『ジミー・ザ・アンドロイド/如月恭介』を読む

魂を宿した人工知能ゴッドが暴走。人類に対して戦いを挑み、別の人工知能ジミーがそれを阻止しようとする話。

月狂さんは続編があると書いていた(ペンと拳で闘う男の世迷言/ジミー・ザ・アンドロイド」書評)が、人類の視点で見たジミー&ゴッド(=人工知能)の成長、自立の話として読めば、これで完結だと私は読んだ。如月さんも続編なんか考えていないんじゃないかな。
作中でも人間は親、人工知能達は子供として書かれている。悪の人工知能ゴッドはさしずめ頭だけは一丁前の感情が伴わない思春期のクソガキといったところか。

話の最後で人類からの親離れをしたジミー達は人類の手から離れていく。作中でも書いてあったが、人間を越えた人工知能に人類はついていけないのだろう。
ジミーとゴッドの戦いは恐らく人類には何が起こっているか分からないという戦いになるはずだ。 そもそも同じ能力を持つ人間同士でも子供が精神的に自立したあとは、親は基本的に子供が何をしているかなんて分からない。子供だって親に何をしているかなんて教えない。
親という字が木の上から見ると書くように、人工知能の親である人類は文字通りそれを見ているしかない。

ジミーとゴッド、どちらが勝つにせよ。将来的に人工知能が役立たずになった親(人類)の面倒を見てくれるのか、それとも邪険にうばすて山へ送るのかは人工知能達の問題。親である人類はただ受け入れるしかない。これは人間の親子でも同じような気がする。



『鬼娘の千倍返し:ガンズ・オブ・パクリオット/月狂四郎』を読む

 話の内容は桃太郎に鬼ヶ島を襲撃されて、故郷を失った鬼の子ちひろが桃太郎に復讐する話。しかし私はこの話は桃太郎の壮大な自己実現の物語と読んだ。ちなみに作中でも彼はちひろにナルシストっぽいと言われている。

 鬼とは何かと問われれば、人間の社会やしきたりを壊す暴力的な何かを持つ者ではないでしょうか。日本神話でいうスサノオみたいな存在(スサノオはアマテラスの田畑や小屋を荒らしまわる存在だ。そういえば作中の鬼ヶ島も農耕や工業をして暮らしている雰囲気はなかった。急に俗っぽくなるのは鬼ヶ島を出てからだ)。
 作中でわりとあっさり明らかにされるのだが異常な強さを持つ桃太郎は彼自身が鬼である。
 
 彼は幼い頃に鬼という理由で母子ともに人間から迫害を受けていた。彼は身を守るために己を鍛え、いつしか人間達を倒す力を身に付けていたが復讐はしなかった。これはまだ彼が精神的に母親(彼女も鬼)の腕の中にいたからだろう。母親は心から人間界に染まっていたので非暴力の姿勢で人間界に暮らしていた。

 しかし鬼を恐れた人間達は彼の母親を捕らえようとして家を囲み、息子の桃太郎も殺そうとする。その時もやはり母子ともに非暴力の姿勢を保っていたが、村人の鍬に頭を打たれた母親が意識を失うと、彼の暴力を縛るものは無くなり無制御の暴力を発揮してしまう。その結果は村人全員を殺すという大惨事であった。これこそ鬼たる所以だろう。

 息子の暴力性をもて余した母親は彼を捨ててしまうが、運命は不思議なもので今度は生き別れた父親に偶然再会する。彼は人間であったが常在戦場の暴力的な世界に染まっていた人間だった。彼は自分の暴力性を思い切りぶつけても受け入れられる存在と出会うわけです。

 束の間精神的な羽を伸ばした彼だったが、今度は暴力性をぶつけられる父親を、人間の"武蔵"に殺されてしまう。情をかけられて命拾いした桃太郎は持っている暴力性を今度は武蔵にぶつけるために、日夜己を鍛えていたが今度はその武蔵もまた死んでしまう。

 暴力性の行き場を失った彼は鬼の象徴である角を切り落とし、人間として生きていくことにする。皮肉なことに鬼であることをやめた彼は自分を迫害した人間の世界で成功してしまうことになる。

 己の中にある鬼を否定することにより、自分以外の鬼をも否定するこになった桃太郎だが、生き残った鬼のちひろに倒された彼の最期の言葉は恨みの言葉ではなく感謝の言葉であった。彼は失った自分の鬼を取り戻すことができたのである。
 
 自分の中の鬼とどう折り合うかが本作のテーマだと私は思う。鬼であることをやめなかった本作の主人公ちひろが最後にどうなるのかは是非これを読んで確かめて欲しい。ちょっと寂しい結末が待っているとだけ言っておく。



[DBR-NO-1] T・S・カウフィールドと牛野小雪『PSO3/夏居暑』を読む。

 

―牛野小雪(以下、小雪) 今回はいつもと違う体で書こうと思います。まずはTS・カウフィールドさんが読んで

 

TS・カウフィールド(以下、T) 次に牛野さんが読むという形で『PSO3』について語ろうと思います。

 

―小雪 PSO3』どういう話でしたか?

 

T 綾乃という少女に依頼されてK助がモンスターペアレントをこらしめるという話でした。舞台の阿弥陀町にはPSO3という自警団があって、K助はそこの隊員です。モンスターペアレントはサイコパスということになっていました。

 

―小雪 近年よく聞くようになりましたが、サイコパスとはどういうものでしょうか。

 

T 簡単にいうと罪悪感を感じない人です。特徴は冷酷さ、無慈悲、エゴイズム、感情の欠如、結果至上主義などがあるそうです。

 PCLというチェックリスト(誰が採点するのでしょうか?)があるので、少し書いておくと

1.口達者/表面的な魅力

2.過去におけるサイコパスあるいは類似の診断

3.自己中心性/自己価値の誇大な感覚

4.退屈しやすさ/欲求不満耐性の低さ

5.病的に嘘をついたり人を騙す

6.狡猾さ/正直さの欠如

7.良心の呵責あるいは罪悪感の欠如

8.情緒の深みや感情の欠如

9.無神経/共感の欠如

10.       寄生虫的な生活様式

11.       短期/行動のコントロール欠如

(以下略)

 

―小雪 そういう人いますよね。あれはもう病気としか思えなかった。でも反面うらやましい気持ちもあったな。周りはともかく本人はとても幸せそうに生きていたから。間違いなくリア充ですよ。サイコパスだと現代の競争社会にうまく適合して生きていけるのでは?

 

T  いましたか……。一応サイコパスは東アジア、特に中国と日本では少ないそうです。災難でしたね。ちなみにですが会社経営者や弁護士。あとは外科医や警察官などの地位が高い職業にサイコパスが多いそうです。そういえば主人公のK助も弁護士を目指していましたね。あと意外にも聖職者。何故なんでしょうか? 一番思いやりが必要な気がしますけど。

 

―小雪 お坊さんを滅多に見ないからよく分かりませんね。葬式の時だと念仏を唱えるだけだし、身近にいると恐い人なのかも。でもやっぱりそうなんだって思いました。さっき言っていた人とはもう長いこと交流はないけど、風の噂で社長になったと聞きました。やっぱりサイコパスだと社会的にはうまくいくのでは?

 

T 口が上手い、精神的に強い、無慈悲、大胆、という特徴があるそうなので確かに社会的に成功するかもしれませんね。でも、犯罪者も多いようですよ。

 

―小雪 いや、そういう人は自分の手を汚さないで悪い事をしますよ。もしくは周りに他者がいないときに。直接手を出す時は必ず共犯者を作ります。ついでに言っておきますが、口が上手かったり、精神的に強かったりするのは、他人に責任を被せられるからですよ。もしくは約束を守るつもりがないから。少なくとも私の知る人はそんな人でした。

 

T ああ、なるほど。ちなみに犯罪者側になったときでも組織系犯罪の場合、地位は上層部に多くいるそうです。

 

―小雪 やっぱりそうなんだ。作家として成功するにはサイコパスにならないと……。そういえば作家はどうなんですか? サイコパスが多いのでしょうか?

 

T サイコパスが少ない職業というのもあって、芸術家という項目がありました。他人を共感させられる想像性がないと務まらない職業だからだそうです。

 

―小雪 クリエイティブな作家……。ってことは私が全然ブレイクしないのは私がサイコパスだからかな。でも現実でもパッとしない……。根本的に頭が悪いのでしょうか。

 

T いや、想像性がある≠サイコパスでも、想像性がない=サイコパスではないでしょう。それなら芸術家以外はみんなサイコパスということになってしまいます。

 

―小雪 あまり大きな声では言えないんだけど、作家の人ってちょっとおかしい人が多くないですか? 夏目漱石が子供をめちゃくちゃに殴るエピソードがありますし、太宰治は女と心中するし、三島由紀夫は大勢の前で割腹自殺したり……。現代作家も表に出てこないだけでヤバい人が多いのかも。

 

T いたとしてもおかしさのベクトルが違うんですよ、よく分かりませんけど。これは私の考えですがサイコパスは0か100かではなくて、我々も多かれ少なかれサイコパスの気があるように思います。で、ある一線を越えると病気という扱いになるという。

 

―小雪 そうかなぁ。サイコパスの特徴に口が上手いっていうのがあるでしょう? ということは文章も上手いんじゃないかな。人を動かすのは上手かったし

 

T 動かすといっても、やはりそれはベクトルが違うのでは?

 

―小雪 まあ確かにその人が小説なりマンガなりを書いて、上手いというのは全然想像できないんですけどね。ベクトルが違う。確かにそうかも。ちなみにそのある一線とは?

 

T 社会的に迷惑がかかるかどうかです。他の精神病と同じですね。ですから牛野さんよりもサイコパス度が低い人があなたを見たら『この人はなんて、ひどい人なんだろう』と思うのではないでしょうか。

 

―小雪 いや、私は0か100かだと思うなぁ。だって彼だけが明らかに違ったもの。

 

T ……そうですか。そろそろ話を本題に戻します、PSO3に。

 

―小雪 はい。お願いします。

 

T ここまで長々とサイコパスについて語ってきたのには理由がありましてね。私が思うに実はK助の方がサイコパスなんじゃないかなと思うんですよ。

 

―小雪 えっ、そうなんですか。

 

T いやね、だって綾乃の依頼を受けたとはいえですね。相手に容赦がないんですよ。相当ひどいことしていますよね。そういえば依頼主の綾乃も途中でそう言っていたっけ。

 

―小雪 車の塗装剥がされたり、家の窓割られたり、最後には家庭崩壊からの逮捕。絶対にされたくないですね。実は途中からサイコパスに同情しましたよ。

 

T でもね。K助は良心の呵責が無いように見えるんですよ。法的には犯罪ではないかもしれないけれど、明らかな悪事じゃないですか。それはK助自身も認めています。それが分かっているからこそ、やっていたというところもありますし。

 

―小雪 そういわれればそうですね。何だか恐くなってきた。

 

T これはね。夏居暑の巨大な罠なんですよ。サイコパスをこらしめる痛快劇と見せかけて、本当のサイコパスは主人公というクライムノベルなんです。そう読むとかなり恐ろしいでしょう? 本当の悪は読者の一番近いところにいるんですよ。

 

―小雪 うわぁ、意外だ。そんな風に読むなんて気付きませんでした。

 

T 牛野さんはどう読みましたか?

 

―小雪 カウフィールドさんの話を聞いたあとでこんなことを言うのは何ですが、私はむしろK助が正義の探求者のように見ました。

 

T 正義の?

 

―小雪 ええ、元々同級生の大木、つまり綾乃の父親と共にK助は弁護士になろうとしていたのですが、大木だけが司法試験に受かってしまいます。しかも成績はK助の方が良かったのにも関わらず。

 

T 喫茶店のシーンですね。あそこはかなり短かった。確か直接大木が出てきたのはあそこだけだったような気がします。最後に少しだけ状況説明だけで名前が出てきますが。

 

―小雪 その喫茶店のシーンで大木が弁護士はそれほど良いものじゃないと言うんですね。弁護士は法の番人ではなく、双方の落としどころを見つける仕事だと。その辺りのことはK助も判例で知っていたはずです。大木に判例の問題を突然出されても咄嗟に答えられるぐらいですから。

 

T じゃあどうして落ちたんだろう? ハートの弱さ?

 

―小雪 いや、むしろハートが強くなきゃ駄目ですよ。それに作中の行動でもハートの弱さは微塵も感じられない。彼は自分から司法試験に落ちたんです。もちろん意識的にではないでしょうが。

 

T ええっ、それって馬鹿じゃないですか。8回もですよ。

 

―小雪 むしろ彼は頭が良いんですよ。もしくは頭が良いと思っている。

 

T どうしてそうなるんでしょう?

 

―小雪 弁護士になった大木は相対的正義に失望しています。世の中白黒つく物ではなく、その時の勢いや状況で玉虫色に変わってしまう正義に。

 

T 喫茶店でぼやいていましたね。

 

―小雪 頭の良いK助は早い段階でそれに気付いたはずです。だから法律に失望して、絶対的価値の喪失からニヒリズムに陥っています。彼の倫理的に逸脱した行動は法律に対する復讐のようにも見えますね。「お前ら、俺がこんなことをしていてもいいのか!?」という風に。

 

T 法では裁けない悪。

 

―小雪 でも弁護士……だったかな。とにかく法律関係の仕事に就く夢はまだ完全には手放していない。それは彼が究極的な正義を見つけることをまだあきらめていないからです。

 

T 究極的な正義とは?

