題名:サクセ・サイフォ
作者:牛野小雪

A子:ねえねえ、知ってる。サクセ・サイフォ
B子:サクセ・サイフォってなに?
A子:エミちゃんにね、新しい彼氏ができたんだって
B子:ちょっと待って。だからサクセ・サイフォってなによ
A子:そんなことはどうだってサクセ・サイフォでしょう? 今はえみちゃんの話をしているんだから

えみちゃん現れる

えみちゃん:サクセ・サイフォ~。何の話をしているの?
A子:サクセフォ~。何でもないよ。
B 子:えみちゃんも。サクセ・サイフォってなに? 
えみちゃん:いやあねえ、Bちゃん。変なこと言わないで。猫が塀の上を歩くわ。猫といえば前に家の裏で野良猫撮ったの。見て見て

エミちゃんが携帯を出す。A子とB子がそれを覗く。

A子:かわいい
えみちゃん:でしょでしょ。最近子猫を生んで引き連れて歩くの。
B 子:・・・・サクセ・サイフォ?
A 子とえみちゃん:本当にそうね。サクセフォだね

(終わり)

論評:サクセ・サイフォー
筆者:祖谷田 八津雄

 サクセ・サイフォーという謎の言葉がA子、えみちゃんからB子に転移していくさまが表現されているのは分かった。だが相変わらず謎を最後まで読者に明らかにしない作者の遣り口は物書きとして甚だ不誠実である。
 そもそも作者が何の意図をもってこのような物を書いたのか私には分かりかねる。卑しくも公に向かって文を書く者なら読者を正しい方向に啓蒙するもの、もしくは読んで今後の生活に役立つもの、あるいは社会に対する不穏を煽るものであってもよろしい。
 だがこれには何もない。ただのがらんどうである。作者の独りよがりである。このような物が公に出るのは社会の損失である。そもそも・・・・・・・


論評はここで二つに破られていた。もう片方は見つからないので読むことはできない。


(おしまい)