愚者空間

牛野小雪のサイトです。 小説の紹介や雑記を置いています。 あと短い話とか。

2016年12月

 他の人が2016年の総括をブログに書いていると何だか私もそうしなければならないような気がして、こんな記事を書いてしまった。牛野小雪は流されやすい人間なのだ。

 2016年の私的な事件といえば4月の終わりに『幽霊になった私』を出したことで、翌月の5月には初めて一月に100冊以上売れたという恐ろしい本だった。 
 同じ5月でいえば 『雑誌なんか うっかり創刊号』でいつの間にか『火星へ行こう君の夢がそこにある』が文学賞を受賞していたこと。なんだかよく分からないけど『なんか文学賞』っていうらしい。しかも第一回。そのせいか5月から火星がちょくちょく出ている。昨日各本の一年間のDL数を計算してみたら『ターンワールド』と並んでいたので驚いた。しかもDLが増えている5月から。はっきりと数字で出ている。これって文学賞効果なんだろうか(
正直、あの雑誌を読んで私の本に辿り着いた人が何人いるかあやしい。だって私が見た時と閲覧数がそんなに増えていない気がするから・・・・読者層が濃い?)。

  あとは11月に『エバーホワイト』を出したこと。かなり悪評がつくと思っていたが、反応はわりと良いので安心している。手心を加えられただけかもしれない。『黒髪の殻』から続くこの流れは、あともう一歩深く書くつもりだ。『エバーホワイト』は今年いっぱい99円セール中。明日から360円になります。

 周辺の話題だとやはりkindle unlimited(以下KU)が始まったことだろう。もうそれ以前、以後と分けられるぐらい変わってしまった。とあるアダルト漫画を書いている人は月に100万以上稼いでいるとか。鈴木みそさんと違って、無名(
もしかしたらその筋では有名な人かもしれないが)の状態から稼いだというのがニュースだ。

 しかし、私はそこに暗い影を感じている。たぶん来年はいわゆるKDP作家
という人が減るだろうと感じているのだ。KUが始まってたくさん読まれるようになり、お金も多少入ってくるようになった(自慢するほどではないけど)。公表している人は少ないが他の人も読まれているし儲かっているのは何となく漏れ伝わってくる。それなのに来年は減るだなんて自分でも理屈は通らない。だけど、そう感じるのだ。


 しばらくこの奇妙な予感について考えてみた。

 たぶんだけど、KDPはマジな場所になると私は感じているのかもしれない。数年前のKDPはどこか牧歌的なところがあって、みんなそれなりに夢や野心はあっただろうけれど、それはどこか縁遠いものであって、宝くじが当たったらと同じようなものだったんじゃないかと私は思っている。

 そこにKUがきて、金の匂いが漂い始めると夢がマジになり始めて、マジになると色々汚いものやトゲトゲしたものが出てくるようになって、最初に思っていたのと違うっていう人が出てくると思う。

 8月にKUが始まってからたくさん読まれてたくさん稼げるようになった(
何度も言うが大した額ではない、今までと比べてという意味)。でも同時にそこはかとないしんどさみたいなものも感じている。『エバーホワイト』を書いている間は非常に疲れていた。2016年はほとんど書けていない。今年出したのは4つだが、書いたのは2つだけ。どうやら他の人も同じようで、みんな筆が鈍っている。月刊記録が途絶えた人もいた。私はKUが原因じゃないかと密かに思っている。
 2015年だって、2014年だって何かはあっただろう。何かあっても書いてきた人がほとんどのはずだ。なぜ2016年になって筆が鈍るのか。

 たぶんだけど、今までのいわゆるKDP作家という人達は来年消えていくだろう。作品はストアに残ってもアクティブな作家としてはいられなくなる。それに代わって最初からマジな人達が参入してきて、私の頭に何となく存在しているKDP界隈は変わるか消えるかするだろうというのが来年の予想。

 もちろんAmazonは商売でやっているのだから、それは喜ばしいことだし、マジな人達にとってもその方がいい。私だってKUが始まってたくさん儲かって嬉しいとは思っている。でもそれと同じくらい嫌な気持ちにも襲われているのだ。
 私はKDPに何を求めているのだろう? 
 なんで小説を書いているのだろう?
 こんな暗いことを考えているのは私だけだといいな。

