愚者空間

牛野小雪のサイトです。 小説の紹介や雑記を置いています。 あと短い話とか。

2015年08月

 つい先日、月狂さんが出したというので、私も一つ星新一賞に小説を出してみた。案自体は元々あったとはいえ、二日で一万字も書けたのでとても気持ち良かった。普段からこれぐらい書けたら気持ち良いのにというほどするすると書けて、書こうと思えばまだまだ書ける気はしたが字数制限にかかるのできりのいいところで切り上げた。それからエピソードを一つ消して一万字弱に収める。

 特設サイトからwordファイルを送った時は(えっ、こんなので100万円貰っちゃっていいの?)と、まるで警察に捕まるような事に手を染めているような気がした(←まだ貰えるとは決まっていない)。

 小説の方とは別に7月の末から人物画に挑戦している。本格的にやり始めたのは上の星新一賞の小説を書いてから。本当は家の裏をしょっちゅう歩いている猫にしようかと思ったのだが、そもそも決まった時間に出会えるわけではないと気付いたので、もっぱらCDのジャケットや雑誌の表紙、あるいは自分を参考にしている。

 ある本によると、クリエイティブな絵を描いていると評価されている人の脳の中では物を立体的に捉える部位があまり働いていないらしい。なので見た映像を見たまま平面の絵に落としこめるというわけだ。なら絵が上手い人は彫刻や粘土が下手なんだろうか? 私はどっちもひどいものだが……。

 とにかく私はそこにヒントを得て、最近は何でも平らに物を見ようとしている。いや、そもそも人間の目は平面にしか見えないのだが、脳の機能により立体であるかのように見えているだけだ。つまりは脳を意図的にさぼらせるという修練。

 

 そうやって物を見ているとなかなか面白い発見がある。

 たとえば腕を見てみると一様に肌色をしているのではなく、陰影があり、血管の筋があり、血の気の多少があり、体毛まであることに気付かされる。もちろんそれがあるのは知識としては知っていたが、より深い感覚でその存在を感じることができた。

私が自分の思考を分析してみるに、頭の中ではまず皮膚があり、そこから体毛が生えていて、その中には血が通っている。その腕に光の加減で陰影がついているそんな風に捉えているのではないだろうか。でも絵を書くにあたっては光の部分は白で影は黒だ。

 絵を描くときに自分の腕に黒を塗るなんて想像も付かなかったが、指を小さく丸め、影の部分を切り取って見るとそこは薄く青黒い色をしている。また光の当たっている場所はやけに白い部分が多い。二次元的視野で体を見ると意外にはっきり鮮やかな色がついている場所は少ないことを知った。またそれとは逆に意外な場所に朱がさしていることも知り、陰影も思っていた以上にくっきりしているとも知る。

 

 その日は描く時間よりも観察する時間が多かった気がする。というかどれだけ描いたか自分でも分からない。とにかく見て描くことに集中して、気付けば一日中描いていた。すると自分でもなぜ描けたのか分からないぐらい凄いものが描けていた。その日の朝に、お前はこんな絵を描くぞと言われても信じる事はできなかっただろう。あとになって振り返ると私はその絵をいつ描き始めたのか全然覚えていない。切れ切れにここを描いたというのは覚えているが、あとはぼんやりとして掴みどころがない。俗にいうゾーンというやつだったのかもしれない。

 たまたま最近借りて読んだ本にゾーンについて書いてあった。それによると今自分にできる事と、今自分がやろうとしている事の難易度が一致している時、人はゾーンという超集中状態に陥り易く、その人の持っているパフォーマンスが最大まで引き出されるそうだ。

 確かにその日の私は具体的にこれこれこういう絵を書いてやろうとは考えずに、雑誌や自分の顔を見て、ここはこうなっている。ここはああなっていたのかと色々な試行錯誤と発見を繰り返しながら、何かを書こうという考えは微塵もなく、ただ目の前にある変てこな絵を今よりもっとよくできる事が分かって、ただただ興奮していた。

