どころか、どの部活もまともな活動していませんでした。だからでしょう。阿部君はどの部活にも入らず、力を持て余しているようでした。


 私は最初から阿部君を警戒していました。私は彼がどんな人間か臭いのようなもので分かっていたし、彼のような人間は必ず私に目を付けることも分かっていたからです。私はなるべく彼から離れようとしました。しかし彼の方では何故か執拗なほど私に近付いてきます。何せそこは陸の孤島で逃げ場はありませんでしたし、それにクラスメイトの目もあります。傍から見れば仲良くしようとしている阿部君に私が冷たくしていると映っていたでしょう。そういうことが積み重なると私はいつしか逃げ疲れ、彼と共に行動をするようになりました。


 彼は初め、優しい態度を崩そうとしませんでした。私の方でももしかすると人間不信をこじらせすぎているのではないかと疑った事が何度かあります。でもやはりそれは間違っていました。彼は徐々に親しい態度の中に侮りの態度を混ぜるようになったのです。私はそれに気付くと、ああ、やっぱりそうだったのかと自分の勘の良さに感心すると同時に、またなのかと暗い気持ちになりました。


 決定的な何かをされたわけではありません。というより決して大きなところでは阿部君は私にとても優しい親友でした。もし銃を持ったテロリストが学校に来たとすれば、彼は私をかばって死ぬかもしれない。そう思えるようなところもあったのです。なので私と阿部君は校内で一番仲の良かった二人かもしれません。ただ阿部君はその中で、ことあるごとに私の自尊心を小さく打ち砕くのが日課になっていました。それはわずかに剃り残したヒゲであったり、日常誰にでもあるようなほんの些細な失態であったり、私の言ったことの言葉尻、それらをとらえて大げさにからかうのです。ひとつひとつ取ってみれば何でもないような事でも、積み重なれば山のようになります。山のように積った山に砂をひとかけされると、とんでもない重さになるのでした。また彼は冗談で私を撫でるように殴ったり、つまむように揉んだり、体をくすぐって私を強制的に笑わせたりもしました。


 何度も言いますが、ひとつひとつの事は大したことではありません。どの段階で私が彼に反抗をしたとしても、それは私自身大げさなことだと思ったでしょう。しかし、長い目で見れば彼は私に対して大きな悪事を働いているのです。


 いっそ彼に殴られて骨の一本でも折られてみたい。そう思う事がたびたびありました。もしくは公衆の面前でどうしようもないほど罵られて泣いてしまいたい。しかし、彼は決してそんな事はしません。私は泣くことも傷つくこともできず、ただ優しい悪意を受け止めるしかありませんでした。


 そうやって私は高校一年を過ごし、二年生になりました。私の誕生日は4月の早い時期にあるので、父は誕生日プレゼントにとある本を私にくれました。それはヤマダマコトという人が書いた『金色天化』という本です。指二本分以上はある厚い本で、表と裏は固い表紙でできていました。


 私は特にそれを嬉しいとも思わず、かといってせっかく貰ったものだからと家や学校で暇を見つけては毎日少しずつ読んでいました。すると阿部君がそれを見て、何を読んでいるのかと訊ねてきました。私が『金色天化』だと答えると彼は興味なさげにふ~んと鼻で返事をするだけで、読み終わったら貸そうかと切り出しても、いや、本は読まないと本当に心底興味がなさそうでした。


 私はそれを知った瞬間、光が差したように感じました。阿部君の知らない世界がここにある。私だけがそれを知っている。それが私の中で彼に対する唯一の優越感でした。それからも彼は私に優しい悪事を働きましたが、私は以前よりもそれを楽に耐える事ができました。『金色天化』が心の底を支えてくれたのです。


 私はいつでも『金色天化』を読めるように、毎日学生服の内ポケットに入れて持ち歩きました。そして何度も繰り返し読みました。何度読んだのか自分でも分かりません。一週間に二度三度と読むので、十回や二十回ではきかないでしょう。ページが破れたり、背表紙が割れてもセロテープやボンドで補修しながら使い続けました。


 私と阿部君は三年生になりました。この時、とうとう二人の間に決定的なことが起こったのです。その日は学園祭の準備があり、生徒達は放課後も残っていたのですが、手が空いている人はやることもないので、暇を持て余していました。私と安部君もその中の入っていました。その日の阿部君はいつもと様子が違って、私は何が起こるのだろうとハラハラしていました。しかし放課後になっても何も起こらないままなので、私の勘違いだろうかと疑っていた頃、彼は裏山に行こうと言いました。裏山とは学校のすぐそばにある、校庭と繋がった山のことです。植林された太い杉が何本も伸びています。


