愚者空間

牛野小雪のサイトです。 小説の紹介や雑記を置いています。 あと短い話とか。

2015年09月

 9月の上旬にまた公募へ出す小説を書き始めた。星新一賞は法外に待遇がいい。同じ水準のの賞金を狙うなら、もっと書かなければならない。というわけで、今はもっと書こうとしている。
 構想、プロットの段階で感じたのだが、私はたぶんまず原稿用紙10枚の呼吸があって、その次に2万字、次に12万字の呼吸があるような気がする。最初に出した火星やドアの話は7万字ぐらいだが、あれは狙って書いたものではなくて偶然あの分量になった。
 中編の長さはかえって書きにくいと感じている。今はまで冒頭を書けているのだが、12万字の勢いになりそうなので頑張って縮めようと悪戦苦闘中だ。
 書き始めた頃は書けるかなと不安だったが、いざ書いてみるとめちゃくちゃ書ける。一時間に二千字書くのは最近驚くようなことではなくなった。半年前の自分に言っても絶対に信じないだろう。
 なるほど、それじゃあ二時間で四千字書くのかといえば、それは違っていて、相変わらず一日に書ける量は変わっていない。4千越えたり、千も書けなかったりで波はあるが、大きな目で見ると一日に書ける量はここ一年は同じだ。
 二年前は今より書けるようになって、一日八千ぐらい書いているかも知れないなぁ何てことを考えていたが、ある時から書ける量は増えなくなった。 最近は、人によって一日に書ける量は決まっていて、私はもうその限界に到達したのではないかと考えている。
 その代わりその限界に達するのは最近目に見えて早くなった。6千書ける日も二時間ぐらいでそこまで書く。そして二時間を越えるとさっぱり書けなくなる。なら、考えを転換して、どうやったら今より短い時間でその限界量まで吐き出せるのだろうか、最近はそれを考えている。

(2015/9/19 牛野小雪 記)

追記:小説とブログを書くのでは頭の使う場所が違うせいか。小説で限界量を吐き出したあとでも書けるみたい。事実この記事も限界まで吐き出したあとに書いている。それでもやはり限界量はあって、肌感覚では小説と同じぐらいだ。余力でいえばまだ書けるけれど、毎日書くネタなんて無いんだなぁ。新聞のコラムニストは超凄い。あれも才能の一つだと私は思う。


最新刊です。よろしくお願いします。
 
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 PCゲームのエイジオブエンパイアにはデフォルトでAIが搭載されているが、エディタ機能を使って自作のAIを作る事もできる。けっこう前から徐々に作っているのだが最近は勝てないことがある。ネット上にはもっと強いのがいるが、最近は強さよりも戦いがいのあるという方向で動かそうと考えている。自分で作ったAIに負けるのも癪だしね。

 それでAIに変更を加えるたびに実際の動作を試すのだが、大抵どこか間抜けなところがあって微笑ましい。延々と壁を殴り続けたり、資源のある限り戦士小屋を建てたり、たまたま通り過ぎた斥候を全軍で追って敵の攻撃をもろに食らったり。

 動作を見るためなのだから、普通は放っておくのだがたまにはこちらから手助けしてやる(プレイヤー1は必ず人間か、コンピューター+人間でなければならない)。すると、けっこうきちっと動いてくれる。人間+AIというのはけっこう相性が良いようだ。ネット上にcosmosという強いAIがいるのだが、そういう相手にもけっこういい勝負をする。

 cosmosが相手だとAIだけでも人間だけでもあまり相手にはならないのだが、二人だといい感じに弱点を補えるようだ。戦うのも超楽。1分放置しても大きく負けこむようなことは少ないので酔っていても問題ない。

 将来はAIが人間を駆逐するというが案外人間+AIの組み合わせでやっていくんじゃないかな。産業革命が起こっても、コンピューターが導入されても相変わらず人はいるし、総体で見ればむしろ増えている。でもたぶん作業量の総量は今より飛躍的に増えて忙しくなると思うなぁ。気を使う仕事ばかりになると思う。それはそれで嫌だなぁ。かといって仕事を無くしてくれるAIも出来ないだろうし、やっぱりAIの未来は暗いなあ。

 

(2015年9月1日 牛野小雪 記)

 

補足:産業革命時に起きたラッダイド運動。機械を壊しまわった靴下職人達の生活水準は生涯取り戻せなかったらしい。人類の繁栄の裏にはこういう暗い話もある。最近は文章を書くAIもいるとか。今はまだまとも文章を吐き出せないそうだが、将来は小説家が絶滅危惧種になっているかもしれない。それともAIの書いた文章をより研ぎ澄ませるために必要とされるのだろうか?

