愚者空間

牛野小雪のサイトです。 小説の紹介や雑記を置いています。 あと短い話とか。

2015年04月

前記事ー創作ノート 真論君家の猫

 以下、これを見ながら執筆したチラシの裏篇(ルーズリーフだが)
 創作ノートを見ながら時に書き足し、あるいは削り、そして変更する。

1クロスケが真論君に拾われるまで
 一章ミータンが真論君と出会うまで、2000字で終わらせたかったのだけれど丸々一章使ってしまった。クロスケという名前は後に再利用される。この章を書き終えたときにはもう最後の形はイメージできていた。
mc t1

2ミータンが成猫になるまで
 ミータンがマートンの遺影を見たときに戒名があるのを見るというのがあったが長くなるのでやめた。真論君は禿げないが(小六だし)、ミータンの体毛は禿げてしまう。
mc t2
3ミータンが平成町を旅立つまで
 本来は3章だけ。ミータンが平成町を旅立ってすぐに、大化町の猫又アラーニャンと出会う。でもほんの短い数行にミータンの長旅を書き表せることができなかったので、話を追加した。
 この時はまだ大化町の猫達がアラーニャ、マーニャ、カラマーニャとなっている。
mc t3
4ミータンが猫又のアラーニャンに会い、平成町に帰るまで
 明治町から始まって大化町までの長い旅。ターンワールドに通ずるものがある。というかこれが意外に良かったので、書こうと思った。
 
mc t4
5シラコさんの七変化
 シラコさんの七変化(たぶん七つは無いけど)、各章で最後に語られる不定の世界というわけだ。
mc t5
6最期のミータン+3匹目ムートン
 3匹目ムートンの種が播かれ始める。ミータンの物語は猫又のアラーニャンと出会い、平成町に帰ってきたところで実質終わりだと思うのだが、読んだ人はどう思っただろうか。少なくともミータンという花は枯れ落ちる方向に向かっている。ミータンが死んだ後は、ムートンの芽が出てくる。そこで真論君家の猫は終わり。
mc t6


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 ターンワールドは本当に余裕がなかったので、『真論君家の猫』の創作ノートを公開できなかった。
 やっとやっとの休息なのでここに公開する。
 画像加工の腕が多少上がったので、写真には書き込みがある。
 その前に撮影の腕を上げろと言われそうだけど。


mc 1

1真論君家の猫の原案
 ルーズリーフ11枚分。間違いなくこれで書けるという確信を持つ。
 元々の話は真論君と虚頓君(まだこのときは名無し)が真論君の部屋でああだこうだと屁理屈をこねるだけの話。
 最期は真論君が虚頓君の妹を妊娠させてしまって、責任を取って結婚する。
 子供が生まれてミータン(この時名無し)が赤ん坊を覗き込み、人間とは生まれたときから猫より大きくて態度がでかいと考える所で話が終わる。


mc 2
2没案にした話
 直接は関係ないのだが、影響はしている。
 5章のシラコさんが死ぬ話は立場が逆転しているが、同じ様な話がある。
 鳥はなじみがないから、猫になったのかもしれない。
 ノートに3枚ぐらいは書いた。ちっとも物にならないのでやめた。


mc3
3真論君家の猫の一生
 真論君と虚頓君のふざけた話がずっと続く。それを猫が見ている。そんな話だった。
 つまりは物語の主人公は実質真論君だったわけだ。
 あの時はこうだった。あれはどうなったと
 部屋でする会話の中で物語が進んでいく。

mc4
4プロットの作り直し
 実を言うと、真論君家の猫を書き始めるまで猫の一生は3、4年と思っていた。
 ネットで調べると野良猫の一生はだいたい3、4年だが、飼い猫は普通に10年単位で生きると知って驚く。
 私の記憶では飼い猫でも3、4年だった気がするが、よくよく考えてみると、昔は(今でもそういう家があるが)飼い猫をその辺に歩かせていたのでエサは家で食べていても、実質は野良と変わらないわけだ。
 高校の頃、友達の猫が5年以上生きていて、まだ生きているのかと内心思っていたけれど、ずっと室内で飼っているならそれぐらいは余裕で生きるのかもしれない。ことによるとまだ息をしている可能性がある。
 さて、原案では3、4年の想定で考えていたので早速予定が狂った。猫の月齢表を見ながら案を考える。


mc5
5.10年スパンで話を考える
 ミータンの寿命を10年にして、一年一万字で話を練り直す。
 真論君が頭髪の薄さを気にして、虚頓君から熱したこんにゃくを頭に載せればハゲが治るという話を真に受け(試したわけじゃないが、たぶん治らないと思う)、両親が不在の間にこんにゃくを鍋で煮て頭に載せるという話があった。猫がそれを食器棚の上から見ている。
 当然こんにゃくは熱過ぎて、真論君は頭からこんにゃくを落とす。落ちたこんにゃくは弾力があるものだから床を跳ねる。それが足に当たった真論君は驚いて足を上げる。まるで踊っているようだった。という落ちだ。ちなみにそのこんにゃくは両親が帰ってくる前に、からしとしょうゆで真論君が食べてしまう。
 この話は形を変えて、ミータン自身が禿げる事になる。こんにゃくは出てこないけれど。

