愚者空間

牛野小雪のサイトです。 小説の紹介や雑記を置いています。 あと短い話とか。

2018年04月

 5日の休養前はもうこれ以上『聖者の行進』を改稿するのは無理だと思っていたのに、三日目からまだできるんじゃないかと思い始めて、少しやってみると……やっぱりできた。どうも休養期間中にもりもり脳が成長しているような気がする。今回の30日はけっこうキツくて一日早く休養期間に入ったのだが、最初の二日は頭の中がひゅんひゅんしていた。この感じはどこかで味わったことがあるな、と思っていたが、筋トレの超回復期間に似ていることに気付いた。そういえばこの前の休養期間三日目に『聖者の行進』の改稿に少しだけ手を付けていた。諸説あるが超回復は48~72時間の間に起こる。脳は筋肉と同じなのかもしれない。

 で、休養明けに『聖者の行進』をがっつりやると一日で10万字も改稿できた。犯罪的な進み方に戦慄したのだが、次の日は全然ダメだった。やっぱりどれだけ調子が良くても一日3~4時間しか執筆とか改稿はできないような気がする。それ以上やると次の日に悪影響が出る。時間を伸ばすより3~4時間のスピードを上げる方向なら伸びる余地がある気がする。
 
 どうして休養明けはいつも信じられないトップスピードが出るんだろうと考えて、睡眠時間が長いからではないかと考えた。休養期間は心なしか寝るのが早いような気がする。なので今日は10時間眠ってやるぞ、と意気込んで布団に入ったのだが、そんなに都合よく眠れるはずもなく、かえって深夜の三時まで起きていた。その日は何もかもがダメダメな日だった。

 どうすれば眠れるのだろうと考えて、もしかすると眠らなくても良いのではないかと発想の転換をしてみた。眠らなくてもいい、布団に入って目をつぶっているだけでいいと決めて、夜早くに布団に入ると、心も体も落ち着いて、これなら眠れるんじゃないかと思っていたら、本当に眠らずに朝の4時になった。新聞配達のカブの音がして、土曜日だから近所の子供が朝早くから外ではしゃぐようになると布団を出た。

 朝ごはんを食べて『聖者の行進』の改稿と『幽霊になった私』の改稿をした。すると、そこそこの速さで改稿できてしまって、ちょっと驚いている。しかも全然眠くない。車も普通に運転できるし、本も読める。絶好調とまではいかないが、まぁそこそこ一日だった。実は人間は眠る必要がなくて、安静にじっとしている時間があれば充分なのかもしれない。でもたまたま元気がある日だったのかもしれないので、もう一日試してみようと思う。

(2018年 4月21日 牛野小雪 記)

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 今週は『聖者の行進』の改稿に手を付けたのだけれど、心持ちはいまだにこれを書いた後のままなのでそれほど改稿した場所はなかった。その代わりルビの振り方を全部変えた。

 今までは単語単位でルビを振っていたのだけれど、今回は文字単位に変えてみた。この前テレビを見ていると、そうやってルビが振られていることに気付いたからだ。

 文字単位でルビを振っていると、この漢字のルビはどちらに振ればいいのだろうと迷った時があった。たとえば『微笑み』という単語があって、読みは<ほほえみ>なのだが微<ほほ>笑<え>みなのか、微<ほ>笑<ほえ>みなのか分からなくて国語辞典を開いた。
 すると微笑みは頬笑みと書く場合もあるそうで、そうなるとルビは微<ほほ>笑<え>みの方が良いのではないと思って、そちらにした。

 特に何かしたわけではないので、今日はこれで終わり。

(2018年4月15日 牛野小雪 記)

