昔々、稲見の庄という村に伝わる伝承である。

 ある夫婦が人目につかぬよう山の奥へ入り、沼の前に立った。妻の胸元には赤子が抱かれている。夫婦は着物の帯で赤子に石を撒きつけると沼に落とした。夫婦は後ろめたい気持ちから逃げるように沼から立ち去った。

 石を巻き付けていたので赤子は見る見る沼の底へ沈んでいった。その様子を沼の底に棲む竜がじっと見上げていた。赤子が沼の底まで落ちてくると竜は赤子を口の中に飲み込んだ。

 夫婦が赤子を山奥の沼に捨てた翌日から赤子を抱いた見目麗しい女が山から下りてくるようになった。

 女は麓にある村の各家の戸を叩いては乳が出る女はいないかと尋ねた。ある女がなぜ自分の乳を与えないのかと問うと、女は着物の前を開いて、乳房のない平らな胸を露わにした。乳首さえないので、これはきっと通常の者ではないと村の者達は妖しんだが、乳を吸わせた礼として女は反物や宝物を置いていったので喜んで乳を吸わせる家も多かった。

 赤子は乳を吸いながら大きくなり、ある時から竜丸(たつまる)と名乗るようになった。竜丸が言葉を話すようになると村の者達は母親は何者なのかと尋ねたが、竜丸は母は母だとしか答えなかった。またある者は二人は山でどういう暮らしをしているのかと尋ねたが、それを口にすると空が割れて村が水の底に沈むので決して話すことはできないと竜丸は答えた。まさかそんなはずはあるまいと村人は思ったが、竜丸の口ぶりが奇妙なほど確信に満ちていたので、それ以上問い詰めなかった。

 竜丸は村の子ども達と遊ぶようになった。妖しげな親子と関わることを危ぶんだ親は多かったが、竜丸の母親は竜丸と一緒に遊んだ子どもに菓子を与えたので、親の目を盗んででも竜丸と遊びたがる子どもまでいた。

 竜丸はさらに大きくなり、村で畑の手伝いをするようになった。大きくなってからは一人で下りてきたが、母親が下りてくる時もあった。母親は竜丸が赤子の頃とまったく同じ容姿であり、やはりこの世の者とは思えないが、竜丸にゆかりのある者に対しては大層な礼を置いていくので、悪い者でもないと言う村人も多かった。

 ある時、大きな戦が起こり稲見の庄からも人を出さなければならなくなった。誰を戦に出すのか村人が話し合っていると、山から立派な騎馬武者が一騎下りてきた。それは鎧に身を包んだ竜丸であった。竜丸の後ろには牛車が引かれており数人分の刀、槍、弓、矢、鎧兜が積まれていた。どれも黒光りして金綺羅の飾りが付いた立派な物である。竜丸が郎党になり戦へ加わる者を募ると、血気盛んな若者達が加わった。

 竜丸達は戦に加わった。竜丸の馬は口から泡を吹くほど凄まじい気性であったが竜丸の手綱には素直に従った。また竜丸に向かって飛んできた矢は何故か鎧兜の寸前で脇に逸れた。また竜丸の弓が放った矢は盾を割り、大鎧を泥のように貫いた。

 そのような働きだったので竜丸方の軍勢は戦に勝った。侍大将の覚えも良く、竜丸は恩賞として稲見の庄の良田を十町拝領した。(一反の十倍が一町。一反で一石。つまり一人分の米が取れたそうな。ちなみに現代は技術が発展して一反から4~5人分の米が採れるのだとか。)

 竜丸が拝領した田畑の隣には地侍である稲田家の田畑があった。稲田家には稲姫という年頃の娘がいて、日頃顔を合わせることもあり、いつしか竜丸と否姫は心を通い合わせるようになった。

 二人が将来を誓い合うと、竜丸は稲姫との婚姻を許してもらうために山へ上り、母親に会い行った。竜丸の母親は沼の底でとぐろを巻いていて、沼の縁に立った竜丸をぬっと見上げた。竜丸の母親の正体は沼に棲む竜であった。

 竜丸は母親に稲姫との婚姻が許されるものであると思っていたが、竜は水面に浮かび上がると牙が生え揃った口を露わにして稲姫との婚姻を許さなかった。それでも竜丸が食い下がると母親は言った。

「おのれ、竜丸。赤子の頃よりお前を口の中で大事に育てた母の恩を忘れたか。お前はいずれ都へ上り位人臣を極める者であるものを地侍の娘ごときを娶りたいとは恥を知れ」

 それでも竜丸が稲姫との婚姻をあきらめないでいると竜は激しい水音を立てて沼の底に沈み、尖った光を放つ目で竜丸を見上げた。

 その日は雲一つない快晴であったが、夜になるとやにわに雷が鳴るほどの大雨が降った。雨は勢いを弱めることなく三日も降り続け、低い土地にある田畑が水の底に沈んだ。それでも雨は降り続け家でさえ飲み込まれそうになった。竜丸は母の怒りが雨を降らせたのだと悟り、慌てて山を駆け上り、母の棲む沼へ行った。

 不思議と山に入ってからは雨が止み、沼の辺りは地面が乾いていた。竜丸は稲姫との婚姻をあきらめるので雨を止めて欲しいと頼んだ。すると麓にあった雲が風で吹き払われたように消えて、辺りは雲一つないほど晴れ渡った。

 しかし、竜丸は稲姫との婚姻をあきらめなかった。竜丸はしばらく待つようにと稲姫に言い含めて、拝領した土地の運営にいそしんだ。竜丸の田は元々良田ではあったが水が絶えることはなく稲妻がよく落ちることもあり豊作となった。

 春になる前に竜丸はまた山を上り、母の棲む沼へ行くと、稲姫との婚姻の許しを請うた。竜は怒り沼の底に沈むと麓に雨を降らせた。雨は三日を超えて十日降り続いた。しかし、雨は堰に貯まり、田畑を飲み込まなかった。母の怒りが雨を降らせることを知っていたので、竜丸は雨水を貯められるように堰を作っておいた。