 

―小雪 たとえばですよ。あるところに赤色の円錐があるとしますよね。真横からそれを見た人には円錐が三角に見えるし、真上から見た人は円に見える。近付きすぎている人は赤色しか見えないし、離れすぎていてもそれは同じ。あるいは円錐に背を向けていれば何も見えない。それぞれ見た物は間違っていません。各個人で見ればそれは真実です。でもその正体は三角でも丸でも赤でもなく、赤色の円錐。相対的正義もそれと同じで個々人の見ている正義に嘘はない。俗にいう「人それぞれ」というやつですね。でもK助はそれに納得していないし、大木も納得していない。しかし、大木は納得しないながらも実務に励み、K助はそれを拒んでいる。相対的正義を越えた絶対的正義があるはずだと思っているんですね。プラトン的にいえば正義のイデアが。

 

T ありますか? その絶対的正義は。

 

―小雪 K助はそれが見つけられると自分では思っているはずです。

 

T 自他共に頭が良いと認めているから。

 

―小雪 彼はギリシャの哲学者のように絶対的な正義を探求しているんです。

 

T でもギリシャの哲学者は職業を持っていましたよ。彼は無職じゃないですか。上のプラトンだって教師でした。あっ、そういえばプラトンも政治家になろうとしてやめていますね。二人は同じかも。でもその時代から頭の良い人が絶対的正義について考えてきたのに、まだ絶対的な正義が見つかっていないのは、結局絶対的な正義が無い事の証明ではありませんか?

 

―小雪 いや、絶対的正義が一足飛びに見つかるとは限りません。もしくは無いのかもしれません。でも法律だって長年かけて徐々に改良されて、昔より今の方が良いでしょう? 

 

T う~ん、でも。K助って悪ですよね、両親の目から見ても。親がグレてもおかしくないレベルですよ。

 

―小雪 私は思うのですが“正しい”人というのは危険なんですよ。

 

T 正しい人がですか?

 

―小雪 自分は“正しい”事をしているから、あるいは考えているから、自分のやっていることは“全て正しい”と思う人がいるでしょう? 品行方正なのに人への接し方が冷たい人とか、自分は善いことをしているのだから他人はそれを迷惑に思うことがおかしいと考えている人が。それと同じでK助は絶対的正義という巨大な形而上学的謎を探求しているから、世間的な正義は吹き飛んでいるんです。

 

T しかしね、牛野さん。何故K助はそんな事をしているんでしょう。どう考えても大木の方が良い人生ですよ。司法書士になり、結婚して、子供がいて、独立して事務所も持とうとしている。K助だってそこは分かっていて、彼に対してそこはかとない劣等感があるじゃないですか。

 

―小雪 海水浴で沖に向かって泳ぐ人は泳げる人で、泳げない人は海に踏み入らず浜辺で砂の城を作るんです。それと同じようになまじ頭が良いと大いなる謎に足を踏み入れてしまうようです。大木の場合は自分には相対的正義を破る頭はないと自分で分かっているから、それに目をつぶって実務に邁進する事ができる。K助は自他共に認める頭脳を持っているから、相対的正義の大海を越えられると思っている。だから絶対的正義を探求する道に足を踏み入れてしまった。

 

T 結局見つかりましたか? その絶対的正義は。

 

―小雪 見つかっていないように私は思いましたね。というのも我々が生きる現実でもこの手の悪を裁く方法は存在していない。K助も結局は牢屋に入っていないでしょう? サイコパスが捕まったのは捕まる犯罪を犯したから。だからこそ読んだ人はそれについて考えなくてはならないのではないでしょうか。

 

T 裁けるようになりますか?

 

―小雪 信じましょう。いつかK助みたいな大いなる謎に立ち向かっている人が、相対的正義を突き破ることを。

 

T 他人任せですね。

 

―小雪 私はそんなに頭が良くないから。でもね、この手の話は昔からあったように思うんですが、最近は何とか表面化するようにはなっているでしょう? だから、そう遠くない日にこの手の悪にも対処できるようにはなるでしょう。

 

T なんだか希望が持てる締め方ですね。

 

―小雪 一応小説家ですから。それではカウフィールドさん、今日はありがとうございました。

 

T いえいえ、こちらこそ。また面白そうな本があれば呼んでください。また読みに来ます。

 

―小雪 それではみなさんさようなら。以上『PSO3/夏居暑』をTS・カウフィールドと牛野小雪が読む。でした。

 

 

(おしまい)

 

[DBR-NO-2] T・S・カウフィールドと牛野小雪『割られよ、凍てついた王冠よ/犬吠埼一介』を読む

TS・カウフィールド(以下T) 牛さん、こんな本がありました。犬吠埼さんの新刊『割られよ、凍てついた王冠よ』です

 

―牛野小雪(以下 牛)表紙を見たら、誰が書いたか一発で分かりますね。界隈ではある意味有名人の芳村拓哉さん。私の中では幻夜さんの『疎外』が初出でした。もしかすると他でも書いているのかな。彼のブログを見るとトップに『疎外』のイラストが出てきますが →芳村拓哉 JUDE TAKUYA BLOG(2015年4月28日現在)。

 

T 牛さんも頼めば良かったのに。最近出した『ターンワールド』の時には珍しく一ヶ月もパソコンの前で唸っていたじゃないですか。

 

―牛 いやね、芳村さんではないけれど、初めの方はかけていたんですよ、お金。でも自分で作ったのと売上は変わらないから、自前でいいやって考えに変わりました。でもイラストの世界も広くて、良いやつは良い値段がしますね。物語のイメージにぴったりなので、火星のイラストに使いたいものがあったのですが、高すぎてやめました。手が出ません。ウン十万円ですよ。

 

T ウン十万円……。

 

―牛 まあ、表紙の話はこの辺にしておきましょう。王冠はどんな話でしたか。

 

T 舞台は小国ベリエルグという新エネルギー「マグナ」が発見利用されている世界です。マグナはマグナ鉱石から採れるのですが、その鉱石を採るために一部の支配者層と多数の被支配者層に分けられています。大筋はその支配者層を打倒するのが目的ですね。

 

―牛 ディストピア小説ですね。主人公は被支配者層?

 

T いいえ、ヒロインはそうですが、主人公は支配者層のイリヤという男で、「七曜」という精鋭部隊に所属しているのです。彼の目的は大衆を管理・運営する事。ついでにいえば体内にマグナドライブという強力な技術を埋め込まれているので強力な力を持っています。

 

―牛 それは彼だけ?

 

T 「七曜」というメンバーの一人ですから、その名の通りにあと6人います。

 

―牛 それじゃあ、彼一人が反乱を起こしても駄目なわけだ。

 

T そうです。「七曜」の中でもクーンという男が特に力を持っていて、彼が物語の肝ですね。ベリエルグには王冠があって、それを持ち上げた人が王になれるのですよ。

 

―牛 そのクーンが王様?

 

T 現在の王様は人工知能です。クーンはそれを守っているだけという形です。

 

―牛 何故人工知能なのでしょうか

 

T この国には戦争の歴史があって、人間の欲が戦争を起こしたのをきっかけに人工知能に国の運命を任せることにしたんです。人工知能はベリエルグの国民が幸福になれるように知恵を絞り、彼らを導く。

 

―牛 権力欲のない共産党指導者みたいな物ですか?

 

T まあ、そんなところでしょう。ですがね。完璧に見える人工知能にも欠点があるんです。人工知能は正しい理由で間違っているんですよ。

 

―牛 どんな?

 

T 新エネルギー「マグナ」は国民の生活を豊かにしました。それは国民自体が実感しています。でも彼らは幸せではないんです。不幸ではないけれど幸せではない。マグナ鉱石を求めれば求めるほど、彼らの生活は息苦しく、つらいものになっていく。そして破壊的なシナリオへと向かい始める。

 

―牛 豊かな事と幸せは別物という考えですね。統計的にはアメリカや日本は経済力トップクラスなのに幸福度はそれほど高くない。(地球幸福度指数/wikipedia)もちろん紛争や権力争いで内政がガタガタなところも幸福度は低いけれど。

 

T それぞれ繋がりは無いそうですが、『割られよ、凍てついた王冠よ』は犬吠埼ナイン構想5番目の章作品となっています。全ての章作品を通じて、どうやったら人は幸せになれるかが問われているような気がしますね。

 

―牛 結局幸せとは?

 

T 私はLOVEと読みました。愛です。ALL YOU NEED IS LOVEなんですよ。男と女のLOVEじゃなくて、人類全体に差し伸べる広い範囲での愛。キリスト教のアガペー、仏教の慈悲みたいなもの。物語はヒロインへのLOVEでドライブしたようなところもありますが、最後には彼女以外へもLOVEの手が差し伸べられています。目指す所はハッピートゥゲザーなんですよ。

 

―牛 でもそれは人工知能が導く世界も同じではないでしょうか。そもそもは人間の欲が間違いを犯したから、人工知能に未来を委ねたわけでしょう?

 

T 人工知能に委ねるというのは責任の放棄なんですよ。そして、結局は正しい理由で再び破滅の道へとハンドルが切られてしまった。それなら行き先のハンドルを人間の側に戻して、間違いですら飲み込みながら幸せへ向けてドライブしていけという超人的な意志を感じましたね。

 

―牛 失敗を飲み込む度量の深さ。それが人間に持てるでしょうか。題名の凍てついた王冠が示すように、「七曜」のクーンはその気になれば、いつでも王になれた。心はある程度まで傾いていたと暗示されています。だけど結局は王にならなかった。それは国民の行き先を決める大きな責任から逃げていたからではありませんか。一人の人間が背負える物ではありません。能力のある彼はそれが見えていたからこそ、彼自身も人工知能に仕えていたのではないでしょうか。

 

T だからこそのLOVEです。一人の人間ではそれが無理でも、全員でそれを受け入れれば何とかなるかもしれない。エンドでは権力と責任を全員が持つということが暗に示されています。自分自身の幸せに責任を持てという、ある意味では厳しい物語なんですよ。

 

―牛 そうでしたか。Tさん、今日はありがとうございました。

 

T いえいえ、こちらこそ。また変わった本があれば持ってきます。

 

―牛 はい、おまちしております。それではみなさんさようなら。以上『割られよ、凍てついた王冠よ/犬吠埼一介』をTS・カウフィールドと牛野小雪が読む。でした。

 

(おしまい)



[DBR-NO-3] T・S・カウフィールドと牛野小雪『ブッダ ブッダ ブッダ!!!!!!/王木亡一朗』を読む

―牛野小雪(以下 牛) カウフィールドさん、今回はこんな本を持ってきました。王木亡一朗さんの『ブッダ ブッダ ブッダ!!!!!』です。(!の数は合っているだろうか)


 
 


―T・S・カウフィールド(以下
 T
 オシャレ表紙の人ですね。表紙まで作者が作っている物の中では彼がトップレベルではないでしょうか。

 

―牛 実は彼のブログから『ターンワールド』の表紙を作るときにアイデアを頂いたんですよ。鈴木成一さんの本を読んで少し研究しましてね。一から自分で作ったものとしてはあれが一番良い。

 

―T でもあの表紙と中身はあんまり関係無いような……

 

―牛 大きな方向でイメージは合っているから。それに既存の作家だって、ほとんどは表紙と中身が関係無い物ばかりじゃないですか。

 

―T う~ん、そんなことはないと思いますけど……。まあ、無いこともないかな。表紙と中身の作者が別というのが関係あるんでしょうね。そういう点で言えばKDPで表紙と中身のイメージが大きく乖離している本というのは少ない。表紙のイメージが中身に繋がっている物が多いから、表紙詐欺には遭った事がありません。『ブッダ ブッダ ブッダ!!!!!』はどうでしたか?

 

―牛 KDPの表紙は変わる事があるので一応断っておきますが、現時点の表紙(2015年5月2日現在)は、女子高生が両手を斜めに組んで、少し斜に立っています。佐江子の雰囲気もこんな感じでしょうか。





物語は大きく分けて佐江子(作中ではほとんど村橋表記)と麻由美(こちらもほとんどが平山表記)のバンドグループのラインがあります。佐江子はクラスメイトと馴染めないという問題があって、麻由美達には文化祭を直前に控えてボーカルの古都子という子がバンドを辞めてしまうという問題があるんです。

 

―T 私には先が読めましたよ。佐江子がそのバンドグループにボーカルとして入るんでしょう?

 

―牛 内容紹介見たら大体分かりますよ。

 

―T あっ……


―牛 
…………

―牛 私はカフカの『変身』という小説が変身した小説だと感じました。もちろん王木さんは『変身』を意識してはいないでしょうが。

 

―T ある日、主人公が虫に変身していたというあの小説ですね。

 

―牛 あの小説では主人公が虫に変身した後に、家族の間で動揺が起こって最後には家族みんなが精神的に変身するという話でした。『ブッダ ブッダ ブッダ!!!!!』は、それとは反対に変身しない話なんですよ。少なくとも真由美達は。

 

―T ほう、変身しない。

 

―牛 ボーカルの古都子がバンドを抜けるとなって、平山のグループでは当然動揺が走るんです。文化祭も直前に迫っていますしね。そこでバンドと友情の危機が訪れます。

 

―T そこに佐江子が入ってくると

 

―牛 そうです。その佐江子の方はというと、クラスメイトと壁があるんです。

 

―T いじめられているとか?