 何か悪いことに私を巻き込もうとしているのだな。私はそう思っていました。しかし私と安部君の関係で、私は彼に逆らえないので私は黙って彼の後についていきます。私達はやがて山の中に入りました。暗い杉の下を歩き続け、校舎も小さくなり始めた頃、ふいに阿部君は私の腕を取って一緒に杉の木の影に引き込みました。教師の誰かがこちらを見ていたのでしょうか。私は安部君と一緒に学校の様子を窺いました。しかし視界の先には杉の木が何本も隙間なく立ち並んでいたので、誰の姿どころか校舎の影すら見えませんでした。


 誰にも見えないな。彼はそう言いました。私はその声を聞いて、体中にぞっとする不気味な物を感じました。彼は何故か私をひざまづかせようとしました。私が理由を訊いてもいいからとだけ言って、肩に力を加えます。私はささやかな抵抗をしたのだけれど、彼の粘り強さに負け、その場にひざまづいていました。


 何をされるのだろう。とうとう滅多打ちにでもされるのだろうか。私は密かな期待を抱いていました。彼に容赦なく殴られれば、山を転がるように降りて、誰かに助けを求めようと考えていたのです。顔や体に傷があれば、きっと彼の悪事は明るみに出て、彼には有形無形の罰が与えられるに違いない。そう期待していたのです。


 しかし、彼は私を殴ろうとしていたのではなかったのです。彼は異様に熱い目で私をみつめると、音が出ないほど優しくベルトを外し、ズボンを下げました。パンツも一緒です。私の目の前には剥き出しになった彼の下半身がありました。その中心には肉々しい臭いを放つ一本の太い棒が杉のように天高く伸びていました。


しゃぶれよ。彼はそう言いました。私が意味を飲み込めないでいると彼はもう一度、しゃぶれよ、と言いました。あんな物を口にくわえるなんて、私は躊躇しました。しかし、私はある瞬間までは嫌々ながらもくわえようとしていたのです。彼の腰に手を当てて、いざ口の中に含もうとしたとき、彼は言いました。歯は立てるなよ。

 私はその瞬間理解しました。私はずっとしゃぶられていたのだと。
私は怒りました。私は今まで精神的に殴られていたのではなく、しゃぶらされていたのだとはっきり理解しました。精神的にはずっと安部君の汚い口でしゃぶられていたのです。そして、私は歯を立てない限り、ずっとこれからも、たとえ安部君の元を離れたとしても、彼と同じような人間にしゃぶられ続けなければならないのだと。


私は制服の中にある『金色天化』を掴むと、彼の顔めがけて振り抜きました。ふぐぅっ、と妙にくぐもった声がしたのを憶えています。彼は突然殴られて何が起こっているか分からないという顔をしていました。私はそこに微かな怒りの予兆を感じたので、私は恐怖を感じ、彼に抵抗される前に『金色天化』振り下ろしました。二撃目を受け、彼はやっと抵抗しようとしましたがズボンを下に下ろしていたので、うまく動けなかったようです。足を絡ませると後ろに倒れました。すると背中を強く打って、杉の木の空が震えました。


おおい、何するんだ。助けてくれ。彼は哀れっぽい声で助けを求めましたが、私は怒りと恐怖に刈られ『金色天化』の一撃を何度も彼に打ち下ろしました。殺してしまうかもしれない。そう思ったのも束の間、何度目かの一撃を振り下ろした時『金色天化』が二つに割れ、私の手から飛び出し、地面に落ちると、4つ、5つ、6つ、それから全てのページが分かれ、弾ける様に飛び散りました。


その頃になると阿部君は杉の木の下ですっかり大人しくなっていました。しかし下半身の中心には杉の木のように立派な肉々しい物がそそり立っていました。私はそれを見ると怖気を感じ、逃げるように山を下りました。


こうして杉の木の下を抜け、空の下に戻ってきた時、私は何かから解き放たれた気分になりました。頭上には薄い曇り空が夕日を拡散して金色に輝いています。その幻想的な美しい光を浴び、私はいま本当に生きている、そう心の中で叫び続けました。



(おわり)

↓心の中から震える『金色天化』



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