愚者空間

牛野小雪のサイトです。 小説の紹介や雑記を置いています。 あと短い話とか。

2016年11月

 昨日Eテレで中上健次の特集をしていた。彼が『岬』を書いたのは30の頃だと知って、非常に驚いた。『枯木灘』は31だ。私も今31になっているんだけど、31であれ書けるなんてアンタおかしいよって言いたくなる。なんていうか昔の人って若い頃から、凄い大人っぽい。いかにも人生積み重ねた感がある。だからあんなの書けるのかな。白黒写真で撮れば、私も大人っぽく写るだろうか。案外フルカラーだと、中上健次もその辺のニイちゃんっぽかったりするかもしれない。現代作家はカラー写真になっちゃうのが損だよね。
 確か今年群像新人賞を受賞したのは崔実さんで1985年生まれ。ついでに言えば美人。
 去年芥川賞を取ったのは羽田圭介で、これまた1985年生まれ。
 みんなだいたい30で転機を迎えている。
 そういえば村上春樹の『風の歌を聴け』も30だ。
 30歳で文化系の才能が目覚めることでもあるんだろうか。

 私と同じ1985年生まれらしい王木亡一朗さんの10月末に出したやつ。あれを書いたのは去年、つまり30の時に書いたということになる。あれを読んだ時は(ちっ、こんなもん書きやがって)と内心怒っていた。noteで何の前触れもなく公開していた『レモン/グラス』あたりで、何となく次はいつもと違うものが出てきそうだぞという予感があって、本当にその通りだったからムカついたものだ。いつも通りの王木亡一朗でいてくれよって。

 同じ歳のスポーツ選手が活躍するのは別に何とも思わなかったが、同じ歳の小説家がどうにかなっていると心がざわつく。
置いていかれてくような気分になる。みんなもっとサボろうぜって言いたくなる。

 孔子さんは30歳で自信がついて自立できるようになるなんて言ったそうだが、30になっても自信なんてない。
おいおい、冗談だろ。30歳ってもっと大人じゃなかったのかと不安になる。大きくなったのは体だけで、心はまだ子どものまま。四駆の車体に原チャリのエンジンを載せているみたいなもので、一度止まったらエンストしそうな気がする。V8のエンジンが欲しい。

(おわり)

追記:辻仁成もすばる文学賞取ったのは30になってから。

追記2:『レモン/グラス/王木亡一朗』の衝撃はブログでもちょっと書いていた。
進捗状況『エバーホワイト EVERWHITE』No.7

インスパイアして書いたのがこれ
両親のギター inspired by『レモン/グラス』王木亡一朗

あと以下二つの王木小説がポイント還元セール中。夏の魔物がいいよ。


追記3:しかし10代、20代の頃と比べると『恥じらい』みたいなものは薄れてきたかもしれない。これじゃあ虎にはなれないな。山月記でも読もうか。書く方もそうだけど、読む方でも年取ってからのほうが良く読めると思う。10代で山月記読んでも、あれは言うなれば打ち砕かれた中二病みたいな話だから(なんだこの落ちこぼれのクソ野郎)と思うのではないだろうか。何で教科書で習うんだ? 10代の時点で虎になった李徴に共感できる子はかなり闇を抱えた人生送っていると思う。というか一生分からないままでいられたら良い人生だよね。

読後:何回か読んでいると心に響くところが違うもので、李徴が別れ際に袁傪を殺したくないから同じ道を通るなと頼むところで、ぐっと涙が出そうになった。李徴は嫌なやつだけど、袁傪との友情を大切にできる心を持っていたのが良い。頭から爪先まで虎じゃない。だから苦しんでいる。
山月記 [Kindle版]
しかし、今の時代、李徴みたいに虎になっても、すぐに狩られてしまいそうなのがちょっと悲しい。ドラゴンぐらいにならないと。それでもミサイルには勝てないか(ドラッグ・オン・ドラグーン参照)。バイストン・ウェルの聖戦士か、風の魔装機神じゃないと無理だ。
オカルト力(ちから)が必要とされている。そういえばオーラバトラーはハイパー化したっけ。李徴が乗ったらめちゃくちゃ強そう。