 

 ある作家が言っていた。どの作家にも頭の中には玉稿があり作家という生き物はみんなそれを目指そうとして辿り着けない、と。私の中でもふたつあるが、ひとつはこりゃどうやっても書けんぞと書く前から半分あきらめて別の話を考えている。もうひとつはもしかしたら書けるようになるかもしれないとは感じている。ちなみにその話を書けなくて火星の話を書いた(牛追いは関係無いよ、デイジー)。えっ、言葉にしてみろ? できたら書いてるさ。できないから寄り道をしているわけで。

何事も恐れずにチャレンジする精神が大事とも言うが、頭の中の玉稿を真っ直ぐ目指すよりは、まずは今自分に書ける物を見つめて、それをどうやったら今より良くできるかを考えた方が結果的には頭の中の玉稿に最短距離で到達できるのかもしれない、なんてことを考えた今日この頃でした。

 

(2015年8月29日 牛野小雪 記)

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海外の、というかハリウッド映画を見ていると夜光灯の色はたいてい赤色をしている。これはハリウッドだけではなく、他の西洋諸国もそうらしく、またお隣の中国や韓国は極彩色っぽいイメージで、日本みたいな青白い色は珍しいそうだ。

今日読んだ本には、青白い光(昼間の太陽と同じらしい)が交感神経を刺激して 健康に害を及ぼしている可能性があると書いていた。まぁ俗に言う緊張状態が続くってこと。それなら副交感神経を刺激すればいいと、副交感神経を刺激する光を調べると夕方のオレンジ色だそうな。

よし、それじゃあと早速パソコンのモニターをオレンジ色にしてwordを立ち上げてみたのだが、頭がぽわーっとしてきてこれは書けないぞとすぐに直感した。どうも頭がシャキっとしない。

でもこれは慣れていないからそう感じるだけかもしれない。実はこのぽわーっとした感覚により凄い物語が書けるのかも。まぁ、実験的にちょっと書いてみるつもりでいる。もしうまくいったらこれからずっとオレンジモニターで書くだろう。

ちなみにこれはオレンジモニターで書いた。短い時間だからどうとも言えないが、オレンジ色にすると青白い色と比べて絶対的な光量がかなり落ちるので文字が見づらかった。目を悪くしないか心配になる。ほのかなオレンジ色ぐらいが良いのかもしれない。

(2015/8/14 牛野小雪 記)

追記:緊張だって多少は大事みたい

 
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『ヒッチハイク!』の広告を作ってみた。
実際にやってみると意外に面白くてだんだん楽しくなってきた。
でもこれって広告にはならないよなぁ・・・・・・。


ver1 おふざけのコピー
これに関してはちゃんと理由がある。
作中で、バイクに乗って琵琶湖へ行くというくだりがあるのだ。
以下全然関係ないおふざけが続く。


おふざけ11

おふざけ10

おふざけ12

いつも思うんだけど、どうしていつも6億円なんだろう。
ツイッターで出てくるのは7億でも5億でもなく何故か6億。
ロト7だと8億なのに。

わざわざ言う必要もないけれど『ヒッチハイク!』を読んだからといって、運気が上がったり、筋肉もりもりになったりはしないよ。
でも宝くじは買わなきゃ当たらない。売り場へGoだ。
もしかすると本当に8億が当たるかもしれない!
来週のロト7の当選番号は  1、2、3、4、5、6、37 だ!

