『魔女と機械と遺世界と/舟渡攻』を読んで考えてみた

『魔女と機械と遺世界と/舟渡攻』を読んで

 主人公は殺戮機械。旧世界を滅ぼした張本人である。機械というが、後に遺伝子がどうたらこうたらと出てくるので完全な機械ではなく人間と機械が合わさったような物のようです。なので物語中で感情が描かれているのも当然です。というか主人公の感情の移り変わりがこの小説の肝です。
 主人公の心中では自分が滅ぼした旧世界と、文明が滅んだ現在の世界の二つに分けられていて、自分は旧世界の人間(話がややこしくなるので人間とする)と思っている。今の世界は自分のいうべき世界ではないと思っている。それで、今の世界を遺世界と呼んでいる。
  
序盤の魔女が寝たあとに主人公はその異世界を旅してユズという女の子と出会う。異世界の様子を調べるために主人公と彼女と行動を共にしていきます。遺世界なりにも問題が起こるのですが、主人公は旧世界の人間なので、なるべく遺世界に影響を与えないように手助けはせず見守るだけに徹しようとします。しかし、成り行きで竜の生け贄にされたユズを助けてから、まあ色々あって村と村の戦争が起きる。その中でユズは命を落としそうになる。
 主人公は旧世界に関わらないようにしようと決めていたのだが、ユズの死を前に何もしないでただ見ているだけで良いのかと迷う。まあ結果はハッピーエンドです。
 
 この小説のテーマは主人公の心の中で分けられた旧世界と遺世界、現在と過去の融合。それを繋げたのは愛っていう話でした。
 ラーメン同盟の話にちょっと似ていると思った。執筆時期はかなり近い作品だと予想する。 


『ヤマアラシ刀哉のジレンマ/針とら』を読んで考えてみたSとMの話~私は文字の書き過ぎでおかしくなったのかもしれない~

『ヤマアラシ刀哉のジレンマ/針とら』を読んで考えてみたSとMの話~私は文字の書き過ぎで頭がおかしくなったのかもしれない~

 Sとはサディズムのことで、Mとはマゾヒズムのことである。俗っぽい例えだと、SMでいうムチで叩く方がSで叩かれる方がMである。
たいてい男はSとして書かれることが多いし、女はMのパターンが多い。男はナニを突っ込む側で、女は突っ込まれる側という体の構造がそうさせるのかもしれない。
 健全な肉体に健全な魂が宿るなら、Sの体にはSの魂が宿るはずだし、Mの体にはMの精神が宿るはずだ。 
 さて、今日読んだ本の話。主人公は全身から刃が生えているという特異な体質の持ち主。その鋭い刃は触れるもの全てを切り裂く恐ろしさを持っている。作者が意識して書いたのかどうかは分からないが、この刃は刀哉の強烈なS のメタファーである。その強烈さゆえに相手を殺してしまう、もしくは傷付けてしまう事を恐れている彼は、その衝動をぶつけられずに苦悩するのがこの物語のテーマだ。
 作中で彼には二人の恋人候補が現れる。
 一人は綾乃で普通の可愛らしい子。
 もう一人は綺里、背中と胸(胸の方は心という意味の例えなのかもしれない。作中ではどっちともとれる)が鋼鉄の少女である。他の部分は普通の体をしている。その鋼鉄の固さは刀哉の刃すら通さない。
 基本的に刀哉が綺里を追いかけて綺里が逃げるというのが、大筋の内容だ。ラブコメである。
 物語終盤にまず綾乃が刀哉にずたずたに傷つけられても良いと告白する。その後に綺里も刀哉に傷つけられても良いと熱烈に告白する。これはMの衝動の発現であると同時に表明でもある。
 最後の最後で刀哉は綺里とキスをするのだが、刀哉の体は一部を除いて刃が生えているので当然彼女の唇を切ってしまう。綺里の唇からは血が出る。そして泣く。その理由は作中の言葉を借りると、ただふれあったから。敏感な読み手ならここで別の何かがメタファーされていると気付くだろう。
 さて、結局傷付けるのなら、相手は綾乃でも良かったはずだが何故綺里だったのか?
 それは綺里の鋼鉄の背中である。これ彼女に刀哉の強烈なSを受け止める強さを持っているというメタファーだ。
 反対に作中では彩乃は弱い存在として書かれている。刀哉自身も自分の思いをぶちまければ、彼女を殺してしまうと予感している。
 よって、結末は背中だけとはいえ、刀哉の強い刃を受け止められる強さを持った綺里でなければならなかったのだ。
 オチで刀哉は強烈なSの衝動を背中の分だけ解放し、綺里は背中の分だけMの衝動を発現させる。
 背中だけ鋼鉄の綺里と全身が刃の刀哉がこの先どうなるのかは分からないが、結果的にはハッピーエンドで終わったので、良かった。