 年末に書いたことは実現しないというので、ちょっと暗い話を書いてみました。来年がいい年でありますように。

(2016/12/31 牛野小雪 記)

エバーホワイト
牛野小雪
2016-11-10
今年いっぱい99円。たぶん元日の昼に値段が変わります。360円。




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悪人の系譜/月狂四郎

赤ちゃんは言葉を喋ることができない。

「あの、おっぱい吸わせてもらえませんか?」

「お尻拭いてもらえませんかね?」

「そろそろ眠りたいからそっと抱きしめててほしいな」

 などと言葉を出したら非常にびっくりするだろう。

 ある本によれば人間が最初に覚える感情は怒りらしい。

 何かあれば怒る。本当かなと調べてみると赤ちゃんが笑うのは生後数ヶ月たってからで、最初は寝るか泣くからしい。

 

 赤ちゃんにできることは泣くことだけで、これひとつですべての用事を済ませている。中には眠気でも泣くことがあるそうだから大変なものだ(どうやって調べたんだろう?)。

 もしそれが本当なら赤ちゃんからの記憶がある人は「俺は怒りと共に生まれてきた」なんて言うのだろうか。(でも胎児の頃の記憶がある人はいるらしい。そういう人に聞き取り調査したのかな。ほとんどの人は3歳以前の記憶は無くなってしまうそうだ。)

 余裕のある人は笑っている。余裕のない人は怒っている。それがさらに進むとしょげかえっている。

 さて本題に入るとちょっと前に月狂さんの『悪人の系譜』読んだ。

 天龍墓石(とうむ以下トム)は怒っている。いつも怒っている。でも最初はしょげかえっていた。親から有形無形の暴力を受けていた。でも体が成長してくると暴力の方向が反対になった。でも彼の心が癒やされることはないわけだ。

 彼は心の乾きを癒やすように暴力の世界に塗れていく。幸いにも天性の才能があって修羅の世界を気持良く泳ぐことができたが、それでもやっぱり気持ちは収まらない。暴力の方向性が変わっただけで心の傷はずっと疼いている。

 対人関係のトラウマの克服で一番難しいのは、傷を負わせた相手を許すことではなく、過去の自分を許す自分を許せないことだそうだ。「お前、あんなことをされたのにあいつを許すのか」的な。

 トムには妹がいる。彼女も実は心の傷を持っている。彼女は親から虐待を受けていた。彼は彼女を親から救い出し、それから身から出た錆の暴力も救いだした時に何故か母を許すことができる。

 よくよく考えて見るとトムは全然救われていないような気もするんだけど、自他の境界が無いような世界を想像すると彼は自分と同じ境涯の人間を救うことで自分を救っていたのかもしれない。

 かつて何かで苦しんでいた人を見て、それを助けてあげることで自分の中で何かが癒やされることでもあるのだろうか。理屈で考えればいかにもおかしいことだけれどありそうな気はする。

 この世は愛されるよりも愛したいマジでの世界なのかもしれない。

 でもさ、なかなか人って愛せないよね。嫌いになるのは簡単なのに好きになるのは難しい。続けるのはもっと。そういえば赤ちゃんが最初に覚える感情は怒りだっけ? 嫌いってのは怒りを伴っている。怒るのは簡単だ。表に出せるか出せないかの違い。

 ディスるのは簡単で賞賛するのが難しいのと同じで、嫌いから好きへ回転させるのは難しい。自分でさえ持て余す。自分と同じような人間を見つけることができれば何か変えることができるのかな。

 

(おわり)

悪人の系譜


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 たしか角田光代の『対岸の彼女』で、転校した初日にスカートを巻いて短くするという描写があったように記憶している。←もしかしたら別の人かも。
 ぼくはこれを読んで、なるほどと思ったものだ。女子校生のミニスカートは元々短い物があるものだと思っていた。普段履いている短いスカートと式典用の普通スカートのふたつ。しかしなんてことはない。スカートをロールケーキみたいにくるくる巻いていただけの話。スカートはひとつ。

