光を纏う女

 ヘリベさんの悪魔とドライブは何人かが目を通して修正されているそうだが、コーフィー(それと私)と淡波さんは本当に目を通しただけで終わった。コーフィーはCRAZY SISTER(電書猫のサイトにある→この小説の作者は誰にゃん?「CRAZY SISTER」 | 電書猫)、淡波さんは光を纏う女。私はてっきりあれで終わりなのかなと思っていたんだけど、他に短編が2つ付いていると知ったので一応読んでみた。すると、あれから続きを書いていたのでちょっとびっくりした。でも、いつもの淡波さんだったという印象。最初の流れのまま書いていたら、本当に違うものになったと思う。やっぱり作家特有の書き方はなかなか変えられるものではないのかもしれない(変える必要もないかも)。

 

 

ガラスたちの永遠

 また淡波さん。帯には著者初の恋愛小説と書いてあったけど『壁色のパステル』や『ケプラーズ5213』は恋愛小説だと思う。特にケプラーズの方は最後にソーの理性を溶かして、ケイトとの一気に距離を縮める話なんじゃないかと読んだんだけど、作者の中では恋愛小説ではないみたい。『ガラスたちの永遠』でも似たような構図で、形態を溶かして渾然一体と混ざり合うような話。淡波さんいわく私が恋愛小説を書いたらどうかと言ったのがきっかけみたいだけど全然覚えていない。でも弾射音さんに似ていると言ったことは覚えている。ガラスたちの永遠を宇宙規模にすれば『パッチワールド』の世界になる。

 

無気力なのにはワケがある 心理学が導く克服のヒント (NHK出版新書)

 最近本当に気力がわかないのでこういう本を読んでみた。どこかで読んだことがあるような気がしたら、もうすでに持っている本だった。これによると失敗体験を学習するとより無気力になってしまうので、書けない時は書かないほうが良いっぽい。逆に書けるときは書きまくったほうが良いってことかな。あと、同じ境遇の人が成功しているところを見ると、無気力から抜け出すこともできるのだとか。落ち込んでいる時も、調子のいい時もブログなりツイッターなりで自分の状態を報告していれば、誰かの支えになったりするのかもね。

 

自立と依存の心理 本当の「心の支え」を見つけるには (PHP文庫)

 下戸の建てたる蔵もなしというように酒をやめても人は何かに依存する。タバコをやめた人がコーヒーを飲むようになったというのはよくある話らしい。私はまったくタバコを吸わない人だがコーヒーは一日に何回も飲んでいる。去年カフェイン断ちをしていたのだが、カフェインレスのコーヒーを飲んでいるうちにいつの間にか辞めてしまった。コーヒーを飲むようになると、また少し調子は良くなってきた。本当にカフェイン断ちをしたいのならそれに変わる依存対象を見つける必要があるんだろう。タバコでも吸ってみる?

 

生きるとは、自分の物語をつくること

 執筆でよく筆が進むとき、キャラが走る、ということがあるらしい。私は未だかつてそんな経験をしたことがなくて、頑張って物語に想像力の石炭を一生懸命つぎ込んでいるだけ。そんな現象があるなんて嘘みたいに聞こえる。もしかして小説を書くのに向いていないんじゃないか。でも、物語が生き物というのはよく感じることで、なかなか理屈通りに進んではくれないものだ。今書いているのも最初に考えていたものとは違うものになろうとしている。ああ、しんどい。でも、それがいいんだと思う。でも、早く書かないとどんどん成長していってしまう。自分より大きくなったらキャラが走ってくれるんだろうか?

 

ズズのズッキーニ

 物語の種は物語から生まれることもある。だいたいいつもこれを書いたら書くことがないなと思いながら書いているけれど、たいていその途中で「あっ、これは物になりそうだぞ」という物が湧いてくる。実は今書いている物でもやっぱり浮かんできて、ああ、早く書かなきゃ一生が終わってしまうぞなんて考えてしまう。とはいっても、今のペースで書いても2年あれば書けそうなんだけどね。でもその2年が確約されているわけではなし、見えているのは今目の前にある時間だけだ。感情的には今書いているものでさえ一生終わらないんじゃないかと思ってしまう。

 

毒舌アフォリズム

 私のキンドルで326行。内容はごく短い箴言集。一ページの行数が少ないので何度もスクロールすることになるのだけど案外疲れた。文字の壁を築くのもアレだが、少ないのも良くない。いつかきっと誰かがちょうどいい多さを研究してくれるに違いない。そんなことを言うと『他人から何かを得ようとする物は、かえって自分の時間を失う。傷つきながら得たものでなければ己の血肉とはならない』なんて言われそうだけど。