 

補足:なぜこんなことを書いたのか疑問に思ったら淡波亮作の『さよなら、ロボット』を読むべし。なかなか面白い小説。たぶん命と機械をテーマにはしていないと思うけど。

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 最近何かと騒ぎになっているオリンピックエンブレムのパクリ問題だけど。パクリと影響を受けたの違いってどこにあるんだろうかと考えてしまった。私には『真論君家の猫』という『吾輩は猫である』にモロ影響を受けて書き始めた物がある。私自身はあれをパクリだとは思わないが(めちゃくちゃ影響は受けていると思う。そもそも『吾輩は猫である』が冒頭にちょろっと出てくるし、書く前は二番煎じでも良いとか書いていたし、そのつもりだったし・・・)、ガーッとこれはパクリだと問い詰められたら反論できる気がしない。

でも、でも、それでも『真論君家の猫』は牛野小雪の物語だし、上で言及したまだ名前の無い物語でもそう思う。ついでいえば夏目漱石が猫で『雄猫ムルの人生観』をパクったとも思わない。うん、でもパクったと指摘されれば言葉ではっきりと否定はできないなぁ。もう声のデカイ方が勝つという世界になってしまう。

 現実にパクリがあるというのは分かるけれど、その線引きはどうやって決められるんだろう?

 丸写しならパクリ、登場人物を変えただけなのもパクリ。そこぐらいまでなら分かるが、『雄猫ムルの人生観』と『吾輩は猫である』と『真論君家の猫』(ひゃー畏れ多い!あくまで例だよ)は猫が喋って考えているのは同じ。でも年代順にパクられてきたとは思えない。そう思いたいからなのだろうか。

 一応『吾輩は猫である』もパクリ疑惑はあったそうだ。だからというわけではないが『真論君家の猫』を交えて三者を比較してみようと思う。

 

生まれた場所

ムル 自分でもしかと決着がつかない場所

吾輩 頓と見当がつかぬ場所

真論 全てが真っ暗な場所

つまりどこだか分からない

 

飼い主

ムル 音楽家 

吾輩 英語教師

真論 農家の息子

精神的ゆとりのある生活をしているのは同じ

 

心の恋人

ムル ミースミース

吾輩 三毛子

真論 シラコ

みんな美猫

 

猫の末路

ムル 死ぬ

吾輩 死ぬ

真論 死ぬ

みんな死ぬ

 

 うわぁ!牛野小雪とかいうやつが気に入らない作家で、私に発言力があったら絶対にパクリ騒動を起こすと思う。

それでもしツイッターが炎上したらアカウント閉じると思うなぁ。ブログのコメント欄は閉鎖。わざわざ徳島まで来ないとは思うが、マスコミが来たらカーテンを閉めて外には出ない。でも閻魔様の前でなら胸を張ってパクリじゃないと言える。あっ、こんなことを言うと余計パクリストっぽいや。でもそう思う物は仕方がない。

 
 猫の話を離れて無人島物でもこういう話はある。デフォーの『ロビンソン漂流記』、ジュールヴェルヌの『十五少年漂流記』、ゴールディングの『蠅の王』。もう面倒くさくなったので比較はしないが、作品の一部分だけを抜き出せばパクリのそしりを免れない。彼らが現代に生きる作家で、言及した人が口のうまい人なら廃版にまで追い込めるだろう。
 でも誰かが『こいつらはパクリストだ』なんて実際に言っていたら、(こいつ、頭おかしいんとちゃうか)と思うのも事実だ。誰かが「お前の言っていることはおかしい」と声を出せば「そうだ、そうだ」と便乗するだろう。
 でもそこは穏便に「イデアは同じだが別の物」とくればすぐに頷ける。たとえるなら自動車というアイデアは同じだけど、ベンツとフェラーリが違うみたいなもので、まさかここをもってパクリだという猛者はいまい(フェラーリとランボルギーニでもいい)。
 今回の騒動でアイデアが同じとパクリの境界線はどこにあるんだろうかと考えてしまった。どうも釈然としないものを感じている。