おふざけ4


おふざけ8



なに、ちゃんとしたのも作ってある。
ver9ヒッチハイク広告 580×400 雛型のコピー

せっかく作ったんだからアドワーズに出してみたんですよ。今のところほとんど表示されていないけど。もし見かけたらクリックしてやってください。

(2015年8月13日 牛野小雪 記)

追記:1、2、3、4、5、6、37なんて絶対に当たらないと思うけどね。
でもこの当たらないと感じているのが本来の当選確率なんじゃないか?
本質的には3、9、17、19、22、32、37も同じ確率だが、何故か後者の方が当たりそうな気がする。でも二つの数列の当選確率は全く同じ。
夏居暑さんの『アルテミスの弓』に言及しようとしたけど、出版停止したみたいだからここで終わり。

 

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お盆までには出すという気持ちで書いて、ぎりぎり間に合いました。
新作『ヒッチハイク!』のリリース開始です。


『お盆までには帰る』 
毎年夏休みが始まると東京から徳島の実家へ手紙を送る。 
僕は8月までだらだらと自堕落な日々を送り英気を養うと郊外のコンビニへ向かった。 
ここでヒッチハイクをするのだ。 
道々に出会う日常では出会うことができない人や物事。世界の裏側。 
たった一人の無謀な暑い冒険。真夏の地獄巡りが始まる。



題名通り正木忠則君がヒッチハイクをして実家まで帰るというお話です。
お盆のお供に是非どうぞ。
8月いっぱいまで250円です。

 

広告まで作った。わりと面白い出来なので、どこかに貼ってみたいという衝動に駆られる。勝手に電柱に貼ったら怒られるよね?

ver9ヒッチハイク広告 580×400 雛型のコピー



(2015年8月11日 牛野小雪 記)

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初期

ver2 hitch-hike! ver1 hitch-hike!

極初期。使用する色を決めて題名と著者名を打ち込んだだけのもの。
日本地図を挿入した。


ver6 hitchhike

ここに正木忠則君も付ける。元の絵はWEBから拾ってきたものだが、それを元に自分で書いている。拡大すると輪郭ガクガク。どうやって滑らかな直線や曲線を曳いているのか今でも分からない。ドット打ちの要領で一点ずつ打ち込んだ箇所がいくつかある。この時点で牛野小雪の造形的な技術限界に達し『ヒッチハイク!』の原型はここから進化を見せない。


中期

ver11 hitchhike ver7 hitchhike

背景の色を明るくしたり暗くしたりの試行錯誤が見られる。

ver16hitchhike

中期終盤の作にはグラデーションが多い。これが後期の手腕に繋がる。

 

 



後期


ver29hitchhikever30hitchhikever32hitchhike

後期の作品にはとにかく光がテーマになっている。彼曰くこの時は迷走期であったと告白している。だがこの光を求める姿勢が後のマークロスコ以後の作品に繋がるのだ。

 

 



マークロスコ以後前期

ver36hitchhikever37hitchhikever38hitchhike

 技術とセンスに限界を感じていた牛野小雪は現代美術の巨人マークロスコから学ぶことにした。彼の絵に刺激を受けた彼は初期から後期まで変えることのなかった正木忠則のシルエットの色を変える。色にこだわることに意味がないと気付いた彼は、すぐに日本地図の色も変える。色を濃いものから薄いものへ、暗さから明るさを求めていく。




マークロスコ以後後期
ver43hitchhikever47hitchhikever56hitchhike
ver65hitchhikever66hitchhike

大胆にも海の色を変える。これによりインパクトが非常に増した。目にまぶしい。忠則君も分身させて賑やかにした。


完成期



ver74hitchhikever73hitchhike
 
 海の部分が青に戻る。
 彼曰く『やべーわ。まじやべーわ。海は青に決まっとるわ。マックでスタバ開いてドヤ顔するぐらい意味分らんかったわ~。ホント、どうかしてた』
 でもまるっきり無駄ではなかったかもしれない。たとえば海の色は後期最後のものでは(RGB=180、0、0)だったのを(RGB=0、0、180)にしているから、実は色の数値的にはさほど変わっていないのである。マークロスコ以後前後期で得た知識はちゃんとここに活かされているのだ。

