愚者空間

牛野小雪のサイトです。 小説の紹介や雑記を置いています。 あと短い話とか。

2020年05月

 ソクラテスが昼間の市中でたいまつをともしながら「人間はどこだ」と探し回る逸話をノートに書いていて、ふとどういう経緯でそんなことをしたのか気になってgoogle検索してみると、全然ヒットしなかった。おかしいな、とwikipediaでソクラテスを見たり、ソクラテスの逸話、小話、とかで検索してもまったく出てこなかった。そんなわけあるか、絶対にこの話を読むか聞くかした記憶があると絶対の自信を持っていたので、一日中その逸話を探していたが、ネットにも本にも見つからない。

 人は自分の見識と違うことが起きると、超現実を信じてしまうようだ。私はソクラテスが人間を探さなかった並行宇宙に迷い込んだとしばらく信じていた。本当に不思議だが、こんなことがありえるのかと、奇妙に納得していた。しかしふと何故かディオゲネスについて調べたくなり、wikipediaを読むと、ようやく答えが見つかった。私が探していたのは彼だった。ディオゲネスがランタンを灯して「正しい人間はどこにいる」と歩き回っていたのだ。
 
 ソクラテスはディオゲネスで、たいまつはランタンだった。でも私は何故か前者の方が正しいと思い込んでいて(でも本当に並行宇宙に迷い込んだのかもしれない)、それがために一日中何もないところを歩き回されていたというわけだ。ソクラテスに「知っていると思い込んでいるが何も知らない人だ」とdisられてもしかたがない。

 本当に名前については信用ならない。自分の小説の登場人物でさえ名前を間違えるくらいダメだ。どうやったらちゃんと名前を憶えられるんだろう。人の名前はもちろん、ペンネームの牛野小雪でさえ思い出せない時がある。

(未完)

※ちなみにディオゲネスが見つけたのは詐欺師とごろつきだったそうな。

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 今年の二月に『流星を打ち砕け』を出してそろそろ一季節が過ぎそうだが、次回作はまだほとんど形になっていない。たぶん今回もまた一年かけて書くつもりなので、書くことだけじゃなくて、書き方まで考えることが多いからだ。相当時間を浪費している感じはあるが気分は悪くない。空振りに終わるかもしれないが良い体験をしている。

 何年か前に文学界で岡崎京子という漫画家の特集があって、それがきっかけで『pink』を読んだ。登場人物にハルヲくんというのがいて、小説を切り貼りして作るという手法で小説の賞を取るというエピソードがあった。ちょっと衝撃的だったの調べてみると、そういう手法は普通にあるらしい(最初から最後までやるのか、一部だけでそうするのかは分からないけど)。たぶんカットなんとかという名前だったはずだが検索しても出てこない。もしかしたら全然違う名前かもしれないし、映画か漫画の手法だったかもしれない。知っている人がいたら教えてほしい。

 それからたびたび考えていることの一つにオートマティズムがある。簡単に言えば無意識を利用した執筆方法だ。別に新しい手法ではなく、絵画の世界(文学が先?)だともう枯れた技術といってもいいぐらいで私にも真似できる物があるほどだ。たとえば『ターンワールド』の表紙は小さくした画面に線をむちゃくちゃ描いただけだし(こうすると描いている時はどうなっているか分からない)、この前出した『流星を打ち砕け』の表紙もコラージュの手法からアイデアを得た。最近(これももう古典化してきたが)はもう無意識さえ排除する動きもあってアーティストが筆を取らないパターンさえある。この前『日曜美術館』で見たのは電車の揺れで絵を描く人が紹介されていた。ここまでくるとそれってアートなの? 芸術ってなに? と思ってしまうので、今のところは無意識だ。

 3000年前のたぶんギリシャの詩人が「今を生きる人間にはもう新しいことは残されていない」と言ったように絵画はもちろん文学の世界でもオートマティズムが注目されていたことがあるそうだ。高速記述とか、ドラッグで意識を朦朧とさせた状態で書くとか、そんなところ。でも芥川竜之介が薬でへろへろになっている頃のは好きじゃないし、高速記述なんか嘘っぽいと思ってしまう。小説の切り貼りも試してみたがあんまり良いとは思えなかったし、第一著作権の問題もある。この辺りで壁にぶち当たって一度オートマティズムについては頓挫した。大体この道に何かがあるなら過去も今もオートマティズムで書く作家がもっといるはずだし、手法も発掘されているはず。つまりどん詰まりってこと。

 だいたい無意識を言葉として捉えられるなら、それはもう意識じゃないか? 書くという意識的な行為で無意識を書くなんて不可能だ。とか考えていたんだけど、ふと何かの偶然でフロイトの無意識の記述を読んで分かったことがある。

 無意識なんて存在しない!
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 正確に言えば無意識のイメージに間違いがあった。
 たいていの本では海に浮かぶ氷山があって、海上に出ている部分が意識、海中にある部分が無意識と説明されているが、フロイトによると抑圧は形を変えて現れるので、無意識は必ず意識上に現れる。常に感じ取れるものなのだ。心の四次元ポケットは存在しない。

無意識は自分

 従来の意識無意識の関係は左だが、どうも右の捉え方がしっくりくるように思う。無意識はここにある。ゴミ箱の中にある物が私の無意識かもしれないし、他人の中に私がいるかもしれない(特に嫌な奴)。いや、たぶんそうなのだ。だから嫌なことばかり考えてみた。今まで出会った底意地の悪い人、気持ち悪い物、汚い物、不幸。すると凄く気持ちが落ち込んできた。絶対に何か間違っていると思った。それに自分の中にある醜さや恥を見つめて、人前にさらけ出すなんて古い文学感だ。よくよく考えてみれば無意識にだって良いこともあるはずだし、隠される物は良いものじゃないか。

 でも、だ。抑圧が形を変えて姿を現すのなら、嫌なものは無意識では良いものなのかもしれない。じゃあいいものは悪いもの? いいはわるい、わるいはいい。なんてワルプルギスの夜で歌われそうな歌詞だけど、それもまたしっくりきた。

 結局、それでどうしたというわけなんだけど、結論なんてものはなくて、ただ感じたり考えたりしたことを書いただけで、この記事には何の意味もないし、どこへ行くわけでもない。これ以上書くことは何もないから未完で終わり。

 でも無意識では意味があるかもね。

(未完)

pink 新装版
岡崎京子
マガジンハウス
2016-08-31


精神分析入門(上) (新潮文庫)
フロイト
新潮社
1977-02-01



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