愚者空間

牛野小雪のサイトです。 小説の紹介や雑記を置いています。 あと短い話とか。

2017年12月

 グッドライフ高崎望の改稿はそろそろ終わり。この頃は下手なりに色々工夫していて面白い。

 主人公の望の変化は髪型に象徴されているのだけれど、それが唐突にならないように何度も髪の毛についての言及があったり、窓から飛び降りる前に窓の描写が前章から何度も出たり、進路とか、恋とか、色んな前フリがたくさんあった。

 だけど、今回の改稿でそういう物をたくさん消した。作中で井上さんが言っていたように効くパンチを当てるには相手に準備をさせてはいけないからだ。

 ずっと昔、高崎望を読んだ人に、まだ小説を書き慣れていないと言われた時は意味が分からなかったけれど、今はなんとなく分かったような気がする。下手は下手なりに色々工夫して頑張っていたのだけれど、それには下手に見られたくないという焦りと不安があって、それがごまかしに繋がることはあるように思える。そのごまかしがまだ書き慣れていないという評価に繋がったのかもしれない。

 高崎望に限らず、改稿をすると下手さが浮かび上がってくるような気がしている。火星から蒲生田岬までのレビューはわりと好印象だけど、これからは厳しいレビューを貰うかもしれない。でも同時に作品の純度も上がって、結果的にはプラスになるのではないかという気もしている。自分自身で読んでも改稿後の方がよく効くからたぶん間違っていない。

(おわり)




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 グッドライフ高崎望でプロットの作り方を変えたので、冒頭は特に記憶に残っている。

 それまでは学校の教科書で習ったとおりの起承転結できっちり書いていたのだけれど、それだとどうも間延びしているような気がしていた。前作の蒲生田岬はかなり手応えがあったけれど、転に行き着くまでがかなりしんどいのではないかと思っていて、レビューでもそれはよく指摘されている。

 もちろん腕が拙かったというのもあるけれど、構造的に問題があるとも思っていて、これどうしたら良いんでしょうかね、と夏居暑さんに話すと「冒頭に一発かますといいですよ」と言われたので頭をぶん殴られたような衝撃があった。起承転結で進めなくても良いのかと目が開かれるような思いがした。数年後、またプロットの作り方を変えるが、この衝撃がなければ今も起承転結を守って書いていたと思う。

 というわけでグッドライフ高崎望以後の作品は全て冒頭で一発かますようにしている。要は短編一個書いているということ。読まれ方を見ていても、これはわりと成功しているような気がする。

(おわり 2017年12月13日 牛野小雪 記)

聖者の行進 上 (牛野小雪season2)
牛野小雪
2017-11-10
町へ出るトンネルの出口で美男美女の二人が殺された
無軌道に犯行を重ねるまさやんと追いかけるタナカ
しかしそんな事とは別に破滅の車輪は回り始めていた





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 プルルルルル、プルルルルル

 ガチャ

 やあ、久しぶり。元気にしてたかい。

 この前君がKDPにwordファイルを上げていて、奇妙な現象に悩まされていると小耳に挟んだんで。ちょっと電話したんだ。実は僕もあれには悩まされていたんだ。もし良かったら聞いてくれ。ほんの5分で済む話だ。

 この前、kindle本のプレビューをしていたらあることに気付いた。どう考えてもおかしい場所で改行していたからすぐに気付いた。まずはこれを見てほしい。

行末フォント3 問題点

気になるポイントは 

いくら家賃が安くてもこんな場所には住みたくない。

の次に空白の行が空いていることだ。

でもwordファイルを開いて確かめると、こんな変な場所で改行はしていない。ということはkindle側の問題だ。それで色々と設定をいじってみると何故か改行が消えた。それが下の画像だ。

問題点 ふぉんt4

ポイントはフォントサイズが3から4に変わっていること。じゃあフォントサイズを4にすれば謎の改行がなくなるのか。いや、そうじゃなかった。また別の、それもさっきは正常だった場所で謎の改行が起こった。

どう考えてもおかしい。

僕は謎の改行が起きるところを何度も見返した。そして、原因は分からないが、行末と文末が合わさるところで謎の改行が起こることを発見した。

詳しいことは下の画像を見てくれ。

聖者 行末フォント3
聖者 行末フォント4

 理解できたかい?