追記:どうでも良い話だけど、wikipediaで微笑みの記事にあった作り笑いがさっぱり見抜けなくて、ちょっとびっくりした。騙されやすいんだなぁ。

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bitcoin

20XX年、あるところにタツヤという少年がいました。

ある日、少年はネット上に「仮想通貨が値上がりするぞ~!」と書き込みました。

大人達は慌てて仮想通貨を買いに走りました。

しかし仮想通貨は値上がりしませんでした。

しばらくするとタツヤ少年はまたネット上に「仮想通貨が値上がりするぞ~!」と書き込みました。

大人達は「出遅れてはいけない」と我先に争って仮想通貨を買い求めました。

しかし仮想通貨は値上がりしませんでした。

さらにまた日が経つとタツヤ少年はネット上に「仮想通貨が値上がりするぞ~!」と書き込みました。

大人達は「また嘘さ」と今まで買った仮想通貨を売り払いました。

すると仮想通貨は大暴落したので「やっぱり嘘だった」と言いました。

それから数日すると仮想通貨が少しだけ値上がりしました。

「買戻しが入っただけさ」と大人達は言いました。

仮想通貨はまた値上がりしました。

「元の値に戻っただけさ」と大人達は言いました。

仮想通貨はさらに値上がりしました。

「相場は浮き沈みするものだからこういうこともあるさ」と大人達は言いました。

仮想通貨はまだまだ値上がりしました。

「これはバブルだ。近いうちに暴落するさ」と大人達は言いました。

しかし仮想通貨はもっともっと値上がりしました。

タツヤ少年は大量の仮想通貨を買っていたので大金持ちになりました。

「どうせあぶく銭だ。仮想通貨なんて実態がないじゃないか。そのうち消えてなくなるだろう」と大人達は言いましたが、それからも仮想通貨は値上がりを続けたのでタツヤ少年はずっとずっと幸せに暮らしましたとさ。

(おしまい 2018年4月8日 牛野小雪 記)

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『ヒッチハイク!』の改稿終わり。今月も絶好調だが結局10日ぐらいかけてしまった。一日一万字ちょいのペースだ。

 この小説を改稿していて、ふっと気付いたことがある。小説家は小説の中においては神で、どんなことを書いてもいいんだってこと。変な有人飛行計画で火星に飛んだり、猫の集会にUFOが現れたり、幽霊になって月に飛んでいく話を書いたっていい。
 ↑この話はそういう世界観をベースにしているから、そういうことが起こってもおかしくはないけれど『ヒッチハイク!』は現実世界をベースにしておきながら、海鳥に追い込まれた魚が波と一緒に浜に打ち上げられて、それをみりん干しにした物を小料理屋の女将さんに食べさせてもらったり、ヒッチハイクしたトラックのエンジンからベニズワイガニが出てきて、信号が赤のうちに食べてしまうとか。そういう話なのである。

 ある小説における神は、その小説を書いている小説家自身だ。5円ぐらいあげて、お参りすればご利益があるかもしれない。

 さて、次は『幽霊になった私』の改稿だけれど、このペースだと次の休養期間を挟んでしまいそうなので『聖者の行進』を改稿してみようと思う。半年前のだからたぶん一週間でできるはず、たぶん。

(2018年4月7日 牛野小雪 記)

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 先日『ヒッチハイク!』の改稿をした記事で『言い切る比喩』について書いたら、こういうコメントが付いていた。

  • 1. 名無しの読者
  •  
  • 2018年04月07日 16:21
  • 節子、それ言い切る比喩やない。暗喩や


  ほうほう、それで暗喩についてグーグル先生に問い合わせると一番最初に出てきたのがコトバンクの記事だった。短いので引用しておく。とっても分かりやすい。


明喩 (直喩 simili) とともに比喩の代表的方法の一つ。隠喩とも。「彼は鬼のような男だ」が明喩であるのに対して,暗喩では比喩であることを外形的に示す言葉 (「ように」) を用いず,「彼は鬼だ」と表現する。慣用的表現や欧米の詩では明喩よりも多く見受けられる。イメージの喚起力において勝るためである。 暗喩 あんゆ metaphor/コトバンク


 なんや、ワイが見つけたのは、とうの昔にあった概念だったんかい!とビックリ仰天した。どうやら車輪の再発明だったようだ。凄いの発見したとワクワクしていたのが恥ずかしい。っていうかこの説明の感じだと今まで読んだ本の中にも普通にありそうな感じだ。どうして今まで気付かなかったんだろう。小説家の腕が良かったから自然と読めてしまったのかもしれない。しかしそれは言い切る比喩=暗喩は実用に耐える技法という証拠だ。

