愚者空間

牛野小雪のサイトです。 小説の紹介や雑記を置いています。 あと短い話とか。

2015年05月

 先週(今週も)twitter上にKDPにはレビューが少ないという話がいくつか出ていた。これは本当にそう思う。二年前はもうちょっとレビューがついていて、名の知れたレビュワーが何人かいた(今も書いてる?)。

 

この件については簡単な話で、ただ単純にレビューに需要がないからではと私は思っている。だって、本屋に行ってアマゾンレビューやブックメーターを見ながら本を買ったりはしない。もちろん行く前にも見ない。たぶん私の人生で書評やレビューを読んでこの本を買おうと思ったことは一度もないのでは? 

 

そこまで行ったときはもう買うかどうかが決まっている段階か、もしくは読んだ後で、本を買うときの決め手は書評よりも評判じゃないかなと私は思った。(4千字の書評1個より、40字以下の読書メモ100個に訴求力があるということ"数は力だよ兄貴!")

私も評判の本は内容を知らなくても手に取ることがある。というより読んでみるまで本当に中身を知ることはできないのだから、ある本を手に取る決め手は評判と表紙のふたつしかないんじゃないか?

 

今日はレビューについての話。これはKDP本だけに限る話ではないけれど、星一個をくらった作者からは狂おしいの声が聞こえてくる。実を言うと私も食らったことがある(そのレビューは何故か消えてしまったが、星4個も消えたからこの件についてはあおいこかな。でもいつかは完全に食らわなきゃいけない。そうでなければ全部無視するか。KDPは編集者が感想の選別をしてくれないのだから)。

 

星一個をくらってしばらく思ったのは、どうして星一個のレビューはあんなに情熱的な文章なのかということだ。星一個と五個のレビューの信憑性は同じぐらいだが、読んでいて真に迫るものがあるのは星一個の方だ。本当に良く書けている。この調子で書けば良い短篇になると思えるぐらいの出来だ。

では、その星一個の情熱的なレビューを書いた人が星五個のレビューを書くとどうなるのか。不思議や不思議。文章が固くなっている。私自身も五個のレビューを書くときはどこかうまくいかない。これはどういうことなのか考えてみた。

 

実生活で「いや~、本当に素晴らしいですね!」と声に出す時は、全然素晴らしいと思っていない時だ。若い人に「若いですね」とは言わないし、綺麗な人に「お綺麗ですね」とは言わない。

それとは逆に「最低な奴だな、さっさと死ねよ」は私より先に死んで欲しくない最高な奴にしか言わないし、「まぁ、悪くはないんじゃない?」は良いときに使う。


 んっ? 待てよ?


 なにか悪い物を見たときに私がなんと言うかといえば「まぁ、良いんじゃないか?」と何かが奥歯に挟まったような口調で言って、そのあとに
でもがついてくる。
 ・・・なんてこった。
何々が良いという時はきまって何か悪いことがあるときだ。良い=悪い”でこれは凄く良いよ!=どうにかしないとヤバイぞ!だと気付いた。

 

私が思うに、これは良い物を素直に良いと表現する文法を持っていないからなのではないかと考えた。

 "悪い+否定" → 悪くない → つまり良い

 最近使われるようになった二重否定だと、ちょっと複雑になって

 "良い+否定+否定" → 良くないことはない → つまり良い

 どうして何でも否定形を使いたがるのだろう。どうしてこんなにツンデレなんだろう。ひどい言葉ばかり使い方が上手くなっていく。

 まぁ、もしダイレクトに良いと表現する時は"マジ"とか"ヤバイ"を使うかな。でもよく考えると、それは文脈として良い意味になっているだけで、言葉本来の意味では悪いということになる。なんだ、やっぱり素直に良いとは言えていないんだ。

 でも"とてもいい"とか"すごく素晴らしい"はなんだかうさんくさい。
 なので、私がときどき書いている書評は文脈の提示にとどめて、良いとも悪いとも書かないようにしている(だから、良いか悪いかなんて聞かないで欲しいな。)。

 

そこで私は考えた。もし仮に牛野小雪が気の置けない友人で"マジ"で"ヤバイ"物を書いてきたとしたら、どう書くのか。

本当は他の人の本でやろうと思ったのだが、KDP界隈で実際に顔を知っている人はいないし、誤解から戦争に発展するのは嫌なので自分の本でやることにした。レビュー対象は『竹薮の柩』。レビューを書きやすく、多少しくじってもダメージが少ない物を選んだ。