 内容はかなり爽やかです。あくまで私の感想です。
 読後の感想には個人差があります。 


 

『死んでたまるか/ミリオンセラー』を読んで考えたこと


『死んでたまるか/ミリオンセラー』を読んで考えたこと

 この本はゾンビ小説である。自分もいつかは書きたいと思う。



 近年のゾンビは全力疾走してくるというものがあって、動物的な恐さを感じさせる物もあるが、この小説では古典的な歩くゾンビが出てくる。
 ある日停電が起こってから死者が歩くようになったのが事のきっかけ。
 この巻のテーマは家族愛のようである。途中までは両親のことをしょうもない人間のように描いてるが、そんなしょうもない人間でも家族なのだから危機には助け合うという構図でホームサバイバルドラマが展開される(先の展開で親父は死にそうだが)。
 kindle で読んでいる人なら分かるだろうが、ページの右下には何パーセント読んだかが表示される。
 半分以上進んだところで意味ありげな新しい謎が出てきたので「あれっ、これで話をたためるの?」と不安になった。夢オチなのかと予想したが、その謎は触れられないまま終わったので変だなと思っていた。続刊が出ると後に知る。物語はこの巻だけでは終わらない模様。
 この巻では一応の解決を見せて、俺たちのサバイバルはこれからだ!的なエンドで終わる。実際にこれからも続くらしい。このブログを書いている時点ではまだ続巻は出ていない。
 
 それにしても私もゾンビみたいに「あ~あ~」うめきながらでもいいのでタフに執筆がしたい。ちょっとでも書けているうちは良いのだけれど、全く書けなくなると本当に嫌になる。そんな時でも机に張り付ける人が凄い物書くんだろうな。私なんかは決めた時間を過ぎると「はあ、言葉が出てこん。今日はもうだめじゃ」と言ってふとんに潜る。
そんなわけだから9月に書き始めた小説がいまだに書き終らずに「ひ~ひ~」言っている。
 早く書き終わって「ふぅ」と一息いれたいものだ。


 

『余命・原始人と火/八幡謙介』を読んで考えたこと

『余命・原始人と火/八幡謙介』を読んで考えたこと

 わたしは、この本を読んで考えてみたことをここに書こうと思う。小説のテーマは大きく分けると愛と死の二つに分けられる。この本では明らかに死がテーマにされている。
 『原始人と火』では他人の死を見てからもの思いにふける原始人が出てくる。ある日、村の子どもが火を発見するという大事件が起こる。人類の生活史に起こった大事件である。
 しかし、その影では芸術が生まれていた。壁画には血で書かれた壁画が描かれているのだが、その扱われ方は異なる。
 火を発見した子どもは長老の手元に置かれるのだが、壁画の方は見向きもされない。
 しょせん生きることに必死な時代では芸術は見向きもされないのである。一部売れる物はあっても、全体としてみれば小説が売れないのは現代人に余暇とお金が足りないのだと私は考えた。

 『余命』では長年技術を磨いてきたアーティストが、超下手くそな新人に乗り越えられるという話。彼女の持ち味は余命一年という事だけ。たったそれだけのことで観客を感動のるつぼに陥らせる彼女の事を考えて、男はその感情に言葉をつけようとする。
 死だけを見せつける彼女に観客が感動するのも分かる。
 長年技術を磨いてきた男が納得できない理由で負けた感情も分かる気がする。
 だが、彼が感じた感情は、ちょっと考えてみたが私の語彙力では名前をつけられそうにない。

