愚者空間

牛野小雪のサイトです。 小説の紹介や雑記を置いています。 あと短い話とか。

2018年10月

 去年、聖者の行進を出してからもうじき一年になる。それから全作改稿して、群像にも出して、それからプロットを作り始めて2ヶ月が過ぎた。ノートを書き始めてからだと今までで一番長く時間をかけている。難産というよりは輪廻転生を何度も繰り返している感じで、今月生まれたプロットもリセットすることにした。

 一体何をやっているんだろうという気分になるし、実は小説を書くことを拒否しているのではないかということも考えてしまうのだが、これはもう私には書けない小説だと諦めて、別の小説を書こうとしていた時のプロットが合流してくると、こうなるために迷ってきたのだと運命めいた物を感じた。これはイケる! という確信にも襲われたものだ。しかもちょうど時期を同じくしてゲーテの本を読んでいるとこういう文章に遭遇した。

 私の人生と芸術のなかで、自分自身の道と、他人の道とを厳密に吟味してみると、明らかに誤った努力といえるものが当事者にとって目標に辿りつくための決して避けて通れない回り道であることが分かりました。

 うわぁ、まさにこれだよ。ゲーテさん、あんたは分かってる。きっと大作家になれるよ! とドイツの大作家を賞賛した。こういう出会いがあると小説の神様はいるんじゃないかって気がする。でも神様がいるのなら、もっとズバッと知恵を授けてくれたってバチは当たらないんじゃないかとも思う。そうすれば二ヶ月もプロットを書き回さなくても済んだのに。そう考えると実は小説の神様じゃなくて小説の悪魔に魅入られているのかもしれない。何も無いところを予感に突き動かされてぐるぐる回されているのだ。

 でもメフィストフェレスだって城や魔界の手下をくれたのだから、牛野小雪にだって人里離れた静かな別荘と、世俗のことを処理してくれる秘書をくれたって良いはずだ。って、そんな俗なことを考えているから悪魔さえ現れてくれないのだろう。堕落させる価値もない魂だ。となると、やっぱり私についているのは小説の神様でしかありえない。きっと凄いのが書けるぞ。

(2018年10月28日 牛野小雪 記)
devil=god2



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 先週から予感はあって、とうとう今週は今まで積み上げてきたプロットをガラガラポン、つまりリセットした。今までも構想をノートに書く段階でガラガラポンするのは毎度のことだったけど、二度目のガラガラポンは初めてかもしれない。この一ヶ月に書いてきたことが没となったわけだけど不思議と気持ちは清々している。ガラガラポンすることによって骨格は変わっても、その奥にあるスピリット、精神みたいな物は同じだし、むしろ成長したような気がするし、成長したからこそのガラガラポンだったのだろう。

 一度引いたストーリーラインにバッテンを引いて、別のアイデアをノートに書き留めていく。まだまだストーリーと呼べる物にはならないけれど、今度はわりと早くラインを引けるのではと思っている。でももう一度ガラガラポンがあったりして。ドラゴンボールのフリーザ様も3回変身をしたし、牛野小雪だってまだ変身を1回残しているかもしれない。でも53万字書くのだとしたら嫌だなぁ。たぶん中編で収まるだろうけど。収まるといいな。収まるさ、たぶん。

(おわり 2018年10月13日 牛野小雪 記)
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 8月から武士道や大和魂について調べていて、それも行き詰まってきたので、最近は外国人が日本について書いた本を読んでいる。『ニッポン放浪記』という本を読んでいると三島由紀夫や大江健三郎の翻訳をした人の本ということが分かって、久しぶりに小説の世界に帰ってきた気分がした。

 プロットラインは一応最初から最後まで引けたが、元々の武士道や大和魂とは全然かけ離れたものになってしまって、一体この一ヶ月の間に私は何をしていたのだろうという気分になった。おまけにまだこのプロットでは書き出せないと感じていて、創作ノートをつけるようになって二ヶ月が経とうというのに全然本文を書き始める気配がない。

 とはいえ、毎日それなりに何かを発見するなり、気付きがあったりで、ノートは充実していく。でも本文のクリティカルになりそうな部分は全然進んでいないのも事実で、この『何かしらは進んでいる』というあやふやな達成感を抱いたまま時が過ぎていくのではないかと予感してゾッとする瞬間がある。

 たぶん今あるノートで書いて書けないことはないと思う。今年の夏に書いたのは中編でノート2ページで書き始めて、最終的に52ページまで書いたが、今回はまだ本文を一文字も書いていないのに23ページも書いている。武士道とか大和魂がどうのというのを除いても10ページはある。これは長編を書こうとする量だが、書こうとしているのは中編にする予定だ。でも聖者の行進も長めの中編を目指して書いたので、もしかしたらこれも作者の予想を超えて長編になるかもしれない。そういえば聖者の行進も書き始める前にノートもけっこう書いていた(奇遇にも23ページだ)。

 来年の群像の結果が出るまで時間があるので、目一杯に時間と手間をかけられるだけかけてみようと、この小説に着手したのだが、本当に時間をいっぱい食っているので恐くなってきた。いつもはノートを書き始めれば一ヶ月で書き始めているのに、今はまだ気配すら感じず、11月に入ってもまだノートを机の中心に置いている自分の姿をありありと想像できてしまうほどだ。この調子だと今年中に書き上げるのは不可能だが、あっという間に書けてしまうのではないかという気もしている。なまじ今年の夏は書け過ぎてしまったので、こんなことを考えるのかもしれない。

 今のところ一つだけ決まっているのは、もしこのノートを書いている小説を書くのだとしたら『山桜』にしようと思っている。

しきしまの大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花

 という詞から取った。花が抜けているのは語呂が悪いから。『山桜』という題名にしようとはもう9月の時から考えていて、今も山桜以外に良い題名が思い付かない。よっぽどプロットの大きな変化がない限り『山桜』しかありえない。サラリーマン侍を書こうと武士道とか大和魂を追い求めていたのも全くの無駄ではなかったということだ。

 このように進んでいないようでも何かしら進んでいる。こうやって少しずつ進んでいけば、どこかに到達できるだろうか。

(おわり)



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