 雨は一ヶ月も降り続いた。それでも堰は壊れず雨を貯め続けた。

 やがて雨の勢いが弱くなり、雲間から日の光が差し込むようになった。

 竜丸が山を上り沼へ行くと、沼の水は底が見えるまで干上がり、竜のうろこが割れて血が噴出し、その血でさえ固まるほど乾いていた。

 竜丸は雨を降らせ続けると母親が死ぬであろうことを予感して、雨を止ませることを頼んだ。母親は稲姫との婚姻をあきらめるようにと頼んだ。しかし竜丸はあきらめると言わなかったので、母親は雨を止ませる代わりに沼に水を返すように頼んだ。

 竜丸は堰に貯まった水を桶に汲んで沼に運んだ。沼に水が貯まり始めると雨は止んだ。

 竜は竜丸に稲姫との婚姻を許すので、息子の妻になる娘の姿を見せて欲しいと頼んだ。母の正体が稲姫に知られてしまうがいいのかと竜丸が問うと、息子の妻になる者に正体を明かさないのは情けがないと竜は言った。

 竜丸は村へ戻ると稲姫に会い、母親と会ってくれるようにと頼んだ。母親が沼に棲む竜であることも告げた。竜と聞いて稲姫はたじろいだが、竜丸の母でもあるので、会わないのも角が立つので会いに行くことにした。

 竜丸と稲姫が竜の住処へ行くと、沼の水はすっかり元に戻っていた。

 竜丸は稲姫を連れてきたことを告げると、竜は稲姫の姿がよく見えるように沼の縁に立つようにと言った。竜丸は稲姫を促して沼の縁に立たせた。稲姫が沼の底を覗くと金色のうろこを持った竜がとぐろを巻いていた。

 尖った光を放つ目が稲姫の姿をとらえると、竜はすぐさま水面に飛び上がり、稲姫の左目をくりぬいて、自分の目を抜き取ってはめこんだ。あっと声をあげる間もない出来事で、竜丸も稲姫も一瞬何が起きたか分からぬほどであった。稲姫は左目から血が流していたが、不思議と痛みはなく、目も見えるようだった。しかし左目は竜の目と同じ尖った光を放っていた。

 そのあと竜丸と稲姫は結ばれて子宝にも恵まれた。領地の田畑も豊作が続いた。竜丸は都に上り位人臣を極めることはなかったが、稲見の庄をよく治めて立派な領主となった。これも竜のおかげと、竜丸と稲姫はことあるごとに竜の元を訪れたが、片目の竜は沼の底からじっと二人を見上げるだけであった。

 それから何百年も経った。稲見の庄が大きな災害に見舞われないのは山の沼に棲む竜が竜丸の子孫を見守っているからだと言われている。

(おわり)


 馬鹿な連中に囲まれているとこっちまでおかしくなりそうだ。今日もグロブターがブタ小屋でブタ達を扇動をしている。心酔している深さに違いはあるがブタ小屋のブタ全てがグロブターに心酔している。

「僕達は人間に愛されている。今日もエサをくれ、ブタ小屋の掃除をしてくれる人間に感謝しよう!」

 取り巻きのブタ達がブヒィブヒィと賛同の鳴き声を上げる。けっ、馬鹿かよ、こいつら。どいつもこいつも脳なしのブタ野郎だ。肥えることしか考えちゃいない。どうして人間共が俺達にエサを与えて、ウンコの後片付けをして、新しい藁を敷いてくれるんだ。きっと何か裏があるに違いない。俺は騙されないぞ。なんてことをグロブターに言ったことがある。すると奴は言った。

「カシコブター、君は間違っているよ」

 カシコブターとは俺のことだ。

「カシコブター、君は愛を信じられないブタだ。あわれみさえ感じる。愛を信じられないブタは幸せになれないだろう」

「幸せって何だ。バカになるってことか。あんたの取り巻き達は幸せそうだ。あんたは一番幸せそうだ。それは認めるよ。でも俺はごまかされたくない。どうして人間は俺達を肥え太らせるんだ」

「単純な理由さ。彼らは僕達に幸せになってほしいんだ。エサをたらふく食べて、綺麗な藁の上で寝て、天気の良い日は牧場で散歩もする。何の不満もないじゃないか」

「だから、どうして人間はブタに幸せになって欲しいんだよ」

「それはLOVE、愛だよ」

「愛ってなんだよ、クソッ。俺達が幸せになって人間に何の得があるんだ。理屈が合わないぞ」

「愛ってのはさぁ、理屈じゃないんだよ。損得じゃないんだな。こう、なんていうのかな。心の底から湧きあがるエモーションってのが体を突き動かすんだよ」

「ごまかすんじゃねえぞ、グロブター!」

 体の底からエモーションが湧き起こってきて俺はグロブターの横っ腹に突進した。

「さあっ、来い。君の気持ちを全て受け止めてやるっ!」

 地面に転がったグロブターは叫んだ。

 まったく。こいつらは頭がおかしい。右の腹を突かれれば左の腹を突き出せという教条を説いているんだからさ。その総本山のグロブターに至っては、ごろんと腹を上に向けて俺の突進を待ち受けてやがる。うっとりした目で俺を見つめやがってさ。本気で待ち受けているんだよ。キモ過ぎて俺は突進する気をなくした。

「待て、カシコブター。何故いつもそこでエモーションを抑えてしまうんだ。何故そんなに恐がる。僕は君の全てを受け止めるつもりだったのに」

 突進をやめた俺にグロブターがすり寄ってくる。

「てめえ、頭が腐ってるんじゃないか。変態野郎め。俺に近付くんじゃねえ!」

 俺がそう言うとグロブターはすっと身を引いた。奴の良いところはしつこくないところだ。取り巻きのブタ共はこの後熱心に愛を説きやがるから、横っ腹を突き上げて、地面に転がしてやるんだが、その時の奴らはあわれっぽくキィキィ鳴きやがるから、さらに突き上げてブタ小屋の隅まで転がしてやるのが恒例だった。