(2015/9/6 牛野小雪 記) 


追記:ギターのコードはAからGまでの7つ。今まで発表された楽曲は数知れず。それなのにパクリ騒動なんて起こらないのだろうか? それとも早い段階でコードの組み合わせが出切ってしまったから被るのが当然という世界? 門外漢には分からないんだな。
 ちなみにだがオリンピックのエンブレムも図形と崩したアルファベットの簡単な組み合わせにしか見えない。組合せは無限にあるだろうが、そこから見映えのするデザインとなると種類は絞られてくるはずだから、探せば類似するものがあると思う。
 ちなみにあのデザインはちゃんとした技術で計算されて作られているそうだ(そして
理屈っぽいからダサいらしい。全然そう思わないところがヘタウマの理由か・・・)。日本と外国で感性の違いはあっても、デザイン技術の知識には違いがないはずだ。それなら被るのはなおさらじゃないか? (色の組み合わせにも理論がある。それに関しての本なんてたくさんある。ターンワールドの表紙を作るときはそれを参考にした。あのぐじゃぐじゃしたデザインも本に書いてあった技。これならできるぞ!とすぐに試した。類似のデザインは探せばあるはず)
 
追記2:喩えが悪かった。「アイデアは同じで別の物」とは、二人の人間が同じ対象をスケッチしたようなもので、そこから出来上がったものはやはり別物と言うしかないのではないか? 仮にその二つがそっくりだったとしても。
 それとも同じものを見て絵を描くのはパクリなんだろうか? 


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 10歳の頃にシベリアンハスキーの野良犬が近所を徘徊する事件があってから野良犬の姿をとんと見なくなった。そのハスキーは本当に巨大な犬で、私が砂を掘っていたらいつの間にか後ろにいてかなり恐かった思い出がある。ホラー映画ばりの叫び声が出てきて、犬もびっくりしていた。その隙に隣の家の塀を飛越えてなんとか事無きを得た。

その犬は本当に大きくて、中学生が塀の上に取り残されていても大人は家の中から出てこなかった。ちなみにその騒動の元になったシベリアンハスキーは近所の家に飼われている。もうけっこうな年のはずだがいまだに飼い主を引っ張っている姿を見る。実は二代目だろうか?

 野良犬はいなくなったのだが、それに入れ替わって野良猫が現れるようになった。たぶんそれまでは犬に食われていたんだろう。

 最初の野良はアメリカンショートヘアーでキャロルと名付けた。夕方四時になるとどこからともなく現れて、一緒に遊んでいた記憶がある。たいていは屋根から松の木へ飛び移り、するすると下まで降りてくる。そのキャロルは五時になると突然何かの用事を思い出したようにどこかへと去っていった。

 よっぽど懐いていたので家で飼いたいなと思っていたらキャロルは突然姿を見せなくなった。それで方々探し回っているとある家の敷地で、キャロルがたくさんの猫と一緒に座っているのを見つけた。それでやつの名前を呼んでいると、不意に窓が開いて「猫、いじめんといてな」見知らぬばあさんに怒られる。猫達はばあさんの元に駆け寄っていき、キャロルもその中の一匹に混じっていた。この裏切り者めと思って、それ以来ばあさんの家には行かなかったし、キャロルの姿も見なくなった。

 次に来たのは黒猫で毎晩松の木の下に寝そべって、尻尾を体に巻きつけていた。私を見るとさっと逃げたので何だかよく分からない。基本的に野良はよく逃げる。ちなみにこの黒、斜め隣で飼われていたコーギー犬のエサを横取りしていたせいか飼い猫みたいに毛並みがツヤツヤしていた。だけど、その黒猫が姿を消すと何故かコーギーも後を追うように死んだのは不思議だ。ケンカするほど仲が良かったのかもしれない。

 そのあと松の木の下はサバトラ、黒、シャム、サバトラ、黒、と入れ替わって、今年の夏は茶トラが出没するようになった。この辺で茶トラは珍しいのでちょっと気になっていた。