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 KDPのロイヤリティはKindle unlimitedが始まってから横ばい。今月も先月と同じくらい読まれそうだ。
 今月『エバーホワイト』を出すと今まで読まれていた『幽霊になった私』が読まれなくなった。 『幽霊になった私』の人気が落ちたのではないとするのなら、私の本を読んだ人はまず牛野小雪の著者セントラルから入って、その中で一番目立つ位置にある本を読んでいるのではないだろうか(一番目立つのは自分の顔アイコン)。先月までは『幽霊になった私』が目立つ位置にあって、今は『エバーホワイト』がその位置にいる。読まれる割合も幽霊と同じくらい(エバーホワイトの方がちょっと短いのでKENPCとしては減ったかもしれない)。
 もしこの仮説に従うのなら、読者はどうやって牛野小雪の著者セントラルに辿り着いているのか?
 世間的な認知度は0に等しいと自覚している。まさか牛野小雪で検索してくるわけではあるまい。もしやと思って小雪で検索してみたが、やっぱり女優の小雪ばっかり出てくる。牛野だとダムだ。
 理由は分からないけれど、毎月同じくらい牛野小雪の著者セントラルを通り過ぎる人がいて、 そこから本を買っていく。どういう人が、どんな経緯でそこに至るのか興味がある。本当に不思議。

(おわり) 

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 最近の作家はそうでもないようだが、昔の作家は短編が多い。芥川なんかは短編ばっかりだ。しかし夏目先生は最初から猫の大長編を書き上げている。続けて書いた坊っちゃんもそこそこある。短編は少ない。でもないわけじゃない。初期の頃は何年か書いている時期があった。
 牛野小雪はどうかというと短編の数は非常に少ない。昔に書いたのを入れても100はいかないのではないかと思われる(あんまり見返したくない)。ここはひとつ100個ぐらい短編を書いたほうが良いのかもしれない。
 周りの作家を見ていると、みんな腕を上げてきている(みんなもっと下手な物書こうよ)。書いた文字数なのか、エンドマークなのかは分からない。でもエンドマークが多い人の方が上達のスピードが早いような気がする。やっぱり自分の身を振り返っても、文字数よりエンドマークの方が手応えはある。
 100個はともかく、長編1個書くなら、短編10個書くぐらい書いた方が良さそうだ。真論君家の猫を描いた時は、短編2個を書いていたし、黒髪の殻と幽霊になった私を書く前は短編4個(幽霊の方は年末年始にブログに書いたやつ。ヒッチハイクは特別な書き方をしたのでカウントしない)。長編1個に短編2個の計算だが、ここで10個書けば5倍凄いものが書けるかもしれない。
 う〜ん、でも10個か。書けるかなぁ。

(おわり)

追記:夏目先生が短編小説を書いていたのは『それから』まで、なんとなくここらから小説が固くなってきたように私は思うのだ(『虞美人草』はめちゃくちゃ堅いけれど)。正直、『門』はいまいちだし(40代になれば、良さが分かるんだってさ)、『こころ』がどうして代表作なのかわからない。私の中で夏目先生は猫だけの一発屋で『坊っちゃん』はまぁそこそこ。しかしそれ以後は書けば書くほど才能を落とした作家のように思えるのだ。しかし、『それから』は何故かそこそこいける。で、ウィキペディアを調べてみると、これを書く前に『夢十夜』という短編を書いていることが分かった(ちょうど10個だ。『文鳥』入れれば11だけど)。『坊っちゃん』を書く前にもいくつか書いている。やっぱり短編を書かないと長編はうまく書けないものなのかもしれない。

追記2:最近口がデカイね。
 
追記3:『こころ』は長編小説なのだろうか? ちょっと違う気もする。何がと聞かれても困るけど。『彼岸過迄』もやはり長編とは違う気がする。

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 エバーホワイトを出してしまったのでやることがない。

 今まで執筆していた時間がぽっかり空いたが、特に何もする気がしない。 

 ああそうだ。本を読むぐらいか。でも不思議なことに、執筆中の方が意外に本が読めるものだ。たくさん書いた時ほど(書ける時ほど)、たくさん読める。今なんて新しい本を読むと目が文字の上を滑っていく。だから読むのは一度読んだ本ばかりだ。 これは文字を読んでいるというよりはイメージを追っているといったほうが正しい。こういう読書の方が私は好きだけどね。むしろこっちがメインで、読書の時間のうち半分以上は既読の本を読んでいる。こっちの方が胸の中にざっくり本が入ってくる感じがする。二回目、三回目が本当の読書ではないかと思っているぐらい。