 つい先日、寝ている時に唇が乾くので薬局へリップクリームを買いに行った。ひととおり店を探しても見つからなかったので、店員の人にどこにあるか訊いたら、さっきから何度も通っている場所にあった。店員さんの指す手の先にはやけにポップでファンシーなデザインのリップクリーム。色付きと書いてある。いやいや、中学生の女の子じゃないんだし「普通のでいいです」そう言葉に出す前にメンソレータムのリップクリームをひとつ上の棚で見つけた。買い物する時は少しは落ち着こう。
 リップクリームを買ったぼくは車に戻って、しばらく道路を走っていた。すると突然大きなひらめきが降ってきた。あまりの衝撃に事故りそうになったほどだ。

 そうか! そうだったのか! 色気付いた女の子には口紅じゃなくて色付きのリップクリームを塗らせればいいんだ!

 ぼくが今年書いた『幽霊になった私』には同級生の女の子達が色気付いて、大人の目をかすめながら化粧に目覚めていくことを書いているのだが、 色付きのリップクリームという概念はなかった。作中では口紅を薄く塗っていたりする。おいおい、そういうことは早く言ってくれよ。情報を仕入れるために隠れるようにして読んだ女性誌にはそんなこと書いてなかったよ。しかしこれはネットで調べると、わりと有名な話らしい。思い返してみると女の子って何故かよくリップクリームを塗っていたような気がする。なるほど、そういう理由があったのか。全然気付かなかった。

 よくよく考えてみると、女性誌を読むのはかつて女の子だった人なわけで、今さら色付きのリップクリームなんてわざわざ記事にする必要はない。それはMEN’s NON-NOに自転車のカゴの外し方を載せるような物だ(
いや、逆にありそうだけどね。少し前にピストというプロっぽい自転車が流行っていた。ここで言うのは家の裏にあるサイクリングロードで世界最強になるためのノウハウという意味。MEN's NON-NO読んだことないから分からない。実はそういう雑誌?)。

 インターネットには何でもあるが、取っ掛かりがないと知りようがないことも多い。総当りで挑むにはあまりにも規模が大きすぎる。ぼくは女の子が当たり前に知っていることを偶然に頼らなければ知ることができなかった。しかもこんなことを知ったところで誰もホメてくれない。色付きのリップクリームなんて前世紀から存在していただろう。女の子にはあって当然の知識。全然スゴくない。正直ぼくは凄いものを発見して、自分は天才なんじゃないかと思っているぐらいだけど。

 インターネットは何でも知れるようで実は何も知ることはできない。やっていることは既に知っていることを追認することがほとんどだ。自分の知識を越えたものを検索することはできない。きっとまだ他にも知らない世界があるんだろうな。
 結局男と女はどこまでも異性であって、人として分かり合うことはできても、異性としては永久に分かり合えないのかもしれない。ぼく達は重なり合った異次元で共に暮らしている。


(2016/12/25 22:21記 おわり)

幽霊になった私
牛野小雪
2016-04-28


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 タイトルの通り。旧作の値下げをしました。『火星へ行こう君の夢がそこにある』『ドアノッカー』『蒲生田岬』『グッドライフ高崎望』『真論君家の猫』の4冊です。中編が99円。長編は149円。真論君家の猫のように上下巻に分かれるような大物は上下巻をそれぞれ149円。上下版を298円としました。

 前に言っていた短編と中編の値段とボリューム問題(古い本を値下げしようかと考えているけど)は、今まで単作で出していた短編を『長い寄り道』という一冊の本にまとめて出版しなおしました。ですので、以前の短編は廃版となります。既に購入、あるいは無料キャンペーンでダウンロードされた方は端末から削除してもクラウド上からダウンロードできます。 

 元々『長い寄り道』という短編集がありましたが、今回出したのは同じタイトルの別の本です。同タイトルの短編の他に『竹藪の柩』『ぼくとリカルド』『獅子の檻』が収録されています。全部で7編。新たに書き足した物はありません。本当にまとめ直しただけです。



牛野小雪入門の一冊

 値下げした作品のレーベル欄には(牛野小雪season1)という書誌情報を付けました。Amazonで検索すると出てきます。以下season1の作品です。




149円
149円
149円
298円

 Kindle unlimitedが始まってから有料販売なんてあってないようなものだけれど、実売市場がないわけではないし、今の状態がずっと続くとも限らない。というわけで紙の本だと三年経てば文庫化されて安く手に入るように、電子書籍でも値下げをしてみることにしてみました。

 えっ、三年経っていない物もある?