 文末と行末が離れるようにうまく調整すればいいのかと君は思ったかもしれない。僕だって一度はそう考えたさ。でもkindleはフォントサイズによって文末行末が変化する。そんなことをしたって無意味だって、ずいぶん後になって気付かされたのさ。


 おっと、落ち込まなくてもいい。僕が今日電話したのは、解決法を見つけたからなんだ。

 ひとつ聞きたいが、君は改行する時『ENTER』キーを使っていないだろうか? もし君が僕と同じように謎の改行に悩まされているとしたら間違いなくそうだと思う。

 SHIFTキーを押しながらENTERを押すんだ。実はそれでも改行できるんだな。word上だと下の画像みたいに違いがあるはずだ。くにゃっと曲がった奴じゃなくて、すっと横一線の改行マークが出るはずだよ。
無題

さて、SHFT+ENTERで改行したwordファイルをもう一度KDPにアップしてプレビューしてみた。すると

・・・・あれっ、おかしいな。どうやらファイルを失くしたらしい。

でも、もし君がKDPにwordのファイルを上げていて、謎の改行に悩まされているのだとしたら、ぜひSHIFT+ENTERで改行を試してくれ。その悩みはきっとぺしゃんこに潰れるはずだ。

君がwordファイルをKDPに上げていることを小耳に挟んだから、実は僕と同じことに悩んでいるんじゃないかと思って、今日は電話した。

もう一度言うよ。SHIFT+ENTERだ。

それじゃ、

(ガチャ、ツーツー 2017年12月13日 牛野小雪 called)

word worong
誤記:このあと僕はかつお節でだしを取った味噌汁を作ると、スーパーで買っておいた若鶏のから揚げを食べた。寒くなると体が脂肪をつけたがるのか、唾液が出なくなるまで大量に食べた。

聖者の行進 上 (牛野小雪season2)
牛野小雪
2017-11-10
町へ出るトンネルの出口で美男美女の二人が殺された
無軌道に犯行を重ねるまさやんと追いかけるタナカ
しかしそんな事とは別に破滅の車輪は回り始めていた






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 ドアノッカーの改稿が終わると、ブラッドエグゼキューションがちょろっと読まれていたのでそっちを先に改稿することした。2万字強なので数日で終わってくれた。その次は蒲生田岬へ。

 やっぱり今年書いた物だとドアノッカーと比べて全然違うと感じた。改稿の手応えもかなりある。次に書いた蒲生田岬でも上手くなったなとすぐに分かった。という事は過去作の改稿なんかしてないで、新しい小説を書いた方が割が良いんだけど、世に出してしまったからには少しでもマシにしてやらなければという責任感で改稿している。

 まぁ、でも誰に急かされるわけでもなし、世間的には存在していないのと同じで、過去作の改稿といっても実質は新作を書いているような物だ。そう考えると面白い。

 でもさ、何かしら小説で掴んだ物があるたびに改稿していたら、改稿だけで何年もかかっちゃうわけで、どうしようかなと思っている。今のところは半年で済みそうだけど、今の三倍四倍と出していけば、改稿の手間も三倍四倍になる。本当の意味でリリースしていないのかな。それとも電書だからそうなってしまうのだろうか。

 全作改稿は去年からやっていて、でも真論君家の猫の改稿が終わった後に、どうしても聖者の行進を書かなければならないという気持ちになったので中断している。結果的にはこれで正解だった。あのまま全作改稿していれば聖者の行進を書いた後に、また改稿したくなっただろう。

 ああ、そうだ。聖者の行進の後は何も書ける気がしなくて、真論君家の猫を書いた時と同じなので、そこからどうやってターンワールドを思いついたのか知りたくて日記帳を読んでいた。どうやら真論君家の猫を出した二週間後、散歩中に突然ひらめきが降ってきたらしい。何の参考にもならない。