 人間がブタ達をいかに愛しているかの演説は終日行われる。グロブターが別のブタ達を集めて高い声で叫んでいた。

「今日までの日を思い返してみるがいい。人間達は一日もかかすことなく我々ブタ達を幸せにしている。日々証拠は積み上がり、疑う余地はない。絶え間なく続く愛が我々に注がれているし、これからもそれは続くだろう」

「肥えたブタはトラックに乗せられてどこへ行く?」と俺は言った。

「幸せになったブタ達はもっと幸せな場所へ行く」

「不幸なブタは?」

「不幸な場所へ連れて行かれる。何故なら人間達はブタを幸せにするために日夜我々に愛を注いでいるというのに、それをないがしろにするブタは人間に対する裏切りをしている」

 肥え太ったブタはいつも白いトラックに乗せられて、どこかへ連れて行かれる。病気になったり、ひどい怪我をしたり、いつまで経ってもやせ細ったブタは暗い顔をした人間達にどこかへ連れて行かれる。グロブター達は何故か白いトラックに乗せられたブタ達はここよりも幸せな場所へ行くと信じている。否定はできない。何故ならどこへ行くのかは誰にも分からないのだから。それじゃあ暗い顔の人間達に連れて行かれるブタも幸せな場所に行くとは何故言えないのか。不幸なブタは不幸な場所へ行き、幸せなブタは幸せな場所へ行く? 理屈が通っているような気がして信じてしまいそうになる瞬間が一日に何度もある。でも俺は騙されない。人間達は俺達を肥え太らせて、何かをしようとしている。

「カシコブター、君は考えすぎているんだ。どうして人間の愛を信じることができない。このままでは君は不幸なブタとなり、不幸な場所へ連れて行かれてしまうぞ」

「不幸なブタが幸せになってもいいだろ?」

「もちろんだ。君も幸せになっていいんだ。いや、なるべきなんだよ」

「本当に愛を信じられたら幸せになれるんだろうな。それは疑っていないんだよ。お前も、お前に心酔したブタ達も本当に幸せそうだ。それに人間のブタ達に対する愛ってのも俺は疑っていない。たぶん人間は俺達ブタを本当に愛している。でも俺は幸せの先に何があるのか分からないのが気に入らないのさ」

「幸せの先には幸せがあるのさ、永遠に」

「永遠の先は?」

「永遠に終わりはない。いつまでも幸せが続く」

「俺には信じられない」

「今日までの日を思い返してみるといい。人間達は絶え間無くブタを愛してきた。それと同じことがずっと続くんだよ。それとも君は何か別のことがあると言いたいのか」

「そんなことは分からねえよ。分からないことが分かっているだけだ。もしかしたらお前の言う通り永遠の幸せが続くのかもしれない」

 しかし俺はブタ小屋の柵を飛び越えていた。

「カシコブター、何をしているんだ。もう一度柵を飛越えて戻ってこい。君は幸せから離れようとしているんだぞ」

 本当に俺は何をしているんだろうな。でも、こうなんていうのかな。体の底から湧きあがってくるエモーションが俺に柵を飛び越えさせた。俺はきっと幸せにはなれないだろうけれど、幸せとは違う何かを求めているんだろう。

「じゃあな、グロブター。俺は幸せなお前が嫌いじゃなかったぜ。でも俺はブタ小屋を出ていく」

「カシコブター、ブタ小屋を出て幸せになれると思うのか」

「全てのブタが幸せにならなきゃいけないってわけでもないだろう」

「戻ってこ~い、カシコブタ~! どうしてお前は自分を不幸にするんだ~!」

 グロブターの叫びはブタ小屋を出てからもずっと続いた。牧場の柵を飛越え、山に入ると冷えた静寂が俺の体を包んだ。



 この後カシコブターは暗い森をさまよい続けて野垂れ死んだ。幸せなブタ達は出荷されてトンカツになった。グロブターは牧場主に気に入られて、死ぬまで幸せに牧場で暮らした。

 今日もブタ小屋は幸せなブタで満ちている。


(おわり)
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 人類の滅亡はFOXTVのドラマみたいに劇的ではない。最初に起こったのは大規模な停電の続発、スマホのバッテリーが切れると情報の断絶、そこからは何も分からなくなった。異常事態に誰もがパニックになり、生き残れたのは運の良い奴か、始めからずる賢く立ち回った奴らだった。

 FOXTVのドラマみたいなことが一つだけある。それは世界がゾンビに満たされたってこと。俺達にとって幸運だったのは最近流行の走るゾンビじゃなくて、古典的な動きののろい奴だったことだ。でもこれまたドラマみたいにいかないことがあって、奴らは頭をナイフで刺したり、銃で撃ったりしても動きが止まらない。脳幹をしっかり破壊しないと動き続ける。リアリティありすぎ、いや、これはリアルか。

 俺は初瀬明生という男と一緒に逃げていた。奴は小説家で『Fire marks』という自分の本をいつも肌身離さず持ち歩いていた。ハードカバーの初版だそうだ。

「それ燃やしちまえよ」と俺は言うのだが、初瀬は首を横に振る。俺も本気で言ったわけじゃない。でも本ってのは良い焚き付けになるんだ。薄い紙の束だからな。略奪で最初に無くなったのは食料、次に本だった。今、本屋に入ると出版不況が嘘だったみたいに本棚は空だ。もしかしたら『Fire marks』が世界最後の一冊かもしれない。もう何ヶ月も本を見ていない。

「アッ、アッ、アッーーーーーーッ!」

 俺達が茂みで休憩していると叫び声が聞こえた。バットを手に取り、そっと様子を窺うと、道路の真ん中で若い男が生きながらゾンビに食われていた。

「どうする?」

 俺は初瀬に訊いた。彼は首を縦に振った。

 俺と初瀬はバットを持って、惨状の現場に近付いた。ああ、なんてこった。若い男の生き血をすすっていたのは近所の山田さんだった。俺が住んでいたところからだいぶ離れた場所まで来ていたが、意外なところで出会った。もしかすると旅行か何かで来ていて、この土地でゾンビになったのかもしれない。