mc6
6特にまだ形はできていない
 まだ全体像はできていない。とにかく色んな案を書いていた。

mc7

7サバトンさんが宇宙の話をする
 ミータンがサバトンさんにこの世界の事について尋ねるのだが、その時に無限の宇宙を語らせようとした。しかしそれは有限の存在である牛野小雪には扱えないものだった。頭がふわふわして気が狂いそうになる。論理ガバガバのドーナツ理論でお茶を濁した。


mc8
8大体の形ができてくる
 今まで書いてきた案をまとめて整えて形になってくる。
 主客転倒して真論君の物語から猫の物語へ。


mc9
9真論君家の周辺地図
 作中では明言されていないが、ミータンが歩いていた場所はほとんどが真論君家の敷地。
 彼は真論君家に根を生やしているわけだ。



mc10

10.3章と4章が合わさったところ
 屋根党員には知識派と遊行派がいるが、作中では知識派しか出てこない。
 では遊行派はどこに? きっとその辺で遊んでいるのだろう。
 この時点では3章でミータンが平成町を出てから、次の章ではすぐにアラーニャンと出会っている。


mc11
11 5章6章
 白紙のときは無限の可能性があるが、書くごとにその幅は狭まってくる。
 可能性が狭まってくると書くことはおのずと決まってくる。

 物語は終わろうとしているのに新しい猫ばかり出てくる。 



mc12
12最期のミータン
 結局ここまできて、蒲生田岬の頃から半年以上書き溜めてきた原案は一つも使われなかった。
 あるとすれば真論君の部屋で4人が語り合うという状況だけ。
 でも、元々似た様なことを考えていただけに、この部分だけはあっという間に書けた。あそこは結構長いが一日の執筆で書きあがっている。その意味では無駄ではなかったのかな。

続くー創作ノート 真論君家の猫 チラシの裏篇


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 ついに来ました。『ターンワールド上下』をリリース。
 4/24日~28日まで上巻を無料キャンペーンするので、どうぞよろしくお願いします。
 以下Amazon の内容紹介です。


 

内容紹介

『この世はバラの絨毯が敷き詰められた最悪の世界 
彼はこの世から姿を消すために徳島へ行くことにした』 

この世が最悪の世界と見抜いたタクヤは、 
家を出て河川敷で寝起きするようになる。 
一度は両親に連れ戻されるタクヤであったが、 
今度は両親も知り合いもいない徳島へ姿を消すことにした。 
タクヤは深夜に家を飛び出し夜行バスに乗り、 
一度大阪で乗り継いで徳島を目指したのだが、 
彼の乗ったバスは徳島へ到着しなかった。


内容紹介

『どこもかしこも別世界。入り込める余地は何処にもない 
孤独な彼は世界の外側を歩きながら、世界の終わりを願う』 

徳島県へは到着できず、家に帰ろうにもそこはバナナ県。 
家も目標も失ったタクヤはある老人と共に雨野巡りを始める。 

老人と別れたあと、今度はサナゴウチさんと一緒に旅をするが、 
彼とも突然別れることになった。一人となったタクヤだが、 
そんな彼にまた新たな旅の道連れが現れようとしていた。 

神社に捨てられていた茶トラの猫。 
偶然拾ったその猫は捨てられない猫だった。 
猫を持って歩くタクヤに、さらに旅の道連れが加わる。 
それは異国の異性のケイトさんで、タクヤは猫よりも扱いに困ってしまう。 
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キンドルアンリミテッド、オーナーライブラリで読めます。

ターンワールド 上&下 (牛野小雪season2)
牛野小雪
2015-04-21
この世が最悪の世界だと見抜いたタクヤは、
夜行バスに乗り徳島へ家出したが
彼の乗ったバスは徳島へ到着しなかった。



試し読み⇒ターンワールド冒頭

ターンワールド 進捗状況vol.1
2014/12/23

 今回はかなり遅筆。なかなか進まない。『ターンワールド』というものを書いている。今回も長編でやっと物語の滑り出しまできた。前作のペースなら今頃初稿ができているはずだが、まだ半分も書けていない。創作ノートで全体像を見直した。これは火星の話と一緒だ。世界観は違うけれど、やることは同じようなこと。筋運びも同じだから、結末もやはり同じようなエンドだ。

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表紙って難しい。/Category of Happiness 幸せのカテゴリー
 
 ↑の記事で鈴木成一という装丁家がいることを知りました。というよりも装丁家という言葉自体を初めて知った。
 考えてみれば、本というのは文字だけでできているのではなく、文字を印刷する紙から、表紙から、帯に至るまで(思い付くのはここまで!専門的な本を読もうとしたが、あまりにも細かすぎて速攻ギブしてしまった。)、誰かが考えて作っているわけで、鈴木成一さんとはまさにその人のことである。
 
 改稿しながら表紙も考えている私にはタイムリーなお話。早速図書館で彼の本を借りたのだが、凄ぇ、凄ぇと読んでいるうちに最後のページまで読んでしまった。
 言っていることは頭に入ってきたが、真似できそうな物はなにひとつない。きっとスキルが地面すれすれの低空飛行しているせいだろう。
 フォトショップを使って画像を加工をしているんだけれど、ああ、あれどうやるんだろう。たぶんどうにかしたらできるんだろうなと思うことがいくつかあった。

 本文よりも彼自身の本の装丁から学ぶものが多くあった。
 表紙の縁取りはパクれとても参考になる。絵がきゅっと引き締まった。



現代美術品最高額8690万ドルで落札 マーク・ロスコとは?  