  


 5364645人中、28114人の人が、「このレビューは参考になった」と投票しています。

★★★★★ まあまあ

投稿者 沈黙のサイレンサー

 

私の率直な感想で言えば凄く悪いということはない。

ただ主人公がただ苦しむ様を読んで楽しめる読者がどれだけいるのか私には疑問だ。この小説にはヒーローもヒロインも出てこない。主人公が貧しい境涯から脱出するわけでもなければ、救いがあるわけでもない。冒頭で死んだ父親から遺産を受け取っても、生活費にあっさり消えてしまうところなど、とうてい読者の共感を得られる人物像ではない。作者はまず物語のいろはを学んだ方がいいだろう。

ロマンスなし、サクセスなし。短篇なのに作中の登場人物はたくさん死ぬし、主人公の状況はどんどん悪くなっていく。良いところはひとつもない。遺産で受け取った山が最後の伏線になるのかと思っていたが本当に何もなかった。作者は何を思ってこんな話を書いたのだろうか。理解できる人は誰もいないだろう。

だがもう一度読めと言われたら読んでもいいかもしれない。まぁ、それぐらいの出来ではあった。そんな物好きは私だけだろうが。

 



 なんというツンデレ。ケンカを売っているようにしか見えない。でも現実に気心がしれた相手で"マジ"ならこれぐらい書くと思う。でもこの書き方で星五個というのはおかしい。星三個にするだろうな。レビューって本当に難しい。なかなか書く人がいないわけだ。(個人的にはAmazon の星システムを無くした方がいいと思う。もしくは星の選択がないレビューを書けるとか。星一個と五個はそれを選択した時点でレビューが極端に走っているように見える)



 もし仮に牛野小雪が会社の上司で、『竹薮の柩』が"とてもいい" & "すごく素晴らしい"小説だったならこう書くだろう(こう書くと変ですが『竹藪の柩』は良い小説ですよ、皮肉じゃなくて:作者談)。


16人中、3人の人が、「このレビューは参考になった」と投票しています。

★★★★★ 大傑作です!とんでもないのが出てきた!

投稿者 激甘チリソース


 超傑作です!読んで感動しました!!
 貧しい労働者が苦悩するさまは誰もが共感できるでしょう。私は『竹薮の柩』にこの世の真実を見ました。
 冒頭の父親の死から結末まで緊張感が途切れることなく、最後の結末まで読者を良い意味で裏切り続ける作者の力量に脱帽です。これを読まずにいるのは人生もったいない。
 この短編には人生が詰まっています。世に溢れる凡百の小説よりはるかに中身が詰まっています。文章をインクで伸ばしたような物では決してありません。文章の一語一語に作者の血と汗がにじんでいます。
 よくぞ書いてくれました。これは人類の宝になる小説です。
 みなさんも『竹薮の柩』を読まれることを期待します。
 これは真実絶対に超傑作です。


 ちょっと大げさ過ぎたが我ながら良い出来。これこそ、うさんくさい星五個のレビュー。

 ちなみに、もしこれがシニカルレビューだとするなら、意訳するとこうなるだろう。


6911人中、5888人の人が、「このレビューは参考になった」と投票しています。
すくいようのないクソ
投稿者 塩辛ソルジャー

 超駄作で最後まで読めた自分に感動した。
 酒の席でくだを巻くような誰にも共感してもらえない話で、何度も夢の世界へ落ちそうになった。酒の席で目下の人間から賞賛を勝ち取ったような下らないネタをいくつも披露して、最後の結末まで読者を退屈させた力量には怒りすら覚える。どの段落を読んでも人生の浪費になるだろう。嫌いな相手に読ませるのがいい。
 この小説にはクソが詰まっている。作者の内臓で発酵したクソネタが、クソを煮詰めて作ったインクで書かれている。よくこんな恥ずかしいネタを他人に読ませる気になった。その度胸だけは本当に素晴らしい。押入れから出さなければもっと良かった。


 これぐらいの文章は本当に星一個のレビューでしか読めない。
 そういえば前に村上春樹のレビュー(星一個のやつね)で本を出した人がいた。なかなか書く人だと思っていたが、彼のブログを読んでいると"マジ"な文章を書こうとして書けずに苦しんでいて、ついにはブログが止まってしまった(ちなみにブログを読んでいると彼は村上春樹に対してツンデレしているようにしか見えなかったので、途中から素直になれよと言いたくなった)。