 それは、せっかく牛野小雪season1というレーベルを作ったのだから、牛野小雪の地層みたいな物にしようと思ったから。デボン紀やジュラ紀みたいに。それに最近は三年経たずに文庫化されることもあるしね。映画化されるとかのきっかけがあれば、すぐに文庫化するのが最近の流れだ。私の場合は今と昔で書いている物が違ってきていると分かったので、そうしました。
 今回出した『長い寄り道』には今年出した短編も入っていますが、それは古い中編と新しい短編の値段とボリュームの兼ね合いを付けるためです。サービスみたいなもの。刊行順に掲載しているので読み比べてみると面白いかもしれません。

 season1、つまり牛野小雪の最初期がどこからどこまでというのを考えていくと、それぞれ各作品に区切りはありますが、やっぱり『真論君家の猫』しか考えられませんでした。大きな区切りはここでついたように思わます。『ターンワールド』はまだ近い。というわけで『火星へ行こう君の夢がそこにある』から『真論君家の猫』までを牛野小雪season1とすることにしました。

 それじゃあ今はseason2なのか。そう訊かれると自分でも分かりません。『幽霊になった私』辺りでseason3に入ったような気もするけれど、後になって振り返れば小さな変化かもしれません。なので今はseason何と命名することはせず、レーベル欄も空白。ただ牛野小雪としました。

 今ある著作にseason2を名付けられる日がいつ来るか分かりませんが、いつかそうできるようになれればな、とは思っています。私からは以上です。

(おわり) 

追記:最新作『エバーホワイト』は今年いっぱい99円です。
エバーホワイト
牛野小雪
2016-11-10


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 エバーホワイトを出してからずっと過去作に手を加えている。何も書かないと決めた一ヶ月が過ぎたが、未だに改稿している(ってことはずっと書いているということになる。でも初稿と改稿の執筆って別物のような気がする)。

 今年書いた幽霊になった私は、別に手を付けなくても良かったぐらいで、本当に撫でたような感じだった。二年前に書いた真論君家の猫はちょっと手応えがあった。

 それで今 グッドライフ高崎望に手を付けているのだけれど、気持ちが良いぐらいの手応えがある。いかにも改稿しているという感じで、初稿から二回まわしたぐらいのゴリゴリ感。

 これを書いた時と、今の自分はかなり離れた場所にいるのだろう。 とっても摩擦している。なかなか前に進んでくれない。たぶんかなり質感が変わると思う。しかし前にブログに書いたように、誤字脱字の修正ではなく、書き直しみたいな物だから以前の版を読んだ人には変化は分からないのが残念(まて、再読してくれると思っているのか?)。

 しかしだ、初稿から二回まわしたぐらいのゴリゴリ感とはいえ、出版する前の緊張感はほとんどない。初稿から二周目なんて「こんなの駄目だ。誰も読まない」と絶望するぐらい緊張している。二年前の作品ということもあるが、それなら幽霊の時だって緊張しても良いはずだ。

 私が思うに、両作の評があらかた出た感が出ているからではないかな。レビューも一年に一個出たら良いほうだろう。これを出したらどうなるだろうか、という不安がない。

 それで言えば出版前に誰かに読んで感想をもらうのは良いことかもしれない。

 
下読みしてくださる人を募集中です。原稿用紙450枚ぐらいの長編です。やっていただける方はDMでご連絡ください。今月中に読んで所感をいただけるとありがたいです。

 みたいな感じで。(450枚って凄いな。読むのに何日かかるんだろう。おまけに所感まで)

 悪ドラ会みたいに品質向上が目的ではなく、ただ読んで評を貰うだけ。いくつかの評をもらって、なるほど他の人にはこういう読まれ方をするのかと作品の輪郭が見えてくると、作者の心もどこか腰が座ってくるのかもしれない。
  