 本格的な絵画は難しいけれど、抽象画なら素人でも描ける。いや、本当にそう思っていました。抽象画家の皆さん本当に申し訳ない。なめていました。
 ↑の記事にある抽象画。これなら私でも描ける! と思って描き始めたのですが全然ダメですね。本当にひどい物しかかけない。
 正直、上記のマーク・ロスコさんの絵は何が良いのかさっぱり分からないのですが、自分の書いたものと比べると明らかに彼の方が良いと分かるのだから凄いです。なんでやねんとツッコミたくなります。Amazonで彼の絵のポスターが売っていました。←?

 精緻な線、配色、デザインは無理。抽象画も無理。かといって性能の良いカメラも、それを扱う技術もなし。フォトショの加工技術も素人。
 でも、手持ちのカードで勝負するしかないのさ。達人になるまで待っていたら何もできない。
 と、思って表紙作成に励んでいたらどんどん違う方向へ行った。ほぼ完成間近と思っていたのに。
 マーク・ロスコさんの絵をパクろう見てから、アイデアがどんどん湧いてきた。書く度に新しいアイデアを思い付いて、書いては消しての繰り返しだった。恐るべしマーク・ロスコ。

 人に見せられるぐらいになってきたのではないか思うし、アイデアも出てこなくなった。細かい変更はあっても恐らくこれが完成に近い物だろう。こんな物になって自分でもびっくりした。ちょっと嬉しい。

blog cover 上 5-3
blog cover 下 3-6
blog cover 上下 3-8

以下、以前の物

blog cover 上 1
blog cover 下
blog cover 上下2




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  フミヒト(文人)はバックパックの中を確かめた。ここ数日何度もやってきたことだ。今まで荷物を足したり減らしたりしていたが、今ではそれも無くなった。三日前からバックパックを背負って一日中近所を歩いた。それを見た近所の人や知らない人からがんばれよと声をかけてくれた。一言だけならこちらも頭を軽く下げるだけだが、散歩中のじいさんが彼を呼び止めて話を始めた時には参った。
 
 初めは月の歩き方を教えてくれるのかと思っていたが、そんな話は最初だけで彼自身の人生哲学とそれを活かしてどれだけ自分が立派に生きてきたかの自慢話が始まった。歩くだけでもよぼよぼだったのに、話をしている最中はほとんど息継ぎもせず一時間近く立ちっ放しで喋り続けた。自慢話が終わると今度は今の若い奴がいかにだらしないかの話に変わって、フミヒトが知らない人を口汚く罵っていた。一人の話が終わると『なあ、あんただって、そう思うだろう? そりゃそうだ。誰だってそう思う。俺は寛容なぐらいだ』と同意を求める言葉を挟んだ。しかし、フミヒトがそうだとも違うとも答える前に話は次の人に移るのだった。

 結局、その人は二時間近く話をしてフミヒトから離れた。足取りはよぼよぼだったが、どことなく溌剌とした勢いがあった。それとは逆にフミヒトは二時間立ちっ放しだったので、膝の軟骨がぺしゃんこに潰れてしまったように感じた。バックパックを背負っていたのでなおさらだ。歩くより体の負担が大きいと思った。老人よりもよぼよぼとした歩みで近くのベンチに腰を降ろすと、一時間近く足を休めた。

 二日目からは多分バックパックを背負って一日中歩けるだろうと分かってきた。三日試したのは念のためだ。

 もう一度バックパックの中身を確認する。荷物の量は個人に任されている。多くの荷物を持てばそれだけ重くなり、歩みは遅く日数もかかる。荷物を少なくすれば反対に歩みは速く短い日数で事が終わる。

 これから三日後に彼はムーンシティを出て、アルテミス山に一人で登らなければならない。15歳になれば誰もがすることだ。いつから始まったのかも分からない成人の儀式で、父も祖父も、そのまた曽祖父もみんな15歳になるとアルテミス山に登った。先祖に例を辿らなくても、同級生のレツヒト君は誕生日が早かったので、学年の初めにやはり登った。彼は自信があったので少ない荷物を担いで、短い日数で帰ってきた。また親友のマサヒト君は大きな荷物を担いで、長い日数をかけて戻ってきた。あまりに長い時間戻ってこないので彼は死んでしまったのではないかとフミヒトは恐くなったものだ。彼の両親もまた心配していたようで、シティのゲートでマサヒト君を待っていると、毎日彼の両親の姿を見つけた。