 

―牛 いや、そういうわけでもないですが、バカの壁があるんです。

 

―T 『バカの壁』ですか。養老孟司さんの本ですね。どうしたんですか、牛野さん。今日はやけに引用が多いですよ。

 

―牛 うん、執筆から離れていると自分の中から言葉が出てこないから。ごめんね。

 

―T バカの壁とはあれですね。オタクとリア充(←物心ついた頃からネット環境があった大学生の間ではリア充が死語になりつつあると聞いて戦慄している)で話が通じないみたいなこと。リア充にオタクの話を振っても、リア充の心には何の反応も無いし、その逆も然り。お互いに日本語は通じるけれどコミュニケーションがとれないというやつですね。でも、オタク→リア充の方向だとコミュニケーションがとれているような気はします。

 

―牛 いや、あれはリア充側にコミュ力(←これも廃れつつあるらしい。時の流れは恐ろしい! 最近は“輝いている”が同じ文脈で使われているそうだ)の貯金があるから成立しているように見えるだけで、一日中二人で一緒にいればディスコミュニケーションになるはずですよ。

 バカの壁に囲まれている佐江子はクラスメイトの話題をバカにしているんです。ベタな学園物なら「アンタ、うちらのことバカにしてるでしょ?」っていじめが始まりそうな展開ですね。そんな佐江子はクラスメイトの中にコミットできない。ディスコミットなんです。

 

―T 今度はライザップですか……。

 

―牛 そんな中で同じクラスの青山という女の子。これもクラスメイトとコミットできていない子がいるんですが、彼女と音楽を通じてコミットするんです。二人の間にはバカの壁がないんですね。

 

―T 音楽はバカの壁を越えるんですか。

 

―牛 音楽は世界共通語だと言いますけど、少なくとも私のバカの壁は越えませんでした。彼女達は私から見て壁の向こう側にいるんです。そして彼女達の間には無いか、あっても低いものでしかない。『ブッダ ブッダ ブッダ!!!!!』の中では会話中に色んなバンドの名前がよく出てくるのですが、私が思い出せる名前はビートルズだけなんです。つまり私がクラスメイトだったなら佐江子とはバカの壁が存在する。たぶん後に出てくる真由美達とも。お互いに、こいつ何言っているんだとなって、きっとコミットできない。

 

―T もうコミットはこりごりですよ。

 

―牛 平山達に話を戻すと、ボーカルの古都子が突然抜けたあとに、バンドの中にはポッカリと穴が開いてしまう。それを閉じるか、埋めるかで色々バンドの中で波風が起こるわけです。

 

―T その穴を佐江子が埋めると

 

―牛 そうです。その穴が埋まったことによって、麻由美達のバンドメンバーは内面変化しないんです。外側から見ればボーカルが佐江子→古都子に変わったけれど、内面は古都子のままでいるわけで、だからこそ古都子とも友達のままでいられた。

 

―T カフカの『変身』的に言うと、お兄ちゃんは虫に変身してしまったけれど、今度は新しいお兄ちゃんが代わりに来たから、私達は変わらずに暮らしていけるわ。という感じでしょうか。佐江子がちょっとかわいそうな気がします。(←なんで妹風なんだろう?)

 

―牛 うん、でも佐江子も佐江子でそこに入っていった理由がありますから、簡単に幸不幸を分けることはできない。一種の高揚はそこから得ているわけだし、彼女がこの先、真由美達と真にコミットできないわけでもない。

 

―T またコミットですか……。

 

―牛 もう最後だから。『ブッダ ブッダ ブッダ!!!!!』はですね。カフカの『変身』の変身的小説だったんです。麻由美達のバンドが家の役割をしていて、佐江子と古都子が虫の役割をしているんです。佐江子は結局虫から蝶になれたのは良いけれど着地点は見えてこない。そんなふわふわした心許なさが残る青春小説の趣がありました。

 

―T 牛野さん、今日はありがとうございました。

 

―牛 いえいえ、こちらこそ。また面白い本がありましたら持ってきます。それでは、みなさんさようなら。以上、TS・カウフィールドと牛野小雪『ブッダ ブッダブッダ!!!!!』を読む。でした。

 

(おしまい)


 

補記:後で調べるとコミット(commit)とは約束・委託するという意味合いが強い。全くの間違いではないが、私は繋がる・直結するという意味にとっていた。ライザップ→素敵ボディみたいな。周りの人もやはりそう思っていたようで、この事実を教えるとみんな軽く驚いていた。あのCMは字面だけを見れば「ライザップに行けば素敵ボディになれるんだ、YEAH!」という意味ではなく「我々はあなたに素敵ボディをお約束します」という意味なのだが、ここは勘違いのまま書いておくことにした。もしかすると、将来和製英語的にはそういう意味になるかもしれないから。(2015年5月3日 牛野小雪 記)


[DBR-NO-4] T・S・カウフィールドと牛野小雪『奇跡の微笑みは、いつものフードコートから。/高橋熱』を読む。


 
―牛野小雪(以下 牛野) 今日はTさんと高橋熱さんの『奇跡の微笑みは、いつものフードコートから。』を読みました。内容は『結婚記念日』と表題作の『奇跡の微笑みは、いつものフードコートから。』付録として『潜る妻』の三篇ですね。どれも短篇です。

 

―T・S・カウフィールド(以下 T) 私は最初の『結婚記念日』を読んで、これは絶対に牛野さんの役目だと思いました。なにせ永遠の愛という文言出てきますから。『真論君の猫』で虚頓君達にこの事について語らせていましたよね。

 

―牛野 いや、あれは物語の中の話だから。でも通じるところはありますね。『結婚記念日』は結婚してから二十年経った夫婦に「二十周年記念サプライズツアー」の案内が来るところから始まります。まあ、ありがちな話で夫婦の仲はうまくいっていないと。

 

―T 物語の大きな方向性としては夫婦の絆を元に戻そうとするですね。

 

―牛野 それもありがちですね。でも最後にある事が起きるというのがこの物語の結末です。

 

―T あ、終わってしまった。

 

―牛野 まあ、短篇だからあんまり語るとやりすぎてしまいますから。この話で私が語りたいのは、最初にTさんがおっしゃられたように永遠の愛についてですね。

 

―T 来ますか

 

―牛野 俗にいう結婚式で誓うのは永遠の愛ですよね。いつまでも変わらずにあなたを愛し続けますという。

 

―T そこでNOなんて言ったら修羅場ですよ。

 

―牛野 でもいつまでも変わらずになんて無理なんですよ。一年前の私と今の自分が違う様に、この世の物は全て変化していく。物質的にも精神的にも。精神的には確かめようはないですけれど、見た目は確実に変わります。これは人類の歴史が何年も確かめてきた科学的事実です。という事はある時点で誰かに対して永遠に愛し続けると誓った場合、その瞬間から相手の事を徐々に嫌いになっていかなければならないわけです。

 

―T 永遠不変の愛を誓うには、その対象が永遠不変でなければならない。

 

―牛野 でもそんなことは無理ですよ。年は取りたくなくても取ってしまう。永遠の愛を誓った相手も変わってしまう。変化したぶん相手を嫌いにならなければならない。でもそれだと同居している夫婦は関係が悪くなってしまう。それを打破するには浮気することなんですよ。

 

―T それこそ修羅場ですよ。下手したら刃傷沙汰じゃないですか。

 

―牛野 いや、変わった相手に浮気するんです。永遠の愛情を誓った相手は変わった。ついでにいうと自分も変わった。ならその誓いは反故にして、変化した相手に浮気するしかない。それなら矛盾は存在しない。愛は愛のままじゃいられず、いつか形を変えるんですよ

 

―T あれっ、何か変だな。牛野さん。もしかしてそれって何かからの引用ですか。

 

―牛野 うん、GLAYの『pure soul』のサビ。愛は愛のままじゃいられず/いつか形を変えるだろう からです

―T それじゃあ、あの結末はある意味納得のいく終わり方ですか。

 

―牛野 むしろそうでしかありえない。腑に落ちた感じです。あのまま二人が日常に戻るなんてありえないですから。永遠に変わらない愛情を通すにはあれしか方法がないんじゃないかな。

 

 

―T 次は表題作の『奇跡の微笑みは、いつものフードコートから』です。牛野さんは主人公の私(一度だけ葛城まひろと名前が出てくる)みたいな女性はどうですか。旦那がいない間に出会い系で浮気を繰り返すというね。

 

―牛野 うん、正直好きになれなかった。最初から嫌な女だと思って読んでいました。できれば係わり合いになりたくない。旦那さんがかわいそうですよ。

 

―T 実は私もです。最後まで読んでから、これは嫌悪感を高めるためにやっているのではないかと感じました、それも無意識に。

 

―牛野 無意識にですか。

 

―T 罪に対して罰を与えるというのを正義と定義するならば、人間というのは正義を執行したい欲が潜在的にあるように思うんです。三大欲求に加えても良いぐらいに。ネットでも何か不祥事が起こったら凄い炎上して叩かれるでしょう。あれは人間の欲望を刺激する一種のエンターテイメントだからなんですよ。

 

―牛野 直接手を下さなくても見て楽しんでいる人もいますしね。ネットだけじゃなくてニュースでもその気がある。

 

T 主人公は自分だけが知っているある罪を持っていましたが、全然裁かれていないじゃないですか。

 

―牛野 まあ、罰を与える人がいませんからね。バレていなければそうなるでしょう。

 

―T でもそれじゃ納得がいかないんですよ。自分が。罪に対して罰がないと欲求不満になるんです。

 

―牛野 その対象が自分でもですか?

 

―T 人間は家畜だ。群れの中で生まれ、群れの中で刈られていく哀れな存在。お互いがお互いに管理し合い、自分で自分に鞭くれる従順な子羊。ここでは進んで己の肉を捧げる者が群れの栄光を勝ち取る。群れからの逸脱者は生存することを許されない。群れ自身が彼等の牢獄なのだ。

 

―牛野 ……それってどこからの引用です?

 

―T ふふふ、さあどうだか秘密です。でも、ですよ。罪と罰は人間の中に内在化しているんです。

 

―牛野 最近はそれが無いっていう人が話題になっていますが。

 

―T サイコパスでしょう。でも人口で見れば数パーセントのマイノリティでしかない。結局主人公の私は普通の人間で、罪に対して罰を必要としているんです。

 

―牛野 それじゃあクライマックスは罰ですか。

 

―T そうかも。でも納得はいったんじゃないかな。不幸を避けても幸せになれるとは限らない。不幸の反対は不幸じゃないで、幸せの反対は幸せじゃない。不幸を避けるために彼女はある罪を犯したのですが、その罰を受けて不幸になった。でもそこから幸せにはなったんじゃないかな。スマイルも出てくるし、ある意味じゃハッピーエンド?

 

―牛野 うん、でも、もやもやしたなぁ。だって旦那さんがかわいそうじゃないですか。男からすると最悪の結末ですよ。

 

―T それが人類の業ですよ。

 

 

―牛野 最後に超短篇の『潜る妻』です。

 

―T どうぞ。

 

―牛野 ある日妻がフローリングの床に潜るという話ですね。まあ、現実にはありえない話なんですが寓話的な物語です。夫は床に潜る妻の気持ちが分からない。二人の間には固い床の海が遮っている。夫は彼女の気持ちを知るために自分も床に潜ろうとするが、どうやって床に潜るのか分からない。どこかにその穴はあるはずだが、その穴は見つからない。そうこうしている間に妻は家を出て行ってしまう。

 

―T 夫が妻の心に入っていけないというやつですね。

 

―牛野 まあ、でも私は潜れないのなら潜らない方が良いという考えですね。妻の心の海に潜ってみたところで、その中にいるのは妻でもなく、鶴でもなく、大きなクジラかもしれない。下手をするとバクリと飲み込まれて一巻の終わり。命綱無しに潜るのは危険な行為ですよ。海の中に何がいるか海面を探ってみるという選択肢が必要なんじゃないかな。

 

―T 妻はどこへ行ってしまったのでしょうか?

 

―牛野 たぶん月に帰ったんじゃないかな。

 

T んな、アホな。

 

―牛野 それか顔が見えないホテルの一室か。

 

―T 今日は村上春樹ですか。でも猫は出てきませんよ。

 

―牛野 ギイイイッー。

 

T (アカン。この人ねじまき鳥になっとる。ここはワイがなんとかせな……)それではみなさん。以上、TS・カウフィールドと牛野小雪『奇跡の微笑みは、いつものフードコートから。』を読む、でした。

 
ー牛野 ギイイイッー。

(おしまい)

[DBR-NO-5] T・S・カウフィールドと牛野小雪『悪兄!!/砂鐘大河』を読む

 

 

―牛野小雪(以下 牛野) 今日はTS・カウフィールドさんと『悪兄!!』を読んだ話をしようと思っているんだな。

 

TS・カウフィールド(以下 T) 今日は最初から変ですよ。

 

―牛野 僕は最近アメリカ文学にどっぷり浸かっている。どこかでそんな話をした気がするんだけど、どこだったか思い出せないんだな。

 

T 先週の土曜日でしょう。もう忘れたんですか。→牛野小雪、アメリカ文学にかぶれる

 

―牛野 ああ、そうだった。でも書いたのはもうちょっと前だから……。とにかく僕は今アメリカに嵌っているんだ。今日はずっとこの調子でいくよ。ことによるとずっとこのままかもしれない。

 

T 何だかやりにくいなあ。

 

―牛野 そろそろ『悪兄!!』の話をしようかな。まず龍之介って奴がいるんだけど、彼はファックされ続けた人生を送ってきたんだな。親やクラスメイト、色んな奴等にファックされてきたんだけど、奴は自分のママにさえファックできないから、とうとう最低のマザーファッカーに成り下がったんだ。最低な奴だよ。

 

T ええっと……(いきなりロックっぽくなったな)。育児放棄&貧困の環境で育った彼は甘えられる人がいないから、その恨みの捌け口に不良になったというわけですね。後に彼は不良の上位互換であるヤクザになるわけだけど。

 

―牛野 そう。でも奴がファックするのは決まってマザーファッカー共に対してだけだなんだな。その捌け口は決して自分をファックした奴等には向かないんだ。

 

T ああ、そう言われてみればそうですね。彼がヤクザになった後もその前も育児放棄した親や自分をからかったクラスメイトに仕返ししたという描写は無かったですね。最初にケンカをしたってのがありますが。

 

―牛野 そう、奴は自分がマザーファッカーということが本当には分っているんだけど、それを認められないチキン野郎なのさ。やっている事は自分をファックした野郎共と変わりやしない。やり方が激しく、そして下品になっただけなんだ。奴はとにかくファックしたいんだが、本当のところで奴はそうしなきゃ自分で自分をファックする野郎なんだと俺はにらんでいる。怒りの矛先が無くなればセルフファックするに違いないね。

 

T 最初は自分でも自分自身を傷つけていたわけだけど、途中でそのベクトルが変わって外に向いたということですね。彼も最初から不良だったわけじゃない。

 

―牛野 まあ、そんなところかな。ところで“人”って字を知っているかい?

