愚者空間

牛野小雪のサイトです。 小説の紹介や雑記を置いています。 あと短い話とか。

2019年11月

 光文社版の『老人と海』はIT革命の後に新訳されただけに解説も豊富だ。その解説によると『老人と海』の俗にいう執筆期間、つまりタイプライターを叩いて文章を書くような行為は2ヶ月だが、構想からを含めると20年かかっているらしい。20年といえばガルシア・マルケスの『百年の孤独』もたしか20年だったはずだ。もしかしたら一人の小説家の最高傑作は20年かけて書かれるのかもしれない。(その二つは最高傑作じゃないっていう人もいるだろうけど)

 そういう目で見れば夏目先生も芥川龍之介も小説家になってから20年もしない内に死んでいる。私が思うに、この2人が日本の小説家で群を抜いているような気がするのは、もちろん彼らの作品の素晴らしさもあるだろうが、それ以上に、もし2人があと10年生きていたらどれだけの物を書いていたのだろうかという可能性を見ているからではないか。こんなことを言うとファンに怒られそうだけど、太宰治があと20年生きたとしても『人間失格』以上のものを書けたとは思えない。(これまた『人間失格』は最高傑作じゃないという人がいるだろう。きっと文学オタクだ)

 こんなことを考えるのも、私の中にもずっと書けずに胸の中に留まっているものがあるわけで、時折書こうと試みるもどうにも筆が進まないからだ。もしそれを書くのに20年も必要とするのなら、まだ折り返し地点も過ぎていないわけで、あと10数年先なんて小説を書いているどころか生きていることさえ想像できない。そりゃあそうだ。夏目先生も芥川龍之介も20年書く前に死んだのから私が死なない道理もない。2人に限らず、腹に一物を抱えて死んだ作家なんてごまんといるだろう。でももし20年後も小説を書いていたとしたら、私はどんなものを書くのだろうと想像してみた。が、何にも思い浮かばなかった。最高の小説は二十歳で世に出ると仮定すれば、まだおむつが取れたばかりで、将来どうなりたいかなんて聞いても、おつむが足りないので何にも答えられないだろう。車になりたい、運転手さんになりたい?、ううん車になってビューって走りたい、と大真面目に語って大人を笑わせることはあるかもしれないが、実際にそうなる可能性はかなり低い。

20nenn

 20年……20年って長いなぁ。たぶんヘミングウェイもガルシア・マルケスもまさか20年かかるなんて思ってもいなかったに違いない。それだけのあいだ胸に秘めたものを書いた後にまた小説を書くことなんてできるんだろうか。

(おわり)


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 この前、青空文庫にヘミングウェイの『老人と海』があるのを見つけた。外国の作家が青空文庫にあったのもそうだし、ヘミングウェイがパブリックドメインになっていたのにも驚いた。彼の死後50年経っている。他の作品はないので『ヘミングウェイ パブリックドメイン』で調べてみると、戦争期間中の著作権は伸びて計算されるので(国によって著作権の保護期間は違う)、戦後に出版された『老人と海』はパブリックドメインになり、戦前の作品はまだパブリックドメインではないという不思議な状態なのだそうだ。ちなみに全ての作品がパブリックドメインになるのは2031年。

 前に『老人と海』の語句を調べていて、日本語でも分からないので原文から意味を探っていると、意外と意訳が多いことに気付いたし、段落や文章のつなぎ方や切り方も違うことを知った。

 絞轆(こうろく)というサメを吊るすために使った道具があるのだが、私ならそれを吊り鉤と訳すだろうとか考えていた。英語で読みきった本なんて『不思議の国のアリス』ぐらいの人間が不遜にも翻訳家に茶々を入れたわけだ。ちょっと気にかかったところなんかは頭の中で訳して、それが手元の『老人と海』と違うと、ちょっと嬉しくてグフフと心の中で含み笑いをしていた。私が読んでいたのは新潮文庫版の福田恆在という人が訳した物で発行されたのは昭和41年。それから元号は二回変わったし、そりゃあ時代的な文章だと感じるわけだ。

 そういう経緯もあって『老人と海』がパブリックドメインになったのなら自分で翻訳して公開してやろうという野心を抱いた。しかし翻訳する前に他の翻訳はどうなのかと光文社版の『老人と海』を読んでみたら、現代風のすっきりした文章になっていたので驚いた。2014年の翻訳らしい。マジか。と何度も心の中で驚きつつ、最後まで一気に読んでしまった。これがあるならあと20年は訳す必要はない。

 そう思っているくせに、グーテンベルクから原文をコピペしてローソンで印刷してきたり、英和辞典を二つ本棚から引っ張り出してきたり、訳そうとする色気が消えてくれない。色気は消えないがまだ一文も翻訳していない。結局どうしたいんだか自分でも分からない。今のところ翻訳する気はないが、翻訳しない気もない。もしかしたら20年かけて翻訳するのかもしれない。ないない尽くしだが原稿のコピーは机の上にある。

(おわり)
ヘミングウェイ


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