『拡散希望/Rootport』を読んで考えた~小説を結末まで読んでもらう方法~

『拡散希望/Rootport』を読んだ

 この小説は三段構成で主人公の一人称→友人の話を聞かされる三人称→最後にまた主人公の一人称に戻る。
 読み始めるといきなり誤字を発見する。しばらく読むとまた発見。なんだ?誤字多すぎねぇかと不信になりつつも先は短いので読み進めた。
 内容はギャンブル狂の高校生が、簡単で高額の報酬が出る怪しいバイトをしていた話を聞かされるもの。
 怪しげなバイトをしていた彼はバイト内容の秘密を探ってしまい行方不明になる。隠された物は暴きたくなるのが人情だが、秘密を暴かれたくないというのも人情。人情と人情がぶつかり合って悲劇が起こったわけですな。まあ、それだけならただのサスペンスだがミステリーなのは周りの人間から彼の記憶が消えているということ。
 その話が終わると展開が変わり、元の一人称に戻る。そして、彼がミステリーに巻き込まれていることが徐々に判明する。そして、最初に誤字が多かった理由もここで分かるという仕組みだ。
 読んだあとで確かめると、誤字が出てくるのは主人公が語る一人称の部分だけだった。ははあ、あれは狙ってやったのか。
 でも、ほとんどの人はあれだけぽんぽんと誤字が見つかると読むのを途中でやめるだろうなあなんて私は思う。特に最後の方はひどい。勿論それは狙ってやっているのだけれど、それが分かるのは最後まで読んでからなのでかなりハードルが高い。気の早い人なら冒頭だけを読んで「誤字が多い!やる気あんのか?」なんてレビューをつけるだろうと予想する。ときどきそんなレビューを見ることもあるのであり得ない話じゃない。星は1個。当然続きは読まない。
 そう考えると小説を最後まで読ませるには、結局ある程度の文章が必要なんだろうなと私は思ったのです。

 まあ、誤字については人のことは言えない。この人は狙ってやったけれど私のは本気でやって間違うのだから余計にダメだ。単語の間違いならともかく、登場人物の名前まで間違っていた時は血の気が引いた。そう考えると自分の本がちゃんと最後まで読まれて、おまけにレビューを貰えたのは超ラッキーなことだったと思う。 


『未来撃剣浪漫譚 ADAUCHI/八幡謙介』を読んだ

『未来撃剣浪漫譚 ADAUCHI/八幡謙介』を読んだ

 あとがきでは『るろうに剣心』をオマージュしたと書いてあった。あくまで題名だけ。作中に出てくる天心流は高速抜刀術ではない。
 話的には凛という女子高生が姉を殺されて、その仇討ちをするという物。始めの彼女の行動動機は姉が殺されたから彼女の恨みを晴らすために仇討ちするという外的な物だった。
 しかし、後半では自分の姉を殺した犯人が許せないから仇討ちするという内的な物になる。
 葬式は死んだ人のためにするのではなく、残された家族のためにするという同じ位置付けで、仇討ちがあると思った。
  ADAUCHI はジャンプ黄金期を意識して書かれたらしい。だから物語は仇討ち達成のハッピーエンドで終わる。でも私は仇討ちできずに"関所"に座り込む男の話も読んでみたいと思った。別に仇討ちできなくてもかまわない。始めは 黒い感情を煮えたぎらせるが、手がかりの掴めない仇討ち生活でどんどん憔悴していき、最後は心も体も白く干からびていく話。辻切り強盗に会い、刀を奪われて終わる。暗い話だ。でもそれは凛のあったかもしれない未来なのだ。
 彼女がそうならなかったのは天心流の人達のおかげだろう。凜を中心にして回る人間模様も1つの読みどころ。
 話は変わるが私は天心流の話を読んでいて、『銃夢』に出てくるパンツァークンストの奥義アインザッツリユトメンを思い出した。天心流の極意とは違うが無二が現在到達している境地はそれと似たようなものだと思う。
 他にも光学迷彩というのも出てくる。甲殻機動隊に出てくる技術だ。 ゴーグルという電脳に近い物も出てくる。甲殻機動隊が出版されたときはどちらも夢の技術だったが、現在はどちらも現実味をおびてきていて、その距離はぐっと縮まっている。
 こういう未来技術を考えつく人は凄いなあと思う。自分で何かないかと妄想してみたが、頭の中を文章化する技術ぐらいしか思い浮かばなかった。技術的には電脳の下位変換だ。それに誰でも思いつくような物でもある。
 あ~あ、銃夢みたいな機械の体と甲殻機動隊みたいな電脳(脳チップ3個連結できれば最強)が欲しいなあ。生きている間は無理そうなのが残念。