 

T それぐらい知っていますよ。小学生だって書けます。辞典的には人が体を曲げている形であり、金八先生的に言えば人と人とが支えあう形ってことでしょう。

 

―牛野 そう、僕は金八先生的“人”の話をしたかったんだな。

 

T (あっ、戻ってる。キャラを統一して欲しいなぁ……)

 

―牛野 人って言う字は支え合っているというわけだけど、よくよく見ていると二画目が一画目を支えているんだな。一画目は二画目の重石になっているだけで。

 

T 何だか中二病みたいなことを言いますね。

 

―牛野 でも、それはこの世の真実なんだな。例えばAさんとBさんがいるとするだろう? そうすると二人の関係はAさんをBさんが支えっ放し(もちろんその逆でも良いけれど)ということは珍しくないんだな。表面上は平等に見えても、実質はどちらかがもう片方を支えている。どこを見てもそんな関係ばかりなんだな。

 

T う~ん、ちょっと分りにくいかも。

 

―牛野 これは話を単純化して人数を二人にしているけれど、あるひとりの人間が立つにはその人分の支えが必要ってことなんだ、肉体的にも精神的にも。社会学的に言えば社会的資本ってやつかな。

 

T でもその図だと、A(二画目)さんはB(一画目)さんがいなければ重石が取れていいんじゃないかな。Aさんは倒れてしまうけれど。

 

―牛野 それはこの世の七不思議で、もし仮にAさんがBさんを支えなくなるとBさんがバタンと倒れてしまう。だけど、実はBさんはCさんを支えていて、そのCさんが倒れるとCさんが支えていたDさんが倒れ、Dさんが倒れるとDさんが支えていたEさんが倒れ……と連鎖していって結局Aさんを支えていたZさんが倒れてしまうということがあるんだな。

 

T 風が吹けば桶屋が儲かる的な、企業の連鎖倒産みたいな感じですね。

 

―牛野 もちろんこの話は単純化しているから、その支えは過去から継承されたものであったり、現時点に話を限定しても一人が一人を支えていたりするわけではないから、この喩え通りに話が進むとは限らないけれど、大きな方向ではこの通りになると思うんだな。誰かが誰かを支える事をやめたら、結局誰も立っていられなくなる。過去からの支えを継承されていた人も、その人が死ねばもう終わり。

 

T 結局その支えとは何ですか?

 

―牛野 一言で言うとそれは愛。LOVEだよ。あとがきで燕という少女が主人公だと書いてあって実は驚いているんだ。僕は龍之介の物語だと思っていたからね。

 

T 何度も視点が変わるから龍之介が主人公としても良い気はしますけどね。

 

―牛野 龍之介はヤクザの龍道&秦太郎のLOVEを受けているから『暴れ龍 二代目』というとして立っていけるんだな。そして今度は、そのLOVEを妹の燕に与えるっていう話なんだ。

 

T 愛の横流しですね。ヤクザみたいな言い方ですが。

 

―牛野 LOVEはいつだって一方通行で、双方向なんて幻想なんだ。必ず龍道&秦太郎→龍之介→燕という方向に進んでいる。でもこれはLOVEだけじゃなくてFUCKでも同じで、親・クラスメイト→龍之介→クソッタレ共の方向でFUCKの連鎖が続いているんだ。

 

T ということは『悪兄!!』はLOVEFUCKの物語なんですね。

 

―牛野 うん、砂鐘さんは今続編の二巻目を出していて、三巻目も出すかもしれないから一応言及しておくけれど、妹の燕が一番ヤバイと僕は思うんだな。

 

T あの中では一番まともな役柄に見えますけどね。ツッコミ役というか。

 

―牛野 いや、それがおかしいんだな。彼女も龍之介ほどではないにしてもFUCKな人生を送っているわけだ。でも、まだ誰もFUCKしていない。きっと燕のタン壷にはFUCKの濁流がとぐろを巻いているはずなんだ。今はそれを抑えているだけで。

 

T 龍之介のLOVEじゃ燕のFUCKを消す事はできない?

 

―牛野 そうじゃないんだな。愛憎という言葉があるようにLOVEFUCKは別物で、受け取ったFUCKは必ず誰かに吐き出さなきゃならないんだ。だから彼女はいつかどこかで誰かにFUCKをぶつけるだろうね。もちろん初期の龍之介の様にセルフファックする可能性もあるんだけれど、僕はそう思う。その相手は甘えられる相手でしかありえないし、それは龍之介なんじゃないかなと僕は密かに予想しているんだ。

 

T まぁ、この先新しい登場人物が出てくる可能性もあるので一概には言えませんけどね。

 

―牛野 まぁ、こんなところかな。カウフィールドさん、今日もありがとうございました。以上TS・カウフィールドと牛野小雪『悪兄!!/砂鐘大河』を読む、でした。

 

(おしまい)


合わせて視聴したい


 『8mile』の寸評 エミネムの自伝的映画と言われている。放映される前は制作費が回収できれば御の字と予想されていた。彼はラッパーなので簡単に比較はできないが、エミネムはジャニーズと毒舌芸人(それもドキツいやつ)を合わせたアイドルみたいな存在だったらしい。でも超がつくほど大ヒットした。エミネムを知ったのはこの映画からという人も多いんじゃないかな。
 8mileの主人公ラビットには初めからフューチャーが付いていて、『悪兄!!』における龍道&秦太郎の役割をしている。映画の最後にラビットはオーディエンスから大量のリスペクトを受け取り、フューチャー達から離れていく。エンディング曲の『lose yourself』で俺の人生には映画と違ってMekhi Phifer(読みはメキ・ファイファー。8mileでフューチャーの役をしている人)はいないと歌っているが、エミネムにはドクター・ドレがいたことを忘れてはいけない。彼にだってMekhi Phiferのような人がいたからこそスーパースターのフューチャーを掴めたのだ。あのエミネムでさえ誰かの支えが必要だったことを僕達は肝に銘じなければならない、と思うんだな。



[DBR-NO-6] T・S・カウフィールドは牛野小雪と『奇書 狂狂まわる/月狂四郎』を読もうとしておかしくなった。

 

TS・カウフィールド(以下 T) コトコト煮込むぽんこつ滝で水炊き炊く炊飯器ンキンコンコンキンコンカン、ズンズン寸胴ズンドコドン、トコトコトロッコ苫小牧マイカブリボガブリンチョ、スットコドッコイおとといきやがれレールの上にレースカーテンまたのあいだにねこからすぅぅぅ

 

―牛野小雪(以下 牛野) なんということだ。『狂狂まわる』を読んでからカウフィールドさんが精神に異常をきたしてしまった。おのれアマゾンめ、こんな物をパブリックな場所に放置するとは一体何をしようというのか……。このままでは世界が名状しがたい透明な狂気に染められてしまうぞ。

 

T うあああああああああああああああああああ!

 

―牛野 カウフィールドさん、落ち着いてください!

 

T …………

 

―牛野 はっ! こいつ……立ったまま気を失っている!?

 

―牛野 …………カウフィールドさんが静かになったので、そろそろ始めようかと思います。今日は『奇書 狂狂まわる』のお話。この本は本当に恐ろしい。真面目な方は読んではいけません。最初は異世界に迷い込むファンタジーかと思えば、いつの間にか狂気の沼に足を踏み込んでいるという恐ろしい本です。私は途中でその狂気に気付きましたが、カウフィールドさんは完全に囚われてしまいました。彼は今、名状しがたい透明な狂気と孤独に戦っている最中です。いつ出られるか私にも分かりません。だから今日は彼無しでやっておこうと思います。

 話の流れとしては執筆活動している米良象馬(めらぞうま)の話と、気付けば異世界に立っていた「あたし」の話が平行して進みますが、しかし、まともに読んではいけません。このふたつの世界隔てる境界線はぺ、ぺ、ぺ、ペリと剥がれてしまうのだから。

 

―牛野 現実とファンタジーの世界が融合するということですか?

 

―牛野 まぁ簡単に言えばそうなんですが、これってね。小説の外でも当てはまるんじゃないかと思うんです。つまり我々が今見ている世界はファンタジーで、ファンタジーが現実であったとしてもおかしくはない。事実、我々は現実が見えていると思っている。でもそれは間違いなんです。見るもの、聞くもの、全てが脳内で翻訳された世界なのだから。

 

―牛野 デカルトみたいなことを言いますね。じゃあどうすれば現実を見ることができますか?

 

―牛野 どうやって真実の実像をどうすれば捉えられるかは分かりませんが、虚像を見ていることは簡単に気付くことはできますよ、ほんのちょっとだけ。

 

―牛野 ほう、どうやって。

 

―牛野 私達は今見えている物は実際に見えていると思っている。でもそれは間違いなんです。生物というのはできるだけ省エネで済まそうとしていますから、必要のない部分は適当に済ませているところがある。一番分かりやすいのは目ですよ。眼球には錐体という光を感じる部分がびっしりと詰まっているのですが、色を感じる錐体というのは目の中心にしかないんです。

 

―牛野 ということは視界の中心でしか色を捉えていないということですか?

 

―牛野 でも視界の端までしっかり色が見えているでしょう?

 

―牛野 はい

 

―牛野 それ虚色ですよ。脳がそこにあると見せかけているだけです。

 

―牛野 ええっ、でもなんでそんなことが分かるんですか。

 

―牛野 科学的事実です。視界の端で色が見えるはずがないのだから。試しに赤と黒のペンを持ってみてください。どちらが赤でどちらが黒か分かるように。……持ちましたか?


―牛野 はい

 

―牛野 それじゃあペンを持っていない方の手を少し離して、人差し指を立ててください。その指先をじっと見るんです。見ていますね? それじゃあ次は視界の端から黒いペンが視界の端に来るまでゆっくり持ってきてください。ペンの姿が見えたら手を止めてくださいね。視線は指先に集中したまま、焦点を動かさないで。

 

―牛野 来ました。

 

―牛野 色は?

 

―牛野 黒です。

 

―牛野 顔を向けてちゃんと見てください。

 

―牛野 黒。

 

―牛野 それじゃあ、ここからがマジック。今度は赤のペンに持ち替えてください。視界の外でですよ。いいですか。さっきと同じように指先をじっと見ながら、ゆっくりそのペンを視界の端まで持ってきてください。

 

―牛野 あれっ、黒だ。

 

―牛野 確かめてもいいですよ。

 

―牛野 赤になった! なんで?

 

―牛野 まだまだ、視界の端で黒に持ち替えて同じようにしてみてください。

 

―牛野 あっ、今度は赤。……でも、黒だ。不思議ですね。

 

―牛野 色んな色で試してみると面白いですよ。

色は時間の制約がないから確かめやすいですが、実際には私達が見ている視覚や聴覚もだいぶサボっています。さっきそこにあったから、今もそこにあると見えている。もしくは今までこう言っていただろうから、今もこう言っているとか。その点ロボットなんかは真面目に全部見聞きしようとしているから、大変なことになっていますよ。それで言えば現実を見ろよなんて言っている人だって、実は現実が見えていないんです。ほとんど自分の脳で勝手に創造しているだけで。

 

―牛野 もしかすると私達は夢の中にいるのかもしれませんね。

 

―牛野 我思うゆえに我あり。この世で確かめられるのは自分の意識だけで、他は全部疑える。私達は今こうやって話していますが、本当にこの世に存在しているのは私だけかもしれない。

 

―牛野 まさか私はちゃんとここにいますよ。牛野さんだってそこにいます。でも世間一般でいう異常者は案外この世の真実が見えていて、私達が歪んでいるのかもしれませんね。『狂狂まわる』では主人公が歪んだ世界を見ていたわけですが。

 

―牛野 だから真面目に読んではいけないんです。今生きているこの世界が真実かどうかを本気で考え始めたら透明の狂気に囚われてしまいますからね。

 

―牛野 カウフィールドさんはそれに囚われてしまったと。

 

―牛野 ええ、残念ながら。というわけで今日はこれで終わりです。牛野さん、今日はありがとうございました。以上、TS・カウフィールドは牛野小雪と『奇書 狂狂まわる/月狂四郎』を読もうとしておかしくなった。でした。

 

T きじとらねとらるとらぶるあらぶるはちわれわれはちころす、ころころきみころほつまのほん、ねこくうくうねこまたたびたびのそらかけるからはすねこからす、ねこころすねこからす、からすのかぁはかかあのかあさん、さんさんくどのくどのねつ、くるったくるみくったらくどい、ふぅだにふぅだにたべるさぁべる、わるくちわるとわるいくち……

 

―牛野 (こいつ……もうだめだな。はやく病院に連れて行かないと……)

 

 

(おしまい)

 
月狂さんの小説が気になる方はこちら(リストは長くなるので省略させていただきました。すみません(>_<))

アマゾンにおける月狂さんのページ

脳のことが気になるなら池谷裕二さんが質量共に充実していて、文章も読みやすい。


合わせて読みたい

『思春期病棟の少女たち』の寸評 映画『17歳のカルテ』の原作。私達のすぐ隣にある別世界をしっとりした文章で書き綴っている。私小説っぽいが小説ではないらしい。精神病棟の少女達は彼女達なりの世界を見て生きているように描かれていた。でも私達だってそうなのでは? たまたま他人と共有できる世界を見ているだけで、本当は異常こそ正常なのかもしれない。もしこの世の人間がランダムに生成されるなら(私はそうだと思い込んでいるよ)、そこには中央値ができるはずで、そこには世間一般でいう普通が存在するはずだと私なんかは考えた。この世には真実の意味で正気と狂気の違いなど無く、あるのは一千のの狂気かもしれない (byディスティ・ノヴァ)。この世には自分こそがノーマルだと信じているモンスターが闊歩している。少数派のモンスターがうまくやっていけないのは力学的必然だ。数は力だよ兄貴!!

 

 


[DBR-NO-7] S・T・コールフィールドに『キミのココロについてボクが知っている二、三の事柄/藤崎ほつま』を読ませようとする牛野小雪。~ふたりは初めから100%~

―牛野小雪(以下 ショーン) コーフィー。わざわざダラスから来てくれたんだね。ありがとう。

 

ST・コールフィールド(以下 コーフィー) なに、飛行機ならひとっ飛びだよ。西側へ行くなら時差もつらくないし、途中でLA やハワイにも寄ったし、なかなか悪くなかった。それにしても久しぶりだね、ショーン。元気だったかい?

 

―ショーン この前カウフィーと一緒に黄色の救急車に乗せられて、白い巨塔に閉じ込められていたんだけど、一昨日やっと出てこられたよ。

 

―コーフィー カウフィーはまだ出てこられらないのかい?