 成人の儀式で死んだ子もいるらしい。毎年そんな話を聞く。ただ、本当に死んだ子の話をフミヒトは聞いた事がなかった。同級生の誰も知らなかったし、父も知らなかった。ただ祖父の同級生が一人運悪く隕石にぶつかって死んだということがあるらしい。データベースを検索してみたが、本当のことか分からなかった。

 隕石に限らず成人の儀式で死んだ噂はいくつある。テントの生地が破れて死んだ。空気の残量が足りなくてドームを見ながら死んでいった。アルテミス山の頂上は重力が弱く、そこから宇宙へ飛んでいってしまい月に戻れなくなった。中には宇宙の闇からやってきた大きな化け物に襲われて死んだという怪しげな噂もあった。もしくはUFOに攫われたとか。どれも本当のことか分からないということだけが共通している。

 アルテミス山は見ようと思えばいつでも見る事ができる。ムーンシティの端へ行けば、月の砂漠のその向こうにそびえたつギザギザの山。それがアルテミス山だ。そびえたつというと大げさだが、実際はドームの頂上より少し高いくらいらしい。らしいというのは実際に登った事がないからで、教科書やデータベースに載っているデータを元にフミヒトが想像したことだ。でも、他の人に聞いた話を考えると、そう間違ってはいないと予想はしていた。

 担いでいく荷物を確認する。多分使わないであろうと思える物がいくつかある。でももしかしたらと頭がよぎる。だれかに相談することはできない。荷物を決めるのも儀式の一つだからだ。2週間前、うかつに父に訊いてしまったことがあるが、父はそれを優しく諌めただけだ。ただ答えられるなら答えたいという複雑な顔はしていた。

 母は直接言葉にはしないが、とにかく荷物を持たせたがった。フミヒトも初めはそうしたが、そうすると荷物が重たくなりすぎるので、途中からは減らし始めた。それでも減らしきれない物がいくつも残った。時にはバックパックから減らしたこともあるが、日が変わるより先にそれは元に戻った。減らしきれない無駄な荷物は自分の不安なのだと分かってきた。分かったからといって減らす事はできない。結局は担いでいくことにした。

 それから出発の日までは体を休めることにした。するのは荷物とアルテミス山までの道程を確認すること。成人の儀式があるからといって学校が休みになることはなく、いつも通りに出席した。ただし、宿題はしなくても特に怒られる事はない。制度として決まっているわけではないが、慣習として大目に見られていた。噂ではテストで悪い点を取っても成績には響かないらしい。こんな時に宿題をする馬鹿はいない。先例に倣ってフミヒトも学校へ行くだけで宿題は一切しなかった。学校から帰るとベッドで横になり頭の中で月の砂漠を歩いたり、アルテミス山に登ったりを繰り返していた。

 やがてフミヒト15歳の日になった。今日はまだ太陽が出ない時間からベッドを出て服に着替えた。両親も静かに起き出して部屋を出たり入ったりした。特に何かを放したわけではない。朝食を食べて、朝のニュースを少し見て、普段は読まない新聞の見出しを端から端まで読むと、フミヒトが決めた出発の時間になった。ザックを背負って玄関へ行く。フミヒトは言った。「それじゃあ、ちょっと行ってくる」

 父は居間で新聞を読みながら座っていた。母は玄関の外まで出てフミヒトを見送った。ここはまだドームの中だが、すでに儀式は始まっているのだとフミヒトは思った。

 一時間ほど歩くとムーンシティのゲートまで来た。マサヒト君がそこにはいた。彼は軽く手を上げただけで何も言わなかった。フミヒトも手を返して口には笑みを浮かべた。

 すぐに彼を通り過ぎて、ゲートの中に入った。そこにいる警備員に生徒手帳とドーム外活動許可証を提示した。彼は軽く目を通しただけですぐにゲートの先に促した。そこにはもう一人成人の儀式を受ける子がいてフミヒトより大荷物だった。彼は既に宇宙服を着込んでいて、何か話しかけられる状態ではなかったが、フミヒトは彼に笑みを投げかけた。彼の方でもヘルメット越しに笑みを返してきたが、固い笑みだった。もしかすると自分もそんな顔をしているのかもしれない。

 シティドームと外の間にある気圧調整室の中でフミヒトは宇宙服を半分だけ着た。ゲートが開くまでは時間がまだまだあるのだ。それでいえばもう一人は少し気が早すぎると思った。

 それでも時間はあっという間に過ぎて、すぐにゲートが開く時間になった。その頃にはフミヒトも宇宙服を着終えていた。

 ゲートが開いた。そこには黒い空に灰色の砂漠が広がっていた。さらにその先でアルテミス山が黒い空をギザギザに切り取っている。

 フミヒトから灰色の砂漠に一歩を踏み出す。砂埃が膝の下まで舞った。すぐにもう一人も砂漠へ出てきた。少し歩くと後ろの方で振動を感じて、二人とも振り向くと、ちょうどゲートが閉まったところだった。