 未知の本を読む時はどこか別のパワーが必要だ。 本当にどうしてみんなあんなに本を読んでいるのか不思議でならない。
 
 何となく次に書くことは決まっている。

『長い寄り道』を書いている時に降ってきたものがあった。それはまだ自分には書けないことも分かっていた。なので自分に足りないものを拾いに行くつもりでエバーホワイトを書いて、まださらに拾いに行こうとしている。でも今なら書けるんじゃないかな、わざわざ寄り道しなくてもいいんじゃないかなとも思うけれど、それでも次は『聖者の行進』(仮題)というものを書こうかなとも思っている。というか仮題をAmazonで検索したら本以外にもいくつか出てきた。ありきたりなタイトルだ。う〜ん、まっいいか。

 とにかく今は何にも書きたくないな。頭スッカスカ。

(おわり)

追記:ああ、そうだ。この前レビューを書いた王木亡一朗の『lost in canvasation』で、別の人は時系列の話でちょっとどうかなと書いていたんだけど、あれって実は書きようによってはいけそうだなと最近考えていた。というか『幽霊になった私』でも最後に似たようなことをした。ああやって物語の1シーンを多角的に書いていくのって、映画『桐島、部活やめるってよ』と同じ手法だ。映画と小説は違うのだけれど、書きようによってはいけるだろう(←原作はどんなのか知らない。そういう小説?)。
 あと、もっと早い文章を書きたい。ネット時代にADSLみたいな文章はなかなか受け入れられないだろう。私自身そういうのを求めている。光ぐらい早く届く物を書けないものかな。

追記2:意外とみんな村上春樹読んでる。それと『蜂蜜パイ』が意外な人気。アーティスト達による謎のかえるくん推しは陰謀に違いない・・・・・と思ったのだが、海外だとかえるくんは人気なんだってさ。それと象の話。蜂蜜パイは知らない。やっぱり感性の違いなのかな。裏で台本書いている人が同じって可能性もある。真相は藪の中・・・・

追記3:人にある作家の本を勧める時、初期の作品から読むのと、最新作からさかのぼって読んでいく人がいるようだ。デビュー作が一番良かったという作家もいるけど、上手さでいえば最新作じゃない? やっぱり何年も書いていれば上手くなる。でも上手さとは別の何ていうか、こう、言葉では言い表せない『何か』が小説の核じゃなかな(小説だけに限らないけど)。もし上手さだけで読まれるなら、新人作家の本なんて誰も読まないはず。山田悠介の『リアル鬼ごっこ』は下手くその象徴としてネットではネタにされているけど『何か』はふんだんに詰まっていた。ファンが多いのも納得。『何か』があれば作家としてやっていける。

追記4:デビュー作が最高傑作と言われる作家はけっこう多い。あっ、でも誰も思いつかないや。でも何となくデビュー作(新人賞を取った作品)が、その作家の中で一番個性的な作品というのは分かる。上手さを求めて『何か』を失っていく作家が多いのかもしれない。

追記5:村上春樹の最高傑作は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』だと思っている。でも作品としてではなく、場面を切り取るなら『海辺のカフカ』でカフカ君が家出してから香川の図書館に行くところまで。腰を落ち着けずにずっと旅を続けて欲しかったな。もうひとりの方はイマイチだった(木っ端作家なのにデカイ口叩いてやがる)。