 

―ショーン うん、まだ壁に向かって変な事ばっかり言ってる。

 

―コーフィー ミスターシローの奇怪な本を読んだって聞いたけど、そんなにクレイジーな本なのか?

 

―ショーン 凄くヤバイよ。君も読んでみる?

 

―コーフィー そんな本なら俺はパス。どこか見えないところにしまってくれ。

 

―ショーン 分かった。じゃあ別のヤバイ本を紹介するよ。『キミのココロについてボクが知っている二、三の事柄』略してキミコロ。ミスターホツマの本だ。

 

―コーフィー これもクレイジーになってしまうような本かい?

 

―ショーン いや、心配しなくてもそんな本じゃない。まっとうな本さ。新城と市原ってボーイ二人が出てくる話なんだ。で、早速あらすじを言えば新城の方は市原の心が読めるんだな。秘密でもなんでもなく、冒頭でいきなりそれが明かされる。

 

―コーフィー なんだか、あやしくなってきたぞ。市原は気が狂ったりしないのか? 

 

―ショーン まぁ、新城ってのはいけ好かない奴だが悪人じゃないからね。そのことについては追々話すよ。でも、キミの着眼点は良いかもしれない。実はこのキミコロは長編だが、読みきりではなく続きがあるらしい。だからそういう話もあるかもしれない。

 

―コーフィー ふ~ん。まぁ続けてくれ

 

―ショーン 新城は心を読めるわけだが、市原の側は心を読めない。一方的に心を読まれているわけだ。それにこれは能力ではなくて、聴力みたいな生理的な現象で、新城は心を読みたくなくても勝手に読んでしまう。

 

―コーフィー それは心の声を、ってこと?

 

―ショーン いや、全部。痛みなどの触覚、視覚イメージ、聴覚、それに思考。嗅覚はあたかどうか思い出せないが、たぶんそうじゃないかな。あと味覚も。ちなみに心を読むといっても、それは市原が頭に思い浮かべたことだけで、無意識の部分にまでは踏み込めないってのもあるらしい。

 

―コーフィー クレイジーな話になってきたぞ。で、二人はどうなるんだ。知ってはいけない事を知られて、市原が新城を殺そうとする話なのか?

 

―ショーン そういう話ではないが、まぁ、ゆっくり聞いていきなよ。新城ってのはクラスの人気者で、いつも誰かに囲まれている。でも彼の悩みは世界中の誰もが人形なのではないかってことなんだ。作中では中国人の箱問題で喩えられているように、今自分がこうやって話している相手は心があるように見えるけれど、実際は外界の反応に対して、ある法則に則って動いているのではないかと。実際に彼はそれを試すかのように人と接して人気者になっているわけだ。なまじ彼はルックスも良く能力もあったから、実験は成功、人気者になってしまい、余計に悩みを深めてしまう。

 

―コーフィー いけ好かない野郎だね。

 

―ショーン うん。でも、悩める奴なのさ。もしかするとこの世には自分しかいないんじゃないかってね。女にモテるイケメンじゃなかったら好きになったかもしれない。さて、そこで市原の登場。偶然にも彼の心の声が聞こえるようになってしまうんだが、それでやっと新城の悩みはある意味解決。この世に自分は一人ではないんだと確認できるんだな。

 

―コーフィー 新城ばかりが得しているような気もするけどね。

 

―ショーン いや、実は市原もある意味では救われているんだ。彼はある時期を境に自分の気持ちを閉ざしてしまうんだが、気持ちが無くなったわけではない。それは彼の中でどんどん蓄積されているんだ。でもそれは新城が彼の心を知っていると分かった日から漏出してしまい、誰にも出せなかった自分の気持ちは外へ漏れていることを知るわけだ。

 

―コーフィー で、秘密を知られた新城を殺そうとするわけだ。

 

―ショーン 君は何でもそれだね。すぐに人を殺したがる。血と爆薬が出てくれば何でもいいと思ってるんだから。でもまぁ、殺人事件は起こるから心配しなくてもいいよ。内容紹介にもちゃんと書いてある。死ぬのは新城じゃないけどね。

 

―コーフィー 分かったぞ。新城が市原を殺すんだ。市原が新城を殺そうとして、それを返り討ちにするというプロットなんだろう?

 

―ショーン それもブー。間違いだ。まぁ、キミなら分かっているだろうけど。僕はその部分には触れないよ。ボクが思うに、新城と市原は二人で一つの人格としてみれば面白いと思ったな。思春期の心情なんだよ。誰にも分かってもらえない気持ち。誰も分からないという気持ち。どっちもあるだろう?

 

―コーフィー ボクは今でもキミの気持ちが分からないな。

 

―ショーン ボクだって分からないさ。でも0か100じゃなくて、その間があると考えればある程度は気持ちが分かり合っていると思うんだけど。どう? ティーンの頃は何でも極端で、0か100か、YESNOかのオール・オア・ナッシングで考えていたじゃないか。

 

―コーフィー そうだったかな

 

―ショーン この二人は疑問の余地無く100%なんだ。新城の側は100%市原の事が分かる。市原は100%自分の気持ちを分かってもらえる。ある意味最悪で、ある意味で最高の関係なんだ。

 

―コーフィー どうして?

 

―ショーン コミュニケーションはフィードバック、つまり反応を必要とするんだ。どんなにおしゃべりでも壁に話しか…………おっと、そういえばカウフィーはまだ壁に話しかけていたっけ。……でもまぁ頭がクレイジーじゃなければ壁に話しかけるやつはいないわけだ。壁にフィードバック機能はないからね。市原は心の中に色々抱えていたわけだけど、それは外に漏れていた。でもだからといってそれでどうにかなるわけではないんだな。新城がそれを知っていると市原が知らない限りはコミュニケーションが成立した事にはならない。また、新城の方でも、それを市原から確かめない限り100%のコミュニケーションにはならない。言うだけでも聞くだけでも駄目なんだ。

 

―コーフィー その話を聞くと最初から100%だったみたいだね。

 

―ショーン そうさ。二人は初めから100%のコミュニケーションをしている。おかげで市原は心に溜め込むことはできなくなったし、新城は彼から心を補給している。

 

―コーフィー 心を補給?

 

―ショーン 市原はイドなんだ。新城は超凄いスーパーエゴで、自分のイドを押しつぶしている。それで彼はある意味では成功して、ある意味では苦しんでいる。新城のイド、つまり衝動は消えたわけではない。消せるものでもないしね。彼自身が自分のスーパーエゴに苦しんでいる。心の補給をした彼は一体どうなるのだろう? 話はある場所でエンドマークを打たれたが、完全に終わった雰囲気ではない。それは続編が出れば明らかになるんじゃないかな(ならなかったらどうしよう……)。

 

―コーフィー 君は新城が主人公だと言いたいのかい?

 

―ショーン さあね。市原だって、強力なスーパーエゴは存在していて、イドを押しつぶしている。青春小説でいう葛藤問題は決着していないんだ。最後まで読んだがまだまだ書いてやろうって雰囲気がある。二人は繋がっているから、どちらかが成長するか落ちぶれたときに、もう片方にも何かが起きるのは間違いないね。そうそう面白いのは新城も市原も自分に対しては強力なスーパーエゴを見せるのに、相手に対してはそれを出さないというのがあった。読むときは気にして読むといい。それが無かったからお互いに気が狂わなかったのかもね。

 

―コーフィー ああ、確かに新城の側でも気が狂うかもしれないな、他人の考えが勝手に頭に入ってきたら、舞台がダラスなら、頭を撃ち抜いてしまうかもしれない。なかなかヤバイやつかもな。そのミスターホツマってやつは。

 

―ショーン ああ、ケツに穴が空くぐらいヤバイ奴だから読んでおいた方がいい。何をしでかすか分からないから。これからも目を離さない方が良いだろうね。

 

(おしまい)



【小雪の読者メモ no.1】『妄想する子供たち/広橋悠』~無限に繰り返される幻、この夢は美しすぎるのか

 KDP 三大奇書、その一角を成す広橋悠著の『妄想する子供たち』を読んだ。S・T・コールフィールドとエロ橋についてうんぬんやるつもりだったが、度を越さずにやる自信がなかったので、たまにはこうやって書くことにした。

  結論からいうとこの小説の登場人物は統子ただひとりである。主人公を含め、全員が彼女の妄想だ。作中では、彼女が68歳の時に6人の子供を生んだとあるが、とうてい子供を生める年齢ではない。主人公が信じられないと考えているように、それは彼女の妄想である。真の題名は『子供たちを妄想する統子』としてもいいぐらいだ。

 彼女は肉体的にではなく精神的に6人の子供たちを産み落とした。というよりは6つに分かれたのだろう(統子自身を含めれば7人)。統子以外でもう一人だけ妄想でないと思えるのは主人公の父親であり、分裂のきっかけは彼との別れがあったからではないか(彼こそが統子の父親かもしれない)。たぶん統子と彼は一緒に暮らしていて、何らかの理由で彼は死んだか、いなくなった。その孤独に耐えられなくなり、統子は子供たちを産み出したのだ。

 主人公の健一郎がこの物語の裏で何をしているのかといえば、統子の妄想を消していくことである。彼は統子の正気の象徴であり、彼女を現実に引き戻そうとするメタファーだ。子供たちは妄想の破壊者である彼が城に入ることを最初は拒んでいた。(主人公を含む)彼等は妄想の世界でしか生きられないのだから。

 統子の妄想を守るために健一郎は色んな誘惑や障害に遭う。だが、彼は徐々に妄想の美しいベールを剥いでいく。古城の子供たちはどんどん死んでいき、それに合わせて静けさと美しさに満ちた城も荒廃していく。だがそれは統子が生きている世界の客観的事実なのだ。 

 最後の最後で統子は荒廃した城を燃やしてしまう。主人公はそこから脱出するのだが、ふたたび城に戻ってくる。彼は炎に焼かれて死ぬだろう。その代わり荒廃した真実はふたたび妄想の美しいベールに覆われ、死んだ子供たちは甦り、子供たちの晩餐は続けられる。統子はふたたび古城の中で孤独に妄想と暮らし続けるのだ。

 これが初めてではないだろう。子供たちは健一郎のことを覚えていた。彼等はこれまでに何度も死んでいて、最後は健一郎の死によって甦っている。だから結局は健一郎を城に迎え入れるのだ。子供たちの死と再生の物語は統子が死ぬまで繰り返されるだろう。


(おしまい)


[DBR-NO.8]S・T・コールフィールドに『山彦/ヤマダマコト』の事を語る牛野小雪



kindleストア:ヤマダマコト『山彦』



S・T・コールフィールド(以下コーフィー) ショーン、レビュー(REVIEW)って単語はそれぞれある単語の頭文字をあらわしているんだ。知ってたか?

 

牛野小雪(以下ショーン) いや、知らない。レビューって略語だったの?

 

コーフィー ジャパニーズの君は知らなくて当然か。どんな略語か教えてあげるよ。R、E、VはReaction、Emotion、Vivration(反響、興奮、震え)の頭文字で、Iはinteresting!(おもしろい!)。EとWはExcellent!Wonder!(スゴイ!ヤバイ!)だ。

 

ショーン へえ、知らなかったなぁ

 

コーフィー みんなにも教えておいてくれよな、HAHAHA!

 

ショーン OK、分かった。(-_-).oO(次はT・S・カウフィールドと牛野小雪の対談書評[=Dialogue Book Review by T・S・Cowfield and USHINO・syousetsu]について教えてもらおうかな?)

 



コーフィー ところで、ショーン。今日はどんなヤバイやつを教えてくれるんだ?

 

ショーン 今回はKDP三大新潟作家、その一角を成すヤマダマコトさんだ。『山彦』がスゴイ反響なんだ。(新潟を舞台にしたサンカ小説『山彦』の反応) ちなみに三大新潟作家らしく舞台は新潟だ。

 

コーフィー タイトルで分かった。山に登って山頂で「ヨロレイヒー!」と大声で叫ぶ話なんだろう? それが山にエコーして返ってくるんだ。ヨーロレイヒー!

 

ショーン ヨーデルみたいな歌は出てこなかった気がするなぁ。『山彦』にはヤツカハギという山に隠遁する部族の話が出てくるんだ。サンカという名称が有名かもしれない。彼等にはエダカという風の声を聞くことができるシャーマンがいて、山々にある『祈り場』を巡り歩いて祈りを捧げ続けているんだ。

 

コーフィー なるほど。ある日新潟の町が宇宙人に攻められ、自衛隊も在日米軍も歯が立たない。そこでそのシャーマンがスーパーグレートなサイキックを発揮してやつらを追っ払う話なんだな。

 

ショーン UFOも出ない。ゾンビもなしだ。でも、君が言ったようにスーパーグレートなサイキックの出番はあるから心配しなくてもいい。

 

コーフィー へぇ、そうかい

 

ショーン この小説は風がよく出てくる。ヤツカハギの信仰は風に向けられていたのが面白いと思ったね。風が命なんだ。風に魂が乗っている。

 

コーフィー それが?

 

ショーン 彼等は大和民族。つまり僕を含め、今日の日本を闊歩している民族に山へ追いやられたということになっている。その大和民族の神話ではイザナギ、イザナミという神がいて、彼等が日本を作ったそうだ。彼等の最初の子供は水蛭子。その子は骨のない子供でうまく育たなかったので海に流したと言われている。僕が思うに大和民族、いや文明化された人間にとって水は命の象徴なんだ。ちなみにイザナミは水と正反対の火の神カグツチを生んだときに火傷を負って死んでしまう。

 

コーフィー 君の国は神も死ぬからクレイジーだね。

 

ショーン まぁ、日本神話には根の国の話があるからね、イザナミの出番はまだある。ちなみに北欧神話でも神々はラグナロクで死んでしまうね。こっちはどうなるかは知らないけど。

 

コーフィー ヴァルキリープロファイルをやればいいのさ。エイミのドラゴンドレッドを撃ちまくろう。

 

ショーン ……僕はパス。頑張って最後までクリアしてくれ。

例えば英語の魂、スピリット(sprit)の語源はスピリタス(spiritus)で息という意味があるんだ。古代ギリシャでもプシュケー、つまり魂にはやはり息という意味がある。日本でも息を引きとるという言葉があるように昔の人は息が命だと考えていたはずで、このことから原初の人類は命が息と考えていたはずだ。つまり属性としては風なんだな。さっき言った北欧神話の主神オーディンは風や嵐の神だと言われている。話をアメリカ大陸に移せばネイティブアメリカンは風に魂が宿っていると言うし、南米の羽毛ある蛇ケツァルクァトルは風の神だったらしい。

 

コーフィー ちょっと待った。何故君が南米の神話を知っているんだ?