 そうそう、その座った作者の心でグッドライフ高崎望を読んで改稿しているわけだが、やっぱり今とは全然違う。もしある人がエバーホワイトを読んで、次に幽霊になった私を読んだとしても、そう驚かないと思う。でもグッドライフ高崎望を読んだら、ちょっと衝撃的なんじゃないかな。げぇ、コイツ突然下手になった、みたいな。
 
 そう思われないように手をかけているわけなんだけど、何というか小手先に過ぎないというか、設計図の時点でもう違いが出ている。しかし、換骨奪胎して一から書き直そうとも思えない(それにたぶんできない。もうあれを書いていた時と同じ気持にはなれない)。

 短編一個99円、中編280円、長編360円という値付けでやっているけれど(上下本は720円。猫は実験的な特別価格。長い寄り道は中途半端な長さだから中途半端な価格)、同じ中編の黒髪の殻と、火星とドアノッカーなんて長さは同じでも、中身は段違いなわけで、それを同じ値段にしててもいいのかなぁという気持ちがある。

  三年経ったら文庫本が出るみたいに、三年経ったら99円にしようかなとも考えたのだが、そうすると99円の短編と横並びになってしまう。う〜ん、それはどうかなぁ。30円ぐらいにしないと値段とボリュームが合わない。でもKDPは99円が最下限だ。どうしたらいいのかなと考えている。

(おわり)

私だけ?:縦書き横書きに限らず、お金は100円みたいに数字で表記するとしっくりくる。一年、二年、十年みたいな時間は漢数字の方がしっくり来る。でも100万円は百万円の方が百万円っぽいし、百万年より100万年の方が100万年感がある。
  もっと言えば 1,000,000年の方が良い。

たまには:宣伝でもするか。エバーホワイトは今年いっぱい99円です。短編じゃなくて長編です。

エバーホワイト (牛舎長編文庫) [Kindle版]
 
やっぱり:出版社名は牛野小雪がいいかも。だってAmazonのリンクを貼るとタイトルの後ろにつくのは何故か出版社名。出版社で本を買う人なんているのか? だいたい牛舎ってなんだよという話だ。牛野小雪に戻そうかな。変えるの面倒くさいな。やっぱりやらないかもしれない。

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 かねてからの予定通り『真論君家の猫』に少し手を加えていた。初期のKDPはwordファイルをアップすると色々不具合が出たものだが、最近はほぼそのままの形で変換されているように感じる。ルビなんかは時々表示がおかしくなるが体感95%ぐらいで変換できている。もう実用的と言って良いのではないだろうか。

 最近は罫線も使えることを発見したので、ミータンが新聞の切り抜き記事を読んでいるところは記事ごとに罫線で囲んだ。まだ少しうまく変換できていないような気もするが、まぁ良しとしよう。
もう少し贅沢を言えばルビを挿入した字の前後に空く隙間をなんとかして欲しいな。それとは逆に罫線は文字との隙間を少しだけ開けて欲しい

 Amazonの修正版更新申請はちょっと変だったりする。
修正版更新申請とは既にKindle本を買った読者が最新版に更新できるようにすることである
 誤字脱字、表記ミスは速攻で申請が通るのに、描写や言い回しの変更だとまず受理されない。加筆もたぶん駄目だろう。Amazonにとって修正とは、皿のふちについたソースを拭うことであって、味付けや、盛りつけ方を変えることではないのだ。ヘルプにもそう書いてある。


 
1.「Kindle コンテンツの品質ガイド」に含まれない変更の場合
    例:
    • 誤植を修正する目的ではない文や章の追加・削除
    • 言い回しの変更
    • 内容の変更 (ストーリーや登場人物等)
    : 本の内容の大幅な変更、タイトル、号、版の変更が発生する場合は、別の本として新たに出版してください。



