『幽霊になった私』の表紙を今作っている。最初は自分で描いていたが早々にギブアップした。頭の中にイメージはあるのだが私にそれを形にする力はない。フリー素材サイトを三日ぐらい巡って、最初にポップなもの、一時抽象画の迷宮に迷い込んで、またポップな世界に戻ってきた。

 写真素材は簡単に綺麗なものができるが、本の表紙としてはどうだろう?  たまたま自分が書いている物とイメージがマッチしない物ばかり見ているからそう思うのかな。なにかしら加工しないと表紙には使えないような気がする。商業でも写真が表紙だとモノクロが多いのはそれが理由?

 この一週間『表紙 装丁』『本 自作 表紙』『KDP 表紙』『表紙 デザイン』『本 デザイン』とか色々なキーワードで検索していたら、その途中で自分のサイトと淡波さんのサイトが出てきたので世間って狭いなぁと思った。私のサイトはあんまり参考にならなかったが、淡波さんのサイトは参考になった。表紙に縦横三分割にしてデザインすると、とても良い感じになった気がする。少なくともレイアウトについては行き当たりばったりではなく、ひとつの方向性が見えた。ありがとう淡波先生。
 KDPの表紙サイズは黄金率に基づいてデザインすればいいと公式でアナウンスされていたが、ヘルプに書かれているのは厳密な黄金率ではない。そもそも黄金率が一番訴求力があるわけでもないのはネットで検索するとたくさん出てくる。

 私は今まで白銀率(1:1.414)で作っていた。でも最近は黄金率も良いんじゃないかと思い始めた。それで同じデザインで黄金率と白銀率の表紙を作ってみたら黄金率で作った方が良いように見えた。

  景気が良くなるとミニスカートが流行るという。それと同じで、こういう物は気分の良し悪しに左右されるものだと思う。でも今はそう感じるのだから、やっぱり黄金比率がいいのかなと思ってしまう。もしかすると私は今調子が良いのかな?

 ちなみに黄金率だけじゃなくて色々変えた結果がこうだ。旧版は白銀率、変更した版は黄金率で作ってある。どうだろうか? 私は右のほうが良いような気がする。気のせい?
新旧グッドライフ

  先週髪を切りに行くと十円ハゲが大きくなっていると言われた。去年『ヒッチハイク』を出したあとぐらいに気付いて、それ以来大きくなったり場所を変えたりしながら徐々に大きくなっている。

 ハゲたのは絶対にフォトショップで『ヒッチハイク』の表紙をたくさん作ったのが原因だと思っている。あれで右脳のアートをつかさどる部分が限界を越えてしまったのだろう。 髪が濡れると、ああ、ハゲているなと自分でも分かるようになった。でも何故か頭頂部には広がっていかない。やっぱり脳みその使い方が原因なんだろう。正式名称円形脱毛症だが、最初は円形だったのが今は頭頂部と側頭部の間で潰れて半月状になっている。このまま右側頭部だけハゲてアクロバティックな髪形にならないか密かに心配しているのだが『幽霊になった私』を出したら治るのかな。 

  基本的に私は髪を切ってもらっている間は話しかけられない限り喋らない(他の時でも同じだけど)。だから髪を切る人と隣の席の人が喋っていると沈黙が苦にならないのでほっとする。

 あるおじいさんが話していた。熊本の地震は凄かったけれど、この辺の前の地震は大したことなかったそうだ。前の地震とは東日本大震災ではなくて南海大地震のことである。

 Wikipediaによると前回は1946年に起きた。70年も昔の話。その地震では家も倒れなかったし、津波は来ても床下浸水で済んだらしい。その時は、ふ~ん、そうかなと思っていたけれど、後で調べてみると私の住んでいるところの近くには断層がない。だからあまり揺れなかったのかな。というかじいさん凄い歳だなぁ。歳取っているとは思っていたけど。70年前の地震を知っているなんて下手すれば90越えていたんじゃないか? あれぐらい元気なじいさんになりたい。
活断層データベース 起震断層:産総研

 もっとも前の地震が大したことなかったからといって、次の地震も大した事がないとは限らない。それに“活断層”と聞くと現在も動いているような印象を受けるが、実際は過去に動いた事が観測された場所というだけであって、実は私の家が立っている場所が断層の真上という事もありえる。

 私が住んでいるところは昔ススキばかりの荒野で、家は一件も無かったそうだ。だから、本当はめちゃくちゃ揺れたけれど誰も気付かなかっただけということもありえる。この世に絶対なんて絶対無いのだ。それにこの辺が揺れないからといって、外出先で巻き込まれる事だってある。安心はできない。私が住んでいるところに断層はないが、よく行く場所には断層が東西に走っている。
 

 話は変わるけれど推敲をしていると、まずい文章を消して新しい物に書き直すわけだが、これって筋トレみたいだなと思った。せっかく書いた文章をボツにするのは非常に惜しいのだが、新しく書いた文章はやっぱり前のより良い。どう転んでも悪くなる事はない。

 こんなことばっかり言っていると、とにかくボツにして全部書き直せば良い様な気もするけれど、何もかもボツすれば良いとは思えない。それはきっと立ち直れる程度のボツでなければならないのだろう。 
 筋トレをして筋繊維をいじめれば筋肉が強くなるからといって、腕の筋肉をプレス機で潰したり、切断したりしまえば強くなるどころか腕自体がなくなってしまう。ビルの屋上から飛び降りれば全身の筋肉が断裂するだろうがこれから先の人生も断裂してしまう。あまりに大きな負荷は致命傷になりうる。

 それじゃあ筋肉を鍛えるように小説を鍛えるにはどうすればいいのだろうか?  筋肉なら最大負荷をかけて運動後にプロテイン。夜はしっかり眠ること。小説に対する筋トレは推敲として、プロテインにあたるものはなんだろうか。思いつくものがなかった。プロテインを飲めば良くなる? そんな馬鹿な。でも何かあるはずだと思っている。