 昨日の吾輩は黒猫だと思っていたの話に繋がるのだが、凛が坊主頭にしても私の中ではずっと長い髪のままだった。坊主~という言葉が出たときだけは坊主になるのだけれど、そこを過ぎるとまた髪が元に戻った。ちなみに長さは肩にかかるぐらい。あんまり真剣に読んでないのかなと思った。







『シャンバラの住人/八幡謙介』を読んだ~エロを継ぐ者~

 『シャンバラの住人/八幡謙介』を読んだ~エロティズムの継承者~

 昔々、私がまだ小学生だった頃。ある日の夕方にA君が突然家にやってきた。彼一人ではなく後ろには上級生が二人いる。その二人は近所の子で、顔と名前は知っていて集団下校の時は一緒に帰ったりした。しかし、それ以外ではあまり交流がなかったので変に思った。
 何か用かと聞くと、A君はこれから遊ぼうと言うので余計に変だと思った。その時はもう4時前で、5時になるまで1時間ちょっとしかない。(ここら辺の門限は5時。だからめいいっぱい遊ぶために、前日に遊ぶ約束をして、朝から集合。昼飯時になると一度解散して食後にまた遊ぶのが常だった。だから夕方にいきなり来たのを不思議に思た。)
 そんなわけで、もう4時だから明日にしようと言ったのだが、それでも向こうはしつこく誘ってくる。上級生二人も一緒だ。何か怪しい雰囲気だったが、玄関で問答するのも変なので5時になったら帰るからと3人に釘を刺してから自転車に乗った。もし、ヤバそうなら5時に間に合わないからと家に帰る心積もりだったので、行き先も聞かずに軽い気持ちで上級生二人の自転車を追った。
 私達4人は住宅地を抜けて、国道を横切り、その先にある海の方へ向かった。ここまで来れば行き先は二つに絞られた。神社の裏の防空壕か、港に巣食う野犬の群れをからかいにいくか。
 しかし、どっちの予想も外れて自転車は海岸へ向かった。海岸と言っても遊泳できる場所でもないし、公園があるわけでもない。何か変だなと思いつつも、3人が海岸の端っこに自転車を停めたので私も同じようにした。
 それから、上級生二人とA君は海岸を歩き始めたので、私もついていった。彼らは熱心に下を見て歩いていた。何かを探しているようだ。貝殻を探すにしては海辺から離れ過ぎているので、振り回すための棒を探しているぐらいに考えていた。
 私はちょうど良い棒を二本見つけたのでA君に渡した。彼はうんと言ってそれを受け取ると、振り回すことなく杖代わりにして歩き続けた。彼がいつものように一緒に暴れてくれないので、私は一人で虚しく雑草を刈りながら歩いた。
 日はもう大分落ちていて、夕日の色も消えかかっている。その時はもう10月だったので風が肌寒かった。さっきからずっと歩くばかりで退屈なので、私はもう帰ろうかなと考えていた。それに本当に5時になったかもしれない。
 すると上級生の一人があったぞと声を上げた。彼の姿は海岸の道を外れて防風林の松林にあった。もう一人の上級生がかけ寄る。A君がそれに続いた。3人は松の根本を見下ろしている。そこは道から影になる場所だった。
 私もそこへ行くと、上級生がニヤニヤしながら雑誌を読んでいる。色使いがカラフルなので、マンガの雑誌に見えた。それが地面に何冊も積まれている。まるで宝の山だ。
 A君と私もそれを取った。しかし、中を開くとマンガではなく裸のおばちゃん(小学生に時は学生以上の女性はみんなおばさんに見えただろう?)が出てきた。他のページを開いても下着姿や、おっぱい丸出しの姿でくねくねと変なポーズをとっている。
 気持ち悪いなと思って、その雑誌を元の場所に投げ捨てた。
それからまた棒で雑草を刈った。今度はA 君も一緒だった。そうやっているうちに太陽が完全に山の向こうに沈んだ。
 母が恐いので上級生二人にもう帰ると声をかけた。二人は顔を上げずに、おうと言った。歩き始めるとA 君が俺も帰ると言ってついてきた。二人で草を刈りながら自転車のところまで行き、そのあとはまっすぐ家に帰った。
 何年かの後にA 君と私は同じように海岸を歩いていた。その時は貝でも棒でもない別の物を探していた。