「アッーーーー!」

 山田さんは俺達に気付かなかったが男は気付いた。必死の形相で俺達に助けを求めている。脇にバットが転がっていた。山田さんのおでこはへこんでいる。バカな奴。ゾンビを一匹倒したところで意味はない。体力は温存した方がいいのだ。無駄にリスクを背負う奴は遠からず命を落とす。俺達は生き血をすする山田さんをそのままにしてその場を離れた。ゾンビになる前の山田さんが「はぁ~・・・・・・誰かこのイライラを250円ぐらいで買い取ってくれないかな」と言っていたことを何故か思い出した。

 夜になると俺達は『寅壱』という店に潜り込み夜を過ごした。夕食は若い男が持っていたチョコバーだ。

「なあ、時々思うんだ」と初瀬は言った。「もし俺達がまだ行っていない場所で、世界がこうなる前の世界があったら許せないだろうなって」

「俺達が必死こいてゾンビから逃げ回っているのにダークソウルやってましたじゃムカツクよな。俺達はリアルでソウルがダークなのに」

「でもそういう世界がないとしたら絶望じゃないか? 俺達はどこへ行こうとしているんだ。でも俺は世界がゾンビに満ちて欲しいとも思っている。世界中で一人残らず俺達と同じようにゾンビにビビッていて欲しいんだよ。ゾンビのいない場所で安心して眠っていられるなんて許せない」

「そんな気持ちが世界にゾンビを広げたのかもしれないな。もしまだ日常が残っている世界があったなら俺はゾンビを放り込んでやりたいよ」

 それから俺達は交代で眠ることにした。初瀬は焚き火の光で『Fire marks』を読み始める。俺も読むことがあるが、いつも13ページ目で本を閉じてしまう。初瀬はもう何十回も読んでいた。ホントに大したもんだよ。俺なら眠っちまうね。

 それから俺は眠っていたのだが激しく揺り起こされた。ゾンビが来たのかと慌てて飛び上がったが、そんな感じではなかった。でも初瀬は驚いた顔をしている。

「どうしたんだよ」

「人の声がした」

「どこで?」

「ラジオから」

「ラジオだって。そんなもんとっくの昔に放送終了だろ。FMAMも砂嵐しか聞えない」

「でも聞こえたんだよ。周波数をいじっていたら若い男の声が聞こえたんだ」

「夢でも見ていたんじゃないか。しっかりしろよ。寝ている間にゾンビにかじられたくなんかないぞ」

 だが初瀬の言っていたことは本当だった。次の日、初瀬がラジオをいじり続けていると、本当に若い男の声が聞こえた。

「この放送が聞えているか。僕はオオキボウイチロウ。君は一人じゃない。希望はある。僕達はきっとこの災難を生き延びるだろう。安全な場所がある。場所は・・・・・・」

 それから男は地名や、辺りの様子、緯度経度で場所を示した。しかし俺も初瀬にもそれがどこにあるのかは分からなかった。

 放送は何度もあった。午後の
1,3,5,7,11時に定期的に放送される。周波数はFM80.7

FMってことはそう遠くない。もしかしたらすぐそばにいるのかも」と初瀬は言った。

「希望はある。僕達は待っている。それでは今日最後の曲。タイラヒロシさんからのリクエストでパフュームのレーザービーム」ラジオからオオキボウイチロウの声がした。イントロの間にメッセージを読む。

「オオキさんこんばんは。数ヶ月前にゾンビを畑に埋めてマリーゴールドの種を播きました。すると大きな株に育って鮮やかな花が咲きましたよ。ゾンビって良い肥料になるんじゃないでしょうか。次はキュウリで試してみます。・・・・・・そうですか。肥料。でもゾンビで育ったキュウリって食べても大丈夫? くれぐれも無理はしないでくださいね。それでは今日の放送はこれまで。また明日」

 ラジオからパフュームの歌声が聞こえる。それが終わるとラジオは唐突に砂嵐を流すようになった。

 俺達はゾンビ達から逃げながらオオキボウイチロウを探すことにした。遠くの山に電波塔が立っているのが見える。もしかすると山の向こうまで行かなければならないのかもしれない。山の向こうにも電波塔があって、さらに山を越えなければならないのかもしれない。だが行き先があるということが俺達に元気を与えた。

 そして俺達はオオキボウイチロウがラジオで言っていたのと同じ風景を見つけた。『オオキレディオ』と書かれた木の板も見つけた。もうじき彼らのいる場所に着くはずだ。それで俺達は気持ちが緩んだのだろう。

 俺達はゾンビの襲撃を受けたであろう廃墟を見つけた。だがゾンビはもういなかったので、俺達は何か残っていないかと廃墟を漁った。すると、リュックに詰まった食料を見つけた。その中には『加茂錦』という酒も入っていた。これがいけなかった。

 夜になると俺達はうかつにも『加茂錦』を飲んでしまった。最初は一杯だけのつもりだったが、気付けば瓶は空になっていた。

「大丈夫か。酔っぱらってないだろうな」

 俺は眠りにつく前に見張り番の初瀬に言った。

「酔っぱらってねえよ。あれぐらいなんともない」と初瀬は言った。大丈夫ではないと薄々感じていたが、近くにオオキボウイチロウがいるなら、この辺りは安全なはずだと俺は思い込んで、安心して眠りの中へ落ちてしまった。

 俺は嫌な予感で目を覚ました。最初に腐った肉の臭いが鼻を突いた。何が起こっているのか一瞬で分かった。体を起こすと目の前でゾンビが俺に覆い被さろうとしていた。俺はそばに転がっていた『加茂錦』の空き瓶を掴むと、ゾンビの頭に思いっきり叩きつけた。瓶は割れたがゾンビは止まらない。しかし俺は割れた瓶を逆手に持つと、ゾンビの喉に思いっきり差し込んだ。一か八かだったが、うまいこと脳幹に瓶の先が刺さって、ゾンビは動かなくなった。

