ある本に日本と中国では漢字の意味が違って『小人』というのは、日本では小さい人という意味だが、中国では小さなことにも気付く情が細やかな人という意味があるらしいと書いてあった。なるほど中国ではまず大きな人間という器があって、そこに『小』の概念が入るのだなと文化の違いに感心していたのだが、ふと反日デモの時に『小日本』という言葉が蔑称で使われていたのを思い出して、もしかしてあれは褒め言葉だったんだろうか。いや、そんな風には見えなかったけどなぁ・・・・というので調べてみるとやっぱり蔑称だった(ちなみに発音はシャオリーベンというそうだ。カッコイイ響き。もうひとつの蔑称日本鬼子はリーベングイズ。やっぱりカッコイイ。ネット上で萌え絵に還元されたのはこういうところに理由があったのかもしれない)。

 う〜ん、だが中国が舞台の本で名前の『小』を付けて親しげに呼ぶというのも読んだことがある。たとえば牛野小雪なら『小雪(シャオシュエ)』・・・・・ごめん。ちょうどいいネタだからふざけちゃった・・・・リンチーリン(林志玲)でたとえるなら小玲(シャオリン)みたいな感じで呼ぶ(たぶん)。シャオちゃんみたいなニュアンスなんだとか。男ならくん。ということはシャオロン(小龍)は龍くん? カンフーの達人っぽくないぞ。それだと小日本は日本ちゃんみたいな感じになるのかと思いきや、やっぱり違うらしい。う〜ん、難しいぞ中国語。

 欧米人が自己主張が強くて何でも言いたいことを言うという俗説はけっこう昔から言われているけれど、海外のドラマとか小説とか映画に触れているとホンマかいなという気分になる。もちろんフィクションと現実は違うものだけれど、全く違うということもあるまい。日本の映画やドラマにだってそんなヤツいね〜よ、とか、こんなことありえない、とかいう場面はあるが、人間性みたいなものは現実と重なっているように、外国人の人間性も創作物に重なっているはずで、それを見ている限りでは欧米人だって空気を読んでいるし、当てこすりもあるし、偉い人は無言の圧力をかけてくるし、卑怯者は陰湿なやり方を普通にしているし、まじめな人が割を食っている。同じ人間でそんなに人間性が変わるはずがないではないか。でもアメリカ人は明るそう。たぶんこれは間違いない。あとベーコンとチーズが好き。
 でもこれも実はアメリカ人気質があるのではなくて、アメリカという土地にそうさせる何かがあるのかもしれない。日本人だってアメリカに行けば明るくなってベーコンとチーズが好きになったりしてね。そういうことはありえそうな気がする。帰国子女あるあるみたいなネタもあるしね。
 隣国の香川に行ったらうどんが食べたくなるんだけど、実はそれってうどん外食産業が強すぎる土地柄だから。一度香川のスーパーでうどんを買って帰ったことがあるんだけど、それですら普通のうどんとは違うんだからあの土地はおかしい。うどんのためにあるような土地だ。あそこではみんなうどんに飲み込まれてしまう。

 SMAPの『セロリ』で、育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ/夏がダメだったりセロリが好きだったりするのね、という歌詞があるけれど、実は積み上げられた経験や性格は絶対的なものじゃなくて、セロリが美味い環境に変われば自然とセロリが好きなるんじゃないかな。うどんって普段はあまり食べたいとは思わないけれど香川に行けば食べたくなるんだもの。

(2017/03/15 牛野小雪 記)
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