 最近の子はエロの継承がなされているのかなと考える。なんたってエロ本の数は年々減っているらしいので、道端や物陰にエロ本が落ちていることも少なそうだ。
 インターネットでダイレクトに仕入れるのだろうか。そんな風に考えると時代の流れを感じる。インターネットによって情報の継承はスマートになった。でも、文化や経験の継承は廃れていくんだろうなと思うとちょっと寂しい。今の子どもに山や海岸、林を散策してエロ本を探した話をしても共感されないんだろうなあ。 


『セームセーム・バット・ディッファレン/八幡謙介』を読んだ~草食系男子はいい人!?~

 『セームセーム・バット・ディッファレン/八幡謙介』を読んだ

 田中さんが読むとちゃんちゃらおかしいと言いそうだけど、この本の内容で短歌を作った。

熱の国 蓮の湖 石の寺 笑顔ひとつで 陰を挿す君

 ・・・かなり不味い部類だが、重要な部分は押さえているはず。


 彼女に振られたユウは傷心旅行のためにカンボジアへ旅をする。そこで偶然出会ったジュリと一緒にカンボジアを旅行していくなかで、どんどん仲良しになっていく。浮かれた気分のユウの前に、突然コウスケという男が出てくる。コウスケは自分よりジュリとの厚い思い出がありそうだし、何より自分よりイイ男だ。それを一瞬にして悟らされるほどにイイ男なのである。
 次の日もジュリと一緒にカンボジアを旅行するはずだったのだが、ユウはコウスケと一緒に行けば良いじゃないかと考えた。そして何も言わずに部屋に閉じ籠もり続ける。ジュリはドア越しにユウを呼ぶが彼が返事もしないので、結局ジュリはコウスケと出かけた。ユウの目論み?どおりである。
 最近草食系男子が多いとテレビやネットでは言われる。その理由は俗に言ういい人が多くなったのが理由だと思う。
 ユウもいい人である。
 恋敵がいない間はジュリと思う存分一緒にいられたが、自分より良い男が出てくると話が変わってきた。いい人のユウは、ジュリにとっては自分と一緒にいるよりもコウスケと一緒にいた方が楽しいだろうし、実際今までもそうだったのだろうと考える。そんなわけで、次の日になると自分からコウスケとジュリを二人で出かけられるようにしてしまったのだと思う。私はここに彼のやさしさと一緒に自己保身の精神を感じた。明らかに自分より勝る相手と比べられて、価値を下げるよりはいっそ恋の土俵から降りて自分の価値を判定されないようにしたのだ。
 さて、もしユウがワルだったならどうなったか?
 ジュリ、コウスケ、自分の三人でユルい三角関係を保ちながらカンボジア旅行を続けたかもしれない。もっとワルなら、ジュリにコウスケさんとは別行動にして二人で旅行を続けようと持ちかけたかもしれない。
 そうなっていれば、二人の恋の結末はもうちょっと甘いものになったかもしれない。でもジュリがユウと一緒に旅行しようとしたのはユウがいい人そうだったわけだから、ギラギラしているユウだとジュリに誘われず、彼一人だけでアンコールワットを見ていたのかも?(いや、そもそも論なら元カノに振られることなくカンボジアにも行ってなかったかもしれない)
 結局、ジュリや元カノと失恋することになった理由は彼がはいい人であるのをやめられなかったことにあると思う。
 彼はカンボジアという異国の地を旅するなかで自分を取り戻したが、変えたい自分を変えることはできなかったのである。

 タイトルについて 。
 彼はアンコールワットを二回見るのだが、その場面は一回目はどこか幻想的でふわふわしている。二回目は鮮明でしっかりしている。どちらも同じアンコールワットなのに。
 これはユウの心情のメタファーなのではないかと予想する。一回目は失恋後の茫然自失状態、二回目は"いい人"である自分を取り戻した状態。
 この心情変化を現したのが『same  same  but  different』なのではないかと私は思ったのです。