 俺達を囲むゾンビの群れが焚き火に照らされていた。ジ・エンド。俺はきっとここで死ぬだろう。そういえば初瀬はどこにいる。もう食われたのか。

「お~い、こっちだ。早くしろ~! こっちにはまだゾンビがいないぞ~!」

 ゾンビの群れの向こうで初瀬の声がした。俺はビビッて声を出せなかった。

「お~い、死んだのか~!」

 初瀬が俺を置いて逃げるところを想像して内臓が冷えたが、何故か初瀬はゾンビの群れの中を強引に突っ切って、俺を助けに来た。こんなに勇気のある奴だとは思わなかった。

「早く行くぞ、あきらめるな。まだ抜け出せるチャンスはある。俺の後についてこい」

 初瀬はバットでゾンビを押しのけながらゾンビの群れに突っ込んだ。俺もすぐに奴の後を追った。かなり無茶だったが、俺達は奇跡的にゾンビの群れを抜け出せた。初瀬の言う通り、ゾンビの群れを一つ抜けると、それほどゾンビはいなかった。俺達は危機を脱することができたのだ。

「まったく、しっかりしろよな。危うく死ぬところだった」

 辺りからゾンビの気配が消えると俺は初瀬に声をかけた。初瀬は体を二つに折って苦しそうにしていた。

「おい、どうしたんだよ」

「俺はもう駄目だ。置いていってくれ」

 初瀬は服をめくり上げて、ゾンビに噛まれた脇腹を見せた。血は止まっていたが肉は紫色に変色してゾンビになり始めていた。

「一噛みされて目が覚めた。それで慌てて逃げたんだ、お前を置いてな。でも、どうせ逃げたところで俺はゾンビになっちまうんだ。どうせならお前を助けてから死のうって気になった」

「だからあんな無茶をしたのか」

「意外にいけるもんだな。ゾンビの群れを掻き分けている時、俺はマンガの主人公になった気分がしたよ」

「痛むのか?」

「不思議と痛くない。痺れて心地良いぐらいだ。ゾンビになるのも意外に悪くないのかもしれない。今俺はお前を食べたい気持ちになっているんだ」

 意外な言葉が出てきて俺は身を引いた。

「冗談だ」

「やめろよ、こんな時に」

「最後に頼みがあるんだ」

「ゾンビになる前に殺して欲しいのか」

「そうじゃない。これをお前に受け取って欲しいんだ」

 初瀬は俺に『Fire marks』を渡した。初版のハードカバー。何度も読み返されたので角はボロボロで少し湿っている。

「別に焚き付けに使ってもいいんだ。俺の本が少しでも誰かの役に立ったなら少しは書いた意味があるよな。でも、これは俺のわがままなんだが、もしできることなら、ずっとその本を残して、誰かに読み継がれて欲しいって気持ちもあるんだ」

「最後に燃やすのはこの本にするよ」

「すまない。一度はお前を置いて逃げようとしたのに」

「それでも助けに来たさ」

「もう行けよ。ゾンビになったところをお前に見られたくない」

 俺は初瀬とそこで別れた。それから奴の顔は見ていない。

 運命とは残酷なものでオオキボウイチロウとは二時間後に出会えた。昨日もう少しだけ先に進んでいれば初瀬は死ななかったのかもしれない。もっともオオキボウイチロウ達のところは全然安全なところなんかではなく、追い詰められた人間達が何とか寄り集まっているような場所だった。みんな薄汚れていて、食料はないし、ゾンビ達はしょっちゅうキャンプ地を通り過ぎた。俺達に防衛する力なんてなくて、ただ隠れているしかなかった。運悪くゾンビに見つかって食われた奴は何人もいた。

 現実にヒーローはいない。劇的な結末もない。その後ゾンビ達は腐って大地の肥料になった。あっけない終息。でも世界は終わりかけていた。ゾンビはもちろん追い詰められた人間達が色んな物を破壊したからだ。

 小説家は死んでも作品は残るなんていうが、世界が最悪になってから小説家はみんな死んだし、作品もみんな焚き付けに使われた。残ったのは初瀬明生の『Fire marks』だけだ。

 この世に残された最後の一冊。『Fire marks』は俺達に残された文明の象徴だった。危うく石器時代に戻りそうな時もあったが、俺達は『Fire marks』に救われてきた。全てが元通りにというわけにはいかないが俺達は文明を取り戻したし、これからもそれは続くだろう。

 ちなみに俺はいまだに『Fire marks』を読んだことがない。人類再生の象徴だってのにな。もし読んだ人がいたら、どんな話だったか教えてくれないか?

(おわり)
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ある小説家の部屋に茶トラの猫が忍び込みました。まだ寒い季節ですが、その日は少し暑かったので窓を少し開けていたのです。

 猫は部屋に入ってくるなり言いました。

「なんや、君。さっきワイが通った時もそこに座っとったで」

 小説家は答えました。

「あれ、そうだったかな。……そういえばそうだ。もう一時間も座っている」

「小説が書けんで困っとるんか?」

「いや、小説は書けた。印刷もした。あとは出すだけだ」

「ほれなら何でそんな暗い顔して座っとるんや」

「うん、本当に出してもいいのか。僕みたいなのが新人賞に出してもいいのかなって心配になったんだ」

「なんや、何か悪い事でもしたんか?」

「ううん、だってほら。作家の略歴には大体どこそこ大卒って書いてあるだろう? どれも聞いた事のある大学だ。僕も一応大学は出ているけれど、口に出したってほとんどの人が知らないようなところ。ひょっとしたら県内でも知らない人がいるかもしれない」

「それやったらアカンのか?」

「それは分からないけれど……」

「君、そんな弱気ではアカンのやで」

「えっ」

「ワイは窓からこっそり君の事を見とったが、毎日原稿に向かって頑張っとったやないか。ほれのにあきらめてしまうんか。君の努力は一体なんだったんや。君は君の言う通り確かに君は世間に名の通る大学を出てないんやろ。猫のワイには分からんことやけど。そやけど、逆に考えて名の通る大学を出とったらええ小説が書けるんやろか。違うやろ」

「うん」

「第一な。読者は君の事なんか興味ないで。仮に君が中卒でも面白いもんを書いとったら読者は面白いと思うし、君が東大卒でもつまらんもんを書いとったら読者はつまらんのや。君はつまらんもんを書いたんやろうか」

