私小説に結末を着けようとするなら自殺するしかないというので、未完で終わる夏目先生の『明暗』を読んだわけで、それから『山桜』も書き終わったし、新刊告知の予約投稿も仕込み終えたので、西村賢太の動画を見つつ、一度離れた私小説にまた取りかかると、瑞々しい感覚が腕の中に通っていくような感じがして凄いのを書いているぞという高揚感があったが、3万字(←2週間で書けてしまった!)まで書いたところで一段落が着いたので、ふと読み返したらゾッとした。これはやっぱり書き続けたら死ぬような気がする。私小説なんて書いていたら頭がおかしくなるよ。日本の私小説は暗いなんて言うけれど、この前トーマス・メレというドイツ人が書いた『背後の世界 』だって、おかしい世界に一歩足を踏み入れている感があった。ポーランド人の『高い城』だって、なんか暗い。私小説なんてのは万国共通で頭がおかしくなるらしい。というわけで私の私小説は本当に未完で終えることにした。

 生きていくなら虚構を積み上げていくのがいい。それも徹底的に嘘で塗り固めるのが良いような気がしてきた。じゃあどんなのを書けばいいのかなと考えて、ふと未完が前提で書いてみてはどうかと思いついた。夏目先生は死ぬ前に「いま死んじゃ困る」と言っていたそうだから『明暗』を未完で終わらせるつもりはなかったはずだ。未完で完成。そんな小説が書けたら夏目超えをできるのではないか。と、思いつつも、じゃあそれってどんな小説と聞かれても、まだ全然思い浮かばない。未完で完成というイメージがあるだけ。でも、何か書けそうな気がしている、たぶんね。

 そんなことを考えて書いたわけではないのですが、今度出る新刊の題名は『生存回路』です。嘘というか虚構だらけの内容なのは、やっぱりこういうことを考えていたからなのかな、と思ってみたりする。というより『生存回路』を書いたから私小説が書けなくなったのかもしれない。少なくとも今はこっちが私の書く方向性だな、と感じる。『生存回路』を一言で表すなら『私の無い小説』だ。一体何を言っているのか自分でも分からないが、私という概念は牛野小雪も含んでいて、牛野小雪抜きで牛野小雪の小説が書けないかと考えている。メタファーで一個小説が書けそうだが、掛け値なしで作者不在の小説を書けないかと本気で考えている。禅問答みたいだけど、いつか誰かがそういうのを書くような気がするし、それが次の時代のスタンダードだろう。それってAIが書くのかな。それは分からないけど100年後か200年後には小説は存在していても、小説の作者は存在していない気がする。現代まで書かれてきたような小説は一部の人の趣味になるのではないか。過去からよくある突飛な未来予想かもしれないけど、今はそういうヴィジョンが見えている。

 『山桜』はヘミングウェイに倣って一年寝かせてみます。それにもう桜も散ってしまったし。
 もし出すとしたら来年の4月1日かな。内容的には秋に咲く桜の話だから9月10月でも良いんだけど。一応桜とついているしね。

(おわり)

追記:作者不在の小説は誰が書くのか。読者が書くのである。というところまでは考えているけど、じゃあどうやって読者が小説を書くのかというのは全然見えてこない。

追記2:作者が存在する小説としてjhon to the world というのをいつか書いておきたい。もう4年前から考えているけれど、これというプロットが決まらない。johnと僕という大黒柱が一本立ったままで、足場を組んでは崩すことを繰り返している。もしかすると牛野小雪では書けないのかもしれない。
自分からの逃走


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