 よっぽど酷い誤植でないかぎり(登場人物の名前を間違える作家がいるらしい)、私はそれほど重要なこととは思えない。むしろ話の筋、描写、言い回しの方が重要な気がするがAmazon的にはそうではないようだ。私には何だかそれが不思議なことに思える。
 向こうも商売があるのだから、作家の版変更にいちいち対応していたら手間もかかるし、お金もかかる。明らかな瑕疵でなければ版の更新なんてしたくないのかもしれない。

 この前来たKDPのアンケートにもっと修正版が気軽に更新できるようにしてくださいと書いておけば良かった。

(2016/12/09 牛野小雪 記)

本音:というわけで『真論君家の猫』を既に購入している人は最新版に更新できないよ、という言い訳。あえてAmazonに更新申請すればできないこともないんだけど、そこまでする人はいないよなぁ。とはいえ統合版と分冊版、両方買っている人はいないだろうから、unlimitedなら最新版が読めますよ。どちらも中身は一緒。もちろん買ってもOK。でもunlimitedの方が容量取らないし、再読する時は最新版で読めるので、こっちの方が良いと思う。

疑惑:『真論君家の猫』の読みが分からない人は意外に多い?

発見?:プレビューファイルをmobiファイルのままKindle端末に移すと、なかなかホーム画面に表示されないが、空の新しいフォルダを作って、その中にmobiファイルを入れて移すとすぐにホーム画面で表示されるような気がする。

体験談:『幽霊になった私』の初版では看護が看護となっているのだが、それを看護に修正した時はすぐに修正版更新申請が通った。

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『真論君家の猫』に少し手を加えようとしていたが、あまりの長さに躊躇したので、(取り掛かった時は)一番売れていて、ほどよい長さの『幽霊になった私』に手を加えていた。
 特筆するような変更はないが、ただひとつ内容を変えたところがある。アキが神社に行って狛犬の口に五円玉を入れる描写があるのだが、 つい先日神社へ行くと狛犬の片割れが口を閉じていることに気付いた。どの神社に行ってもそうだったし、wikipediaに依るとあれはお寺の門に立っている金剛力士像みたいに口開けバージョンと口閉じバージョンで一対になっていることが判明した(厳密に言うと口が開いている方は犬ではなく獅子だそうだ)。というわけで最新版では片方の狛犬が口を閉じていると書いている。話の筋としては特に意味は無いので、最新版の更新申請はしなかった。
 毎回新刊を出すたびに何々をリリースと書いている。なかなかよく考えたもので、発刊してからしばらく経つと本当に自分の手から放れたような気分がする。まるで他人が書いたみたいな物に感じられて、今回読み直した折には岡目八目が遺憾なく発揮されてしまった。
『幽霊になった私』では、主人公のアキが幽霊になってから色々体験した後、いつの間にか自分の名前を忘れているというところがある。 彼女の名前はモモタロウさんによって、すぐに思い出すことができるのだが、この部分をもっと引っ張れば良かったんじゃないかと他人事のように思った。そうすれば最後にアキが自分に戻ってくるところまで、物語にひとつ強い圧力を加える事ができた。もったいないことをした。
 しかし、そうなるとモモタロウさんを出す必要はなくて、でも彼がいないとタニスが戻ってこなくて、タニスが戻ってこないとアキが自分を見つけられなくて、と考えていたのだが、そもそも大元の『幽霊になった私』はタニスが戻ってこない話だったことに気付いてしまった。私は『幽霊になった私』を執筆するにあたってタニスの存在に救われていたけれど(タニスがいないと物語が成立しない)、タニスがいることによって『私とアキの物語』からはひとつから離れてしまったようにも思ったのだ。
『ターンワールド』を書いた後も『真論君家の猫』で猫又のアラーニャンに出会えなかった話にすれば良かったと後悔した。書く順番が逆なら間違いなくそう書いたはずだ。 でもそう書かなかったのは腕が未熟だったからだろう。というより境地みたいなものかもしれない。猫を書いている時はそんなことは考えもしなかったし、幽霊の時も同じだ。気付くのはいつも後になってから。でもそれに気付けるのは、ひとつ大きな話を書いて成長したからかな。
 と、少し自己批評を描いてみたのだが、映画、アニメ、小説、スポーツにありがちな外野がああだこうだ口を出すだけで、全くそういうことをしようという気にはなれなかった。とにかく私はもうリリースしてしまったのだ。外野みたいなものである。時既に遅し。それに過去作をふたたび執筆できる精神状態に入れるような気もしない。一口に執筆と言っても、その時その時の特殊な精神の形があるもので、どれも違うものなのだ。
 どうして最初のイメージ通りに書けないのだろう。進むべき道はイメージが降ってきた時、既に示されている。こうやって振り返ってみると、どうやら私は迂遠な執筆をしているようだ。それができないのもやはり腕が足りないからだろう。だから小技に頼ろうとする。しかし、たぶん猫にしても幽霊にしても、もし当時それを意識していたのなら書けなかったはずはない。それぐらいの腕はあった。と、信じている。でも書けなかった。
 そうなってしまったのは、どこか臆病だからだと思う。これもやはり幽霊を読んでから感じたことだ。本当はもっと行間の向こうに何かがあるのに、それが奥へ引っ込んでいる印象を受けた。
カタツムリみたいに殻の奥でビビっているのだそして殻を破れないのはやっぱり執筆の腕力が足りないから。生身のまま陽の当たる場所に出ると簡単に死んでしまうから。殻に閉じこもらず何とか外へ出られないものかな。でも最初に出した火星の頃と比べると触手はかなり外へ伸びている。実は殻を破る必要なんてないのかもしれない。