「そんなことはないと思う」

「それなら出すしかないやないか。君はそのために書いてきたんや」

「でも僕みたいなつまらない人間が……」

「アホか。評価されるんは君やのうて作品の方や。君は自分でええと思えるもんを書いたんやろ。毎日頑張って書いたんや。それを一体どないする気や。まさかこのままボツにする気なんか?」

「分からない」

「あのなぁ。ワイがこういうんもなんやけど、君は小説を書いてしまった責任があるんや。その責任はとらなアカン」

「責任?」

「ちゃんと日の目を見させてやることや。どんな小説もこの世に生まれてきたからには人目に触れられる事を期待しとるんやで。それを君の手元に握りしめておくんはアカン。もしかすると君の言うように小説家は立派な大学を出とらなアカンのかもしれん。でもな。やってみる前からあきらめるんは小説に対する冒涜や」

「でも……」

「君がつまらんもんを書いたのなら世間様に迷惑がかからんように手元に置いとかなアカンやろ。でも君は君が面白いと思ったもんを書いたんや。もし仮にやで、これが子どもだったらと考えてみ? 人様の役に立つ立派な大人に育った子どもを親が家に閉じ込めておくようなもんや。そう考えたら君がどれだけ罪な事しとるかよう分かるような気がせんか? 大犯罪人や、牢屋にぶち込まれるわ」

「やっぱり出してみるよ」

「そや、それでええんや。君の小説が本になったらワイは読みに来るで」

「ありがとう、猫」

「ええんやで、ほなな」

 プリプリプリ~

 猫は窓から外へ出て行く直前に、とても臭いウンチを落としていきました。

 

(おわり)

 飛行機のドアから男が飛び降りた。私も彼に続いて体を宙に投げ出した。先にダイブしたインストラクターの彼が体を大の字にして私を待っていた。地面はずっと遠いところにあった。

 私も彼と同じ高度まで落ちると、手足を広げて空気抵抗を増やした。インストラクターの彼は私と目が合うと、奥歯が見える大きな笑みを私に向けた。「どうだ、最高だろ」と言いた気な顔をしている。私は親指を立てて彼に笑みを返した。

 体中が刺激に満たされていた。私はスカイダイビングを存分に楽しんだ。手を少し動かしただけで体はとんでもない速さで右へ左へ、あるいは真っ逆様へ飛んでいく。

 インストラクターの彼が紐を引っ張るようにジェスチャーをした。地面はまだかすむほど遠い。今日は初めての単独ダイビングなので、高い位置でパラシュートを開くようにと言われていた。

 私は後ろ髪を引かれる思いでパラシュートの紐を引いた。背中に背負ったバックパックからパラシュートが出て行く。そのすぐ後に体が強引に上へ持ち上げられる衝撃が襲ってきた。

 地面はまだかなり遠い場所にあった。落ちるというよりは、浮いているという感じで、さっきまで体を包んでいた刺激が冷めていった。

 インストラクターの彼はパラシュートを開いて、あんぐりと口を開けて私のパラシュートを見上げていた。一体何だろうと私も彼の視線を追ってパラシュートを見上げた。

 私はパラシュートではなく、巨大なイカにぶらさがっていた。テレビでよく見る大王イカより大きいかもしれない。イカは胴体を大きく膨らませていて、二本の巨大な足は私の体に巻き付いていた。

 イカが胴体を膨らませると落下速度が遅くなり、体を縮めると落下が速くなった。計ったわけではないが縮んでいる時間の方が長い。この速度で落ちれば私はイカ共々地面に強く叩きつけられて無事ではいられないだろう。

 タコに吸い付かれた時は吸盤をつまむと勝手に剥がれるとTVで見たことがある。私はイカの巨大な吸盤を掴んだ。キュポッと小気味の良い音を立てて吸盤が外れた。

 キュポッ、キュポッ、キュポッ

 私はその調子で全ての吸盤を外した。私は宙に投げ出されて地面に向かって加速していく。イカの体があっという間に遠くへ離れていった。

 私はもう一本の紐を引っ張った。すると腹に巻いた予備のパラシュートが開き、また宙に浮いた。今度はイカでなくちゃんとしたパラシュートだった。

 私はその後もスカイダイビングを続け、何度もパラシュートを開いたが、巨大イカが出てきたのはあれが最初で最後だった。

(おわり)

flying bikeのコピー
 
YOUTUBEBMXを初めて見た時は衝撃的だった。自転車は地面を走る物だと思っていた。でも画面の中では自転車が坂や階段で飛び回っていた。アオイにもそれを見せると、アオイは魂が抜けたように画面に釘付けになった。きっと僕も同じ顔をしていたんだろう。僕達は関連動画からBMXが消えるまで何日も画面を覗き込んでいた。

 僕達が住む町の隅っこには、じいちゃんいわく「金を払ってでも手放したい土地」がある。そんな場所だからゴミがよく捨てられていたが、誰からも見捨てられた土地なので、誰もそれを気にすることはなく、ますますその土地は汚くなり、ゴミも山のようになった。誰からも見捨てられた土地ということは、親達の目もないということで、僕とアオイは毎日ゴミ山に潜り込み、夕方まで遊んでいた。

「なあ、これってジャンプ台になるんじゃないか?」

 僕はゴミ山の頂上に登るとアオイに言った。

「ジャンプ台って?」

BMX

 アオイもゴミ山の頂上に登ると、麓にある雨でえぐれた穴を見て「なるほど」と言った。
 その日から僕とアオイはゴミ山のゴミを綺麗な坂になるように積み上げて、仕上げに板を立てかけて坂を作った。

 僕はゴミ山の頂上から自転車で坂を降りた。降りたというよりは落ちるという感じで、ペダルを漕がなくてもとんでもないスピードが出て、坂の終点にある雨でえぐれた穴に落ちると、その勢いのまま穴のふちで自転車がジャンプした。僕はススキの中へダイブした。

「お~い、生きてるか~?」

 アオイを心配させたくて、僕は目をつぶってススキの中で倒れていた。

「お~い、カズマ・・・・・・」

 本当に僕が死んだのではないかとアオイが心配そうな声で僕のそばにしゃがむ気配を感じた。僕はとっさに体を起こすと「わっ!」と声を出してアオイを驚かせた。アオイも「わっ!」と声を上げると、後ろに転がってススキの中ででんぐり返しをした。