  もう一人の方が顔を戻したが泣きそうな目をしていた。フミヒトもあと一つ何かあれば泣いてしまうかもしれないぐらい胸の動揺を感じていた。すぐに顔を前に戻して歩き始める。

 初めはもう一人の子と一緒に歩いていたが、すぐに引き離してしまった。歩く速さが違いすぎるのだ。体格ではそれほど変わらないが、荷物の差がここで出てきた。先を歩いているからといって、心に余裕が出たわけではない。むしろその逆で、もしかすると自分は荷物を軽くするために何か大事な物を忘れているのではないかと常に不安になった。

 白い太陽に照らされながら灰色の砂漠を歩き続けた。目の前のアルテミス山はいつ見ても同じ大きさに見えた。不安になり後ろを振り向くと、小さくなったムーンシティが見えたので、確かに前に進んでいると感じる事ができた。小さく揺れ動く点はもう一人の子だろう。

 太陽が真上を通り越して山に近付いた頃、フミヒトはザックを降ろして圧縮テントを地面に置いた。ボタンを押すと中の装置が働いてテントが膨らんできた。その間、フミヒトは歩いてきた砂漠を振り返り、すでに設営されたオレンジ色のテントを見た。自分は遅いのかもしれないとまた不安になった。フミヒトのテントは蛍光色のグリーンだ。そのテントが出来上がったので彼は中に入った。気圧調整室で一時間ほど過ごし居住スペースに入る。ザックを降ろし、宇宙服を脱ぐと、やっと気分が落ち着いてきた。

 携帯宇宙食を出して食べた。不味くはないが美味くもない。それでも腹がふくれるまで食べていた。こんなものを腹一杯に食べるなんて昨日までは想像も出来なかったが、実際に来てみるとその通りだった。もう一人の子も今頃は腹一杯に携帯宇宙食を食べているんだろうかと考えていた。

 新品の宇宙テントは化学繊維の冷たいにおいがする。そこに寝袋を敷いて中に潜ったがなかなか眠れなかった。出発するまで宿題をわざとしなかったこと。新聞を読んでいた父の頭、玄関まで見送りに出た母の手、ゲートで待っていたマサヒト君などが頭に短く浮かんではすぐに消えた。それが何度も続いた。

 夜の間、それがずっと続いて疲れが取れないまま朝になった。携帯宇宙食を食べると宇宙服を着て外に出た。テントのボタンを押すと、中の空気が圧縮されて40センチ四方の大きさまで縮んだ。それをザックの下にストラップで縛り付けた。荷物の中ではこれが一番重い。背負う前と後ではっきりと重さが分かった。

 また歩き続けた。後ろの子はしばらく目をこらさなければ見つけられないほど離してしまった。ムーンシティも気を抜いていると風景に紛れるほど小さくなった。アルテミス山はやはり同じ大きさに見える。

 太陽が沈む前にテントを張った。今日は後ろの子は見えなかった。体には二日分の疲れが溜まっていた。

 テントの中で宇宙食を食べて寝袋の中に潜り込む。相変わらず眠れなかった。頭に浮かぶのは過去の事ばかりで、不思議と将来のことは浮かんでこないと気付いた。公園の噴水に頭から落ちたこと、父のライターを勝手に持ち出してマサヒト君と一緒に新聞紙を燃やしたこと、自転車でムーンシティの端から端まで行こうとして半日でやめたことを思い出す。

 また眠れない夜を過ごして朝になった。昨日よりは体の疲れが抜けた気がする。それでも一昨日の分の疲れはそのままだし、昨日の疲れも半分は残っていると感じた。まだ山にも着いていないのに大丈夫だろうかと不安になった。

 三日目にようやくアルテミス山の麓に着いた。足元が詰まって壁にぶつかったようだった。それでふと上を見上げると山の麓だった。突然現れたように感じた。少し登って平らな部分があったのでそこにテントを張った。

 テントの中でザックの中身を広げると、やはり必要なかったと思える物がある。次の日の朝はそれをその場に置いて先に進むことにした。どの道帰りは同じ道を歩くつもりだ。荷物を置いた分だけ歩みは速くなった。山を登り始めて三日目にまた荷物を減らした。

 四日目にはテントを置いて出発した。頂上は見える位置に来ていたし、GPS上でも半日かからずに着く場所だ。

 宇宙服と僅かな荷物だけで山を登った。今までで一番足取りが軽かった。予想より早く頂上に着いた。 頂上にはアルテミスの神殿があって、そこにある端末にフミヒトの情報が入ったカードを差し込む。端末の画面が変わって『登頂完了』の4文字が出た。

 フミヒトは息を吐いた。これであとは帰るだけだ。

 彼は下山する前に神殿の階段に腰を降ろした。神殿は頂上にあるので遠い場所にある丸いムーンシティの光がはっきりと見えた。それと灰色の月の砂漠。ゲートから見た砂漠はとてつもなく広く見えたが、今は歩き通せないこともないと思えた。実際に歩いてきたのだから。