 と、思っていたのだが、聖者の行進を出してちょうど二週間後、散歩中にひらめきが降ってきたので、ちょっと恐くなった。

 どの小説も自分で書いたと思っているけど、実は目に見えない、耳に聞こえない不思議なリズムに操られているような気がする。自由意志なんて本当にあるんだろうか? 実は誰かに書かされているのいるのかもしれない。たとえば神とか。あるいは悪魔とか。

 メフィストフェレスと契約した覚えはないんだけどなぁ。

(おわり 2017/12/09 牛野小雪 記)

追記:ブラッドエグゼキューションでLINEが出てくるのだが、もうダサい感じがする。こういうのは流行を追いかけずにメールぐらいにしておく方がいいのかもしれない。
god devil cat

牛野小雪の小説はこちらから。
kindle unlimited。kindleオーナーライブラリー利用可能です。→Kindleストア:牛野小雪



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オオカミとクラス哲学者の本に(α)アルファオスと(ω)オメガオスのことについて書いてあった。オオカミとはいえ同じオスのことなので熱心に読んでしまった。アルファオスとは群れを率いているリーダーのことで分かりやすく言えばボス、親分みたいなものである。対してオメガオスとは群れで一番弱いオスのこと。もっと分かりやすく言えばいじめられっ子みたいなものである。


オメガオスの辿る人生ならぬ狼生は悲惨なもので、他のオスからはもちろん、メスやその子ども達からもいじめられる。大抵はそのまま弱って死んでいくのだが、時には群れを飛び出し、一匹狼になったり、別の群れを作ってアルファオスになることもあるそうだ。


私はこれを読んで感心した。弱い奴でも厳しい鍛錬を積み重ねれば人生を、いや狼生を切り開けるのだ。しかし、悲しいことにも気付いてしまった。オメガオスが生き延びるには、どうやら元いた群れから出なければならないらしい。いじめられつつも徐々に頭角を現し、群れの中でのし上がって、アルファオスになることはないようだ。


オメガオスはたいてい体格が弱いオオカミだが、知恵や経験でそのハンデは覆せる。しかし、過去の意趣返しはできないらしい。ちょっと悲しいお話。彼らは群れを出て孤独になるか、別の群れに行くしかない。


人間の群れでも同じで、いじめだったり、パワハラだとか、ブラック企業がどうのと色々あるけれど、小説やマンガみたいな逆転劇は起こりえなくて、過酷な状況を脱するには群れを抜けるしか選択肢がないのかもしれない。


虐げられた者は、孤独に森をさまよい、新しい群れを見つけるか、アルファになるか、あるいは孤独に死んでいくしかないのだろうか?


もしそうだとしたら悲しいことだと思う。


(2017年11月28日 牛野小雪 記)


小知識:ギリシャ字でアルファ、オメガは小文字でα、ωと書くらしい。

wolf


町へ出るトンネルの出口で美男美女の二人が殺された
無軌道に犯行を重ねるまさやんと追いかけるタナカ
しかしそんな事とは別に破滅の車輪は回り始めていた


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前日譚→あの日見た大人に僕はなれない。 

私が思春期並に人生について悩んでいると、一人の男が目の前に立ち塞がった。


「HEY! YOU! 悩んでいるようだね!」


「宗教の方ですか?」


あまりに変な恰好をしているので、私はそう尋ねた。


「NO! 俺はO-KING! HEARTのBEATでWALKING。俺は見てる。お前の背中泣いてる。」


「ダジャレやめてもらえませんか? 言葉が頭に入ってこないんで」


「あ、すみません。あなたが悩んでいるようなので人生が開ける魔法の言葉を伝道してみました」


「やっぱり宗教ですよね」


「怪しいと思っていますか?」


「鏡で自分の姿を見ましたか?」


「ワンチャンありかなって・・・・・・」


「はぁ~。もういいです。早く済ましてください」


「あっ、もし良ければこれ読んでください。人生は変えられないけど自分は変えられる。そういうことが書かれた本なんです」


O-KINGとかいう男は強引に一冊の本を私に押し付けた。タイトルは『a better place to pray』という本だった。どういう意味かは分からない。prayは祈り。やっぱり宗教書か。タイトルは英語だが、中身は日本語だった。