 

 それにしてもまたまたまた八幡さんである。でも目欲しい物は全部読んだのでしばらくは書くことはないと思う。
 以前ツイッターで『セームセームバットディッファレン』が一番思い入れがあると書いてあったので、この本を読んだのは最初の方だったが書くのは最後になってしまった。びびっていたのである。最初に書いたのが気に入らなくて、一回消して、もう一度消して、三回目でやっと自分なりにこの本を掴めた気がしたのでブログの方に載せることにした。







『紅い雨、晴れてのち虹/月狂四郎』を読んだ。~男のロマンを体現した男!~

 男として生まれたからには男らしく生きたい!強くありたい!肉体的にも精神的にも!
 だが、実際にそう生きようとすると必ず破滅が目の前に迫ってくる。ほんの一時だけならともかくずっと男を通して生きようとすると必ず破滅してしまう。思春期を通り越した男ならこの気持ちが分かるはずだ。そんなわけだから男を通し抜いた良い男はすぐに死んでしまう。生きている男はみんな女々しい男ばかりだ。私なんかも命をかけてまで男を通す度胸もないので、仕方なく女々しく生きて歳を重ねている一人である。まあ、普段は女々しく生きているなんて思いもしない。他の人もたぶんそうだろう。だが、この本では男を通し抜いた男が出てくるから、いやでもそんなことを考えてしまう。
 理奈という女のために(でも本当は自分のためだと思う)杉原は闇世界へと堕ちていく。しかも、自分から堕ちていくのが凄い。もし私が主人公なら理奈なんか放っておいて物語は序盤で終了する。私は杉原にはなれない。だが、杉原は男を通すことによって自分から破滅への道を進んでいく。
 危険な世界も初めは軽く乗り越えるのだが、己の強さを見せたために今度は負けるかもしれない相手と戦うはめになる。
 でもまあ、物語なので、結局彼は破滅の淵を歩きながら日常に戻ってくるという羨ましい結末を迎えた。どうせなら死んでほしかった。男を通せば死ぬしかないと再確認させてくれるラストだと私は安心できたのに、杉原は男を通して生き残るのだから嫌でも劣等感を感じさせられる。男の中の男杉原が破滅の淵で泥臭く闘って、そして最後は生き残るという男のロマンを体現したハッピーエンドで終わってしまった。全くもって羨ましい男である。

【追記】
カウフィールドさんから寸評を頂いたので彼に代わってここに掲載します。
自由に使って良いそうですよ。

『ヒーローの条件は愛と勇気』
たとえ世界を救えなくても
不屈の精神と勇気があれば
誰もが誰かのヒーローになれる。
一人の男が一人の女を救った英雄物語。

   ーカウフィールド



『セックスドライブ/野村 龍成』を読んだ~もうひとつの男の姿~


 前に読んだ『紅い雨、晴れてのち虹』に出てきた杉原は男を貫いた男だった。この本に出てくるミネトもまた男を貫く男だった。ただし、その有り様は違う。
 杉原は目の前の困難や壁にぶち当たれば、それを吹き飛ばすような男だった。例えて言えば嵐のような男だ。
 ミネトは逆に目の前の困難を受け止める男だった。器がデカい男なのである。こっちは山のような男だ。
 杉原は目の前の破滅を吹き飛ばしたが、ミネトの人生は破滅している。それは本来のミネトが進む道ではなかったのだが、ミネトは死んだ親友のために自ら進んで破滅への道を選んだのだった。
 社会的には破滅したミネトだが、それでも腐らずにある目標に向かってがんばっている。それもまた強く生きる男の姿だった。
 だが、この話の中で一番デカイ器を持っているのはミネトではなくミネトの父親だろう。
 ミネトは当事者だから裏の事情まで知っているが、父親は事情を聞かずにただ彼と一緒に落ちていくのだから恐ろしい。母親だってそうだ。
 家族まで巻き込んで破滅したのだから、妹のように邪険に扱うのが当然なのにそれを受け入れるのはちょっと信じられない器のデカさである。
 まあ、私なんかも器がちっちゃいから、もしミネトが身内の人間だったら絶対に彼を許すことはできないだろうなと思う。