 

ショーン エイジオブエンパイアだ。ティノティティトランの戦士。ジャガーウォーリア。どう考えたってあのゲームは南米勢が弱すぎる。城主の時代以降じゃ力負けする。さすがアメリカ。やることが汚い。

 

コーフィー ……なるほど。山彦の話を続けてくれ。

 

ショーン OK。風と雨。どちらが強いか。君はこういう話には興味があるんじゃないか?

 

コーフィー そりゃあ、風だよ。だってRPGじゃ水はたいてい回復役じゃないか。攻撃魔法があってもあまり強くない。負けないだろうけれど勝つことはできないよ。よって風が強い。

 

ショーン なるほど。でもそれは良い考えかもしれない。例えば大雨警報が出ても学校は休校にならないが、暴風警報が出れば休校になることがある。これは雨より風の方が危険だと考えているからでは?

 

コーフィー こっちはハリケーンが来れば休校だよ。大統領が指令を出すときもある。

 

ショーン いや、そっちとは風速が全然違うから……。

 

コーフィー 日本人は何でも小型化したがるからね。台風だってコンパクトサイズだ、HAHAHA。

 

ショーン 僕の住んでいる辺りは南半分がパシフィックオーシャン(太平洋)に面している。僕の住んでいるところは、まぁギリギリ内海かな。それでも浜辺へ行くと、必ず防風林がある。埋立地には無いが、古くからある場所だと規模の大小はあれ必ず防風林がある。日本全国でもどうかは知らないけれど、きっとあるだろう。高知の土佐湾の外側には防風林の外側にさらにコンクリートの防風壁がある。とにかく風は防ぐものなんだ。

 

コーフィー そんなに吹くのかい?

 

ショーン 場所は徳島だが『蒲生田岬』を書くときに蒲生田岬まで行ったんだけど、時期は9月で、まだ夏といってもいい季節だった。じっとしていると寒くなるぐらい風が吹いていたよ。気持ちも寂しくなった。

 

コーフィー 君が崖から飛ばないで良かったよ。

 

ショーン 本当に、誰かに自殺をしにきたと思われたらどうしようかと思うぐらい寂しくて寒い場所だったね。誰も来なかったけど。あの辺は本当に人が少ないんだ。そう、人が少ないと言えばだね。僕がこの前『ターンワールド』を書いたのは知っているだろう?

 

コーフィー ソーリー、実はまだ読んでいないんだ

 

ショーン それで僕は毎日日本地図を見ていたんだけど、……まぁ、今も見ているんだけど……、とにかく面白い事を発見した。

 

コーフィー なんだい?

 

ショーン さっき土佐湾の外側は暴風壁があるって話をしただろう? 

 

コーフィー ああ

 

ショーン そういう場所にも人が住んでいるんだが、もちろん全域をコンクリートの壁でカバーすることはできない。で、そういう壁の無いところにはなにがあるか知ってる? 答えはナッシング。何も無いんだ。道路と電線と、あとはガードレールぐらいしかない。歩いているのはお遍路さんだけ。野良犬だっていない。

 

コーフィー それが?

 

ショーン でね。それじゃ高知以外の場所はどうなっているのか地図上で調べてみた。パシフィックオーシャンに面しているのはそこだけじゃないからね。結果はどうだったと思う?

 

コーフィー 何もなかった。ってわけじゃないんだろう?

 

ショーン いや、何も無かった。もちろん大まかに見ればそれなりの町はある。でも、栄えている場所はきっと湾になっている場所。もしくは沖に島がある場所なんだ。それか内陸に入っているか。

 

コーフィー へえ、それじゃ行ったことはないけれど、関東平野の犬吠埼(犬吠埼/wikipedia)辺りは猫の子一匹いないんじゃないか?

 

ショーン 東京に近いから人っ子一人いないってことはないだろうけど、関東圏にしては寂しい場所だろうね。ちなみに東京は房総半島が大きな防風壁になっている。静岡は伊豆半島だ。名古屋は伊勢湾の奥だし、大阪は内海のどん詰まり。みんな風を避けられる場所にある。流域で文化が広がったというが、川があり、平地があれば必ず発展するわけではないようだ。どうも文明社会は風を避けているらしい。それでいえば盆地の京都は絶好の場所だ。かつて首都があったのはそういう理由があったからかもしれない。

四国なら松山と高松は完全な内海、徳島は若干外海に面しているし、高知は完全に外側だ。この論でいけば松山と高松が発展して、徳島と高知が出遅れているのも納得。外側に向いている二都市がやるべきことは風が入ってこられないように高い防風壁を作ることなのかもしれない。もしくは海岸線に高層ビルを建てまくる。

 四国を離れて九州でも、やはり福岡は太平洋から守られているし、日本海側にも対馬がある。風を防ぐには絶好の場所だ。福岡が九州一なのは当然かもしれない。長崎もやはり五島列島がある。熊本は長崎県に守られている。

 

コーフィー それじゃあ宮崎が冴えないのもむべなるかな。だが大分と佐賀はどう説明する?

 

ショーン 大分はまとまった平地面積が少ない。佐賀は……佐賀は分からないな。例外の無い法則はないさ。それに将来福岡を凌ぐほど発展しないとも限らないし……

 

コーフィー 苦しくなってきたね。でもダラスもだいぶ内陸にあるから、案外当たっているかも。もっともアメリカのほとんどは内陸なんだが。

 

ショーン それが何よりの証拠さ。命や魂は風だが、文明はその風を嫌うんだ。その風が文明社会に入ってきたらどうなる? それが『山彦』のテーマなのさ。風が家々の屋根を吹き飛ばしていくのか、それとも文明の防風壁が風を跳ね返すのか。そういう話なんだ。

 

コーフィー そのヤマダなんとかってのはヤバイやつなのか?

 

ショーン ああ、鼻息で屋根を吹き飛ばすようなヤバイやつさ。これからも目を離さない方がいいだろうね。

 

(おしまい)



 山彦へのリンク→kindleストア:ヤマダマコト『山彦』



【あわせて読みたい】
『ぼくはおこった』 (児童図書館・絵本の部屋) 

【“ぼくはおこった”の寸評】西部劇を見られなくて怒るアーサー君。彼の怒りは嵐を呼び、全てをぶっ飛ばすというお話。お子さんに読んであげると喜ぶかもしれない。きっと宇宙が揺れるほど感動するだろう。“ウォーリーを探せ”ならぬ、“赤猫を探せ”を昔やっていた。今になって読み返すと彼は物言わぬもうひとりの主人公だという気がする。なにはともあれヤマダさん、おめでとう。

 





真夜中の放言『あたし。/毒牙夜蝶』を肴にする


 とある電子書籍界のアイドルが、スキャンダルに塗れて精神をぐちょぐちょにされる話。アイデンティティーもぐちゃぐちゃ。
 主人公は電書界の作家共にアイドルとしての役割を求められていて、それに応えようとしている。いつも笑顔を振り撒きたいのだが、周りとの関係で、全方向に良い顔ができないことから苦しむことになる。
 『あたし。』には自分以外の誰かになろうとしている人が一杯出てくる。主人公もそうだし、電書界の作家共もそうだ。

 私は思うのだが"何者"かでいるというのはよっぽど嫌で退屈なものではないだろうか。だからこそ彼等は今の自分ではない何者かになろうとしている。でも芸能界を見ていると、その何者かになれた人は、その役割を放り出してまた別の何者かになりたいものらしい。たぶん究極的には何者にもなりたくないのだ。

 トランプで一番強いのは0。愚者のジョーカーだ。彼は何者でも無いゆえに何者にもなれる。ハートのエースはクラブの7にはなれない。ドラクエで遊び人が賢者になれるというのもなかなか洒落がきいている。愚者が賢者になるのだ。役に立たない故に役に立つ。

 誰しも自分を忘れたい。正体を無くしたい欲求があるように私には見える。
 酒を飲む人はもうろうとして自我を消そうとする。シャッキとするためにビール缶を開ける人はいない。ゲームにはまる人はゲームの中に自我を入れ込もうとしている。宿題をしなさいと怒る母親の声を耳に入れたいためじゃない。小説も映画もそうだろう。音楽もその気がある。とにかく自分という存在を消してしまいたいのだ。

 道路は歩かない場所があるからこそ歩くことができる。もし歩く場所以外が奈落だとしたら一歩も歩けないだろう。器は何もないからこそ、そこに物を入れることができる。
 お金持ちとは使わないお金を持っている人のことだ。もし仮に100兆円を持っている人がいたとして、明日にはその100兆円を払わなければならないとしたら、その人はお金持ちではない。また使い途のないお金だからこそ使うことができるとも言える。
 役に立たない物こそが実は役に立っているのだ。

 私とは一体なんだろうか?
 今これを書いている私。『あたし。』をネタにして放文を書き散らす私。意識のある間色んな事を見聞きしている私。
 禅寺辺りで『牛野小雪』と答えれば『渇っ!修業が足りん!』と言われそうだ。本名を答えても同じことだろう。私は自分の名前を知る前から私であった。そしてまた名前を忘れても私であるだろう。記憶障害で自分の名前や記憶を忘れても自己同一性はあることから、その事は明白だ。
 ならば名前を離れて、『男である』と答えればどうか。やはりこれも『渇っ!』である。今年の始めに私は夢を見た。その中で私は女になっていたのだが、そでも私は私であった。性別も私という存在にとっては変容可能なものだ。
 またタコのような怪物になっていたこともある。それでも私は私であったのだ。 

 身体的な物で私自身を表すことはできない。
 ならば精神的に?
 精神とは何か?
 一休さんではないが、目の前に出してくれと言いたい。
 脳という意見もあるが脳障害の人にも意識はある。ある脳科学者は自身が脳出血を起こしてまともに歩くこともできなくなったが、その時を振り返ると(リハビリして元に戻った)、むしろ内側はとても豊かだったらしい。苦しさも勿論あったらしいけどね。
 よく考えて欲しい。もし脳が"私"であるのなら脳機能が低下すれば、そのぶんだけ"私"が減らなければおかしいではないか。それなのに脳科学者は増えたと言っている。
 
 私はこれだという実体が無いからこそ私が"私"でいられるのでは?
 上に書いた器のようなものだ。そこに何もないからこそ、牛野小雪や、本名の私や、男である私、色んな事を見聞きする私、また私とは何かと考える私が存在できる。

 思考停止という言葉あるが、それは意識が止まっているのではなく、むしろある考えが頭の中に詰まっていて、他の考えが入ってこない様を表している。何かがあればその分だけ何も考えられなくなるのだ。
 私自身の経験でいえば、車検の値段がいくらになるか分からなくて、やきもきしているとちっとも書けなくなったことがある。

 世間一般でいう自我は、何かを思案すること、感じること、悩むことだが、それらが深まっていくほどに考えられなくなる。また杓子定規な考えに縛られて柔軟性がない人を心がない人という。どうも『我考えすぎて、我無し』になるようだ。
 忙しいは心を無くすという。ならば、忙しくしていないときは心があるに違いない。働き詰めの人が『かえりたい』と愚痴をこぼすのは"私"が足りないのを感じているからだ。

 一番良い時間を過ごしている様を表すときは"我を忘れるほど"という。こういう時に我、つまり"私"が存在していないかといえばそうではなく、むしろ生き生きとしている。どうも禅問答みたいだが『我無しゆえに、我あり』らしい。この世の七不思議である。



【小雪の読書メモ NO.2】『淡波亮作/孤独の王』~闇が深くてびっくりした~

 

 

 やっと読み終わった。読む前からターンワールドより長いということは知っていたが、こんなに長いとは思わなかった。今まで空行がある場所で区切りながら読んでいたのだが、台風で静かな一日だったので一気に読んでしまうことにした。

 

 国守護の不思議な霊力により外界の脅威から守られているティオル王国。国守護は王を守り、王は国守護を守るという慣習があった。国守護があるかぎりティオルが脅威に晒されることはない。

ある事件をきっかけにセニーロという少年が次の国守護の持ち主に選ばれるところから物語が始まる。最初は漁村ののどかなシーンが続くのだが騙されてはいけない。

 私は読み進めていくうちに三つの物語が浮かんできた。

 セニーロから王女ジュレノアに話が移ると『天上天下』の過去編。

 セニーロが王になる過程はライブ・ア・ライブの中世編。

 セニーロが王位から退くまでの過程は『嵐が丘』の終盤を彷彿とさせた。

 

 ちなみに私が凄く気に入っているのはセニーロが王になる直前の叫び。

“僕からジュレノアを奪った、
  裏切り者ガエディオーッ
!!