追記6:文豪といえばベスト3に必ず太宰治が入っている。『人間失格』はその中でも筆頭株らしい。私はあれを読んだ時に、最初は(すげえ、こいつ天才じゃねえか!)とビックリしたけど、途中で女にモテだしたあたりからイライラしてきて、薬局の奥さんが出てきたところで(てめえ、ふざけんな!)と心の中で叫んだのは今でも記憶に残っている(小説的には成功?)。今でも太宰治はなんとなく嫌いだ。村上春樹の『ノルウェイの森』も10代の時に読んでいたら、同じ反応をしていたかもしれない。まぁ、良くも悪くもそこまで本にのめり込めるのは10代の特権だ。右寄りの本を読めば『憂国』の志に目覚めたり、左寄りの本を読めば『国境も人種も人間のエゴが創りだした幻想なんだ』と博愛の精神で心を満たしたり、アメリカの探偵物を読めばブラックコーヒーを飲みながら人生に疲れた男の顔をして深い溜息をついたり、剣豪小説を読んだ後は木刀を降り始めたり・・・・etc。たぶん今でも何かを見たり読んだりして与えられる衝撃は同じなんだろう。でも、今までに読んだ本や体験がそれ以上に厚いので、あんまり影響されなくなってくる。変わったのは自分の方。ちょっと悲しい。

追記7:自分が好きな作家は、世界で自分一人だけが知っている作家でいて欲しいけれど、同時に世界中の人に知って欲しいとも思う。人の心って複雑。

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 前評判では村上春樹(敬称略)が今度こそ取ると騒がれていたが、2016年のノーベル文学賞はボブ・ディランが取った。
  何故今さらこんな話をするのか。このニュースが流れていた時、私は『エバーホワイト』を執筆中だったので思うところはあっても書く気になれなかったからだ。

 色んな人が村上春樹はノーベル賞を取れないと言っている。 取るなという願望もあるんだろう。私は取れないと思っている。理由は国内で村上春樹が嫌われているから。
 いやいや『色彩を持たない〜』が発売早々100万部売れたような作家が嫌われている? なんて眉唾な話に思われるかもしれないが、事実そうなのだ。ネット上ではかなり嫌われているし、件の『色彩を持たない〜』では面白く内容を揶揄したレビューが話題になったほどだ。
 それに作家の中でも嫌われている。図書館でとある作家の90年代の対談集を読んでいると「あのね、俺、最近話題になっているていう小説読んだのよ。そしたらさ、冒頭で主人公がドイツの航空会社の飛行機に乗って昔の恋人を思い出すところを何十枚も使って書いてやがんの。こいつバカだと思ったね」的なことを書いてあった(正しい内容は忘れた。なんという本かも忘れた。まぁだいたいこんな感じの内容だった)。ちょうどその時『ノルウェイの森』を読んだ後だったので、すぐに村上春樹のことだと分かった。 分かる人には分かるように表立って書いているのなら、裏では相当言われているはずだ。それに対談した作家にしても、自分の名前で出す本なのだから、そういう部分は相手に気を使って削除しても良いはずなのにちゃんと残しているということは、概ねその意見に同意しているのだろう。
 別に同業者に嫌われても読者の支持があれば良いではないか、と思われるのだが、ノーベル賞を取るにはまず推薦されなければならない。それがなければ審査すらされない。そして文学賞は各国のペンクラブにも推薦を依頼するらしいので、同業者の評判が悪ければ推薦されない確率が高いのだ。
 あっ、別にこれは村上春樹を嫌いなことを責めているのではないよ。ただ彼らに嫌われているから推薦されないだろうなということを言いたいのだ。
 海外で人気があるから海外の推薦人が推すという可能性もある。しかし普通に考えて各国の推薦人は自国の作家を推すだろうから村上票が入るとは考えづらい。それが理由でそもそも候補にも上がっていないのではないかと私は思っている。

 村上春樹はどんな作家なのか。
 エロ作家という評判がある。たしかにそういう描写はある。でも、あれを読んで(やれやれ、僕は射精した)となる人間が何人いるか疑問だ。エロという観点で見れば、それ専用の小説の方がよっぽどエロい。本当に読んだのか? もしくは私の想像力が弱いのかもしれない。あっ、こう書くと何だか遠回しに書くのが下手と言っているような気がしてきた。やっぱりエロいです。村上春樹は色気たっぷりです。