  

『疎外/幻夜軌跡』を読んだ~碧と早紀はどっちが良い女か~


 物語では碧の方へいってしまったが、私なんかは早紀の方が良い女だと思ってしまう。彼女は透がちゃんとシーラカンスに溶け込めるように手を尽くしてくれるし応援もしてくれる。横道に逸れたら注意までしてくれるしっかり者だ。汽車で例えるなら先頭車両である。
 碧もまた良い女だけれど、ちょっと危険な香りがする。彼女は透がやりたいことに協力してくれる子。行き先のハンドルは任せて後ろから押してくれるような子である。
 ややもすると碧の方が良い女になりそうなのだが、はたと考えてみる。主人公の透は人間的にはかなり強い男で、迷いながらでもハンドルを切れる男だった。どう考えたって私には無理そうなことでもやり遂げる力がある。なるほどそういう男なら後押しされたらもっと頑張って前に進めるだろうななんて考えたりする。
 それじゃあ、もし透が自分だったならと考えると、あっ駄目だなと気付く。もし碧みたいな子がいたら絶対に堕落してしまう。碧みたいな子は強い男専用で自分をしっかり持った男でなければならない。碧はダメ男が相手だとダメさをより強くしてしまう女だ。
 そう考えると、私みたいな俗っぽい男だと早紀の方が良い女だと思う。そんな男はどっちも好きにならないってのは別の話だけれどね。
 
 話は変わるが『疎外』はKDP で出た本にしては、絵が凝っていて、章毎に挿し絵があるし、編集までしてもらったらしいので、こう言っては幻夜さんを貶すようで悪いのだが、今までと比べて文章の完成度がかなり高い。編集が入るとこうも違うかと感心した。かなり豪華な仕上がりだと思う。これってかなりの赤字スタートだと予想するのだが大丈夫なのかとちょっと心配になった。
 これが成功したらKDP本の作り方が変わってくるんじゃないかなと思いました。


『疎外』をもっと深く読みたいのなら作者自身のサイトがおすすめです→ 幻夜軌跡のブログ  
さらに『疎外』のテーマを知りたいのならこの記事をおすすめします→個を越えて繋がるということは?
12/17の17:00まで無料キャンペーン中だそうです。KDPに興味があるならダウンロードしておいて損はない作品です。
疎外
幻夜軌跡
のぎのぎ出版
2013-12-11




『宝くじ/俵一郎』を読んだ~宝くじが当たったらどうしましょう~


 うだつの上がらない主人公に宝くじがで千二百万円当たるけれど、結局は人生を好転させることもできずに死んでいく話。能力不足の人間は例え大金を手にしようともうまくいかないもんだと思う。逆に大金が手元に転がり込んでそれを元手にどうにかできる人は有能で、有能ならいつまでもうだつが上がらないなんてこともなく、宝くじが当たらなくても社会的に成功する人生を歩むんじゃないかと思った。主人公がバットエンドに向かうのは運が足りないのではなく、向上心が足りないのでもなくて、能力不足だからだ。そもそも能力があれば、うだつの上がらない生活もしていなかったはず。それじゃあ低能力の人はいつまでも下へ下へ下がり続けるしかないんだろうか。別に低能力は生まれた時に選んだもんじゃないのにかわいそうだと思う。何とかならないものか。もしこの話が3億円ぐらい当たった話だったなら、つまらん話になっただろうけれどそうだったら良かったのにと感じた。
 そうそう、年末ジャンボ宝くじは最近7億円が当たるらしい。数年前までは一等前後賞合わせて3億円だったのに、近年はなんかどんどん上がってきている。もし、七億円当たったらずっと本を読んでいたい。書くのは多分無理になる。執筆にはある種の緊張感が必要で7億円が当たったら、その緊張感を保てないだろうなと予想する。(でもひょっとしたらすごく集中できる様になるかも?結局は当たらなきゃ分からない)


 話は変わるが宝くじが当たる話はいくつかあるけれど、当たるのは大抵最初の方だ。クライマックスに宝くじが当たる話を今まで読んだことがない。話がご都合主義すぎるから?
 いつか実験的に書いてみようかな。

宝くじ
俵一郎
2013-11-26

 

