僕は夜眠りたくない、朝目覚めれば明日が来てしまうから336-280

 今日が終わろうとしている。時計の短針が12時の打つまであと1時間。僕はいてもたってもいられなくなり部屋を飛び出していた。
 

 僕の住んでいる場所は寂れている場所にふさわしく街灯が少ない。そのくせ町の寂れ具合が夜の闇にくっきりと浮かんでいた。

 僕は遠くに見えるオレンジ色の光を目指した。

 ゴゴォン、ゴゴォン

 光に近付くにつれて巨大な何かが動いている鈍い音が響いていた。オレンジ色の光は港から積荷を下ろすクレーンのライトだったが今は動いていない。その音はどこかから聞こえていて、港のコンクリートに染み込んでいく。

 ゴゴォン、ゴゴォン
挿絵2

 停泊した船の隙間に竿を垂らしているおじさんがいた。釣りをしているのはその人だけだ。ニット帽に生地の厚そうなジャンパーを着ている。

“こんばんは、何か釣れますか”

 僕が話しかけると

“タチウオが釣れている”とおじさんは答えた。足元にはラジオがあって、この時間にはちょっとそぐわないヘヴィメタルがかかっていた。音がこもっているからきっとAMだ。AMでヘヴィメタなんてますます変だ。

 おじさんはユニクロの白い買い物袋からタチウオ出して僕に見せた。オレンジ色のライトでも銀色に光るタチウオは帯みたいに長くて1mぐらいあった。

“大きいですね”

僕が言うと“3本じゃなあ”とオジサンは不満そうな声を出した。

 ユニクロの買い物袋にはタチウオが4匹入っている。オジサンが持っているのを合わせて5匹。3本というのはいかにも変だが、僕は曖昧にうなずいてその場を後にした。

 港から遠ざかると星がたくさん見えた。今日は月が出ていない。住宅もほとんどの家が明かりを消している。子どもの頃に見たような星空だった。

 足元で赤猫が僕を見上げていた。「ニャー」と鳴いて僕の足首へ甘えるように体毛を擦り付けてきた。僕がその猫を撫でようと腰を下ろすと猫は膝に乗ってきた。図々しい猫だ。それでも背中を撫でてやるとクルルルル、クルルルルと喉を震わせて高い音を出した。

 猫を撫でるのに飽きたので猫を地面に放って歩き出すと猫がついてきた。足を止めると「ニャー」と一鳴きして足首にまとわりついてくる。でも僕はその猫に飽きていたので、ちょっとかわいそうな気がしたけれどまた歩き始めた。猫はトコトコと後ろをついてくる。まるで犬みたいだった。

 僕の他にも夜の町を歩いている人がいた。歩いているというよりはウォーキングだ。いつの間にか赤猫の姿が無かったのでちょっと寂しい気持ちになった。

 僕はずっと歩いていた。どこかへ行きたいけれど、どこにも行く場所は無かった。歩き疲れた僕は国道のガストに入った。すかいらーくグループ。バーミヤンだってすかいらーくだ。特に意味はないがそんなことを考えた。

 僕は時計を見ないようにして席についた。深夜でも客は入っている。メニューを訊きに来た女の子に僕は『オムライスビーフシチュー』を頼んだ。こんな時間にはそぐわない活発そうな明るい女の子だった。彼女の声は深夜のガストによく響く。急なシフト変更でもあったんだろうか。

 衝立の向こう側に別の客が来た中年と若い男の二人が座ったと声で分かった。中年の方がずっと喋り続けている。若い方は黙っていた。スマホでも見ているのかもしれない。

 そうこうするうちに『オムライスビーフシチュー』が来たので僕はそれを食べた。

“子供の頃に通った道って、大人になって通ってみると驚くほど狭いんだよな”

 オムライスを半分以上食べた頃に衝立の向こうから声がした。さっきから声は聞こえていたが、言葉が耳に入ってきたのだ。若い方はうんともすんとも言わない。

“でもさ、空の大きさってずっと変わらないってことに気付いたんだ。これってトリビアになりますか?”

 突然トリビアの泉のネタが出てきたけれど、若い方はやっぱりうんともすんとも言わない。僕はオムライスを食べ終わり、水を飲んだ。

“月のウサギが・・・・”

 中年の男が喋っている間に僕は席を立って、衝立の向こうをちらりと見た。そこに座っていたのは中年の男と若い女だった。肩紐の付いていない黒いドレスでおっぱいの上半分が見えている。ほっぺたに赤が取って付けたように浮いていた。

 僕は夜の町を歩いた。行き先はない。どこかへ行こうという意思はあるが、どこにも目的地はないのだ。遠回りとはいえ、僕は自分の部屋へ帰ろうとしていることに気付いた。

 さっきとは違う港に来た。海面に対岸の街の光が絵の具のようにぴゅーっと伸びていた。その光の根っ子にはきっとタチウオを釣っているおじさんがいる。クレーンのオレンジ色の光もやはりぴゅーっと伸びている。世界はまだ夜に包まれている。

 歩くのは飽きた。体も疲れた。もうずっと歩き続けている。でも僕は立ち止まらずに歩き続けた。僕は絶対にどこかへ行かなければならないのに、どこへ行ったらいいか分からなくて焦っている。寝ている場合じゃない。見当違いでもいい、どこかへ行かなければならない。

 漠然とした不安を燃やすように歩き続けていると、夜の闇を掴むように朝の光が伸びてきた。夜が終わろうとしている。僕はその光から逃げるように自分の部屋へ走った。新聞配達のカブが走り回っている。

 僕は部屋に帰ると、急いで布団に潜った。明日が来るまで時間はまだたっぷりとある。僕は朝が来る前に眠りについた。

 

(おわり)

 

伊藤先生の次回作にご期待ください

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