 どうして私達は素直に人を誉める文章を持ち合わせていないのだろう。うまいのは人をけなす言葉ばかりだ。ちょっと悲しいねというお話。


(おしまい) 



補記:最初のレビューの意訳は恥ずかしくって一行も書けなかった。恥ずかしいというのがうまく賞賛の言葉を出せない理由かもしれない(素直に好きとは言えないのと一緒?)。



 
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題名:文法警察

作者:牛野小雪

 

 ある日牛野小雪が執筆もせずに、PCゲームに熱中していると玄関を荒くノックする音が聞こえた。
 誰だろうかと彼が玄関へ向かうと、ドアの擦りガラス越しに白とオレンジのケバケバしいふたつの影が見えた。新手の勧誘かもしれない。彼はドアのチェーンを付けたまま鍵を開けた。

 すると、突然乱暴にドアが開かれた。チェーンがかかっていたのでドアは完全には開かず、部屋が揺れた。

 

「くそっ、チェーンだ」

 

 高慢そうな声が外から聞こえた。牛野小雪がドアの隙間から外を見ると、相手も中を覗いていた。警察官のような制服を着た男二人だった。色は白とオレンジのツートンカラー。年嵩の男は声と同じで高慢そうな顔をしている。

 

「どなたですか?」

 牛野小雪が問いかけると

「文法警察だ」

 と年嵩の男が名乗った。

 

「警察? 警察に捕まるようなことは何もしていませんが」

「我々は文法警察だ。この世にはびこる悪文を片っ端から取り締まっている」

「冗談はよしてください。文法警察なんて聞いたこともない。閉めますよ」

 

 牛野小雪がドアを閉めようとすると、男がドアの隙間に足を挟んできた。固そうな革靴を履いていて、実際ドアにはさまれた瞬間に金属音がした。

 

「なんなんですか、あなた達は。警察を呼びますよ」

 彼が言うと

「俺たちが警察だ」
 と年嵩の男が言った。


「それじゃあ、もっとまともな格好をしてきたらどうです?もう閉めさせてください」
「おい、こいつ。逃げる気だぞ」

 

 若い男の動きは素早かった。どこから出してきたのか分からない巨大なワイヤーカッターでチェーンを切った。すると年嵩の男が乗り込んできて、牛野小雪を壁に押しつけた。

 

「言い逃れしても無駄だ。今月、我々にタレコミがあった。調べはついている。おい」 

 年嵩の男の合図で若い男が部屋の中に入っていく。

 

「おい、靴ぐらい脱げ」

 牛野小雪が声を出すと、頭を一発殴られ玄関の床にくずおれた。

「静かにしろ。騒ぐとためにならんぞ」

 年嵩の男が言った。

 

 牛野小雪が静かになると、年嵩の男は彼を立たせて部屋の中に引っ立てていった。

 

「おい、あったか?」

 年嵩の男がきくと

「はい、ありました」

 と若い男が答えた。

 彼はPCを勝手に動かしてWordの画面を開いていた。

 

「いいか、よく聞け。お前には文法違反の疑いがある。これからその確認をするぞ」

 年嵩の男は牛野小雪の顔も見ずに喋りだした。しかし、その手はしっかり彼の手を痛めつけるように握っている。

「お前は『竹薮の柩』を書いた牛野小雪で間違いないな?」

「ああ、そうだよ」

 牛野小雪は答えた。生意気な口をきいたので、また一発頭を殴られた。

 

「よし、それじゃあ確認するぞ。これを出せ」

 年嵩の男が若い男に何かの書類を渡した。PCの画面には『竹薮の柩』のファイルが開かれている。

「自分でも確認してみろ。ここだ。

それでふと気になって会社から配られた広報誌を読んだら、別に意味で眠れなくなった
どうだ?」

「なにか問題でもあるのか? こんなことをして何の意味がある」

 と牛野小雪は言った。

 

「口の聞き方には気を付けた方がいいな。まぁ、いい。それじゃあ聞くぞ?

別に意味で眠れなくなった
とはどういう意味だ」

年嵩の男が言った。

 牛野小雪は首をかしげていたが、はっとして画面に目を向けると、確かにそう書いてある。誤字だ。彼は奥歯を噛み締めた。

 

「どうやら自分でも気付いたようだな。それじゃあ次だ。

三日後に短期で橋梁工事の交通誘導員の仕事で見つけたが、その仕事を探すだけでも多少の金がかかった。
こんな分かりやすいのをどうして見落としたんだ? 