 この茶トラ。オス猫なのだが太ましい体つきをしていて、最初から只者ではない風貌をしていた。近所にいる先住の黒とキジが難癖をつけようとしても、足を止めずに片手であしらうほどだった。

三匹同時に囲まれても何のそので、オーン、オーーンの大合唱の中、退屈そうに大きなあくびをしていた。これは敵わんと悟ったのか最初に小さい方のキジトラが逃げて、次に黒が離れて、最後まで粘っていたキジトラは突然何かの用事を思い出したように立ち上がると、何度も後ろを振り返りながら忍び足で退散していった。

 しかしこの茶トラ、オス猫界では強いのかもしれないが世間の波を泳ぐのは下手だったようだ。例えば小さいキジトラは、しょっちゅう誰かれに近付いては撫でてもらっている。たぶんエサも貰っているのだろう。(と、思っていたら首輪付きになっていた 2015/9/2追記)黒だって、たまには私の足元に毛を擦りつけてくる。大きい方のキジトラにしても、冬を越して生きているぐらいだから何かしら人の手を借りているに違いない。ただし、この茶トラだけは人間を見るやいなや、さっと逃げてしまう。かなり警戒心が強い。そのくせ私が夜散歩に出る時は玄関の松の木の下で体と尻尾を巻いている。懐こうとしているのかと思って近付いたらやっぱり逃げた。

 都会ではないとはいえ、しょせんここは牛より車が多い場所だ。道端に猫が食う物もそれほど落ちていない。茶トラは日を追う毎に痩せていき、しまいには皮が余ってみすぼらしくなった。それでもやっぱり人間を見ると逃げた。

 それでこの前の台風が去った後に黒が後ろ足を曳きながら歩いているのを見て、あの茶トラはどうなったのだろうかと心配していた。黒が足を曳いているぐらいだから死んだのかもしれないと思っていたが、つい先日また太ましい体つきをしているのを見た。松の木の下で尻尾と体を巻いていた。そして私を見るとすぐさま逃げていく。最近は振り返りもしない。どうやって台風と飢えをしのいだのかは謎である。

 

(2015年9月1日 牛野小雪 記)

 

(おわり)

 

追記:一昔前にあれだけ流行ったゴールデンレトリバーやラブラドールはどうなったんでしょうか。前は石を投げれば当たるぐらいいたのに。最近は小型犬ばかり見る。中型犬でも珍しい。最近はツイッターで柴犬を見るぐらいだ。

 

追記2:野良の黒はちょうど真論君家の猫を書いた後に出没するようになったので大変驚かされた。しかも金目の黒猫。肉球まで黒い。ただし真論君家の猫とは違って体はあまり大きくない。子猫の様にも見えないので、これから先も大きくはならないだろう。

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 今年の春からカボチャとスイカの苗を育てていた。本来はどちらも広い平地を使って育てるものだが支柱を立てて育てれば狭い土地でも育てられるというので早速試してみた。するとカボチャのつるがどんどん伸びていき、立てた支柱では高さが足りなくなったので軒に紐を結んで支柱と結びつけた。それでもカボチャの勢いは衰えず、ついには屋根より高く伸びた。

どこまで伸びるのだろうとネットで調べると5mは伸びると書いてあった。どうりで屋根より伸びるはずだ。それに病害虫にも強いのでもりもり育つらしい。一緒に植えたスイカはほとんど伸びることができずに、細いつるを影に落としている。

どうせ植えていても養分を取るだけだからスイカの苗を切ろうかと考えていたが、それも面倒なのでずるずると日を過ごしているうちに台風がやってきた。台風が去ると屋根より高く伸びたカボチャは低い位置の葉を残して全部ちぎれてしまった。残った葉でどうにかなるかと見ていたが結局枯れて駄目になった。

カボチャの苗は処分して、そこに丹波黒豆の種を播いた。もう3代目なので徳島黒豆と呼んでもいいかもしれない。普通の豆はだいたい2代目で弱くなり3代目で芽が出なくなるが、黒豆は原種に近いのか勢いは衰えない。というより土地に馴染んできた。播いて二日後に全ての種から新芽が出て、一週間もしないうちにすねの高さまで伸びた。