 目を上に向けると白い地球が見えた。フミヒトは地球へ行った事がないが、そこでは月と違って、石英の白い砂漠がどこまでも広がっているらしい。赤道上に点々とある黒い点は太陽光発電のパネルで、そこで発電した電力を目には見えないレーザーに変換して月へ届けるんだそうだ。

 マサヒト君のお父さんは保守点検の仕事をしていて、二年に一度、地球で半年過ごしてくる。彼はいつも体を鍛えていて、筋肉隆々の凄い体をしているが、地球から帰ってくると、もっと凄い体になって帰ってくる。そんな彼でも地球では自分の体が重く感じられるそうだ。地球へ行く前に体を鍛えておかないと地球の重力で体が潰れて何もできないとも聞いた。その代わり宇宙服無しで外を歩けるそうだし、水もおいしいそうだ。

 自分が生きている間に地球へ旅行できる日が来るかななんて考えながらフミヒトは腰を上げた。あとになって太陽光パネルの保守点検員になろうとは考えなかったなとも思った。将来は月の田舎から火星へ行って、ユートピアタウンでスーパースターになり、マリネラス渓谷辺りにピンク色のデカイ家を建てるんだとずっと考えていた。

 山を下って、テントの場所まで戻るとそのままそこで一夜を過ごした。

 朝になるとテントをザックに入れて山を下っていく。そういえば夜は何も考えずに眠りについている事に気付いた。

 自分が置いていった荷物を回収してさらに下っていく。荷物は増えていくが歩みは速い。

 下山開始から三日目にもう一人の子とすれ違った。ヘルメット越しに笑みを交し合う。彼は良い顔をしていた。どこかで見た事がある顔だとも思ったが、そのまま通り過ぎた。

 最初に荷物を置き去りにした場所まで来た。フミヒトの物とは別の荷物がそばに置いてある。きっとあの子の物だろう。自分の物だけをザックに入れて先へ進んだ。これで出発した時と同じ重さになったが、今は軽く感じられた。

 山を下りきってからテントを張り、夜を過ごすことにした。久しぶりに色んなことが短く頭を巡り、なかなか眠れなかった。

 ふとある顔が浮かんだ。幼稚園の頃に転校したケイタ君で彼は僕と同じ誕生日だった。家も近くで一緒にお互いの誕生日ケーキを食べ合う仲だった。その顔と山ですれ違った顔が重なる。なんだ、あれはケイタ君だったのか。確かめたわけではないが、フミヒトは確信していた。あれはケイタ君だと。翌朝アルテミス山に目を向けたが、そこを登るケイタ君は見えなかった。

 それから月の砂漠を二日歩いてムーンシティに帰ってきた。気圧調整室からドーム内に入ると警備員の人が言った。

「おかえり」
 久しぶりに聞いた人の声だった。何でもない言葉に胸が揺れて泣きそうになったが、そこは耐えてフミヒトも「ただいま」と言葉を返した。

 家に帰ると今度は両親から「おかえり」の声を聞いた。なんだか恥かしくて、フミヒトはすぐに自分の部屋に入った。ベッドでほんの少し眠るつもりが一日中眠っていた。

 成人の儀式は終わって一週間が経った。だからといって何かが変わったわけではない。両親からは相変わらず子供扱いされるし、夜遅くに外でいると警官に補導されそうになる。宿題はしなくちゃならないし、輝ける大スターへの道はまだ見えてこない。ケイタ君とはあれっきりだし、同じクラスのエミちゃんとは話せないままだ。それでも彼の成人の儀式は終わった。


(終わり)