まったく面白い奴だよ、本当に」

 

「たったふたつじゃないか」

牛野小雪は抗議した。

しかし、年嵩の男はフンッと鼻を鳴らしただけだ。

「たったふたつか……。たったふたつだけだと言いたいのか? 我々の目をごまかすことはできん。何でもお見通しだ」

「どういうことだ」

「シラを切るつもりか、いいだろう。おい、見せてやれ」

 

若い男がCtrlFである文章を打ち込み、その文章をドラッグして分かりやすくする。年嵩の男が一度黙読して、その内容を確かめた。

 

「これに関しては我々も見逃すところだった。

地面には枯れて白くなった竹の葉が埋め尽くしていたので、それを燃やしてみたか。
本当によくやってくれたよ。どうやってこんな手を思い付いた。誰かに教えてもらったのか?

 年嵩の男が聞くと、牛野小雪は口の中をぎゅっと噛み締めていた。

 

「自分が何をしたか理解できたようだな。よし、連行しろ。証拠のブツは集めておけよ」

「はい」

 年嵩の男が合図すると、外で待機していた警官達が部屋に乗り込み、空のダンボールに何もかも詰め込んでいった。その間に牛野小雪は白とオレンジの文法パトカーに乗せられ、文法警察署に三日間留置されると、文法裁判にかけられた。

 

 牛野小雪は司法取引に応じて罪を認めたので裁判はすぐに終わった。

 彼に下された判決は『竹薮の柩』の無料キャンペーン。執行猶予無し。期間は2015年5月28日の夕方から6月2日の夕方までの約120時間と決まった。


(おしまい)

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 警告:今日はカウフィールドさんの出番無し!

 

今までとは違った書評記事を書くと私は言った。それも今までとは毛色の違う物をと。たぶんこんなことを話すのは月狂さんにだろう。結果はどうなるか分からないが、とりあえず五本書いてみると言った。今思えば三つぐらいにしておけば良かったと思っている。

 

最初に夏居暑さんの『PS03』を書いて、これはわりと成功した。今までちょろちょろと書評を書いてきたが、そのたびにPVの桁が変わっていた(二桁か三桁かはいうまでもない)。カウフィールドさんとの書評でその桁がさらに桁が上がるということは無かったが、数は三倍以上になった。時間を三倍かけているせいかもしれないが、後述するようにカウフィールドさんのネームバリューだと私は考えている。

 

別に決めていたわけではないが、そのときはターンワールドを書き終わって今すぐ執筆にかかれる物もないから、二本目の『割られよ、凍てついた王冠よ』(通称:王冠)を書いたあとで、週に一本書くことにした。まぁ、これだけは自分だけの力で成功したのか怪しいところもあるが、王冠は結構な数閲覧されて、もうちょっとで桁が変わるところだった。

 

高橋熱さんの辺りでちょっとおかしくなってきたが、それでも毎週書いて砂鐘さんの『悪兄!!』まで書く毎にPVがひとつかふたつ上がるという風だった。

 

なんだか凄いことが起こっている様に書いているが、はっきり言って自慢できるような閲覧数ではない。でも、ライブドアブログにはログミンというアクセス解析機能があって、それを見ていると興味深いことが分かった。

 

ここのブログは9割がリピーターでひとつ記事を読んだらささっと出て行くのだが普通なのだが、中には初めて入ってくる人もいて、そういう人は"TS・カウフィールドと牛野小雪『○○』を読む"を踏むと、8割方がそのシリーズを最後まで読んでいった。記事下の「他の作家」というカテゴリーで表示されているところから移っていったものと思われる。初めて体験する波及効果だった。

 

今現在、砂鐘さんのところを読むと「他の作家」のカテゴリーの下二つに月狂さんと如月さんのものが表示されている。

こういうとまるでお二方が悪いような言い方なのだが、月狂さんと如月さんのやつは本当に読まれない。みんな夏居暑さんのところでふっと離脱する。(おい、まだ先があるだろう)とツッコミを入れたくなるほど見事に消える。タイトルにT・S・カウフィールドが付いていないだけで本当にスルーされる。

 