私はO-KINGなる怪しげな男から貰った本を一晩中読みふけった。私は何だかんだで本の虫なのだ。町中で配られた聖書も読むし、クレジットカードの約款もちゃんと読む。どうやらこの本は宗教書ではないようだった。


O-KINGは、自分は変えられるなんて大げさな言っていた。でも何も変わらなかった。本一冊で変わったら大変なことだ。私は『a better place to pray』を本の山に積み上げると眠りについた。


翌朝、私は目覚めると朝一のトイレを済ませて洗面所の鏡を見ると叫び声を上げた。


「な、なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁ!」

鏡の中には知らない男が映っていた。だが、そこに映っていたのは紛れもなく私だった。そんなバカな。私はイケメンに生まれ変わっていた。イケメン過ぎて視界がぼやけるほどだ。


私はあの日見た大人にはなれなかった。でも、イケメンにはなれた。人生は変えられなくて自分は変えられる。現に私は変われた。


この衝撃を世界中に広げなければならない。O-KINGの言葉を伝道するために私は一冊の本を持って町中へとおもむいた。


(おわり)





本当にここが、相応しい場所なのだろうか?
昇っていく煙の先を、ずっと見ていた。
あてもなく消えていくその煙は、まるで何かを弔っているようだった。
新宿の片隅を舞台に、世代と社会の隙間にいる人たちを描く。

ある夜、突然段ボール箱の妖精《ぼるっちー》になってしまった男。
ぼるっちーは本物の妖精であった。
男は、自分であることを次第になくしていく。



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このKindle本を読め!王木亡一朗強化週間『ライフゲージ』

心身共にうんたらという言葉がある。困憊でもいいし、爽快でもいい。

 そこに至るまでに心と身体が一緒に困憊したり、爽快になることは少ないように思われる。国道の端から端まで走れば、まず体が困憊して、それに引きづられて心も困憊するだろうし。でもそれが駅伝で、地区優勝を取ったとかであったなら心は爽快になり、体の疲れも吹っ飛ぶ。ということを理解するのにあまり苦労はしない。
 
 心と身体は独立して存在するのではなく、お互いに影響を与えながら生きている。

 心を臓器として考えればもっと分かりやすいかもしれない。肝臓がダメになれば、他の部分もダメになるし、他の部分が頑張ることによって、ダメになっている肝臓が踏ん張って持ち直すということもある。かといってある臓器だけを気にかけていても、他の部分が全然ダメになることだってあるだろうし、全てに気をかけていても、いつの間にかどこかがダメになっていたというのはよくありそうな話だ。

 人生だって同じようなものだ。お金は大事だけどお金ばっかり追っていると落ち着かない人生になるし、かといってお金を気にかけないとみじめな人生になる。人に気をかけていても嫌われることはあるし、気に入られようとしなければ気にかけてくれることはない。魚心あれば水心あり。

 一度だけの人生。心をどこに置こうぞ。・・・・・なんて真面目に考えるには人生は重たすぎるのだ。誰も人生を背負うことはできない。そうできていると思い込んでいる人はいるけど。

 人生はシュミレーションゲームではなくシューティングゲームみたいな物。障害物に気をつけながら目の前に現れた敵を撃ち倒すこと。次に何が出てくるかは分からないし、敵は前から出るとも限らない。上下後ろどこからでもありだ。とにかく倒しまくって敵を倒し、、、まくらなくったって良いんだな、これが。生きてる限り前に進む。考えてみたら残酷だよね。今はもう2017年だけど、2016年もうちょっと待ってくれよって思う時がある。

(2017/01/11 牛野小雪 記)
LaLaLaLIFE









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