「くそっ、死んでれば良かったのに!」とアオイが毒づく。

「死ぬわけねえだろ、ば~か!」

 それから僕はまたゴミ山の坂でジャンプした。ススキの中へダイブすると、もう一度死んだふりをしたが、今度は石が飛んできた。

「さっさと生き返れ、くそったれ!」とアオイの声がする。

「アオイも飛べよ」体を起こすと僕は言った。

「危ないからいいよ」

「危なくなんかないよ、すっごいから」

 そう言って僕が何回か飛ぶと、アオイも飛んでススキの中にダイブした。しばらく起き上がってこなくて死んだふりをしていたのは分かっていたので、僕は騙されたふりをして「救急車を呼んでこなきゃ!」と走り出して、アオイを驚かせた。

 それから僕とアオイは毎日ゴミ山の坂で加速して雨でえぐれた穴のふちでジャンプすることを繰り返した。カゴや泥除けとか、後輪に付いている自転車を立てるための何かとか、外せる物は全部外すと、自転車が軽くなって、もっと長く飛べるようになった。

 僕とアオイがどれだけ飛べるかを競っているところに新しい仲間が加わった。丘の上にある西洋風のデッカイ家に住んでいるタマキ君だ。

 タマキ君の自転車はBMXだった。僕達の自転車と同じでカゴも泥除けも付いていなかったが、自転車自体が軽くて片手でも持てそうなほどだった。僕とアオイはBMXを借りて飛んだことがあるのだが、いつもより2秒ぐらい長く飛べた気がした。やっぱり本物は違う。でも僕とアオイの方がBMXに乗ったタマキ君より上手く高く飛べた。

 僕とアオイとタマキ君は毎日ゴミ山で飛んでいたのだが、ある日タマキ君が「他の子達も呼んでいいかな」と言った。もちろん僕達はすぐにOKを出した。次の日曜日にBMXに乗った四人の子達がゴミ山に来た。四人とも知らない子で、タマキ君が通っている同じ塾の子だそうだ。それは別に何でもなかったのだが、四人の内の誰かの父親が一緒に来ていた。

 親達のいない僕達だけの場所に大人がいるのは奇妙な気分がした。ゴミ山でジャンプするのがどこか後ろめたい気持ちがした。でもタマキ君や四人の子は楽しそうにジャンプしていた。父親も何も言わなかった。やりたいようにやらせているという感じだ。

 それから毎週日曜日は四人の子が来るようになった。誰かの父親も一緒だ。どの父親も何も言わずに僕達を見ていたが、ある時から四人の子の頭にヘルメットが、ヒジとヒザにはプロテクターが着くようになった。

 誰かの父親はゴミ山にある空き地にスコップで土を盛るようになった。月が変わると四人の父親が総手で作るようになり、ゴミ山の一角にYOUTUBEで見たような、きちっとしたBMXのコースができた。

 地面がしっかりしているのでゴミ山で加速してジャンプして飛ぶより綺麗に飛べそうだった。事実タマキ君や四人の子はゴミ山ではちょっとしか飛べなかったのに、コースの上だと僕とアオイより上手く高く飛んでいた。

 僕とアオイは何故か飛べなかった。それどころかジャンプした後、転ぶことが多かった。ススキの中にダイブするだけだったから着地のことなんてこれっぽっちも考えてなかったからだろう。

「大丈夫?」

 僕とアオイが、いや、誰かが転ぶと、誰かのお父さんがすっ飛んできて声をかけてくる。本当に心配している感じの声で、かえって気詰まりするほどだった。タマキ君や、他の四人だとそのままだけど、僕とアオイの時は「君達はヘルメットやプロテクターを付けないのかい?」と言ってきた。これまた怒っている風でもなく、からかっている風でもない。本当に心配そうな声と顔だった。僕とアオイは「全然平気だよ」と答えていた。嘘や強がりじゃなくて本当に平気だった。擦りむいて血が出る時もあったけれど、全然へっちゃらで、むしろ心配そうに気を使ってくれる方がへっちゃらじゃなかった。放っといてくれよ、と言いたかったけれど、そんな気にならないほど優しいお父さん方だったから僕は何も言えなかった。アオイも同じだったんだろう。

 そんな優しいお父さん方だから、ついには僕とアオイの分のヘルメットとプロテクターを持ってくるようになった。僕とアオイは全力で首を横に振って、ヘルメットとプロテクターを付けずにジャンプした。それもゴミ山の方でだ。タマキ君や四人の子は土を固めたちゃんとしたコースでジャンプしていた。

 別に嫌いになったわけじゃない。僕とアオイはタマキ君に話しかけづらくなって、特に四人の子とは一言も喋らなくなった。僕らと彼らの間には沈黙の溝が横たわっていた。何度も言うけれど嫌いになったわけじゃない。でも気まずくなった。僕とアオイは気まずさを避けるようにゴミ山には行かなくなった。

 その後ゴミ山からゴミが撤去されて、明るいオレンジ色のフェンスに囲われたBMXのコース場ができた。タマキ君や四人の子だけじゃなくて、たくさんの子ども達であふれかえった。みんなヘルメットとプロテクターを着けていた。

 でも数年後には誰もそのコースを使わなくなり、フェンスにツタが絡み、土で固められたコースは草で覆われた。そしてまたゴミが捨てられるようになった。でも僕とアオイは大きくなってゴミ山には近付かなくなったし、他の誰かが遊び場にしているようでもなかった。それから何年も経ったがゴミ山は明るいオレンジ色のフェンスに囲われたまま静かに眠っている。

(おわり)

名称未設定 1のコピー
 徳島県の赤石港という場所に二頭のイルカが迷い込んだというニュースをテレビで見た。イルカとはいっても、普通想像するような口の先が伸びているタイプではなく、前半分がまだらに白くて、後ろの方は黒い色をしていた。ハナゴンドウという種類だそうだ。