 うん、カウフィールドさんはね。変な話を書く人だけど、("こどものどうわ 『ぷりぷりものがたり/T・S・カウフィールド』","『私のアイリス/T・S・カウフィールド』")実際に遭遇すれば根は真面目な人だとすぐに分かりますよ。歩く紳士ですから。もしかすると言葉の端にもそれが漏れているのかな、とか考えたりして。でもね、他のも読んでいっても良いんじゃないかなって私は思ったんです。どうしてだろうかって色々考えたのですが、みんなカウフィールドさんのことが好きなんだと思いました。いや、たぶんきっとそうに違いない。カウフィールドさん無しでここまで読んだ人はよっぽどの物好きじゃないかな。そう考えるとここまで読んでくれたのは本当にありがたいね。それじゃあ、また。明日と明後日もよろしくお願いします。

 

(おしまい)


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伯父と叔父どちらも”おじ”と発音するが意味が違うと最近知った。

伯には人々の頭という意味がある。そこから両親の兄のことを伯父という。
叔には小さいという意味があり、そこから両親の弟という意味なのだそうだ。

 (おしまい)
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 今はどうか知らないが、昔読んだ本で日本とアメリカの出版業界の違いについて言及していた本があった。その本によると、日米共に長篇の方が読者に与えるインパクトが強いというのは共通しているが、アメリカの新人作家はまず短篇をいくつも書いて金を稼いだり力をつけてから、アパートに篭って長篇を書き下ろすそうだ。日本ではデビューしてもわりと長篇を書く場合が多く(純文学を除いて)。その代わり文芸誌や新聞に連載を持って、長篇を書いている間の生活費を稼ぐスタイルらしい(連載していれば原稿料が入り、生活ができる。でも最近は枠が詰まっているから書き下ろしも多い)。

 KDP界隈でも幻夜軌跡さんはコンビニ戦記をシリーズで書くそうだ(現時点では、まだ一巻しか出ていない)。吉野茉莉さんの藤元杏も二巻目を出している(続編を出していないのは藤井さんぐらい?)。それを見ていて、ああ恐いなあと私なんかは思う。

 長篇を書くのはとても負担が大きく消耗が激しいわけで、それを一巻二巻と続けて書くのは考えただけでも恐ろしい。でもそこにはひとつ当たったら続けて同じ場所を撃ち続けて、ペンペン草も生えないぐらい(←この表現は古い!)市場をしゃぶり尽くさないとやっていけない出版不況が関係しているらしい。

 KDPというのはページ数に関係なく出版できて、大体の傾向として長篇を出している作家は少なく、短篇が多い印象がある。もしかするとアメリカの文学界みたいにKDPから未来の大作家が短篇を書きながら育って、いつか歴史に残るような大長篇を世に出してくるかもしれないな、なんてことを考えた。

まあ、別にその場所はKDPでなくても良いわけだけど、ここから出てくると良いな(そういえば上記の三人共KDP 以外の場所で活動してたね)。界隈がホットになれば、もっと面白くなりそうだと思う今日この頃でした。

 

(おしまい)

 
幻夜さん、吉野さんの本

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   僕は新作を書きあげる度に県外のある本屋に行く。その本屋は日本最大の売り場面積を謳っているだけに、売れ筋の本はもちろん、誰が買うのか分からないような本まで置いてある。

 それで僕はそこで意外な発見をした。海外文学といえば新潮文庫とハヤカワ文庫、このふたつの文庫レーベルが独占していると思っていたんだけど、この前その本屋に行った時に海外文学の本がハードカバーで売られているのを発見した。

 どうしてハードカバーが無いのか不思議に思っていた頃があった。この瞬間になるまで見かけなかったんだから、それは無い物だと思って当然だ。でもそれは単に近所の本屋に置いてなかったというだけで、あるところにはあったというわけだ。

 値段を見るとどれも当たり前の顔をして2,000円を越えていた。分厚い本があって、上巻の方を取ってみると4,200円とあって手の力が抜けそうになった。何とかピンチョンという変な名前の人だった。ピケティ本が6,200円で高いとニュースになっていたが、翻訳物は著者+翻訳者だから基本的に高い物だ。逆に言うと新潮文庫とハヤカワ文庫が安すぎる。