ここに来るまでのセニーロが抱いていた黒い感情が一気に放出されるわけだ。

“あの世で俺に詫び続けろ、オルステッドー!!”並みの衝撃があって震えた。

 

序盤を読んでいると愛と光に溢れる冒険ファンタジーと錯覚する。だが実体はダークファンタジーである。ドロドロしてくる。もう昼ドラ亮作である。

昼ドラ小説といえば『嵐が丘』。リントン家とアーンショウ家に復讐するヒースクリフだが、最後は子飼いのヘアトン・アーンショウに裏切られて死んでしまう(正確にはヘアトンは別に裏切ったわけじゃないのだろうけどね)。嵐が丘では精神的に殺されるわけだが、孤独の王ではセニーロが育てたガエディオの息子に剣で殺されてしまう。

セニーロとヒースクリフを比べると、ヒースクリフには豊富な財力が背景にあり、セニーロには国守護の霊力。力の背景にあるものが実体を持つものと無いものの対比になっていて、そのしっぺ返しの食らい方が同じように反対になっているのが面白いと思った。ヒースクリフは実体を持たない精神によって、セニーロは実体を持つ剣によって倒れる。この両者の結末には何か普遍的な物があるのかもしれない。

 

 私はこの小説を読んで、最後に「ぅおーい!!」と声が出てしまった。でも、もし嵐が丘に続きがあればこういう終わり方をしたかもしれない。

 

 よく攻める者はよく守る者である。

 よく殺す者はよく生かす者である。

稼ぐばかりで節約を知らない者はすぐに没落する。

 

 全盛期のマイクタイソンは凄い。パンチが当たらないのだ。殴るのがうまいだけでチャンピョンにはなれない。防御術も凄かったから彼は最高のボクサーになれた。医者はどうすれば人が死ぬかを知っているがゆえに、どうすれば死なないかを知っている。一台で築き上げた会社を三代目のボンクラ社長が潰すというのはよくある話だ(最近は二代目でもう駄目らしい)。

 

 上にも書いたがティオル王国は愛と光の溢れる国である。グロウノル王の悪政がどうたらとあるが、そこまで真に迫るような物ではない。大きな目で見れば平和な国だ。まるでこの国で悪いのはグロウノル王だけのような世界になっている。この国には悪が存在しないのだ。

 

 真の善人とはどんな人だろうかと私は考えた。それは悪を知りつつ、悪に触れつつ、悪に染まらない人ではないだろうか?

 

 いきなりだが私は公金横領をしたことがない。それは公金に触れられるような地位にいないからだ。また公共工事の口利きをしたことがなければ、労働基準法を破って労働者を違法に働かせたこともない。もちろんそういう地位にいないので当然である。だからといって私が公正な善人であるかといえば、そうではないだろう。

 

 公金横領ができる立場にいながら、公金横領をせず。公共工事の口利きをできる立場にいながら、口利きをせず。労働者を違法に働かせることができながら、彼等を真っ当に働かせる人。こういう人達こそを善人というのでは?

  罪の誘惑に遭ってもいないのに、罪を犯していない人間が善人ということにはならない。
 

 国守護に守られたティオル王国には悪が存在しない。それゆえに善人の集まりのような国であったが、あっけなく滅んでしまった。しかし、彼等は本当に善人であったのだろうか?

 厳しく育てられて家庭から凶悪な人間が生まれるというのは何故か広く受け入れらているストーリーである。厳しく育てられるというのは正論詰めの教育だ。ひとつひとつのやり方は絶対に正しい。でも、この世にはどうしたって光と闇がある。それが崩れると何かが起こるというのは、言葉で説明ができなくても何となく誰もが感じているものだろう。光ばかりでは何故か駄目なのだ。

もしかするとグロウノル王とセニーロはティオル王国に正常なバランスを取り戻すために王国の悪を一身に引き受けた存在だったのかもしれない。 





分冊版あり
  

[DBR NO.9]T・S・カウフィールド、夢の中で『Pの刺激/ヘリベマルヲ』を読む。~夢の中でまた会いましょう~

T・S・カウフィールド、夢の中で『Pの刺激/ヘリベマルヲ』を読む。~夢の中でまた会いましょう~
 




 ある日私は不思議な夢を見ました。私は薄暗い空に雷が落ちる中、カウフィールドさんを白い巨塔から迎えに行く夢を見たのです。その時の私はショットガンを持ち、塔内を飛び跳ねる化け物達を12ゲージのシルバーバレットで撃ち殺しながら塔の螺旋階段を登っていきました。 
 カウフィールドさんは塔の21階にいました。私の知るかつての姿で。


白い巨塔



 

TS・カウフィールド(以下 T 牛野さん、久しぶりですね

 

―牛野小雪(以下 牛野) カウフィールドさん、もう具合は良くなったんですか?

 

T ここは夢の中。現実の私は今も狂気に囚われているはずです。

 

―牛野 くそっ、○○四郎め。まだ苦しめるのか。見つけたら撃ち殺してやる。

 

T ここは夢の中。望めばどんなことでも叶うんですよ。ほらっ

 

―謎の男 ハ~イ!ルナティックシローだよ~!

月狂四郎



 ドンッ!
突然現れた褐色の男を私はショットガンで撃ちました。
だけど銀玉は男をすり抜けて後ろの壁を削るだけでした。 



―謎の男 僕を殺すのは無理ィ無理ィ。絶対にできないよ。

 

―牛野 どうすればいいんです?

 

T 簡単です。夢の中で彼を消す存在を想像すればいいんです。



カウフィールドさんがそう言っている間に一匹の巨大な黒猫が男の後ろに現れました。

「死ねばいいのに」黒猫は小さく言葉を吐くと男を一呑みにしました。

それから黒猫は砂のように体が崩すと姿を消しました。
部屋はまた私達二人だけになりました。



―牛野 飲み込まれた男はどうなるんです?

 

T さあ、夢の中で生まれた存在は消えたらどこへ行くんでしょう? 私にも分かりません。ただこういう話を最近読みました。ヘリベマルヲさんの『Pの刺激』です。私は夢の中で読みましたが、この小説では夢の話が出てきます。

 

―牛野 えっ、夢の中で本が読めるんですか?

 

T 野暮なことを言ってはいけません。夢の中は純粋な精神世界。ここでは彼我の境界。過去現在未来の境が消えうせるのです。だから牛野さんの読んだ本は同時に私も読んでいることになるのです。

 

―牛野 どういうことですか?

 

T 精神には彼我の境がないのは、小説を書いている牛野さんならご存知でしょう。あなたと小説の人物に境目などない。それは別人でもあるが同じ人物でもある。それと同じように私とあなたの間でも境目がなくなるのです。

 

―牛野 え~、嫌だなぁ。カウフィールドさんに頭の中が筒抜けじゃちょっと恥かしい。

 

T ここでは全てが喩えになっているのです。だからここで起こったことがそのまま真実だと思わないことですね。全てはメタファーなのです。私たちがここにいる白い巨塔。これもまたメタファー。

 

―牛野 カウフィールドさんの?

 

T 私の。そしてたぶん牛野さんの。

 

―牛野 過去現在未来の境とは?

 

T 私達は現在にしか生きることしかできない。たとえタイムスリップができたとして、今度はその未来か過去が現在になるだけです。でも精神はそうではない。過去にあったことを追体験ができるし、未来予想図を思い浮かべて良い気分になることもできる。またそこここあそこという境界も消えて、自由に場所を移動する事もできる。

 

―牛野 自由自在ですね

 

T いや、そうでもないんですよ。精神と現実は不可分の存在で、お互いに影響を及ぼしあっている。たとえばPTSDというものがあって、現実でつらい体験をした人が何度も想像の中でそのつらい体験を追体験する。さっきも言ったように精神に過去現在未来はありません。だからその人にとってはついさっきの出来事なのです。

 

―牛野 それが?

 

T その人は嫌な思い出を体験するのはつらいでしょう。何にもできなくなる人もいると聞きます。それほどひどいもので無くても私達だって、“過去”の嫌なことを思い出して“現在”の自分が嫌な気持ちになることだってある。でもそれは消すことができない。勝手に浮かんでくる。何でもかんでも自由になるわけじゃなくて、現実からの影響をちゃんと受けているんですね。また精神でしか起こっていないことが現実の体に影響を及ぼすことから、二つはお互いに影響し合う関係なんです。

 

―牛野 それじゃあお寿司を食べたいと思ったら? それだけで腹が膨れますか?

 

T 不思議なことに認知症ではさっきごはんを食べたのに食べていないと勘違いすることがあるそうです。それなら逆の話で、想像で食べたと思えばお腹は減らないのかもしれません。でも、さっきも言ったように精神と現実は不可分なので、現実の空腹が想像に影響を与えるんじゃないでしょうか。本当に限界までお腹が減ればお寿司を想像できなくなるのかもしれません。

 

―牛野 お寿司が無ければおにぎりを食べればいいのに。

 

T そんなことを言っているとギロチンで首をはねられますよ。

 



どこからともなくギロチンが現れて私はいつの間にか首を据えられていました。すぐにギロチンの刃が落ちてきます。私の首はスパッと切り落とされて床を転がりました。でもかまいやしません。だってここは夢の中なんだから。私は残った胴体で首を拾うと膝の上に乗せました。意外に収まりがよくて気持ち良かったです。それに肩が軽いのが何よりラクでした。ああ、現実でもこんなことができたらいいのに。

 



T Pの刺激』で主人公は夢の中に入ることができるんです。それも自分だけではなく他人の中にも。その中で意志を持ちながら夢に干渉することができるんです。

 

―牛野 精神科医になれば一儲けできますよ。

 

T 彼の原体験は炎なんですね。宗教施設という特殊な環境で育った彼ですが、ある日教教祖は信者達を道連れにして焼失してしまう。その時に見た炎が彼の夢の中にいつもあるんです。

 

―牛野 ひどい大人になりそうですね。

 

T でも彼は意外とまともに暮らしている。少なくとも闇を感じさせるような生き方はしていない。それは夢と現実が地続きになっているからではないでしょうか?

 

―牛野 さっき聞きましたよ

 

T そうじゃなくて、彼の場合は夢に行くことができるわけだから、夢は現実と変わらない。ある意味では夢の無い男なんですよ。現実に影響を及ぼす夢(精神)がないからこそ、強烈な体験が現実に影響を与えない。

 

―牛野 ちょっと難しくなってきたぞ

 

T 彼には夢が無い。我々一般で言う精神が無いんですよ。それは実際に見るまで彼の心を蝕むことがない。体験するまでは無いのと同じで、我々が変な妄想を抱かなければ変な気持ちにならないのと同じです。それが彼の場合、頭の中ではなくて○○町○番地みたいな場所にあるようなもので、そこへ行かなければ何も起きない。

 

―牛野 う~ん……

 

T さて、彼はその夢に潜る能力で現実に影響を与えるわけです。具体的に言えば探偵の仕事に利用する。

 

―牛野 夢が現実に影響を与えるんですか?

 

T 二つはお互いに影響し合っていますからね。夢に何かが起これば現実にも影響を与える。その逆も然り。彼はあることがきっかけで原体験の炎を消してしまうんですね。

 

―牛野 それじゃ彼は悪夢町一番地の悪夢が消えて、本当の真人間になるわけだ。いやもとからそうだったかな。

 

T さあ、どうでしょうか。さっきも言ったように夢と現実は不可分になっているわけです。消えた炎は自然鎮火したわけではない。それが現実にどう影響を与えるのでしょうか。と、まぁこれは本筋と関係無い話なんでしょうが、私はそういう方面に気が向きましてね。なにせ夢の中にいるわけだし。

 

―牛野 だって、家出娘を探す探偵物語なんでしょう? それから失踪した彼女の祖父の遺稿を探す。

 

T まぁね。でも夢が現実に影響を与えるってのは関係ありますよ。

そうそう。コーフィーが来ているそうですね。現実で彼に会ったらよろしく。あっ、そうそう七面鳥の借りがあるから忘れずに返しておいて。

 

―牛野 もう夢が覚める時間ですか?

 

T どうやらそうみたいです。牛野さんは現実に、私は夢の中に

 

―牛野 さようならカウフィールドさん。また会えますよね?

 

T きっとまた夢に出てきますよ

 



気付くと私は布団の中にいました。

私は無性にカウフィールドさんに会いたくなり精神病棟へ行きました。

そこにはいつもと変わらない彼の姿がありました。

「ニャ―ゴロロロロロ。接続が解除されました。ローカルエリアネットワークを再設定してください。ピー! ガチャン! カタカタ、ピー! ブツン! くそっなにもしてないのに壊れた! おい、ティアドロップを開いてくれ! 俺はリア王になるんだ。ちくしょう、リア王ってなんだ!? 道化が必要だ。シェイクスピアと話をさせろ」

彼はまだ狂気の世界をくるくる回っているようです。

 

(おわり)




牛野小雪、S・T・コールフィールドによろしくと伝え、『王木亡一朗/ティアドロップ』を読む

牛野小雪(以下 ショーン) この前カウフィーに会ったよ。

 

ST・コールフィールド(以下 コーフィー) えっ、いつ退院したんだ?

 

ショーン いや、夢で見た。夢が終わる前に言ってたよ。君によろしくって。

 

コーフィー なんだ。夢か。それなら僕はレディガガと一緒に踊ったことがある。“たまんない。もうあなた以外とは踊れそうにない”ってさ。

 

ショーン まっ、夢とも思えなかったからさ。とにかく伝えたよ

 

コーフィー 僕だって夢を見ている間は嘘と思えなかったさ。でも彼女は僕以外のダンサーを引き連れて全米を飛び回ってるぜ。

 

ショーン 君はダンサーじゃないだろう?

 

コーフィー ロデオならやったことがある。

 

ショーン 乗っかっちゃ歌えないさ。

 

コーフィー 同じようなもんだ。それよりそのTシャツの柄にできそうなの本はなんだい?

 

ショーン KDP三大新潟作家の一人、王木亡一朗の『ティアドロップ』さ。

 

コーフィー この前、家の横の日陰で読んでたあれか

 

ショーン そう、あれ。アヤトっていう記憶喪失の少年が主人公で、14才なんだ。

 

コーフィー シュツルムウントドランクゥ。疾風怒濤のティーンエイジャー。

 

ショーン そうそう。その疾風怒濤をやらかしたそうで、精神病棟で目覚めるんだな。すぐには出してもらえない。

 

コーフィー 親父のショットガンで親父の頭をふっ飛ばしたんだろ? 最後は自分の罪を思い出して自分の頭もぶっ飛ばすんだ。

 

ショーン 日本のホームセンターでショットガンは買えないんだ。猟師じゃなけりゃパパでも持ってないよ。

 

コーフィー どうせいつも通り爆発も無しなんだろう?

 

ショーン うん。無かったと思う。叫びはあったけどね。

 

コーフィー こっちが叫びたいよ。WOOOOOOOOOH!!

 

ショーン うるさいな。このアヤトってのは君と違ってシャイボーイなんだ。

 

コーフィー 叫びが足りない。

 

ショーン そうさ。叫びたいのに叫べないから心の口をつぐんでいるんだ。でも、彼は沈黙できないから無駄に口を開いてひどいことを色々言ってしまう。口は災いの元なんだな。

 

コーフィー 何を恐れているんだ?