今年は黒豆の年かなと見ていたが、カボチャが消えた真空地帯に少し前までなりを潜めていたスイカがつるを伸ばしてきた。すると黒豆は日陰者になり、成長を止めてしまった。マメ科の根には根粒菌があって、土に窒素を固定してくれるからこのままでもいいかと思っていると、また台風がきた。今回はかすめただけだが風は強かった。次の日にスイカを見ると、ほとんどの葉が駄目になっていた。

カボチャと違ってスイカは枯れることはなかったが、再び勢力を盛り返すより先に黒豆が大きく育ってしまった。今はスイカが日陰者となり地面に近いところで、つるを伸ばせないでいる。葉も小さいようだ。たぶんもう実ることはないだろう。

黒豆には紫と白の花がたくさん咲いた。アシナガバチが近くを飛んでいたので実付くに違いない。でも、どれだけ実ったところで結局は牛野小雪が塩茹でにして食ってしまうのだ。一番良く育った物は種をとって保管されるが、それだって早いか遅いかの違いで結局は胃袋の中だ。裏庭の勢力争いに勝っても結局は滅びが待っているわけで、ちょっと寂しい気がする。

黒豆君達が勝利の存在しない裏庭で生きていくこと考えると少し背筋が寒くなる気がする。それでも丹波黒豆の塩茹では美味い。スイカは実り損ねたがカボチャはひとつだけ収穫した。こちらは薄く切ってカリカリに焼き、これまた塩で食うつもりだ。これもまた美味い。牛野小雪は食ってばかりいるが、誰に食われるのだろうか? そもそも食べられるのか? その辺のところはまだ分からない。

 

(おわり)

 

(2015年8月30日 牛野小雪 記)

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 ヒッチハイクを書いてから色んな人に「暑さが抜けたら書きます」と言っていたのだが、もう暑さが抜けてきたので嫌になっている。暑さが抜けたらとは言ったけど、何となく10月あたりを思い浮かべていたので全然書く気がしない。一応ノートは机の上に置かれているが、ただそれだけ。本棚の埃を払ったり、部屋の模様替えばかりしている。お陰で部屋はきれいに整った。でもやっぱり書く気はしない。そんな今日は執筆の話。

 KDP
に出す前は一日で書ききれる様な物しか書いてこなかったので必要なのは勢いだけだったが、一ヶ月以上も執筆となると体力と気力が続く限り書けるだけ書くというやり方では身が持たないとすぐに気付かされた。『蒲生田岬』の時はそれで限界がきて一ヶ月ぐらい筆が止まった。警察署を出たあたり。本当に長かったので今でも覚えている。

 未だにこれというものは掴めていないが、肌感覚ではいつ書くかより、いつ書かないかを決める方が良いような気がする。

 ある作家は毎日原稿用紙で最低二枚書くと決めているそうだが、私の場合は二枚どころか一枚ですら書けないときがあるので、少し考えて最低二時間書くことにした(これはのちに一時間に変わる)。こちらだと書けても書けなくても必ず終わりがくる。そこまで書いてまだ書けそうなら書くし、書けないなら書かない。最高は4時間。そこまで書いたらまだ書けそうでもぱったりやめる。余力が残っているなら次の日に残す。どうせ一日だけ頑張っても後日書けなくなったらたら元も子もない(MPを回復させるにはMPが必要な気がする)。

それで『蒲生田岬』は無事書けたのだが『ターンワールド』ぐらい長い物を書いていると、どうもこれも無理っぽいぞとまた気付かされた。

 それで一週間の内で書かない日を決めたのだが、こちらはあまりうまくいかなかった。やっぱり書いている期間で不調が出てくる。

 今度は1時間に1回休むことにした。これはわりとうまくいって、また進むようになった。ふと思い付いて1時間の中に書かない時間を細切れに入れてみると、もっとうまくいった。


 さて、休むとは一口にいっても何をするのか。色々と試してみたが、見ざる書かざるのが一番いいようだ。具体的にはキーボードから手を離し、その手で目を覆う。それだけ。後に知ったことだが、この行為には目の何とか腺を暖める効果があってドライアイにいいらしい。視力もけっこう戻った。

 