 最近月狂さんは箴言をつぶやいているけれど、この路線でいくつもりなんだろうか? 私も便乗してひとつ箴言をつぶやいてみよう。

今日の箴言:批評されるのは、小説を書き上げた者だけ

  たぶん今日でおわり。

 

ジュジュマル

 人は見たいものしか見えないというけれど(ないものを見ることもある)、見えていないことにはどうやったら気付けるのだろう。目の見えない人に空の青さを伝えられないように、見えていない人に見えていないことを気づかせるのは無理なことなのかな。

 

赤い人魚

 長く一緒にいれば自然と人は似てくるものだけど、お互いに影響しあうならともかく一方的に似てきた時は、まるで自分が乗っ取られるように感じられてあまりいい気分はしないのかもしれない。フルハウスとか見ているとそんな話がありそうだ。KDP本かと思ったけれどぽっきゅんになかったから違うのかもしれない。書き慣れている印象を受けた。

 

元海上自衛官が海上自衛隊の裏も表もぶっちゃけてみた!: 電子書籍だから語れることもある

 海上自衛隊じゃなくて航空自衛隊の祭りに行ったことがある。その時にヘリコプターに載せてもらったのだが、搭乗するときに回転するヘリのローターの下を通った時にクビを飛ばされるんじゃないかと思った。そっちの方がよっぽど恐かった記憶がある。それとフランクフルトが美味しかった。現代の戦争は非対称戦だけど、お互いに最新鋭の装備でぶつかり合った時はどんな戦いになるんだろうか? ちょっと気になる。先に相手を捕捉した方がミサイルを撃って終わり? 何年か前に本で読んだのだが、その時は最新鋭の装備やロボットをシステマチックに軍隊を運用するよりも、経験のある指揮官の先方がトリッキーな戦術をしかけて模擬戦では勝ったのだとか。さもありなんである。ミサイルもレーダーも凄いが、現代はミサイル迎撃機能もある。案外現代でもいざ海戦が始まればお互いに舷側を並べて大砲を撃ちあっているのかもしれない。空中ではドッグファイト(映画のトップガンはそういう話。続編が制作されるらしいがポシャると思う。)。地上戦だって相変わらず泥臭い戦いをしているから本当にありそうだ。

 余談だけど、エースコンバットの空戦はマニューバー(戦闘機動の型)を使うより、フルスロットル、フルブレーキで戦ったほうが楽。だいたいあの世界に燃料の概念はないんだし、敵はUFOみたいな動き方するし、細かいことを気にしてはいけない。でも、マニューバーを使えるほうがもっと強い。ミサイルを撃って仕留め切れないとオーバーシュートされる。自衛隊フリークと対戦はしたくない(あいつらロックしなくてもミサイル当ててくるんだから)。

 

ボタニカルアリス

  『銃夢』に出てくるザレム人は19歳のイニシエーション(成人式みたいなもの)を受けると、大脳を脳チップに変えられるのだが、その事実はM.I.B(医療監察局)によって隠蔽されている。物語の終盤にその事実が明かされることによって、主人公のガリィの拾いの親イドが記憶を消した原因、ノヴァ教授が狂気に走った原因が分かるようになっていた。

 銃夢の続編LastOrderではノヴァ教授がザレム人達にその事実を暴露して、ザレム人達は発狂に陥れる。ある人は自殺し、ある人は暴徒と化した。その中でも正気を保った人達もいる。 ことの良し悪しはともあれ、彼らにはザレムの秩序を取り戻すという目標を見出していた。

  ボタニカルアリスでも似たような話で、主人公は人工知能だということが最初に明かされる。でも、彼は一度は死にかけるものの、再び生きる側へ戻ってくる(ボタニカルアリスの世界でも人工知能は自分が作られた存在であると知ると自殺してしまうという危険があると後に明かされる)。理由は内発的なものじゃなくて、外発的なものだ。

 頭というか心の話だが、似たような話で皮算積人さんの魔法中年っ!がある。主人公の椎作は魔法を使えるようになって美少女に変身するわけだが、すぐに悪魔から聖少女を探す仕事を与えられる。

 魔法使いは彼だけじゃなくて他にもいるわけだが、そちらの方は特別な仕事や目標があるわけではなくただ力を得ただけで、彼はその力を持て余した力を悪事に使ってしまう。椎作はそこに自分を重ね合わせて涙した。

 仮に自分のアイデンティが崩れたとしても、自分の外に依存するなり、縛り付けるものがあれば、それを心の器にして形を保てるのかもしれない。水は方円の器に従うというわけだ。社畜といば自分を持たない他人の言いなりになって生きているという蔑称だが、そういう人の方が案外強い自己を持っているのかもしれない。

 

 (おわり)