この世が最悪の世界だと見抜いたタクヤは、
夜行バスに乗り徳島へ家出したが
彼の乗ったバスは徳島へ到着しなかった。


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 山を一つ越えると一軒の家が見えた。屋根と壁は崩れ落ち、柱が剥き出しのままになっている。念のため外から家の中を覗いてみたが、人の気配はもちろん、使えそうな物もなかった。
その家を後にして、そのまま歩き続けると建物がまた見えてきた。今度は何軒もある。町に出たようだ。どの家も窓ガラスは割れていたり、外壁が剥がれ落ちていたり、屋根の瓦が無かったりした。割れた窓からは部屋をかき回された跡が隠しようも無く残っていた。まともな家は一軒もない。どれも見慣れた光景だ。
 中にはドアを強引にこじ開けられた形跡のある家もある。その家は窓に板を打ち付けていて、外からは中の様子が見えなかった。開いたままのドアからもやはり見えない。光は玄関までしか届かなかった。かつての住人の悲惨な結末を想像すると、中に入ろうとは少しも思わなかった。さらに歩を進める。
 道路はどこもひび割れていて、そこから雑草が膝より高く伸びていた。
 そのさまを見るとレツヒト(烈人)は大きく息を吸って、背中のザックを小さく持ち上げた。そして吸った息を吐く。
 まともではない家をいくつも通り過ぎると、ようやくまともな家を見つけた。瓦が一枚落ちているが、外壁はどれも真っ直ぐ貼り付いていたし、窓ガラスは割れていない。レツヒトは窓付きの家を見つけたのはいつの事だったかと思いを巡らした。それは一ヶ月前のことだったと思い出す。もう一年も前に感じられた。
 世界が変われば、時間も変わる。一ヶ月前が一年前で、三年前が昨日のように感じる。
 レツヒトはドアの前に立ちノックした。チャイムも押してみたが音は鳴らない。
 もう一度ノックをしてからドアを開けた。鍵はかかっていない。
 ほこりがかぶっているとはいえ、家の中はきれいに整っていた。荒らされた形跡もない。一ヶ月前の家よりはるかにまともだった。かつてまともだった世界がここにはあったので、自然と玄関で靴を脱ごうという気にもなった。
 靴からスリッパに履き替え、ザックを玄関に降ろすと中に入った。
 玄関脇の部屋を覗くと、革張りの黒いソファーに箱型のステレオ。本棚にテレビ。大きなクリスタルの灰皿があった。昔風の趣味だが、ここにはまだ人が住んでいるのかもしれない。
 レツヒトは大きく咳払いをして、壁を手のひらで何度か叩いた。
 続けて声を出そうとしたが、もうずいぶん長いこと言葉という意味で声を出していないので、自分でも言葉が浮かんでこなくてとまどった。それでもう一度壁を手のひらで叩き大きな音を出した。
 しばらく待っても声は聞こえなかったし、何かが動く気配もなかった。
 レツヒトは鼻から短く息を吐いて、さらに家の奥へと進んだ。和室が一つあって、そこにはこたつと皿に盛られたミカンがあった。ミカンは干からびている。胸の中にかすかな違和感が湧いた。今までいくつも干からびた野菜や果物を見てきたが、こんな場所で見るのは初めてだった。
 さらに進んで廊下の突き当たりまで来た。二つの部屋はドアが開いたままだったが、ここだけはドアが閉まっていた。念のためにドアをノックする。
「誰かいるか?」
 久しぶりに出した声は意外にも大きく滑らかに出たので自分で驚いた。もう一度ノックをする。返事も無く、物音も無かった。
レツヒトはドアをゆっくり開けると、部屋にある物を見た瞬間ドアを閉めた。
 体中の血が勢い良く巡る音がした。それに合わせて顔が熱くなる。部屋の中には首を吊った死体があったのだ。
 記憶の中でもう一度部屋の中を見ると、死体はやはり干からびていて、目玉の無い黒い目でレツヒトを見下ろしていた。
もう一度部屋の中を見ようとドアをゆっくり開けたが、その途中で濃厚な死臭を嗅いだので、レツヒトはえずきながらドアを閉めた。
 壁に手をつきながらソファーのある部屋に戻って、ソファーに体を投げた。ほこりが高く舞ってまた咳き込む。
 それも落ち着いてくると、両手を頭の後ろに回して目をつぶった。こんな世界でもソファーは柔らかい。久しぶりの柔らかい感触だった。
 よし、今日は良いねぐらを見つけた。ここを拠点にしてこの町を探索しよう。今までの経験からこういう場所では食べ物が見つかる。歩きづめの野宿生活は疲れたから、まだ日は高いけれど、ここで眠ってしまおう。
 そんなことを考えながら眠りに入ろうとしたが、さっきの首吊り死体が見下ろしているような気がして何度も目を開けた。
 長い野宿生活で墓地に寝たこともある。レツヒトは幽霊をすっかり信じなくなったが、それでも気になるものは気になる。墓地で寝たのも暗くて気付かなかったからだ。もし気付いていたならさらに歩いて、違う場所で寝ただろう。
 しばらく何の考えも頭に浮かばない静かな時間があって、レツヒトは突然立ち上がると本棚から本を一冊抜き出して部屋を出た。
 ザックに本を放り込むと、すぐさまこの家を出ることにした。
 レツヒトはドアノブに手をかけると、ドアの内側に張り紙があることに気付いた。そこにはこう書かれている。
『侵入者に災いあれ 永遠の呪いを受けろ』
 白い半紙に墨と筆で書かれていた。
恐怖に駆られてその張り紙を剥がそうとしたが、その寸前でやっぱり止めた。
 すぐさまその家から出て、逃げるようにそこから離れた。何度も後ろを振り返り、その家が見えなくなると、やっと胸の中が落ち着いてきた。
 日陰があったので、そこにザックと腰を降ろして一息着いた。
 