『イディオット/夏井暑』を読んだ ~もし全ての運命が決まっているならば今感じているこの感情も決めれられたことなのか~


 波多野が記憶がない状態で部屋にいるところから話が始まる。最初にに言っておくと大抵の記憶喪失は思い出は消えても、社会的な記憶は残るらしい。切符の買い方だとか、コンビニで万引きしちゃいけないとか、自転車の乗り方とか、毛糸の編み方なんてのも覚えていたりする。一昔前にピアノマンってのもいたっけ。彼も記憶喪失だったが、ピアノは弾けた(結局どうなったんだろう?)。そんなわけだから、主人公が記憶喪失だからといっても、CDとかお金の概念を知っていることは不思議じゃない。むしろそこまで忘れることの方が稀であるようだ。
 次に波多野は時間が飛ぶことに気付く。それは過去だったり未来へだったりする。何故そうなるのかは分からない。その謎を解明するのが主筋。
 波田野を殺そうとする二人組が追跡してきたり、恋人が出てきたりして話が進んでいく。恋人が死ぬことを一度体験してから、時間が巻き戻ったので、それを防ぐというのがもう1つの筋だ。
 主人公や登場人物の動きは呆気ないほど軽い。そのくせ心理描写はやけに重たいのでそこに違和感を感じる。
 話は進み物語の終盤で記憶喪失と時間が飛ぶ謎の解明がされる。そして、ここでやけに登場人物の行動が軽いのかも説明がつく。
 全ては筋書き通りだった。時間が飛ぶことも、恋人が死ぬことも。それは変えられない運命だということが判明する。主人公にも、追跡者にも行動を決定する権限がなかった。最後に主人公は筋書き通りに追跡者を殺す。
 この話ではこの世に自由意思で決められた行動はないとしている。全ては外からの働きで動いている物だとされている。ちょっと暗い話だけれど、行動に対する感情だけは自分の物だとしているところにほんの少しの救いを感じた。

 

『さんざんなロスタティクル/犬木蓮木』を読んだ~あれっ誰も死んでない?誰も死んでない!~

 奇遇にもまた記憶喪失物。KDP界では流行ってるのかな。私も書いてみようかなと考えてみたりした。
 人間には二面性がある。いや、二面どころか三面、四面といくつもの顔がある。例えば目の前に大好物のチーズケーキが丸々一個あったとする。ああ、食べたい!まるごと全て食べきってしまいたい!と思うと同時に、これ全部食べたら太るよなあ…と思ったりもする。どっちも本当の気持ちでだからこそ葛藤が生じる。それぞれの面がぶつかって、今日はひと切れぐらいにしておこうかと落ち着く。
 ミナコ+その他(名前出てきたっけ?忘れてしまった。)にも二面性があったように書かれている。
 リーネは(line をローマ字読みだよね)情報共有の道具であると同時に感情を共有する道具である面が強く書かれている。これって現実と同じだよね。うん。
 まっさらの状態で個人々々をみれば誰もがアカネをからかうことは気が進まないことだったはず。それなのに発端は誰であれリーネでアカネをからかう感情の共有がなされてしまうと、その雰囲気に呑まれてしまい。自分も彼女をからかわなきゃと思ったのだろう。描写されていなかったと思うが、からかわれているアカネ本人もそうなるのは嫌だったが、その空気に呑まれてしまっていたように思う。これって出来上がったいじめの構造だよね。
 一度できてしまった空気を変えるのは難しい。ましてや一人だけなら。リアルでもネットでもそう。アカネが屋上から飛び降りるというドラマチックで衝撃的なことがないとその空気は変わらなかった。
 現実的にはあり得ないけれど、もし誰かが勇気を出してアカネをからかうのを止めるように動いていればどうなっていたんだろうと思う。ちょっと考えてみたが小説に書くのは難しい。どうしても言い出しっぺがいじめられる展開になってしまった。みんなそれが嫌でアカネをからかっていたんだろうなあ。この辺りは幻夜さんの『疎外』に通ずるところがある人類普遍のテーマだと思う。

他の人の感想
月狂四朗さん/「さんざんなロスタティクル」書評   

さんざんなロスタティクル
犬子 蓮木
もふもふ出版
2013-12-01






(おわり)


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