 冗談はさておき、長編に限っていうのなら村上春樹の物語を構成する背骨のプロットはひとつだけだ(私個人の意見です)。こちらとあちらの二つの世界があって、男と女が別れ別れになる話(だから鼠が女説があるんじゃないか? 私はまだ筆が固まっていなかったから男だと思う。そう読むのはちょっとひねくれているぞ)。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』からその傾向がはっきりしてきた。
 それじゃあ同じ話を書いているのかと言われれば、う〜ん、まぁ重なるところはあるんだけれど(同じ人間が書いているのだから当然か)、ちょっとずつ前進していることが分かる。

上下巻以上の長編だとこうなっている。
(以下、名前が覚えられないので男と女と表記する。自分の小説でも覚えらないから許して)

 例えば『ノルウェイの森』だと女は最後にあちら側の世界へ行ってしまう
 『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』だと男は最後にあちら側へ行く
 『ねじまき鳥クロニクル』だと井戸の底からあちら側の世界へ行って、正体不明の状態で女と再会し
 『海辺のカフカ』ではちゃんと顔を合わせる(だったかな?)
 『1Q84』ではそこからさらに女と一緒に元の世界へ戻ってくる(第三の世界と匂わせている節もある)

 と、私は読んだ。プロットとして見れば徐々に話は進んでいるのだ。

 それじゃあ、もし次の上下巻以上の長編が出たらどんな話になるのか。
 仮に『X』と名付けるとする。

 『X』でもやっぱり男と女はこちらとあちらの世界に分かれている。それで三巻ぐらい使って、二人は再会してこちらの世界に戻ってくる。そして、たぶん子どもが生まれる。その後を書くとしたら、やっぱり女はあちら側の世界に戻るだろう。『1Q84』で女が殺し屋だったみたいに、何かしら罪なり穢れなりを背負っていて、それが二人を引き離す要因になるのだろう。子どもは男の元に残る。そこで話が終わる。
 あっ、そういえば『海辺のカフカ』は母親がいない少年だったっけ(父親が誰か分からないという題材は珍しくないけど、母親が分からないというのは珍しいね)。それと姉も。そこまで繋がるのか? 

 と、勝手に色々書いてみたが、まさかこんな世間の片隅にいるような人間が考えたような話を村上春樹が書くはずがない。きっと予想を越えるような話を書いてくるんだろうな。絶対にそんなことはないだろうから、安心して好き勝手に書くことができた。ちなみにプロットが評価されてノーベル文学賞を取ることはないと思う。しかし、こうやってまとめてみると村上春樹の文体はドライなアメリカンだと言われているが、プロット自体は伝統的な物語だ(私個人の感想)。

 村上春樹は精神的プロレスの根性が生きている。それが彼の魅力なんではないだろうか。作中ではたいてい荒唐無稽なことが起きるのだが、主人公はとりあえずそれを受け止める。北海道へ羊を探しにいくことになっても、怪しげな占い師が出てきても、とりあえずはそれを現実として受け止めるところから始まる。たぶん村上春樹本人にしても、もしノルウェイの森みたいな女がいれば「テメエみてえなメンヘラこっちから願い下げだっ!」ぐらい言うかもしれないが、とにかく氏の小説に出てくる主人公は色んな物を受け止める器の大きさがあるのだ。冷静になって考えてみると、そんな男現実にいないとは思うが、現実なんてつまらないじゃないか。つまらない物を読むぐらいなら寝てたほうがマシ。

 村上春樹の書く男は基本的に弱そうだ。強そうだったのはカフカ少年ぐらいか。村上春樹の書く男は一発殴ったら簡単に尻もち付きそうな印象がある。でも、その男は地面に座り込んだまま、ねとっとした目でこちらを見上げてきそうなしたたかさもある。もう一発蹴ったら転がりそうな感じもするけどね。もちろんそうしても、やはりこちらの様子を背中で窺っていそうだ。精神的には決してへこたれない柳のような強さがある。でも三島由紀夫がいればジョギングしないで筋トレしてろって言いそう。