 

ショーン ダディさ。彼にとって父親は恥なんだ。

“母親と自分を捨てた裏切り者のクソオヤジー!!”

と思っているが、誰にもそのことは言えない。

 

コーフィー どうして?

 

ショーン 身内だから。親父はクソオヤジだが、自分の親父でもある。身内の恥だから誰にも言う事ができない。それを言う事ができないから、誰にも隠しておきたいから、誰ともまともに話ができない。君にこの感覚が分かるか?

 

コーフィー そりゃ分かるさ。僕だってそんなに馬鹿じゃない。

 

ショーン 個人主義のアメリカ人には分からないかなと思ってさ。

 

コーフィー おいおい、アメリカから見れば日本の方がよっぽど個人主義だぜ。ティーンを超えれば家族揃って旅行には行かないし、一緒に家にいても顔を合わせる事もしない。夕食も揃って食べないし、庭でバーベキューなんてのもしない。それどころか一人焼肉が流行っているそうじゃないか。なんだって一人きりで行動だ。どうせ寿司もひとりでつまむんだろう?

 

ショーン う~ん、そう言われればそんな気もするけど。でも、そんな意味じゃないんだ。つまりは周りに影響されやすいって事、かな。だからこそ一人になって楽になりたいって。

 

コーフィー 影響の受けようなんてあるのか。みんなシャイで腹の中を1割も出さないじゃないか。それで裏に回って色々やるんだ。裏技の国だよ。

 

ショーン 無形コミュニケーションが多いだから。分かる人にはむしろうるさいぐらいに雄弁だよ。あまりに気の合う相手だと言葉が極限まで無くなるから"おまんらのいよ~こと、よ~わからんわ"と隣の関係ないおじさんが口を挟むぐらい。明言しなくても伝わることをいいことに、ずるくて偉いやつは自分の責任を避けながら相手を自分の思うように動かそうとする。分からない奴はその場で嫌な気分はしないが、やっぱり不興をかって後で裏に回って……って風に、やっぱり個人主義じゃないんだな。良い意味でも悪い意味でも全体主義なところはある。相手の気持ちに立ってという言葉もあるぐらいで、それを逆手にとった嫌がらせもあるぐらいだし。

 

コーフィー 分かったぞ。日本の個人はselfじゃなくてaloneという意味で使われているんだ。

 

ショーン ああ、そうかもしれない。我を張れば孤立するからね。孤人主義になってしまうところはあるかもしれない。日本でいう責任をとるという言葉は辞表を出すことだからね。組織から逸脱して一人になるということなんだ。社会的aloneになってしまうわけさ。
 結局僕はこの小説をアヤトが
selfを獲得したのか、それともaloneになった物語なのかが掴めなかったな。何故ならどうあっても人は周りの影響から無関係でいることはできない。クソオヤジに影響されるのもそうだし、それを無視するというのもまた影響されているといえる。この世にある物は全て存在している。少し考えてみれば、存在しない親父というものは存在しないからだ。どんな形であれこの世の物は必ず在る。

 

コーフィー ショーン君、君は何を言っているんだ?

 

ショーン 親父はクソでもそれは存在しているんだ。でもアヤトはそれを存在しないようにしたい。恥だからね。でも存在している物を消すのはどうやっても不可能なんだ。たとえ殺してもね。仮に殺しても親父を殺したという事実は残る。生きた親父から死んだ親父へと七変化さ。肉体としての親父は殺せても、存在としての親父は消すことはできない。どうあっても親父は残るわけだ。アヤトはこの親父を受け入れたのか、それともずっと遠くへ心理的に離したのかがやっぱり僕には良く分からないんだな。君が言ったようにまだmyselfを掴んだのではなくaloneへ移行しただけかもしれない。

 うん、でも文明が発達していない部族では成人の儀式に森の奥地や遠い荒野で、数日間たった一人で過ごしたり、雪のブロックで作ったドームに閉じ込められ、やはり数日間孤独に過ごすという儀式がある。昔、世界丸見えTVで見た。子供から大人へなるには一度外界から切り離された孤独の状態が必要なのかもしれない。結局、最後までティーンエイジャーの話だから……ああ、そうか。ティアドロップは子供時代に終わりを告げる一粒の涙なんだ。

 

コーフィー ふ~ん、ところでKZてやつが最初の方に出てくるんだけど。こいつってオーキーの喋り方をハヤカワ文庫が日本語に訳したみたいだぜ。もしかするとこの作者はオーキー(訳註:Okie=広義にはオクラホマ州の人)なのか?

 

ショーン 確かオーストラリアとのハーフが出てくるから、どちらかといえばオージーかも。でも、経歴に新潟出身とあるから、あえていうならニイガタニアンだな。

 

コーフィー そうか。……いや、待て。奴の名前は王木亡一朗だ。オウキボウイチロウ、オーキボーイチロー、オーキ……

 

ショーン そうか!

 

コーフィー やつは!

 

ショーン&コーフィー オーキーだ!!

 

(おわり)

 

[2015/7/30 ショーン&コーフィー 記]


  


コーフィーによる追記:ギター初心者がつまづくというFコード。Mr.アワナミによればFよりBの方が難しいらしい。それとRコードもZコードもこの世には存在しない。Rコードまで弾けたらとりあえずプロ級ってのはギタリストが何も知らない相手を騙すジョークだ。コードはGまでしか存在しない。Aから順にも並んでいない。エリック・クラプトンが一度だけZを弾いたことがあるという伝説も、もちろん嘘だ。ギタリストはみんな嘘つきってことだな。気を付けようぜ。



『春禍秋冬』の雑感

夏居さんの熱い、いや、暑い情熱により作られたホラーアンソロジー。表紙のおしりがステキ。頭と腕のない石像の脇に心霊写真みたいに赤い髪の女の子がいてちょっとホラーだ。

 

 

『春担当の月狂四郎/ヤンデレ』

 月狂さんはヤバイなと思う。やっぱり書いた文字数ではなくて、つけたエンドマークの数で作家は成長するのではないかと感じた。たまにはマズイ物を書いてくれないと恐くなる。それか『プロミスリング』みたいな手間と時間がかかるような小説。星新一賞の公募に出したというが、案外100万円取ってしまうかもしれない。月狂四郎の名義で出すのだろうか?

 内容は兄が好きすぎる妹の話。お兄ちゃん大好き。二人は単純な兄妹ではなく、再婚した父親の妻の連れ子。えっ、それじゃあ何も問題ないじゃん? と思うのだが、二人が知らない所で因果があるというのが話の肝だ。ナチュラルに頭がおかしい人ばかりで、金井エリぐらいしかまともな人がいない。

ちなみにそのまともな金井エリは最初に殺されてしまう。後から考えるとまともな順に死んでいっているんじゃないかと思った。それでいえば最後に生き残るのは一番頭がおかしいやつなわけだ。この世で一番強い奴は筋肉もりもりマッチョマンの変態ではなく、相手の頭にバットでフルスイングできる奴だという。私もその意見に賛成だ。不良のケンカが強い理由はまさにそれ。さて、この家族でバットをフルスイングできるのは誰なんだ?

 

(2015年8月15日 牛野小雪 記)

 

『夏担当の夏居暑/真夜中の追想』

 もし彼が夏じゃなかったら誰が夏を受け持ったんだろう? もし彼が冬だったらどんな物を書いたんだろう? 色んなことを考えてしまう。

 内容は思い出せない祖父の顔を追想で思い出そうとする話だ。

 幽霊の恐さは訳の分からなさにある。幻覚や見間違いではなく、幽霊はこの世に存在するものと私は思っているが、それが物理現象なのか、人格的な物を持った生きた(死んでいるけど(笑))存在なのかはまだ分からない。もし仮に先の世で、幽霊が科学的な分野で扱われる物になったとしても、やはりこの問題にぶち当たるのでは?

 なにせ生きた人間もそれが物理現象なのか、人格的な物を持っているのかの証拠を未だに見つけることはできていない。結局、意識とは何かという問題は未解決なままだ。

 

(2015年8月15日 牛野小雪 記)

 

『秋担当の高橋熱/愛のミステリーツアー』

 離婚するべきか、離婚しないべきか。それが問題だ。

 女房とは別れない方が安上がりという歌が『ブルース・ブラザーズ2000』に出てくる。Huluでも見られるのでよろしく。

さて、もし離婚に付随する諸々のことが無ければ、今すぐ別れる夫婦はどれぐらいいるんだろうか。女の方はちっとも分からないが、男の方はすぐに別れるような気がする。家庭を持つなんて想像しただけで大変そうだから、きっと現実でも大変に違いない。色んな物を手放して楽になれたらいいのだろうね。

まぁ、現実にそんなことはないわけで、離婚するにも大変なわけだから、3組の内1組は分かれる時代でも、やはり半分以上の夫婦は別れないわけだ。

だがしかし、ツイッターを見ているとKDP界隈の家庭はDH(ドメスティック・ハピネス)にあふれているようだ。爆発しないかなぁ……。くそっ、どうせ爆発するのは愛の爆弾なんだろう? “I Love You を日本語にすると、“理性バクハツ、心臓バクバク、頭の中はあなたでいっぱい”になるらしい。……くそっ、じゃあ爆発してくれるな。

話の内容は俗に言う“離婚”はせずに夫婦が別れるというお話。人間関係の終わりで一番楽なのは(こちらから終わらせる場合ね)自然消滅だ。争うのはエネルギーがいるし、負ける場合もある。また勝ったとしても、やはりエネルギーを使うしね。それならいっそ愛のミステリーツアーへ行く方が安上がりというわけだ。

 

2015-8-16 write by S.T.Callfield

 

『冬担当の丸木戸サキ/運命的ペアルック』

 愛ってのは一種の狂気だ。理性が爆発しなきゃ恋は始まらない。

 男は一般的に美人か、若いか、デカパイが好きだということになっているが、その三つを兼ね備えていたとしても、その女を好きになるとは限らないのは世界の七不思議だ。

……いや、デカパイだけは心が動く。好きになるわけじゃないが、おっと驚いて、視線はそちらに動く。でもちょっと考えてみて欲しい。もし仮に男の股に何かがもっこりしていたら、しかもそこが動いていたら、視線は絶対にそこへ集まると思うんだよ。つまりは出っ張ったり、動きが激しいところに視線が集まるのは生き物の習性なんだ。

あの耳にプラプラぶら下がっているピアスやイヤリング。あれって視線を集めるための物らしいぜ。やっぱり出っ張ったり、動いている物(ついでいえば光っているもの)は見てしまうものなんだ。

 あっ、そうだ。思い出したぞ。女ってのは男の指を見てときめく謎の生き物らしい。指ってのはやはり体から出っ張っていて、動きが激しい場所だ。なんだ。じゃあ女も一緒じゃないか。ん? 待てよ。それじゃあ男も女の指にときめかなきゃいけないって道理だが……。

 話を変えよう。

 “私のどこが好きなんて?”聞くものじゃないと思うんだ。もし仮に“デカパイだから好き”なんて人買いの理論で言われても嬉しくないだろう? これこれの理由があって好きになると言えば何だか商取引みたいで嫌じゃないか。そもそも好きになるのに理由なんかない。それはもう運命としか言いようのない理不尽な力が働いているとしか言えないんだ。

損得は頭で考えられるが、好悪は心でしか出せない。だから言葉で好きかどうかを考えさせちゃいけないと思うんだよ、ホントに。もし、“こいつは好きだけど一緒にいるのは損だな”なんて答えが頭の中で出たらどうすんのさ。それこそ上の小説みたいに愛のミステリーツアーへ行くことになるかもしれないぜ。

愛の炎を燃やし続けたいのなら、愛の爆弾で絨毯爆撃を続けて、理性の都をペンペン草も生えないくらい更地にしなきゃダメっぽいぜ。相手の頭を馬鹿にし続けるんだ。

子供を溺愛する親を“親馬鹿”という。なら、恋人に入れ込むやつは“恋馬鹿”になる。150年前の小説家である海原銀之助は”I Love You”を“私は馬鹿になってしまいました”と訳したそうだ。頭が馬鹿にならなきゃ運命は飛び込んでこないのかもしれない。

 

2015-8-16 write by S.T.Callfield

 

 

 

 


(2015年8月16日 ショーン&コーフィー 記


『ジャスティス/月狂四郎』を読んだ

 話自体はある自殺した男子学生が怨霊となって、自分を陥れた同級生を呪い殺していくというお話。
 憎しみ合うより愛し合おう。僕には愛が足りない。誰も僕を抱きしめてくれない。せめて猫を見せてくれ(←?)。
ALL YOU NEED IS LOVEという話だった。早く道徳の教科書にした方が良いと思う。

 

 ……これだけだと月狂さんにルナティックアッパーカットされそうなので、もう少し詳しく書く。

 

タロットカードのジャスティスには剣と秤を持った女神が描かれている。彼女はその秤で諸々の罪を計り、もう片方に持った剣でその罪を裁くのだとか。

この話は復讐の物語であり、主人公は霊力という理不尽な剣を持ってして同級生達に復讐を遂げていくのだが、今まで片方に傾いていた秤を平坦に戻していく話ともいえる。その秤がどうやって平坦になっていくのかといえば、もう片方に重りがどんどん積み増していくというやり方だ。結局最後に秤の左右、つまり主人公とクラスメイトの均衡は取れるのだが主人公の恨みは晴れない。秤にまだ重りは残っているばかりか秤全体で見れば重りは増えているからだ。

望みは遂げたが満足はないというやつで、やや不満足な終わり方をする。結局重りを取り除かなければいつまで経っても恨みは残ったままだ。パクリオットの話に似ている。……パクリじゃないですよね?

どうすれば秤に乗った重りを消せるのだろうか。わりとこれが原因で戦争が続いているような気がするんだけどな。やっぱりALL YOU NEED IS LOVEに道があると思う。まずは身近なところからだ。鏡に向かって『時よ止まれ、お前はあまりにも美しい』と言ってみることにしよう。

 

(2015年9月7日 牛野小雪 記)

 

(おわり)






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