二頭のイルカは岸壁のすぐ近くを泳いでいて、頭から尻尾まではっきりと姿が映っていた。見るからに弱っていた。

 何かできないだろうかと思っていたが、その時の私は小説の改稿をしていて、翌朝目覚めるとすぐそれに取りかかってしまい、イルカを思い出したのは夕方になってからだった。

 赤石港へ車を走らせるとニュースで見た時は寂しい港だったのに、私が港へ着いた時には人がたくさんいた。橋には隙間なく人が並んでいる。

 人の隙間から何とか海を覗き込むと、橋の下辺りで海に浮かぶ黒い影と、その脇に人が浮かんでいた。ニュースから丸一日近く経っているので、救助が始まっているのだろう

 イルカのすぐ近くに防潮堤があるのが目に入った。そこにはまだ人がいないし、イルカを真上から見ることができそうな場所だった

 私は橋を降りると防潮堤に手をかけて体を上げた。するとイルカのそばにいる人と目が合った。いきなり防潮堤から人が顔を出したので驚いたのかもしれない。彼は目を大きくしていた。私も予想外に近い場所で目が合ったので、ちょっと驚いた。その人はゴム長を着て海に入り、竹ざおで海面を叩いて、イルカを沖へ追いやろうとしていた。海面が胸の位置にあるので浅い海のようだ。

イルカは海面が叩かれるたびに、背びれを浮かしたり沈めたりしながら沖へ進もうとするが、すぐに体を斜めにして戻ってきた。時々、頭の後ろにある穴から潮を吐いているが勢いは弱々しい。もう一頭はどこにいるのかと港や橋の下に目を走らせたが、一頭だけしかいなかった。かなり弱っている。

 私が防潮堤に座って、男の人が竹ざおで海面を叩き、イルカが離れては戻ってくることを繰り返しているのを見ていると、小さな男の子が防潮堤に来て、何度か登ろうとしたが登れなかったので、手を貸して上に引き上げてあげた。

 男の子は防潮堤の上に体を投げ出すと「○○○のおっちゃ~ん!」と大声を出した。どうやら知っている人のようだ。○○○のおっちゃんは「おお」と返事をしたが、男の子はずっと「○○○のおっちゃ~ん」と叫び続けていた。

 今度は女の子が来て、やっぱり防潮堤に登れなかったので、手を貸して引き上げてあげた。こっちの子は防潮堤に座ると静かにイルカを見下ろしていた。

 ○○○のおっちゃんが竹ざおで海面を叩くと、彼の後ろでボラが跳ねた。「○○○のおっちゃ~ん! 後ろで魚が跳ねた~!」と男の子が大きな声を出した。おっちゃんは「跳ねたなぁ~」と返事をした。

 私と男の子と女の子は○○○のおっちゃんがイルカを沖に追い込むのを見下ろしていた。すると子連れの大人達がやって来て、お父さんが防潮堤に登ろうとしたが「これ、高いな・・・・・」と言葉を漏らすと、登るのをやめた。その代わり子どもの腰を両手で持ち上げて、防潮堤の向こう側を見せている。イルカは防潮堤のすぐそばにいるので、その位置からでは見えないのだが、イルカが一度離れて戻ってくる時に、防潮堤からも離れるので、その時に「見えた」と子どもが声を出した。他にも肩車をしているお父さんの姿もある。

 私はこの時になって防潮堤の上には私と男の子と女の子と、プロっぽくカメラを構えたおじさんしかいないことに気付いた。そういえば防潮堤に最初に登ったのは私で、その後隣にいる男の子と女の子がやって来た。何だか悪い大人の見本のような気がしてきて恥かしくなった。

 中学生ぐらいの男の子達が防潮堤に登ってひゃーひゃー騒ぎ始める。子連れのお父さん達は一人も防潮堤に子どもを登らせようとしない。「橋に戻ろう」と言って、手を引く姿もある。

 私は隣にいる二人に「降りよか」と言おうかと考えた。しかし二人は「なんで降りなあかんの?」と問い返してくるだろう。すると私はこう答えなければならない。「周り見てみ。他の人らは登ってないだろ? ほれでな。君らの横にはワイしか大人がおらんだろ? まるでワイが登らせたみたいで~なぁ? 何か悪い気がするけん、降りなあかんのよ」

 なんという情けない言葉だろう。とても30を超えた大人の言うことではない。かといって他に言葉がなかったので、ずっと黙ってイルカを見ていた。さいわい防潮堤の下は浅い海だし、子どもが落ちても何とかなるだろうという心積もりもあったし、子どもが海に落ちそうになれば襟首を掴む準備もした。

 イルカは竹ざおで海面が叩かれると、○○○のおっちゃんから離れ、しばらくすると戻ってくるのを繰り返した。そうしながら徐々に沖へ沖へと向かっていく。

 あるところまでイルカが沖へ行くと、漁師っぽい男の人が防潮堤に登って「ほこまでにしぃ! ほっから先はぐっと深ぁなるけん、あぶないっ!」と大声を出した。○○○のおっちゃんが「はい、ここから先はぐっと深いですね」と返事をした。「あんたもはよ上がってきぃ! 体冷えたらあかんけん!」と漁師っぽい人は言った。その日は五月晴れだったが、海水はまだ冷たいのだろう。何となく○○○のおっちゃんは漁師ではないのだと思った。でもどうしてゴム長なんか持っていたんだろう。

 ここから先は潮の流れがどうとか、連絡したから船が来るだとか、もう一頭はすでに沖へ帰っただとか、漁師っぽい人が言い続けていると、何となくイルカ救出劇は終息の気配を見せ始めた。するとイルカは空気を読んだのか、○○○のおっちゃんから離れて沖へ向かった。

 男の人が近付いてきて、隣にいる女の子に「○○ちゃんがしっこがまんできんていよるけん、はよかえろ」と声をかけた。お父さんなのだろう。女の子は素直にお父さんに腰を持たれながら防潮堤を降りた。男の子は「○○○のおっちゃん上がってくるん?」と言って、ひょいと防潮堤を飛び降りた。私も防潮堤を降りるとすぐに港を離れた。

 その後、イルカと○○○のおっちゃんがどうなったのかは知らない。

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