 その村上春樹の小説だが、女はしょっちゅう行方不明になる。何処かへ消える。あるいはこの世にいない(あっちの世界にいる)。一番新しい短編集は『女のいない男たち』というそのままズバリのタイトルだ。元ネタはヘミングウェイの短編『男だけの世界』。この本に収録されている鱒を釣る話を読んで、山奥に釣りをしに行こうと思ったことがあるが未だに果たせていない。森と水の静けさと涼しさ。とっても雰囲気が良くて影響を受けること間違いなしだ。でも、たぶん一生行かないんだろうな。先達もいないし。でも森の奥で一人食べるキャンプの飯はとっても美味そうだ。『The Hemingway cookbook』という本がこの世に存在するのもうなずける。

 村上春樹の短編といえば『かえるくん、東京を救う』がどうも人気らしい。『神の子どもたちはみな踊る』という短編集に収録されている。車でラジオを聴いていると毎年この時期には村上春樹の話題が出て、ゲストに出てきた
アーティストはみんなこればっかり推しているような気がする。音楽業界に布教者がいるんじゃないか? 一人ぐらい『ノルウェイの森』が好きですという人がいてもいいじゃないか。出版部数的にそうならないとおかしい。せめて『1Q84』だろう。どうしてみんな揃いも揃って短編集の中にある一作を推すのか不思議でならない。短編集なんてほとんど売れないじゃないか。しかも90年代の本なのに? でももしかすると音楽をやっている人には何か琴線に触れるものがあるのかもしれない。
 私は
同じ本でならそちらより『蜂蜜パイ』の方が良いな。まさきち君ととんきち君の友情の話がいい。とんきち君が落ちぶれたとき、彼はまさきち君と友達でいるために彼の情けを受け取らずに山から姿を消すっていうのが良いんだ。その後ちゃんと二人はうまい形で友達に戻るしね。村上春樹は短編でこういう話を書いてくるからあなどれない(←村上春樹に向かってこの言い草。お前何様のつもりだ?)。さっき読んでみたがやっぱりいい。村上春樹は短編集から読んでいくのがいいと思う。

 話は大きくそれたが、村上春樹がノーベル文学賞を取る日は遠いだろう。少なくとも氏と同年代の人がいるうちは取れないんじゃないかな、たぶん。『村上春樹氏が今年のノーベル文学賞を受賞』というニュースが流れる頃には『えっ、村上春樹ってまだ生きている人だったの!?』と、まずそっちの方がニュースになるのではないだろうか。

 でもさ、ここまで村上春樹とノーベル賞のことを書いてきたんだけど、私は彼より辻仁成の方がノーベル文学賞を取るような気がするんだよね。彼の最高傑作と言われる『海峡の光』は物が多いのでブックオフで100円で買える。厚みもそれほどないのですぐ読める。少し前に話題になった『火花』と同じぐらい。そういえばどちらも真正面から書いた正統派というのも共通している。超オススメ。Kindle版はまだない(2016年11月現在)。とにかく良いよ、辻仁成は。ヘミングウェイと同じくらいイケメンだし、料理本も書いている。読んだことはないが表紙のやつは美味そうだよ。辻仁成には人生が詰まっている。足りないのは筋肉ぐらい。三島由紀夫なら筋トレしろって言うだろう。

 でも村上春樹だって好きな方さ。あれだけ騒ぐのだからそろそろ取ってもいいんじゃないかな。毎年上げて落とすことないんじゃないかなって思うんだよ。ちょっとかわいそうだよね。取る取る言い始めてから10周年を迎えてしまったことだし、そろそろ静かにしてあげてもいいんじゃないかな。どうせ取る時は取るんだしさ。もしかしら来年取るかもよ? それにノーベル文学賞なんてそんなにありがたいものでもあるまい。これまで何人も受賞した人がいるが、そのうち何人の作家の作品に触れたことがあるか? 去年誰が取ったかも定かではあるまい。
 夏目漱石もドストエフスキーもノーベル文学賞は取っていない。それでも彼らの作品は今も残っている。
しょせんそんなものだよ。賞によって作品の価値が上がることはなく、ただ脇に添えられるだけに過ぎない。エビフライに付いてくるポテトサラダみたいな物。

 ポテトサラダは好きだけどね。

(おわり)