 最終的にどちらにするか迷っていた。kindle PW は白黒表示なので、グレースケールだとどう見えるのか試した。その結果は以下の通り。

ver74hitchhike gsver73hitchhike gs
 うむ、左の方はちょっと分りづらい。右の方はすっきりしている。『ヒッチハイク!』はどうも右の表紙案になりそうだ。テストに出るから復習しておくように。(2015年8月7日 牛野小雪 記)

と書いたのだがやっぱりこれにすることにした。
マックでスタバを開いてドヤ顔をしてみたいのだ。
ver83hitchhikeのコピー




(おわり)

(2015年8月8日 牛野小雪 記)

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マンガやテレビの中で作家はたいていスランプに陥っている。

何かを創ろうとするならたいてい誰もが一度は陥るもので、たとえ準備万端で『これで書けなきゃバカだぜ』という状態でも起こりうる。たいていの場合以下の状態を段階的に通過していくようだ。

 

.否認

.怒り

.取引

.抑鬱

.受容

 

もちろんスランプに陥った作家がこの過程を全て通り過ぎるわけでもなく、5.受容の段階に至った作家が1や3の段階に戻ってくることもあり、途中の段階でスランプから抜け出すことも珍しくない。またどの段階においても作家は、もしかするとどうにかすればまた書けるようになるのではないかという希望を抱いている。それは5.受容の段階に至ってもそうだ。

 



 スランプ 否認のコピー

.否認

 

書けるはずの物が突然書けなくなる。もしくは非常に僅かな量しか書けないか、納得のいかない物になっている。この段階ではまだスランプと認識されていることは少なく、たいていは、昨日夜更かししたからとか、気持ちが乗らなかったから、と理由づけする。この段階でスランプを脱した場合、次の日で遅れを取り戻すことが多い。

 



 

 スランプ 怒り

.怒り

 

スランプがはっきりと認識され始めた段階。頭では理解しているが感情的には受け入れていない。『私にこれが書けないはずが無い』『最近の私は怠けている』と自己に怒りを向けることもあるが、『誰かが私の邪魔をしている』と周囲に怒りをぶつける作家も少なくない。本当の自分はまだ書けるはずだと思っているので、ここで無理をする作家が多い。この段階でスランプを脱した場合、無理をすれば書けるという信念を抱くことが多い。

 



 スランプ 取引のコピー

.取引

 

理由が分からず、どれだけ力を振り絞っても書けないことが分かり感情的にもスランプを認識する。もう書けないと分かっていても、どうにかすれば書けるのではないかと模索する。『豆腐毎日一丁を食べれば書けるようになる』『夜11時に眠れば生活習慣が改善されて書けるようになる』『木刀を休まずに二千回振れば書けるようになる』『部屋を片付ければ書ける』などと自分が普段とらない行為に願を掛けることが多い。この段階でスランプを脱すると、願掛けに成功した行為がジンクスとして保持される。

 



 スランプ 抑うつ

 

4.抑鬱

 

ジンクスも破れ、スランプからも脱することができない状態が続くと、作家は執筆から距離をおくようになる。『これを書くには未熟すぎた』『小説とは何か』『どうせ誰にも読まれない』『別に私が書かなくったって世の中には本があふれているじゃないか』『そもそも面白いのか?』と執筆の本質について考え始める。何度か試すように執筆へ戻ることがあるが、そこで失敗を繰り返すと次の段階へ移行する。この段階まで至った場合スランプを脱してもあとに引きずることが多い。

 

 



 

 スランプ 受容

 

5.受容

 

長期に渡るスランプにより『書けない物は書けない』と完全に認識した段階。『どうせダメさ』と作家は執筆行為から完全に自己を切り離し、これまで執筆に向けていた時間を別のことに費やす。信長の野望で三好家天下統一を目指したりするのもこの時。それでも心の中では執筆のことを完全に忘れたわけではなく、大量の無為の時間を過ごした後にその代償として執筆行為に戻ることがあり、それがスランプ脱出のきっかけとなる。

 



 

ちなみにスランプ脱出は段階的に起こる事もあるが、1~3の段階ではいきなり普段通りに戻ることが多い。4、5の段階まで進行した場合、作家は取り戻した調子をすぐには信じることができず、初めは試すように執筆へ戻ってくる。それがうまくいくと、そこから一歩ずつ確かめるようにして徐々に調子を取り戻すようだ。

 

だいたいみんなこんな感じだろう?