 さて、今日の本題。

 言い切る比喩はすでに暗喩という名称が付いた手垢の付いた物だと知った。ということは私の頭の中にある漠然とした小説の書き方にも既に名称が付いているのかもしれない。というわけで、それをブログに書いて公表してみようと思った。知っている人がいたらコメント欄で教えて欲しい。


 まずはカッコサンド(名称は今考えた)


「~~~~~~~」と○○は言った。「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」

 ↑のように最初に短い「」文で誰が言ったかを示してから長い文章をドドドドと書く。村上春樹がよく使っている印象がある。というか村上春樹からパクった盗んだ参考にした。
 小説だと誰が何を言っているか分かりにくいので、こういう書き方をするのだと思う。改稿前の小説で何回か使ったが、改稿してからは最初に”○○は言った。”と書いてから長文の「」文を書くようにした。


次は羅列連打法(←実際にありそう)

これはいくつか派生があって、まずは単純に同じ言葉を重ねてイメージを増幅させる単純連打。

いいね!いいね!やってみよう!

みたいな使い方をする。

私がよく使いのは似たような言葉を重ねるやり方だ。手前味噌だが自著の『ターンワールド』から引用させてもらう。

「一体どうしたいんだ。僕はお前を拾えないんだぞ。家無し、宿無し、甲斐性無し。帰る場所もないクズだ。それでもいいのか」
家無し、宿無し、甲斐性無し、無い無い尽くしで主人公のタクヤが猫を拾えないことを訴えるシーンだ。





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 川端康成はすんごい作家である。

 川端康成といえば『雪国』と『伊豆の踊り子』で語られて、特に前者は”国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった。”は百回ぐらいは聞いたことがある。しかしどちらを読んでも肌に合わなくて、しょせん昔の人だからと省みることはなかった。

 それがつい先日何故か本屋にふらりと入り、何故か川端康成の棚を見て『山の音』という本があるのを見つけた。こんな本もあったのかと何故か手に取り、買って帰った。それでぱっとページを開いた瞬間に、あっ、これは『雪国』とは違うぞ、と分かった。それで何ページか読んで、とんでもない物を読まされてしまったなぁと感心した。

 ここ数ヶ月改稿ばっかりしていると(今もしかして私はとんでもない文章を作っているんじゃないか)と思う瞬間があって、内心天狗になる時もあったけれど、川端康成はもう何十年も前にそんな場所を通り過ぎていた。謙虚にならなければならない。まだまだ精進しなければならない。

 その川端康成の文章を読んで、ふと私の中にあるひらめきが降ってきた。比喩は言い切った方が強くなるのではないか。

 そこで『聖者の行進』で試してみた。

 ユリは太陽のように可愛らしい女の子だった。彼女が笑うと世界が明るくなった。

 ↑これをこう変えた↓

 ユリは太陽だった。彼女が笑うと世界が明るくなった。

 もちろんユリは人間の女の子なので太陽ではない。この文章は間違っている。でも、こっちの方が良い気がする。たぶん間違っていない。比喩は言い切る方が強い表現になる。

 というわけで改稿中の『ヒッチハイク!』でも試してみた。

 胸は大玉スイカを詰めたように膨らんでいて、お尻はかぼちゃみたいだ。僕が驚いたのは彼女の顔だ。アスファルトにスイカを叩きつけて、たるんだギョウザの皮を被せたような顔をしていた。

 ↑これを言い切ってみる↓

 胸は大玉スイカで、お尻はかぼちゃだった。僕が驚いたのは彼女の顔だ。アスファルトにスイカを叩きつけて、たるんだギョウザの皮を被せていた。

 ん? う~ん、いまいちか。っていうかスイカで喩えるの好きだな。聖者の行進でも何かをスイカにたとえたような気がする。でもやっぱり下の方が良いような気がするなぁ。明らかにおかしい文章だけど、上より下が良いような気がするなぁ~(←言い切らない)。

 言い切らないことばかり言うけれど、言い切る比喩はもうちょい進化できそうな気がする。でも今のところはひらめきどまりだ。

(2018年4月3日 牛野小雪 記)




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