 体を休めて再び歩きだすと、すぐに大きな四角い建物が見えた。スーパーだ。看板には『セブン』と書いてあった。 
 玄関のドアは破られていて、店の棚には干からびた果物さえ無かった。それでも何か使えそうな物はないか入ってみることにした。無ければ無いで、ここを今夜のねぐらにするつもりだ。
 店内を一通り巡ると食品棚は掃除したみたいに何も無かった。缶詰の棚も同じだ。併設の小さな薬局に風邪薬の箱が三つ残っていたのでその内の一つを手に取った。包帯の箱はあったが、蓋は開いていて小指より小さくなった包帯が一巻きある。誰かがここを拠点にしていたようだ。
 一度店から出て倉庫に入った。ここもやはり人が入った跡があって、ざっと見たところ目ぼしい物がなかった。倉庫の隅に綺麗に積みあがった発泡スチロールの箱があったので、不思議に思って中を見ると、すっかり干からびた秋刀魚が詰まっていた。干物ではなく、無加工の丸太状態だ。どうりで誰も手を付けていないはずだ。
 ひっくり返ったダンボールを1つずづ調べていった。略奪する時は誰もが急いでいるので意外と残っているものだ。その証拠に3つ目のダンボールを持ち上げると、スナック菓子の袋が1つ落ちてきた。
 空のダンボールは畳んで隅に積んでいく。日が暮れるまでそれを繰り返して缶詰が10個とスナック菓子を3つ見つけた。
 その日の夜はスナック菓子を食べてから、倉庫の隅に積んだダンボールのベッドに潜りこんで眠る。ダンボールも積み上げればそこそこ柔らかく、侮れない寝心地の良さが味わえる。久しぶりにぐっすりと眠り、朝日が登るとスーパーを出た。
 コンビニに立ち寄り、新聞があったので立ち読みをしてみると3年前の日付だった。それに以前読んだ記事だと気付いた。それでもレツヒトはその新聞をザックの中に入れた。新聞紙は軽くて役に立つことが多い。
 昼になった。日陰を探して昨日のスナック菓子を二つ食べた。それと服も一枚脱いだ。夏は過ぎて冬になろうとしているが、歩いていると体が熱くなってくる。冬でも太陽の下なら半袖で過ごす事ができるほどだ。世界が変わる前は想像もしたことがなかったことだ。
 それからまた歩き続けて、夕方になる前に建物が途切れ始めた。今度は町を抜けて野原をあるくことになりそうだ。
 町と野原の境目に頂上が開けた小さな山を見つけたのでレツヒトはそこに登った。通る人がいないので草が膝より伸びていて、ジーンズの表面をずっと撫でた。
 夕方になる前に焚き木にできそうな枝を集めた。それから山の頂上に立っていた銅像のそばで枝を組む。そこは玉砂利が敷かれていたので、寝るにはちょうどいい場所だった。焚き木を組んでから気付いたが、銅像は源義経だった。銅版に謂れが書かれてある。ここから四国に上陸して屋島に向かったらしい。
 太陽が半分以上沈んだがレツヒトは火を付けなかった。それどころか焚き木から離れて町をずっと見ていた。太陽が沈んでから完全に闇に包まれるまでそれを続けた。
 暗い闇を見渡し、どこからも明かりが出てこない事を確認すると、レツヒトはやっと焚き木に火を着けた。今夜は月の無い晩で辺りは完全なる闇だが今まで何度も繰り返してきた事なので、目をつぶっていてもできることだ。
 焚き付けから小枝へ、小枝から太い枝へ火が移ると辺りが明るくなった。それでも星が見える程度には暗い。レツヒトはもう一度立って山から辺りを見渡したが、空の端で山の形に星空が切り取られているのが解るぐらいだった。炎の色も蛍光灯の色も見えない。
 彼は鼻から落すように息を吐くと焚き木に戻った。
それからザックから小鍋を出すと、昨日スーパーで見つけたガルバンゾーの缶詰を開けて汁ごと鍋に入れた。鍋を火のそばに置く。そこは石を三つ置いてコンロのように使える。火が通ってくると次にトマトの缶詰を入れて、さらにオイルサーディンの缶詰も入れて一度混ぜた。鍋の側面からふつふつと泡が立ち始めると、最後にプロセスチーズを一つ、ちぎりながら鍋に放り込んだ。チーズからは良いダシが出るのだ。
チーズが完全に溶けたのを見ると火から鍋を離した。
 大きなスプーンで鍋の中身をカップへ移していく。チーズのダシが利いていて、スープが美味かった。
 豆とトマトのスープをカップ三杯食べるとお腹が膨れたので鍋の蓋を閉めた。残りは朝に食べる。
 レツヒトはザックから寝袋を出して横になった。上を見ると星空の真ん中に天の川が見える。世界が変わる前は写真でしか見た事がない光景だ。どの星も目に飛び込んでくるような明るさだった。ふと小学生の頃に理科の宿題で探したオリオン座を探してみた。当時はそれほど苦労した覚えはないのだが、その時はこれほど星が多く見えなかったからだろう。今は空を埋め尽くすほど星が見えているので、かえって探しづらかった。
 焚き木の燃える音を聞きながら星を見ていたのだが、結局オリオン座は見つからず、レツヒトはいつの間にか眠っていた。
肌寒さで目を覚ますと焚き木はすっかり消えていた。久しぶりの熟睡だった。
 まだ暖かい豆とトマトのスープを腹に入れると、レツヒトは山を降りてまた歩き始めた。山から見た限りではこの先誰も耕すことがなくなった田んぼの野原が広がっている。
 今日は風のない日でレツヒトの歩く音だけが静かに聞こえた。

(おわり) 
 
この世が最悪の世界だと見抜いたタクヤは、
夜行バスに乗り徳島へ家出したが
彼の乗ったバスは徳島へ到着しなかった。


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