タイトルの執筆における1時間の時間割だが具体的にはこうなっている。


0~18分 執筆

18~19分 見ざる聞かざる

19~20分 知恵の輪を解く(最近は組木)

20~38分 執筆

38~39分 見ざる聞かざる

39~40分 何か飲む

40~58分 執筆

58~59分 見ざる聞かざる

59~60分 筋トレする

 書かない時間が増えた事で一日に書ける字数は落ちたように感じたが、一週間二週間で振り返ってみると実は増えていた。物凄く書ける日は無くなったが、物凄く書けないという日も少なくなる。書けなくなってもそれが一ヶ月以上続くということがなくなった。

まぁこれは偶然でジンクスみたいなものかもしれないが、今のところは効果があるものと信じている。もしこれが駄目になったらもっと書かない時間を増やすだろう。

 

字数だけで質はどうなんだ? 書けばいいってもんじゃないぞ?

さあ? でも世界陸上で10種競技とかを見ていると早く走れる人は高く遠くへ飛ぶこともできる。それと似たような物でたくさん書ける時は良い文章が書けている気がする。詰まりながら書いたところはあとで消すか、書き直すことが多い。だから一日で書いた字数はそのまま執筆のバロメーターになるんじゃないかな。

 

下のグラフは2014年10月20日から翌年3月19日にターンワールドの初稿が上がるまでの一日に書いた字数の棒グラフ。12月、つまり50辺りから一時間内で細かく休むようにした。だいたい5万字ぐらいで、ちょうどタクヤが異世界へ行ったところだ。一区切りついたので習慣を変えたのだろう。

73がへこんでいるのは書けなかったのではなくて書かなかったから。この辺りはお正月で大晦日から1月5日まで休んだ。

マイナスの値はその分消したから。書いて消しているので実際には倍の字数を消している。ショックはあったがその後の何日かはよく書けるようになるらしい。だからといって無闇に消そうとは思わないけど。

 ターンワールド日産字数

グラフを入れる
ターンワールド累計字数
初稿までの累計字数 (71から78。つまり正月を境に傾きが目に見えて上向いている。127辺りで傾きが落ちたので50日に1度は1週間書かない日を設けた方が良いのかもしれない。今度長い物を書く時は試してみる。ヒッチハイクはそれほど長くないので50日ぐらいで書けた)

 


ターンワールド七日平均線
 七日平均の線グラフ (分かりづらいが縦の値は400字を1としている。七日間の合計執筆字数/7/400で計算。右端は落ち込んでいるが執筆は横軸150ぐらいで終わっているので関係無し。73までの平均値は
3.0。全執筆期間での平均値は4.8。横軸55あたりからグラフの変動が少なくなっているのがよく分かる。ちなみに真論君家の猫が平均6.9で、蒲生田岬が4.1。ヒッチハイクと高崎望は不注意でファイルを消してしまったが、その間ぐらいだろう。できればこれを10にまでもっていきたい。一度だけ10に届いているがこの時はむしろ一番楽に書けていたので、できないはずはない。書くこと自体はそれほどつらいことではないのだから。つらいのは書こうとして書けないときであって、これを如何に解消するのかが問題だと考えている。)
 

 

書ける場所から書いているという人もいるけれど私の場合は最初から順に書いている。短編だと一息で書けてしまうし、長編で試すのはちょっと気が引ける。試す気にはなれないなぁ。まぁそういうやつもいるということで。

 

 この記事があなたの参考になれば幸いです。

 

(2015年8月29日 牛野小雪 記)



― 結びの言葉パクッてごめん、淡波さん。



 補足;ここでのMPはマジックポイントではなくてモノガタリポイント。
増減するイベントは以下の通り

●小説を書く(MP消費-小)
●書こうとして書けない(MP消費-大)
●書いていないし書こうともしていない(MP回復-中)
●寝る(MP回復-睡眠の質によって増減;小~大)
●やっべー! 今、超凄いの書いてる!(MP消費-なし)
●書いた小説に物言いがつく(MP消費-特大+ステータス異常;怒りで書けなくなる)
●書いた小説に好意的なレビューがつく (MP回復-特大+ステータス異常;嬉しすぎて書けなくなる)
 
こんなところでしょうか。 他にもあるかもしれません。枝豆を食べるとか。

(おわり) 


 

 


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