 

2015/08/04 牛野小雪 記)

 

追記:あれのパクリだって分かってもみんなには内緒だ。





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真夏の夜の怪奇現象[NO.2] 闇夜のミドリガメ

 

 

真夏の夜に外を歩いていると怪異に遭遇することが珍しくない。

 ある日、私が夜の散歩をしていると、道の先の夜行灯が照らす光の端に岩のような物が落ちていた。削れたブロックやレンガではなく岩。まぁ、この辺は田んぼがあって、その土留めに岩が使われているのだが、それにしたって妙だ。なんでそんな物が道の真ん中に落ちているんだろう?

 

 奇妙な思いに駆られながら近づいていくと、影の端がきょろきょろと動いているのが見えた。どうやら岩ではなく生き物のようである。だが、それにしたって私が近付いても逃げない。妙だなとそばまで行き、しゃがんでよく見てみると、それは立派に育ったミドリガメ君だと分かった。彼は甲羅に足をしまって首を左右にきょろきょろさせている。

 

 おりしも車がやって来た。ドライバーが気付かなければちょうど左のタイヤに敷かれる場所である。道路の伸されるのはちょっとかわいそうなので、用水路の方向へ蹴ってやると亀は意外に重くてちっとも動かなかった。本当に岩みたいだ。

 

蹴った瞬間のぬめっとした感触が気持ち悪かったので持つのは嫌だ。かといって伸されるのもかわいそうだ。しかし、亀ごときのためにドライバーに向かってここに亀がいるぞとアーピルするのは恥かしい。そこで私は亀のそばにしゃがんで、靴紐を結ぶ人を装った。車は私と亀を避けていく。ライトに照らされた亀は光を後追いするように首を動かしていた。

 

 ここに放っておくと何だか車に轢かれそうなので、私は亀の後ろから地面を叩いてせっせと用水路の側へ急かした。すると亀はさっきまで出していた首も引っ込めて、すっかり亀らしくなった。ちっとも動こうとしない。そうこうするうちにまた車が来た。また靴紐を結ぶふりをするのも面倒になったので、今度は地面にいる亀を観察する学者の休日風を装った。車が通り過ぎていく。するとまた亀は首を出した。

 

 私は亀のそばに立ち、そのへんに棒か板でもないかなと探していると、足元からざりっ、ざりっと音がする。やっと亀が歩き出した。私はよし、その調子だと後ろの地面を叩いて亀を急かすと、亀はまたしても頭や足を甲羅にしまい込んでしまった。また車が来て、私を避けて通り過ぎていく。今度の亀は頭さえ出さない。

 

 待てど暮らせど亀は動かない。手も足も出ないとはまさにこのこと。さてどうしようかな。こいつはここで死ぬ運命なのかなと見下ろしていると、亀は思い出したかのように首をにょきっと出し、それに遅れて足も出した。

 

 それからひょっこ、ひょっこと歩き出す。今度は手を出さずにじっと見ていることにした。亀は順調に用水路の方へ向かい、私から離れるほどにその歩みを速くした。といっても猫が地面のにおいを嗅ぎながら歩くときの速さなのだが……。

 

 とうとう亀が用水路との境にあるガードレールとの境目まで来た。もう良かろうと私が動くと亀は急に動きを止めて、また甲羅に頭と足を引っ込めた。車がまた来る。ガードレールのほぼ真下なのでよもや轢かれることはあるまいが、一応私はガードレールのそばまで行って、ドライバーが亀を避けるようにした。

