愚者空間

牛野小雪のサイトです。 小説の紹介や雑記を置いています。 あと短い話とか。

2019年01月

小説を書き上げた後は、俺って天才!と舞い上がり、推敲を始めると、俺は一体何を書いてきたんだ···と落ち込むのは毎度のこと。あまりに落ち込んで一章推敲するのに一日かけてしまうこともある。でも、そんなこんなで今週中に推敲を一周した。今回は珍しく一章書き直したこともある(この前のとは別)。なかなか悪くない。でもそうすると最初に考えていたラストになってしまうので、迷って、迷って、二つのファイルに分けた。だから山桜は二つある。推敲の二周目からは自信がついてくるので今から楽しみだ(でも打ちのめされたらどうしよう)。

今回は作中に詩が入っている。後半は下手な詩ということになっているが、どう読んでも今年に詠んだ方が良いよな、とツッコミを入れている。だから前半の詩も詠み直したら断然良くなった。詩の才能なんて全然ないと思っていたけど続けていれば何かしら得るものはあったようだ。

あと、本当にどうでも良いことなんだけど、最近Amazonのプライムラジオを聞いていると歌詞が表示されるようになっているのに気付いて、寝る前は歌詞を見ながら聞いていて、ふと、歌詞って詩だよなぁ、なんて今さらながら思った。ボブ・ディランがノーベル賞取ったのにね。そう考えれば文学に触れている人はいっぱいいる。

(おわり)


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 去年の11月には、山桜のラストはこれでもう決まりだろう、これ以外にはありえないという場面ができていて、頭の中にもノートにもはっきりと言葉が刻まれていた。

 しかし、今年からは新しい小説を書くんだと意気込んでいたので、これが完璧だとは思い込まずに、何とか別の終わり方ができないものかと、ずっと悩んでいた。いくつか案は出せたが結局最初の案以上のものはできなかった。もうこれで良いじゃないか。これ以上のものは人間には書けないよとあきらめて、年が明けた。

 正月にNHKの落語番組に笑点の司会の人が出ていた。『浜芝』でもやらないかなと見ていたが、新作落語ばかりやるのでチャンネルを変えたくなったが、笑点の司会の人が、古典落語の完成度は、それはもう凄い物があって、でも現代に生きる僕達は新作落語を作らなきゃいけないんだ、的なことを言ったので、頭の中にビューンと冷たい風が吹き抜けた。

 そうだよ。新しい小説を書かないといけないんだよ。完璧に安寧しちゃダメなんだよと正月早々に思い直した。

 そんなわけで今年もずっと完璧なラストをどう超えるのかとウンウン悩み続けて、最後のブロックを積むところまで来ると、手が止まった。やっぱりダメだ。どうして最初に思い付いたラストではいけないのだろう。完璧じゃないか。これ以外にない。一時間ほど悩んだ。とりあえず書いてみるということもしなかった。

 完璧ではないものならあった。去年から、もし書くならこれというものはあったが、完璧から一歩踏み出すために無理矢理別の場所へ飛ばしたようなもので絶対にダメなものという確信があった。でも、もし仮にこれを書かなかったら絶対に後悔するという予感もあった。だから、ええい、どうせ俺は何者でもねえんだから成功も失敗もねえや、と華厳の滝から飛び降りる気持ちで書き始めると、腕からキラキラひらめきが降ってきた。空の蓋がパカッと開いて、頭の中に涼しい風が吹いた。今まで思いもしなかった言葉が次々と湧き出てきて、あっという間に最後まで書き終えてしまった。

 完璧とはいえない。新しいかは自信がない。あるいは完璧に新しいのかもしれない。分かっているのは昨日までは思いもよらなかった小説が爆誕したということだけだ。胸がドキドキしている。もしかすると、とんでもない小説が書けてしまったのではないのだろうか。何だか恐くなってきた。

(おわり)

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 一昨年の暮れから去年の前半はずっと改稿をしていて、毎日の改稿字数を計測していた。それによると一週間休んでから二週間後に改稿字数のピークがくることが分かった。夏に群像に送った小説もやはり14日目にピークがきた。ついでに今書いている小説も15日目が一番書けた。どうも二週間後にピークがくるというのは生理的現象らしく、気合ではどうにもならないようで、その後は必ずペースが落ちる。ピークから二週間後にはほとんど書けなくなるので一週間休む、するとまたじわじわ書けだして二週間後にピークがくる。

 何だか嫌になる。自分とは関係ないところで執筆は進む。14日頃は寝不足で今日はダメだと思っても書けてしまう。28日頃は前日にぐっすり眠れて心も体も万全という状態でも1000字書くのがやっとだったりする。

 私が私と思っている人間は、実は二重人格の従人格かもしれない。主人格は私に現実を任せて、意識の裏側でしこしこ小説を書いているのではないか。前に二重人格の本を読んでから、そんなことを考えている。少なくとも小説は私だけの意思では書いているとは思えない。これはどう考えても書けるだろうという時に書けなかったり、頭が真っ白な時でも書けてしまう時がある。私が二重人格かどうかはともかく、私が認識できないところで別の原理が働いているのは間違いないことで、しかもそちらの方がよっぽど私より強い。

 ホントに嫌になるけど休養から二週間後にピークがくるのは、ほぼ間違いない。なので二週間後に最後の締めを書けるように一週間休むことにした。今までのペースなら14日目に(おわり)と書けるだろう。

 でも本当に14日目にピークがくるのかな、と不安に思っていると、ニュースで錦織圭が全豪オープン前に一週間休むというのを聞いた。全豪オープンは1月の14~27日にある。決勝はほぼ二週間後だ。錦織圭と同じなんだと背中を押された。

 時々私は小説の神様に愛されているんじゃないかと思う時がある。こうやって偶然を装って、それでええんやでと教えてくれているような気がする。それなら毎日一万字ぐらい書けて、小説も飛ぶように売れるようにしてほしいものだが、そこまでは溺愛されていないらしい。まぁでも嫌われてはいないんじゃないかな。

 山桜もだいぶ先が見えてきた。超絶好調の日がくれば、その日のうちにでも書き終わりそうだけど、それだとかえって二週間後のピークに締めが来ないので、ほどほどに進むぐらいで良いよと思いながら書いている。だから、ほどほどに進んでいる。

(おわり)

※二重人格の従人格は主人格を認識できないが、主人格は従人格を認識できる。ということは、もし仮に私が二重人格なら、私は主人格を感覚として認識できていないので従人格ということになる。必要なくなれば消えてしまう。吹けば飛ぶような将棋の駒だ。

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