(おわり)

追記:カタツムリは殻が壊れると死ぬらしいので、やっぱり破らない方が良い。でも殻を背負っていないナメクジは自由に動けるし、狭い隙間に身を隠すこともできる。ナメクジとカタツムリ、どちらが生きやすいだろう?

備考欄:殻というのは心の中にある。だから自分でも殻に何が入っているのかは分からない。実はその中にはイカのお化けが入っていて、無理やり引きずり出そうとすると逆に食べられてしまうのかもしれない。

追記2:今回は印刷して読み返した。以前『黒髪の殻』の時も印刷したのだが、やけに紙が多かったので『幽霊になった私』は長編なのだと実感することができた。Word上だと長さの違いは分かりづらい。

チラシの裏:金剛力士像の顔はアレだが、筋肉の肉体美はとても力強いものがある。ただ顔がね・・・・

どうでもいい話:村上春樹が来年また長編小説出すらしい。Kindle版で出してくれるかなぁ。Kindleだと版が更新されるし、場所も取らないしで便利なんだけどなぁ。でも半年前に出た本でもKindle版の最後のページには初版と書いていることが多い気がする。意外に更新されない? 

どうでもいい話:Kindle unlimitedやhuluで古い映画や本、漫画を見ている。現代ではもうありきたりな展開でもやっぱり今に残っているのは感動する。よくできた話なら、例え画が古くても、筋がありきたりでも、良い物は良いのだ。
新鮮さを求めすぎて、奇抜どころか間抜けにならないように気を付けなくてはならない。

追記3:これを書いたのは水曜日で、土曜日は猫に手を加えていた。やっぱり幽霊と比べると殻に閉じこもっているように感じる。それと冒頭は夏目先生にめちゃくちゃ影響されている。カラスを狩り始めた辺りから何か変わったようだ。あれを書いてからもう二年になる。今でも一番ネタと思い入れが詰まっている作品ではあるが、出来としては今年書いた幽霊の方が確実に上手い。もし同じネタが手元にあれば今の方がもっと上手く書けただろう。でもあれを書いた時と同じ精神状態にはもうなれない。少し寂しい気持ちがした。

蒸し返すネタ(2016/12/04 記):結構前にデカイ物語は必要とされていないんじゃないかという疑念をブログに書いた。それで今日こんな本を見つけたのだが、私のKindle設定で1000行ぐらいの短い小説である。KDPでは珍しくない分量だが、早川書房みたいな出版社から、こういう小さい本を出すのは初めて見た(kineld singlesという物あるが出版社はAmazonだ。それに数は極少)。ネタになりそうなタイトルだからかもしれないが、けっこう良い位置にいる。読んでみたが謎の感動があった。とにかく読んでみるべし。

最後にして最初のアイドル
草野 原々
早川書房
2016-11-22



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