追記:ヘミングウェイの短編の話だけど正確には『ヘミングウェイ短編集1 われらの時代・男だけの時代(新潮文庫)』の『われらの時代』の章に入っている『二つの心臓の大きな川』というお話。ちょっとややこしい。あと調べてみると徳島にいるのはアメゴというちょっと小さいサイズの鱒で、ヘミングウェイの小説に出てくるような鱒はいないっぽい。っていうかアメゴって鱒だったのか。アメゴなら子どもの時に何かの祭りで手掴みしたことがあるぞ。はぁ、なんだか急に夢がしぼんできた。ネットで簡単に調べ物ができてしまうのも功罪ある。大人しく鮭フレークでも食べているかな。それと本当に余談だが、ヘミングウェイは色んな物を題材にしているけれど、闘牛より釣りのほうがいいと思う。でも『老人と海』はイマイチ。ボクシングもイマイチ。一番いいのは『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』という狩猟を題材にした短編。主人公がライオンを狩るのに失敗して、奥さんに冷たくされるは、浮気もされるはで、しょんぼりしていたんだけど、次の狩りは成功して(何を狩ったっけ? 鱒ではなかったと思う)自信を取り戻すと、今度は奥さんがしょんぼりして、フランシスやったな!と心躍るのも束の間、彼がいきなり死んでしまうのがなんとも言えない。あれがヘミングウェイの中で一番の傑作じゃないかな。だっていまだにタイトルを覚えているぐらいだもの。あぁ、なんだか今日は小説の先達に向かって大きな口を叩きすぎている気がするな。

追記2:ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』をいろんな人が推している。『罪と罰』なら読んだことがあるが、どうもこっちの方が最高傑作らしい。それもドストエフスキーの中ではなく、小説の中で。
 人中の呂布、馬中の赤兎、小説のカラマーゾフ兄弟みたいなものか。
 新しく本も出したことだし、ようやく重い腰を上げて件の本を求めに本屋へ行った。しかし本屋を出た時に私が持っていたのは『悪霊』という本だった。タイトルの響きがカッコよかったから。題名って大切!

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エバーホワイトの配信が開始されました
以下はAmazonの内容紹介です

 かつては東京のある会で表彰されるほど優秀だった正文は落ちぶれようとしていた。
そんな時彼は肉体労働に従事している長谷川さんと出会う。彼女はかつての同級生で、何故か忘れられない存在だった。
正文が病気になったことがきっかけで二人の共同生活が始まると、正文は自分を取り戻し、前以上に仕事ができるようになった。しかし長谷川さんの心と体はクスリに侵されていることを知る。
正文は長谷川さんを救うため異常な決意を秘めてクスリを飲むことにした。彼女と同じ世界に飛び込みクスリの世界から引き上げるのだ。クスリと正文とで長谷川さんの奪い合いが始まる。

 

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キンドルアンリミテッド、オーナーライブラリーで読めます。
エバーホワイト (牛野小雪season2)
牛野小雪
2016-11-10
かつては東京のある会で表彰されるほど優秀だった正文は落ちぶれようとしていた。
そんな時彼は肉体労働に従事している長谷川さんと出会う。
二人の共同生活が始まると、正文は長谷川さんの心と体がクスリに侵されていることを知る。
正文は長谷川さんを救うために自分もクスリを飲むことにした。
クスリと正文とで長谷川さんの奪い合いが始まる。


試し読み→エバーホワイト 試し読み
本編を最後まで読んだことがある人はこちらへ→『エバーホワイト』に一言もの申したい!

進捗状況『エバーホワイト EVER WHITE』 No.1

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 今回はいつもと違う書き方をしたいと思っている。
 今までは何とか書いてやろうと私の方が頑張っていたが、今度は小説の方に頑張ってもらいたい。もちろんひとりでに小説が書けるはずはなく、文字を打つのは私の指でしかありえないのだけれど、イメージとしては小説の方でひとりでに考えて、ひとりでに膨らんでいく。

 何もしなければ何も起こらないかもしれない。まぁ、その時はいつもの様に小説のケツを押しながら書くことになるだろう。

(おわり 2016/07/10)

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