 僕はそこでシンプルな表紙の本を一冊だけ買った。今調べてみると中央公論新社とかいうこれまた聞いた事の無い出版社。うん、こういうところだ。普段は見る事の無い名前に出会うところがこの本屋の良いところだ。しかも三年前に印刷された本が初版で手に入るのはここぐらいだろう。これがあるから車を二時間飛ばすわけだ。

 そうそう、これだけは言っておかなくてはならないが香川でうどんを食べるときは二時までに食べること。そうしないと僕みたいにローソンのドーナツ二個が遅めのランチになってしまう。本当だよ、あそこは二時になるとうどん屋らしいうどん屋はみんな店を閉まっちまう土地だ。
 でもそういうところもやっぱり好きなんだ。四六時中店を開けているなんて狂気の沙汰だ。むしろ日本全国でうどん屋に合わせて活動するべきだ。

 その日から買ってきた本をちびちび読んでいたんだけど、ふとアメリカ人作家の本を僕はどれくらい持っているのかなと、気になった。海外文学といえばイギリス・ロシアの二大巨頭があって、そのひとつ下にフランスとドイツがあるみたいな印象が僕にはあった。
 さっと思い出せるのはヘミングウェイぐらいで、アメリカ人に作家なんているのかなと疑問に思っていたけど、調べてみると結構いた。ハリウッド映画と同じで身近にある物だから、すぐにそれと気付けないものなのかもしれない。でもやっぱり印象は薄い。ハリウッド映画だってすぐに思い出せる物は少ない。

 そういうわけで、というのはおかしいけれど、僕は今アメリカ人作家の本を枕の脇に積んでアメリカ文学にどっぷり浸かっている。

ヘミングウエェイはやっぱり短篇が良い。『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』これだけは何度読んでもいい。でも何だかんだで、やっぱり読みやすいのは『老人と海』だ。みんなの意見は案外正しい。

 

(おしまい)

ヘミングウェイの本
(老人と海が評価されてノーベル文学賞を取ったらしい)

ついでにこれも



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 おぼろげな記憶では王子がドラゴンを倒して、姫にキスをすると彼女が目覚めるという話だった。
 当初、『眠り姫』と思っていたのでなかなか見つけることができなかった。司書の人にあれこれ説明してから『眠れる森の美女』という題だと教えてもらう。
 私はまずガリバーになった気持ちで童話の棚へ行き、そこから絵本を抜き取ってくると、哲学の棚の近くにある席で『眠れる森の美女』を読んだ。多少違うところもあったが最後にキスをして姫が目覚めるというのは記憶通りだった。
 さて、次に原作の方を読んでみると、王子は出てくるけれど扱いはちんけな物だった。藪の中(バラだったかな?)にある城を見つけると、そこへ入っていくだけ。冒険らしい冒険も無し。ついでに言うとドラゴンは出てこないし、キスも無し。王子が姫の眠っている部屋までいくと、ちょうどその時に100年の呪いが解けて姫が目覚めるという話だった。
 最後に教訓的な物があって、あなたの王子様が現れるまでは静かに眠るようにじっと待っていなさい。そういうことができる人は最近いないけど、とあった。三年寝太郎の逆バージョンみたいなものかな。
 そういえば何故西洋のおとぎ話では王子様なのだろうと、今これを書いている時に思った。別に王子さまでなくてもいいが、恋の相手は権力者の息子と決まっている。
 日本だと権力者とダイレクトに繋がる話が多いし、その時はまだでも話の途中で権力者になるパターンが多い気がする。気がするというのは調べていないから。案外日本でも同じなのかな。

 真論君家の猫でピグマリオンの話が結局どうなるのかは分からないと書いていた。何せ本当に分からないのだから仕方がない。だが、ついに後日譚まで書いた本を偶然見つけた。聞いたこともない出版社(正確にはある協会が出している本。自費出版だろうか。それにしては装丁が豪華だった。いや、そういう儲けを度外視したところが却って自費出版っぽいのかな。正直いうと文章がかなり古くて読みづらかった。)によると、ピグマリオンと彫刻から人間になったガラテアは結婚して子供を儲けた。その子供は神の加護によりキプロスの王となった。ざっと書くとこんな結末で、結局ピグマリオンとガラテアが幸せに暮らしたかどうかは明言されていなかったので、ほっとしたのを覚えている。

 他にも色々と調べ物をしたけれど、身に付いた物はほとんど無いので忘れてしまった。収穫は眠れる森の美女ぐらいかな。たぶんこれをネタに使うのは大分後になりそう。


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