 

 さて、さっきと同じように私が手も足も出さずに静かに見守っていると、亀はしばらくしてまた思い出したように頭と足を出して、道路と用水路の境目まで到達した。

 

 用水路はアスファルトとコンクリートで固められて垂直に切り立っている。どうやって亀が用水路に帰った(どこから来たのかは知らないがたぶん帰ったのだろう)のかというと簡単な話である。亀は道路の端に半身を突き出して前足をパタパタさせると、体が自然と用水路の側へ傾き、宙を半回転しながら用水路の中へ背中から落ちた。バシャンと派手な音が鳴り、先客のウシガエル君達が慌しい音を出した。後に調べたところによると亀はカエルを食うそうである。不倶戴天の天敵が天から落ちてきたので、さぞ驚いたことだろう。

 音の主いえば泰然としたもので、用水路の水面を音も立てずにパタパタと泳ぎ暗渠の中へと消えていった。図太い奴だ。きっと長生きするだろう。

 

 火急の危機が迫っているにも関わらず尻を蹴っても亀は甲羅に引っ込んで一歩も動かなかった。だが、手も足も、ついでにいえば口も出さずにただ見守っていると亀は用水路に向かって真っ直ぐ歩き出した。何だか教訓めいた出来事だったので興味を惹かれた私は、帰ってからミドリガメについて調べた。やつは在来種ではなく北アメリカからやってきたそうだ。その名も『ミシシッピアカミミガメ』。在来種を圧倒してきているので社会問題になっている。30年前から問題になっているそうなので、私が在来種と勘違いしてもおかしくないわけだ。寿命は20~30年、もしかすると私より年上だったかもしれない。足蹴にしちゃってごめんね。

 

ちなみにミドリガメはカエルを食べるが、レンコンもかじるそうである。私が子供の頃、ちょうどその亀を見た辺りにレンコン畑があったのだが、いつしかそこは埋め立てられ、更地になってしまった。今はぼうぼうに草が生えている。もしかするとミドリガメのせいかもしれない。変なところで歴史が繋がってしまった。ちなみに『ぼくとリカルド』に出てくるレンコン畑とは関係ない。もっと広大なレンコン畑が徳島県北部にある。文字通り見渡す限りというやつだ。

 

さて、その題名に惹かれてここまで読んだ人はどこが真夏の怪奇現象なのかと訝るかもしれない。実は私も帰ってすぐは何とも思わなかった。

 

さっきも書いたように亀は道路から用水路へ転落した。逆に言えば転落するほど切り立った場所なわけだ。それならどうやって亀は用水路から道路へ上がってきたのだろう? まさかコンクリートの断崖絶壁をよじ登ったはずがあるまい。子供が捕まえて道路に放置したということもありえないではないが、それにしては遅い時間である。大人がしたのならそれこそ怪奇現象だ。

 

その道路は亀の薄っぺらく伸ばされた死体がときどき落ちているので、道路に上がった亀は今夜の亀君だけではないはずである。水面から足をパタつかせて空でも飛んだのだろうか? 岩のように重い体で(そういえば小亀は轢かれていない)? ちょっと考えてみたが私には分からなかった。

 

亀が道路に上がるのはまったくの謎だが、何かしらの方法で登ってはいるのだ。手品の仕掛けと同じでいざ知ってみれば、あっけない物かもしれない。でも、ここは謎を解かずに不思議は不思議のまま置いておく方がいいのかもしれない。誰も見ていない場所で亀は空を飛んでいるかもしれないのだから。

 

 謎は分からないから謎である。また謎が必ず解けると思うのは人間の傲慢である。この件は分からないままここに記すことにした。

 

(おわり)

 

[2015年7月25日 牛野小雪 記]

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